龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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六十五の下 一杯ちょうだい、親父の煮物

 

 

 項伯は、張良からの書簡(しょかん)を読み終えると、士卒に目を向けた。

「こんな書簡(しょかん)を持ってきたところを見ると、汝は、逃げ帰ってきたのではないな?

 汝は張良の心腹(しんぷく)の部下なのだろう。正直に言いなさい」

 

 士卒は、うなずいた。

「お許しください。老大王を(だま)すつもりではなかったのです。

 ただ、余人(よじん)に知られるわけには、いかなかったものですから……

 

 お(さっ)しのとおり、私は逃げて来たのではありません。

 張軍師の使者として、この書簡(しょかん)を届けに参りました。

 もし老大王がお返事をなさるおつもりなら、私が張軍師にお届けしましょう」

 

「うむ。危険な任務なのに、ご苦労だった」

 と、項伯は喜び、さっそく自分の幕舎に入って返書を(したた)めた。

 

 書き終わると、項伯は返書を士卒に(あず)け、

「私のためにも、これを間違(まちが)いなく届けてくれよ」

 と念を押しながら、報酬(ほうしゅう)として多くの金銭をも与えた。

 

 さらに項伯は、念には念を入れ、信頼できる部下に士卒を陣門まで見送らせたのだった。

 

 

   *

 

 

 ()陣を出た士卒は、すぐに漢陣に駆け戻り、張良に報告した。

 士卒が項伯からの返書を渡すと、張良は、さっそく開いて読み始めた。

 その文面は……

 

『大好きな友と離れ離れになっていた長い時間、君の深遠なる思想に触れたいと、私は切々(せつせつ)と願っていた。

 そんなとき、君が教えを示してくれたのだ。

 どうして断ることなどできようか?

 

 君に頼まれた仕事は、なんとかやってみよう。

 (いくさ)()め、和平を(こう)じる。それは間違(まちが)いなく国家のために(えき)あることだからな。

 

 太公が我が方に拘束されて、ずいぶんになる。

 私は、朝も夕も太公を保護し、暮らしに不足がないよう世話をしている。

 だが、漢軍が兵を撤退させる姿勢を見せなければ、覇王は決して太公を帰国させないだろう。

 

 たとえ私が太公を助けても、それは一時しのぎの計略にしかなるまい。

 近ごろは、覇王の左右の臣が、毎日のように『太公を殺せ』と(すす)めているのだ。

 もし漢王が軍の撤退を拒否し続けるなら、太公の(いのち)を長く保つことは難しいだろう。

 どうか、以上のことをふまえて計略を立ててくれ!』

 

 張良は、項伯からの返書を読み終わると、ななめならず喜んだ。

 

 張良が、満足げに士卒に微笑(ほほえ)む。

「よしよし、これでよい。よくやってくれた。

 後日、漢王様に申し上げて、汝には重ねて厚く爵位(しゃくい)俸禄(ほうろく)(たまわ)るように手配しよう」

 そして張良は、軍政司(軍中の政務を担当する役職)を呼び、この士卒の名を記録させた。

 

 それが済むと、張良は劉邦に謁見(えっけん)し、項伯が太公救出に協力してくれる(むね)を報告した。

 

 

   *

 

 

 その日、項羽は(みずか)ら大軍を(ひき)いて、またも漢の本陣に接近してきた。

 そして漢陣から見えるところまで来ると、大きな(かく)(中華鍋)を()えて油を沸かし、太公を俎板(まないた)()せて、(かく)の上に置いた。

 

 それから項羽は、兵に(めい)じて、こう叫ばせた。

「漢軍よ、太公を()られたくなかったら、早く撤退しろ!

 もし退()かないなら、すぐに太公を煮殺(にころ)してやるぞ!」

 

 これを聞いた劉邦は、陣の前に走り出て、大声で返事した。

「項羽ーっ!

 俺は昔、汝と(とも)に北面(臣として君主に対面すること)して懐王(かいおう)に仕えていた!

 

 そのとき、俺たちは義兄弟の(ちぎ)りを結んだはずだ!

 つまり、俺の父は、お前の父!

 親父が()あがったら、家族のよしみで、俺にも親父の(こう)を一杯わけてくれ!」

 

 項羽は唖然(あぜん)とした。

 (こう)は中華料理の一種で、肉や野菜を煮込んだ汁物(しるもの)のことである。

 言うに事欠(ことか)いて、自分の父親の(こう)を食わせろ、などと!

 

 しかも劉邦は、こんな悪趣味な冗談を言い終えるや、1人でゲラゲラ笑いだしさえした。

 自分の親が殺されようかというときに、悲しむそぶりさえ見せないのだ。

 

 項羽は怒り、部下に(めい)じた。

「いいだろう! お望み通り、親父さんの(こう)を食わせてやる!

 おい! 太公を(かく)へ押し込んでやれっ!」

 

 そのとき、すぐそばにいた叔父(おじ)項伯が、項羽の前に出て制止した。

「お待ちを!

 天下を取ろうとする者は、(おのれ)の家族を(かえり)みないものです。

 

 昔、()王朝の開祖大禹(だいう)には、(こん)という名の父親がおりました。

 (こん)は、堯帝(ぎょうてい)(みことのり)によって治水事業を任されましたが、功績をあげることができず、ついに堯帝(ぎょうてい)誅殺(ちゅうさつ)されてしまいました。

 

 しかし、息子の大禹(だいう)は、父を殺されたことを全く(うら)まず、父の後任として3年のあいだ治水に取り組みました。

 その間、自宅の門前を通りかかる機会が3度ありましたが、大禹(だいう)は一度も家に入ろうとはしなかったといいます。

 

 そして大禹(だいう)は、ついに大いなる功績を立て、()王朝400年の(いしずえ)を築いたのです。

 

 今、漢王劉邦は、覇王陛下と天下を争っております。

 我々が太公を捕らえてから、はや3年。

 父親が拘禁(こうきん)されているというのに、それを劉邦は全く(かえり)みようとしません。

 それは、自分の家族よりも天下のほうを(おも)んじているからです。

 

 もし今、陛下が太公を殺しなさっても、(いくさ)の勝敗には(なん)の影響もありません。

 それでいて、天下の人々は『覇王陛下が人の父を殺した』と(うわさ)し、陛下の名声に傷をつけることでしょう。

 

 陛下、ここは、ひとまず軍を撤収させ、本陣に戻りましょう。

 その後、あらためて別の計略を立てましょう。

 

 劉邦が(おど)しに屈したならともかく、(おど)しの効果もないまま、ただ太公を殺して本陣に引き上げるだけであれば、我らに全く益が無いではありませんか。

 

 陛下の威武は、すでに天下を震わせているのです。

 『太公を殺せ』などという進言を聞き入れることは、陛下の臆病さを天下に示すことにしかなりません」

 

 項羽は、考え込んだ。

 確かに項伯の言う通りだ。この場で太公を殺しても、()には、なんの利益もない。

 

 項羽は、納得して、うなずいた。

「分かった。太公を殺すのはやめよう。撤収する!」

 

 こうして太公は、(あや)ういところで(かく)の上から降ろされ……

 ()軍は1戦もしないまま、(むな)しく本陣へ引き上げていったのだった。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

■次回予告■

 

 人質作戦も不発に終わり、兵糧(ひょうろう)枯渇(こかつ)に苦しむ項羽。表向きは笑って見せても、父が心配でならない劉邦。両軍互いに決め手を欠いて(いくさ)膠着(こうちゃく)したその時、軍師張良が悪魔の如き狡猾(こうかつ)さで次なる策に取りかかる。

 もちかけたのは両国和睦。西を漢とし東を()とする共存共栄の建前だが、その真意は那辺(なへん)にありや?

 

 次回「龍虎戦記」第六十六回

 『偽りの和睦』

 

 ()う、ご期待!




●注釈
(1)
 今回のサブタイトルは『一杯ちょうだい、親父の煮物』とした。しかし「西漢通俗演義」「通俗漢楚軍談」「史記・項羽本紀」のいずれにおいても、該当部分の劉邦のセリフは『我に一杯の(こう)を分けてもらえたら(さいわ)いだ』のように表現されている。
 『(こう)』、あるいは(かん)、訓読みして(あつもの)、現代中国語で(グン)とは、本編でも説明した通り中華スープのことを指す。現代では水溶き澱粉(でんぷん)でトロみをつける調理法が主流である、と言えば、「ああ、アレのことか」と納得してくださった方も多かろう。本場中国では、肉や野菜などの具材を細かく刻んで煮込んだ多種多様な(こう)が食されているらしい。
 こう考えると、サブタイトルの『煮物』は、(こう)という料理名の訳として、やや不適合のように思える。ただ、タイトルに(こう)とだけ書くと意味が伝わりにくいし、スープという英語由来の外来語も使いたくなかった。そこで汁、汁物、吸い物……など様々な単語を検討し、最終的に分かりやすさと語感の良さから煮物という表現を採用することにした。実際、煮汁がかなり少なくなるまで煮詰める調理法の(こう)もあるから、煮物と訳すことも可能ではないかと思う。

(2)
 項伯のセリフにあった『()王朝の開祖大禹(だいう)には、(こん)という名の父親がおりました』から始まる逸話の出典を紹介する。
 「史記・夏本紀」に次のような話が収録されている。五帝の1人(ぎょう)が帝位にあった頃、大洪水によって人々が苦しんでいた。このとき治水事業の担当者として抜擢(ばってき)されたのが(こん)である。はじめ(ぎょう)は『(こん)は命令を守らない性格だからダメだ』と難色を示したのだが、群臣が強く勧めるので結局(こん)に治水を任せることにした。
 ところが9年たっても洪水被害は治まらなかった。そこで(ぎょう)が新たな人材を求めて得たのが、(のち)に次代の帝となる(しゅん)である。(しゅん)の調査によって(こん)が全く成果をあげていないことが明らかとなったため、(こん)は追放(事実上の処刑)されてしまった。
 その後、(しゅん)は後任の治水担当者として、(こん)の息子の()を推挙・登用した。そこから13年、()は懸命に治水工事に取り組んだ。(本編や「軍談」「演義」では『3年』としているが、「史記」では13年である)その間、自宅の門前を通り過ぎても入らず、自分の衣食は質素にし、工事のために資財を投入し、様々な乗り物、工具、測量器具を活用しながら、各地の山河を便利に整えていったのだった。
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