龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】 作:外清内ダク
項羽は、侯公を近くに呼んで、言った。
「俺は、ついさっきまで、劉邦と戦って
だが、この
確かに劉邦の言うことには道理がある。
侯公よ。汝は漢陣に帰って、俺の意志を劉邦に伝えろ。
明日、陣の前で劉邦と俺が直接対面し、
全く同じ内容の文書を2部作成し、両者が1部ずつ持ち帰ることで契約の証明とするのだ。
侯公は、深々と頭を下げた。
「承知いたしました。漢王に
*
侯公は、
劉邦が喜んでいると、そこに、早くも
「さきほど取り決めたとおり、
劉邦は、うなずいた。
「おう! 明日、俺は覇王殿と対面して、また以前のような義兄弟の関係に戻るつもりだ。
だから大軍を並べる必要はない。お互い
ご使者よ。また手間をかけるが、もう一度ウチの侯公を
侯公から覇王殿にお伝えしたいんだ。
『明日、会見を行う時に、太公や俺の一族を全員返還し、
使者は、すぐに
「承知いたしました。
私が侯公を連れて帰り、漢王様のお言葉を伝えましたら、覇王様も決して太公を引き止めはしないでしょう」
劉邦は大いに喜び、
*
少しして、使者は侯公と一緒に
2人そろって
「侯公か。どうしてまた来たんだ? 何か話でもあるのか」
侯公が言う。
「漢王は、覇王陛下の人徳に深く感じ入り、再び私に
まず1つ。
明日の会見に
以前のような義兄弟の
これは、
そして2つ。
それこそ、覇王陛下の至上の仁愛を及ぼす行為に他なりません。
他人の父を殺さぬことは、
他人の妻を汚さないのは、清らかな
そして、長く
天下の諸侯が、これら3つの話を聞けば、覇王様の名声は、あふれんばかりに中国全体へ広がることでしょう」
項羽は、喜んで、うなずいた。
「大丈夫だ、分かっている。
明日、劉邦の父や妻たちは、必ず送り返してやろう。
侯公よ。汝は、早く帰って、このことを劉邦に伝えてやれ」
侯公は、深く感じ入ったふうに、頭を下げた。
「臣の
なぜなら、臣が帰って覇王陛下の
もし約束が破られたら、臣は、たちまち漢王に殺されてしまうに違いありません。
覇王様、どうか臣を
項羽は、カラカラと笑った。
「大丈夫(立派な男)たるもの、
信義を失うようなことは、絶対にしない!
早く帰って劉邦に伝えてやれ。
汝は、少しも心配しなくていい」
侯公は、これを聞いて喜び、
侯公が退出すると、
「覇王様。漢と
「その通りです。
劉邦は、すぐ
おそらく、後で
人質を返してしまったら、漢軍の攻撃を防ぐ
しかし、項羽は首を振った。
「いいや。
もしこのまま無駄に長く太公を捕らえ続けていたら、天下の諸侯は俺を
『項羽は、漢を破ることができないから、人の父親を捕らえて人質にしているんだ』ってな。
それに、俺はもう侯公に約束してしまった。
一度口にしたことを後で
そこで、すかさず
「まさに
太公は
それどころか、太公を手厚く養い続けていたわけですから、陛下の仁徳は
そのうえ、太公を解放なされば、劉邦は覇王様の徳に深く感じ入り、二度と
項羽は、得意満面に、うなずいた。
「おう!
*
次の日。
項羽は、文武の大将たちを引き連れ、広武山中にある
約束通り
一方、劉邦の方も、文武の諸将と
両者は
そして、
項羽が言う。
「漢王よ。
今後は、お互いに国境を
俺は軍を撤収させ、東へ帰ることにする」
そして項羽は、左右の部下に
劉邦は限りなく喜び、まず、諸将に
そして項羽に向かって
「我が父太公が、覇王様の
さらには、今、太公たちに帰国を許してくださった……
これは、まさに『死せるを生かして骨に肉をつける』というようなもの。どうにもならない
劉邦の、へりくだった言葉に、項羽は満足げに、うなずいた。
そして、項羽はその日のうちに兵を撤収し、本拠地
(つづく)
●注釈
(1)
本編に登場した『
本編でも説明したとおり、同内容の文書を2部作成し、お互いに1部ずつ持ち帰ることで契約の証明とする。そのとき2部を左右に並べ、両者にまたがるように「同」の文字を書く。すると両者の契約書にはそれぞれ「同」の左半分と右半分が書かれることになる。後で契約書の真正性を確認する必要が生じたら、互いの契約書を持ち寄って「同」の字がぴったり合うかチェックすればよい。
ただ、『
(2)
劉邦が引用した『死せるを生かして骨に肉をつける』という言葉は、「春秋左氏伝・襄公二十二年」に見られる。原文の表記は『生死而肉骨』。死者を生き返らせたり、骨になった体に再び肉をつけたりするような、本来なら助かるはずもない窮地から救い上げてもらった大恩を