龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

200 / 200
六十七の中 最後の布石

 

 

 項羽が追撃を止めたおかげで、劉邦は何も危険な目に()うことなく進むことができた。

 

 そして、夜明け頃。

 このときにはもう、劉邦は固陵(こりょう)から80里(32km)以上も先まで逃げおおせていた。

 

 ここで、張良と陳平(ちんぺい)が、そろって劉邦のそばに寄ってきた。

 

 陳平が言う。

「漢王様。

 夜通(よどお)しの行軍でお疲れでしょうが、片時(かたとき)も休息しては、なりません。

 力の限り前進し、一刻も早く成皋(せいこう)へ行きましょう」

 

 しかし劉邦は、不安げだった。

「でもさあ……

 たとえ俺が成皋(せいこう)に逃げ込んだとしても、項羽は後から追いかけてきて、成皋(せいこう)を包囲するに決まってる。

 すぐには援軍も来ないし……一体どうすればいいんだ?」

 

 ところが張良は、余裕の微笑(びしょう)を浮かべた。

「ご心配なく。

 漢王様が成皋(せいこう)に到着いたしましたら、3日以内に、()軍は必ず撤退いたします」

 

 劉邦が、目を丸くする。

「なんだってえ?

 ……ははあ。張良先生、なにか妙策があるんだな?」

 

 張良が、うなずく。

「はい。

 これまでのことを思いだしてくださいませ。

 項羽は、戦いに出てくると、いつもいいところで撤退するハメになっていたでしょう。

 あれは、兵糧(ひょうろう)が不足しているからなのです。

 

 中国西方の漢や関中は周辺を山に囲まれていて、大軍を進められる道は限られております。

 そのため、我らは糧道(りょうどう)を横から襲われる心配がなく、安定して本拠地から食糧補給を受け続けられます。

 

 一方、中国東方には広大な平地が広がっており、その気になれば、どこからでも侵入できる。

 事実、彭越(ほうえつ)が、あっちこっちに移動しながら()軍の糧道(りょうどう)を攻撃し続け、輸送を(とどこお)らせております。

 これが、項羽の遠征が長続きしない理由です。

 

 昨日、漢王様が項羽と戦っておられる間に、臣は、ひそかに張倉・臧荼(ぞうと)の2人に5千の精兵を(さず)け、こう指示いたしました。

 『間道を通って()軍の食糧集積所へ行き、項羽が積み(たくわ)えた食糧を、ことごとく焼き払え』と。

 

 食料が無くなれば、たとえ()軍が成皋(せいこう)に迫ってきたとしても、長く留まり続けることは、できません。

 項羽は、必ず兵を撤退させますよ。

 

 漢王様、なにも心配は()りません。

 怖いのは、成皋(せいこう)に着くまえに敵に追いつかれることだけです。

 どうぞ、お急ぎくださいませ」

 

「そういうことだったのか……よし!」

 劉邦は諸軍に号令を出し、1昼夜(ちゅうや)で300里(120km)以上を駆ける強行軍によって、わずか数日で成皋(せいこう)に逃げ込んだのだった。

 

 

   *

 

 

 一方、()軍。

 

 項羽は、夜が明けてから、大将たちを召集した。

 

「劉邦が逃げたそうだが、まだ、それほど距離は離れていないだろう。

 汝ら、早く準備をしろ。

 何が何でも追いついて、逆賊を()()りにしてやるんだ!」

 

 というわけで、()軍は飛ぶように劉邦を追い始めた。

 しかし、劉邦たちも必死の強行軍で逃げている。一晩(ひとばん)の間に開いた距離は、決して短くない。

 

 項羽たちは、追えども追えども、まったく劉邦に追いつくことができなかった。

 

 結局、漢軍は、先に成皋(せいこう)城内に逃げ込んでしまい……

 ()軍は、漢軍に遅れること2日、ようやく成皋(せいこう)に到着したのだった。

 

 その日のうちに、()軍による成皋(せいこう)城攻めが始まった。

 ()軍は成皋(せいこう)を包囲し、全軍を推し進めて激しい攻撃をしかけた。

 

 やはり、()軍は強い。

 いかに成皋(せいこう)堅城(けんじょう)であっても、とうてい守り切れるものではない。

 漢軍の被害は日増しに拡大していき、今にも城が破られそう、というほどの状況にまで(おちい)った。

 

 が、そのとき。

 季布と鍾離昧(しょうりまい)が、項羽のもとへ駆け込んできた。

「覇王様! 一大事です!

 今、我が軍の兵糧(ひょうろう)は尽きかけていて、わずかに半日分を残すのみ、なのですが……

 

 先ほど、柳村(りゅうそん)の食糧集積所から連絡が入りました。

 突然、漢の張倉・臧荼(ぞうと)が襲ってきて、集めてあった食糧を全て焼き尽くしてしまったそうです。

 

 加えて、韓信が大軍を(ひき)いて成皋(せいこう)救援のため接近してきた、という報告も入っております。

 

 覇王様。早く兵を撤退させなければ危険です。

 外から韓信、内から劉邦が同時に攻めて来れば、我らは食糧不足の中で挟み撃ちを受けることになります。

 もしそうなれば、進むも退()くも身動き取れなくなってしまいます」

 

 項羽は、これを聞いて青ざめた。

「くそっ……俺たちの軍は、いつも兵糧(ひょうろう)の輸送が上手くいかなくて、食糧不足に苦しんでいるんだ。

 そのうえ、集積所の分まで焼き払われただと!

 こうなったら、もう1日たりとも、この場に留まっていられない……

 

 しかたない! 撤退するぞ!

 桓楚(かんそ)! 虞子期(ぐしき)

 お前たちは殿(しんがり)として敵の追撃を防げ!」

 

 食糧枯渇(こかつ)の問題は、()軍の諸将も前々から心配していたことである。

 そのため各軍は、撤退命令を受けるや、雲を巻く風のように退()きはじめ、わずか半日で完全に成皋(せいこう)から消えうせてしまった。

 

 

   *

 

 

 劉邦は、成皋(せいこう)の城壁上から、この()軍の動きを見ていた。

「おっ! 張良先生の言った通り、()軍が退()いていったぞ!

 きっと、張倉たちが()の食糧を燃やしてくれたんだな」

 

 そして劉邦は、諸将に(めい)じた。

「大急ぎで()軍を追いかけて、ぶちのめしてやれ!」

 

 これを陳平(ちんぺい)が押しとどめる。

「決して無用です。

 ()の兵は負けて去ったのではありません。単に食糧が不足しているから去っただけなのです。

 

 ご(らん)ください。()軍は、隊伍を乱さず、ゆっくりと撤退しているでしょう。

 あれは、漢軍の追撃を見越(みこ)しているからです。

 

 おそらく、かなりの強将を殿(しんがり)として、追撃部隊を返り()ちにする手筈(てはず)を整えているはず……

 うかつに手を出せば、我らは、まっぷたつに斬り殺されてしまいますよ」

 

 劉邦は、

「なるほど……陳平(ちんぺい)の言う通りだ」

 と納得し、追撃を諦めたのだった。

 

 

   *

 

 

 さて、項羽は、彭城(ほうじょう)まで帰還してくると、兵糧(ひょうろう)管理の責任者を呼び出した。

「汝は、用心を(おこた)り、兵糧(ひょうろう)を敵に焼かれてしまった。

 そのせいで、俺は戦い続けることができず、帰ってくるハメになったんだ!

 この罪、許しがたい!」

 

 項羽は、責任者の首を()ねると、軍門の前に首を(さら)して、全軍への(いまし)めとした。

 そして、再び軍馬を整え、次の合戦の準備を進めたのだった。

 

 

   *

 

 

 一方そのころ、成皋(せいこう)に駐屯する劉邦もまた、同じようにイラだっていた。

 劉邦は、張良と陳平(ちんぺい)を呼んで言った。

「韓信、英布、彭越(ほうえつ)の3将が、呼んでも呼んでも来てくれない!

 一体どういうわけなんだ!?」

 

 張良が言う。

「韓信は、すでに(せい)王に(ほう)じなさったとはいえ、まだ領地は与えておりません。

 彭越(ほうえつ)は、しきりに大功を立てておりますが、こちらも封爵(ほうしゃく)御沙汰(ごさた)がありません。

 そして英布もまた、()(そむ)いて我らの味方に降って以来、漢王様は一度も恩賞を与えておられません。

 

 この3人は、(おのれ)の利益ばかり見て、義の心を忘れているのです。

 貪欲(どんよく)と申しましょうか、いささか自惚(うぬぼ)気味(ぎみ)と申しましょうか……

 

 よって、この3人を動かすために必要なことは、ただひとつ。

 特に厚く恩賞(おんしょう)(ほどこ)し、爵位(しゃくい)領地(りょうち)を与えてやるのです。

 

 それぞれに領土として郡や(むら)を与えれば、彼らは大いに喜び、自分自身の利益のために力を尽くして戦う気になるでしょう。

 さすれば、漢王様の命令ひとつで、彼らはすぐに駆けつけて来ます。

 

 こちらから何も与えず、相手の方にだけ心を尽くさせようというのは、なかなか難しいものですよ」

 

 劉邦は、納得して、うなずいた。

「そうか……

 先生は、まるで、あの3人の肺や胃腸まで見透(みす)かしているみたいだな。

 よし! それじゃあ、あいつらに派手な恩賞(おんしょう)を与えよう!

 

 まず、韓信は(せい)に加えて周辺2国の領有を認め、三斉(さんせい)王に(ほう)じる。

 近隣一帯の郡や(ゆう)は全て韓信に統治させ、租税(そぜい)、金銭、食糧などは、ぜんぶ韓信が好きに使ってよいものとする。

 まあつまり、土地を分け与えて国家として認め、国境を設定してその内部のことは任せる、ってことだ。

 

 英布には淮水(わいすい)より南側の国すべての領有を認め、淮南(わいなん)王に(ほう)じる。

 淮南(わいなん)の産物は、丸ごと英布の活動費用にあててかまわない。

 

 それから彭越(ほうえつ)は、大梁(だいりょう)王に(ほう)じる。

 (りょう)で取れた全ての物は、彭越(ほうえつ)が集めて利用してよい。

 

 ……という感じで、どうかな?

 張良先生、苦労をかけて申し訳ないんだが、王の印章と符檄(ふげき)(通知の公文書)を持って、3人のところへ行ってきてくれないか」

 

 張良は、にっこりと微笑(ほほえ)んだ。

「お任せください」

 

 檄文(げきぶん)は、すぐに書きあげられた。

 張良は、印章と檄文(げきぶん)を持って劉邦の元を去り、3将の元へ旅立っていった。

 

 

(つづく)

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。