龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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六十八の丙 最終決戦、その前夜

 

 

 周殷(しゅういん)は、この檄文(げきぶん)を読み、考えた。

「今や項羽は、孤立して、勢力も弱まっている。

 しかも性格は横暴(おうぼう)。いつも人を疑い、嫉妬(しっと)してばかりだ。

 私がノコノコ顔を出そうものなら、すぐさま項羽に殺されることは間違(まちが)いない。

 

 となれば……

 ここは兵を動かさず、ただ舒六(しょりく)を独占し、漢()の勝負の行方(ゆくえ)(なが)めておくほうがいい。

 

 そして、漢王が()を破った後で、英布に仲介(ちゅうかい)を頼んで、漢に降伏しよう。

 そうすれば、封侯(ほうこう)(くらい)を失わずに済む」

 

 そこで周殷(しゅういん)は、李寧(りねい)に言った。

「ご使者よ。私としても、すぐに兵を出したいのは山々(やまやま)なのですが、ちと問題がありましてなあ。

 この舒六(しょりく)は、盗賊が多くて、少し気を抜くと、すぐに乱が起きるのです。

 ですから私は、少しも舒六(しょりく)から離れることができません。

 

 このことを覇王様にお伝えください。

 盗賊を全て片付(かたづ)け終わったら、必ず兵を出して合流いたしますから」

 

 李寧(りねい)は、戸惑(とまど)った。

「いやいや、周殷(しゅういん)殿。

 物事(ものごと)には緩急(かんきゅう)が……つまり、(ゆる)く後回しにして良い場合と、すぐに急いでやらねばならぬ場合があるでしょう?

 

 舒六(しょりく)に盗賊がいるとはいえ、そんなものは一時的な問題に過ぎません。

 漢と()は、今から(いくさ)を交えようとしている。これこそ至急の案件ではありませんか。

 

 それでも周殷(しゅういん)将軍は、すぐに駆けつけて覇王様を救おうとせず、舒六(しょりく)の盗賊のほうを重視なさるというのですか?」

 

 周殷(しゅういん)は、李寧(りねい)()めた目を向けた。

「貴公は、ただ漢()の合戦のみを重視しておられる。

 しかし私にとっては、いま守っているこの土地こそが、最優先で考えねばならない対象なのですよ。

 

 そもそも、私がこの舒六(しょりく)に追いやられた理由を、貴公は御存知(ごぞんじ)か?

 

 かつて、漢の謀臣(ぼうしん)が、()軍に反間(はんかん)の計(君臣を仲違(なかたが)いさせる計略)を仕掛(しか)けてきたことがあった。

 そのとき亜父(あふ)范増(はんぞう)殿が覇王様を(いさ)めたが、覇王様は耳を貸さず、心に疑念を生じさせて、多くの臣を遠ざけたのだ。

 

 私もまた、その謀略(ぼうりゃく)に巻き込まれた1人。

 おかげで、こんな僻地(へきち)に追いやられてしまった。

 今となっては、この地を守って安らかに老後を過ごしたいと願うのみだ。

 お分かりか? どうして私がこの地を離れることができようか!」

 

 ここまで言われて、李寧(りねい)もハッキリと(さと)った。

 周殷(しゅういん)は、すでに反逆の意志を持っているのだ!

 

 これでは、いかに言葉を尽くそうと、心を動かせるはずがない。

 李寧(りねい)周殷(しゅういん)の説得を(あきら)め、何も言わずに舒六(しょりく)から立ち去った。

 

 

   *

 

 

 李寧(りねい)は、舒六(しょりく)を後にすると、長江を渡って東岸側(江東)へ移動した。

 向かう先は、項羽が旗挙(はたあ)げした地、会稽(かいけい)である。

 

 李寧(りねい)は、何日かかけて会稽(かいけい)に到着すると、さっそく会稽(かいけい)太守(たいしゅ)の呉丹と面会し、項羽からの檄文(げきぶん)を渡した。

 

 呉丹は、檄文(げきぶん)を読むと、副将の鄭亨(ていこう)を呼んだ。

「劉邦が、100万の軍勢を(ひき)いて彭城(ほうじょう)に攻め寄せようとしているらしい。

 

 そのため、覇王様が檄文(げきぶん)を送ってこられた。

 ()会稽(かいけい)周辺の土地)の軍勢を(ひき)いて合流せよ、とのことだ。

 鄭亨(ていこう)よ。準備は任せたぞ」

 

 鄭亨(ていこう)が背筋を正す。

「はっ! すぐに準備に取りかかります!」

 

 鄭亨(ていこう)が準備のため飛び出していくと、呉丹は使者李寧(りねい)に向き直った。

「お聞きの通りです。

 10日以内には、8万の兵を出発させます。覇王様に、よろしくお伝えください」

 

 

   *

 

 

 李寧(りねい)は、彭城(ほうじょう)へ帰還すると、項羽に謁見(えっけん)して旅の報告を行った。

周殷(しゅういん)は、どうやら謀反(むほん)(くわだ)てているようで、出兵を拒否しました。

 

 一方、会稽(かいけい)に行って檄文(げきぶん)を渡したところ、太守(たいしゅ)呉丹と副将鄭亨(ていこう)は『8万の軍勢を(そろ)えて、10日以内には出発する』と約束してくれました」

 

 項羽は、周殷(しゅういん)反逆の話を聞くと、激怒した。

「おのれ周殷(しゅういん)め、許さん!

 だったら、まず周殷(しゅういん)から殺してやる!

 劉邦を破るのは、その後だ!」

 

 項羽の叔父(おじ)の項伯は、この話を横で聞き、慌てて(いさ)めた。

「いやいや!

 周殷(しゅういん)などは、疥癬(かいせん)(やまい)(皮膚病)のようなもの。心配するに()りません。

 

 それに対して、劉邦は心腹(しんぷく)(わずら)い(内臓の病気)。

 覇王様が、急いで向かって攻め滅ぼさねばならないのは、劉邦の方です。

 絶対に劉邦を放置しておいてはいけません!」

 

「う……」

 項羽は、(くや)しそうに(うめ)くと、仕方なく項伯の言葉に従った。

 すなわち、三軍を整頓し、近隣の国々から50万の兵を()き集め、劉邦と(いくさ)を交える準備をしていったのである。

 

 

   *

 

 

 一方そのころ。

 韓信が九里山の地理を調査するために放っておいた部下が、数日かけて戻ってきた。

 その部下は、九里山の地形を、ひとつひとつ図に書き、本にまとめて韓信に提出した。

 

 韓信は、その図を見て大いに喜び、広武(こうぶ)(くん)()()(しゃ)を呼んだ。

 

 広武(こうぶ)(くん)()()(しゃ)は、かつて(ちょう)国に仕えていた賢人である。

 韓信が(ちょう)を平定してからは、その見識を韓信に高く評価され、韓信の下で働くようになっていた。

 

 その()()(しゃ)に、韓信は相談をもちかけた。

「九里山の地理を調べさせたのですが、いや、実にすばらしい。

 左は山陵(さんりょう)に寄りかかり、右は川沢(せんたく)に沿っていて、決戦の場とするには最適。まさに天下無双の地形です。

 

 そこで私は、この九里山に兵を隠し、大将を伏せて、敵を()とうと考えています。

 

 ……が。

 問題は、どうやって敵を罠にかけるか、です。

 

 項羽を(だま)して罠の中に誘い込む計略が見つかりません。

 ()()(しゃ)なら、きっと良い考えをお持ちでしょう。

 どうか、国家のために教えていただけませんか」

 

 ()()(しゃ)が、うなずく。

「項羽を(だま)すこと自体は可能です。

 しかし、たとえ項羽が兵を動かして接近したがったとしても、そばに仕える項伯や鍾離昧(しょうりまい)は知恵の深い者たちですから、必ずや、項羽を制止してしまうでしょう。

 

 もし敵が(ほり)を深くし、城壁を高くし、ひたすら城に居座(いすわ)って守り続けていたら、簡単には攻め滅ぼせません。

 

 そうなると、我らの100万を超える兵力が、かえって(あだ)となります。

 陣中で毎日消費(しょうひ)される物資や金銭は、何千万かも分からぬほどです。

 長く軍を滞在させることは、とうてい不可能でしょう。

 

 そうして我が軍が疲弊(ひへい)したところに、敵が攻撃を仕掛(しか)けてきたら、我が軍は大いに敗退するに違いありません。

 

 以上のことを考えれば……方策は、ただひとつ。

 誰でも良いですが、誰か1人が(いつわ)りの降参をして()軍に(もぐ)り込み、言葉(たく)みに利を()いて、項羽の心を(まど)わすのです。

 

 項羽は、知恵が浅く、讒言(ざんげん)(人を(おとしい)れる告げ口)をすぐに信用する男です。

 上手くたぶらかせば、たちまち兵を(ひき)いて攻め寄せてくるでしょう。

 

 いったん項羽が九里山に来れば、大元帥の計略に(おちい)ることは疑い無し。

 ただこの一戦にて()を滅ぼすことができるでしょう」

 

 韓信は、ニヤッ、と笑みを浮かべた。

()()(しゃ)先生も人が悪い。

 『誰でも良いが』なんて他人事(ひとごと)のように(おっしゃ)るが、この大仕事を成就(じょうじゅ)させられる人物は、先生をおいて他にありますまい。

 

 先生は、元は(ちょう)の臣で、実に高い声望(せいぼう)(名声)がおありだ。

 先生が『()の利益のため』と一言(ひとこと)()けば、項羽は必ず耳を傾けるでしょう。

 

 先生が項羽を(おび)き出してくだされば、私が必ずや仕留(しと)めてみせます。

 さすれば、先生の功績も甚大(じんだい)なものとなりましょう」

 

 ()()(しゃ)は、にっこりと微笑(ほほえ)んだ。

「私が大元帥の下で働き始めて以来、大元帥は、深く私の才を認め、厚く待遇してくださいました。

 その御恩(ごおん)を、私はまだ、1万分の1ほどさえ、お返しできておりません。

 

 大元帥は、お早く(いくさ)準備を進めてください。

 私は()(おもむ)き、項羽を(あざむ)いて九里山に引っ張り出し、大元帥が()を破るお手伝いをいたしましょう」

 

 

   *

 

 

 ()()(しゃ)は、さっそく彭城(ほうじょう)へ向かった。

 (とも)は、(ちょう)国にいた頃から付き従っている古株(ふるかぶ)の従者、数名のみである。

 

 ()()(しゃ)は、彭城(ほうじょう)に到着すると、まず客店(宿屋)に一泊して体を休め、翌日、司馬(しば)()(おとず)れた。

 司馬(しば)とは、軍事を(つかさど)る長官のこと。

 現在、()でこの職を務めているのは、項羽の叔父(おじ)の項伯である。

 

 ()()(しゃ)が項伯に面会を求めると、門番が、それを項伯に伝えた。

「もと(ちょう)国の臣、広武(こうぶ)(くん)()()(しゃ)が、老大王(項伯)に面会を求めて参りました」

 

 項伯は、報告を聞いて考えた。

()()(しゃ)と言えば、(ちょう)きっての謀士(ぼうし)だ。

 それが、この私に会いに来た……?

 ……これは、何か理由があるに違いないな」

 

 

(つづく)

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