龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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九の上 鉅鹿の戦い

 

 

 兵のほとんどを失った司馬(しば)(きん)董翳(とうえい)は、命からがら(しん)の本陣へ逃げこんだ。

 彼らは口を揃えて総大将章邯(しょうかん)に訴える。

「英布の武勇だけでも正面からは挑みがたいほどなのに、項羽まで黄河を渡って接近してきました。迎撃準備をお急ぎください!」

 

 そこに早馬の報告も舞いこんできた。

「項羽は黄河を渡ったところで釜を破り、舟を沈め、命を捨てて戦う覚悟で出陣しました。その勢いは、はなはだ盛んであります!」

 

 章邯(しょうかん)は、大急ぎで(しん)の大将たちを呼び集めた。

 王離。

 渉間。

 蘇角。

 猛防。

 韓章。

 李遇。

 章平。

 周熊(しゅうゆう)

 王官。

 そうそうたる9名の大将が並ぶ前で、章邯(しょうかん)が命じる。

 

「項羽の武勇は飛び抜けている。力で戦うのはなかなか難しい。ここは策をもって()軍を絡めとるぞ。

 まず、お前たちは各々(おのおの)一軍を引き連れ、9ヶ所に分かれて陣取れ。

 わしが項羽と戦い始めたら、お前たちは入れ替わり入れ替わり攻撃を仕掛け、少しずつ()軍を奥へ誘い込むのだ。

 そして()軍が危地深く入り込んだ時を狙って、9ヶ所から一斉に出陣し、奴を()(つつ)んで撃滅せよ!」

 

「おう!」

 9人の大将は、それぞれの持ち場へ移動し、()軍の到来を手ぐすね引いて待ち構えた。

 

 

   *

 

 

 ほどなく項羽の軍勢は(しん)軍の前に到着した。

 (しん)軍の先頭に章邯(しょうかん)がいるのを見て、項羽が牙を噛みしめる。

「逆賊め、よくも叔父上を殺したな! 貴様とは、ともに天を(いただ)かぬ!」

 

 項羽は馬を飛ばして突進し、槍をひねって突きかかった。

 迎え撃つ章邯(しょうかん)、項羽と刃を交えること50余合。やはり力では項羽に(かな)わず、馬を返して逃げ出した。

 むろん項羽がその背にピタリと追いすがる。

 

 5里(約2km)ほども走ったところで、(しん)の大将王離が一軍を率いて救援に駆けつけた。

 章邯(しょうかん)に替わって、この王離が項羽へ果敢に挑みかかる。

 

 が……20合ほども戦ったところで、項羽は、不意に槍を止めた。

 

 王離が気迫とともに突き込んでくる刃。項羽はそれをジッと見極め、身をひねって巧みに(かわ)す。その直後、馬を駆け寄せ王離に肉迫。鎧の上帯を掴むや、王離の体を軽々と持ち上げ、地に投げ落とした。

 たちまち()の軍勢が群がり、王離を縛りあげてしまった。

 

 このありさまを目の当たりにした章邯(しょうかん)は、驚きと怖れとに目を見開いた。

 なんたる早業。なんたる剛腕。王離とて(しん)の大将を務めるほどの武人なのだ。それが項羽の手にかかればまるで子供扱いではないか。

 

 章邯(しょうかん)は慌てて馬に鞭を入れた。脇目も振らず逃げ去っていく章邯(しょうかん)の背に、項羽は大音をあげて怒鳴りつける。

「コラァ逆賊ッ! どこまで逃げる気だ!」

 

 項羽は兵を駆り立て章邯(しょうかん)を追った。

 だが、彼が乗っているのは駿足(しゅんそく)の名馬烏騅(うすい)である。飛ぶように駆けるその速度に、配下の兵卒は誰もついていけない。

 みるみるうちに味方を引き離し、項羽はただ一騎突出してしまった。

 

 これを好機と見た章邯(しょうかん)は、踏み止まって再び項羽に戦いを挑んだ。

 しかし項羽は単騎になってすら強かった。群がる(しん)軍を前にして、たった一人で暴れに暴れ、竜巻の如く槍を振るって(しかばね)の山を築いていく。

 

 章邯(しょうかん)が青ざめる。

「一体どうなってるんだ、あの男は! 手が付けられん!」

 

 そこへ(しん)の大将渉間が軍勢とともに()せ参じた。

「それがしにお任せを!」

 

 渉間がいきりたって項羽に挑む。

 それに対して項羽の反応は冷めたものだった。渉間を迎え撃ち、ほんの10合ばかり戦うと「自慢の槍を用いるまでもない」とばかりに腰の鉄鞭(てつべん)を取りだした。

 

 鉄鞭(てつべん)とは、中国で古くから使われている打撃武器の一種である。

 片手で握れる長さの鉄棒に破壊力を上げるための突起をつけたもので、その重量は普通の剣の数倍以上。この重さを活かし、鎧兜の上から強烈な衝撃を加えるのだ。

 

 この鉄鞭(てつべん)を、項羽は敵の頭めがけて鋭く走らせた。

 渉間は慌てて避けようとしたが、避け切れず左肩に痛打を浴びた。

 鈍い打音が戦場に響く。骨が割れたか、肉が()ぜたか。渉間は苦悶の声をあげ、あえなく馬上から転がり落ちた。

 

「いかん! 宋文、項羽を止めろっ」

 章邯(しょうかん)は、渉間を救出すべく、大将宋文を突入させた。

 だがちょうどその時、遅れていた()軍が到着した。

 項羽一人にさえ手を焼いていたところに、英布、桓楚(かんそ)らの豪傑までもが参戦したのだからどうにもならない。先頭に立って乱戦に飛び込む()の大将たちに、(しん)兵はみるみるうちに薙ぎ倒されていく。

 

 もはや渉間の救出どころではない。おびただしい数の兵を討ち取られた章邯(しょうかん)は、ほうほうの(てい)で逃げだした。

 

 

   *

 

 

 このとき、時刻はすでに晩に及んでいた。あたりは薄暗闇に包まれ、見通しも悪くなってきている。

「敵の伏兵があるかもしれんな」

 と警戒した項羽は、金鐸(きんたく)を鳴らして軍を停止させた。

 

 項羽が陣屋を構えて休息していると、軍師范増(はんぞう)がやってきた。

「将軍。我らは敵地に深く入り込んでおります。それにもう日も暮れた。敵の夜襲を用心しなされ」

 

 項羽はうなずいた。

「俺もぴったり同じ考えだ。軍師、迎撃の段取りは任せます」

 

「しからば」

 と、范増(はんぞう)は小山の入り口あたりに陣屋を作り、諸軍をそこで宿営させた。

 本陣の中にはわざと燃料の(しば)を多く積み上げ、外には目立つように旗幟(きし)を立てた。

 

 そのうえで、桓楚(かんそ)于英(うえい)丁公(ていこう)雍歯(ようし)ら4人の大将を呼び出した。

御辺(ごへん)らは、それぞれ手勢を引きつれて山の間に埋伏(まいふく)しておれ。本陣から火の手があがるのを見たら、四方から打って出て、敵の退路を(ふさ)ぐのだ」

「はっ!」

 4人は、ただちに出撃していった。

 

 さらに英布を呼んで言う。

「英布どのは一軍を西の道に伏せ、(しん)後陣(ごじん)が勢いづいて迫ってきたら、道を(さえぎ)って追い払いなさい」

「承知!」

 

 こうして万事手筈(てはず)を整えたうえで、項羽と范増(はんぞう)は本陣で敵の襲来を待ち構えた。

 

 

   *

 

 

 一方、章邯(しょうかん)は敗走する味方を集めて、どうにか大将蘇角の陣に逃げこんでいた。

 ここで司馬(しば)(きん)董翳(とうえい)らと合流し、()の陣から30里(12km)離れたところへ兵を駐屯させた。

 

 手痛い敗北に歯噛みする章邯(しょうかん)へ、蘇角が進言した。

()軍は、丸一日の戦いに勝ち誇っているうえ、人馬が疲労しておりますから、今夜は油断して休むに違いありません。

 それがしが騎馬の精兵を()りすぐり、東の道から()陣の背後へ回ります。将軍には西の道から押し寄せていただき、我らで東西両方から挟撃いたしましょう。さすれば、敵は陣の前後で連携が取れなくなり、混乱すること必至です。

 孫子の兵法に言う『その守らざる所を攻むる』……この作戦だけで完全な勝利は得られないでしょうが、せめて敵の鋭気は(くじ)いておくべきです」

 

 章邯(しょうかん)はこの提案に、

「よし、やるか」

 とうなずいた。

 そして、蘇角に1万騎余りを授け、自身も軍勢を率いて出発し、東西に分かれて()陣へ近づいていった。

 

 

   *

 

 

 ()陣へ向かう道中、蘇角は終始、上機嫌であった。

「この作戦、我ながら名案だ。これこそ神妙の計というやつだな」

 突然の夜襲に慌てふためく項羽の姿を想像すると、つい、笑いがこみ上げてくる。

 

 ほどなく()本陣の東側に到着した蘇角は、そっと様子をうかがった。

 ()陣は旗幟(きし)も不揃いのまま放置し、轅門(えんもん)(戦陣の入口)も閉ざし、ひっそりと静まり返っている。

 

「予想通りだ。()軍は疲れ果てて眠りこけているな!」

 策が図にあたって喜び勇んだ蘇角は、ドッと(おめ)いて()陣の中へ駆け込んだ。

 

 だが、どうも様子がおかしい。

 蘇角の軍勢が門を打ち破って乱入したというのに、()兵は騒ぎ出すそぶりさえない。

 不審に思って宿舎の中まで探ってみたところ、どこもかしこももぬけの殻。人っ子一人いないではないか。

 

「いかん、これは……!」

 蘇角が青ざめた、その時。

 一声の鉄砲(爆弾)が炸裂し、四方で赤々と火の手があがり、さらには、猛烈な(とき)の声が地を震わすほどに響きはじめた。

 

「しまった! ()は夜襲を警戒していたのだ!」

 一転して窮地に陥った蘇角は、慌てて兵を走らせ西の道へと逃げ出した。

 

 そのとたん、左手より桓楚(かんそ)于英(うえい)、右手より雍歯(ようし)丁公(ていこう)の軍勢が、一斉に姿を現し蘇角ら(しん)軍を取り囲んだ。

 

「一人も逃がすな!」

 とばかり、()軍は容赦なく猛攻をしかけた。

 蘇角の兵はみるみるうちに討ち取られていき、今や残る兵力は半数以下。包囲から抜け出すこともできず、蘇角は逃げ道を求めて東の山道へ駆けていく。

 

 だがその行く手へ、軍勢の黒い影が立ち塞がった。

 (つづみ)角笛(つのぶえ)天に響かせ喊声(かんせい)大地を震わせて、軍勢の内より一人の大将が進み出る。

「ここは通さん」

 

「誰だっ」

 問う蘇角に、野獣の如き大音声が答えた。

「無謀の匹夫(ひっぷ)! ()の項羽を知らないのか!」

 

「項羽だとぉッ!」

 震え上がる蘇角。

 項羽は風の如く駆け寄るや、ただ一槍にて彼を突き殺してしまった。

 

 

(つづく)

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