龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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六十八の丁 最終決戦、その前夜

 

 

 項伯は、とりあえず部下に(めい)じて、()()(しゃ)を迎え入れさせた。

 

 ()()(しゃ)と項伯は、対面して、お互いに作法通りの礼をした。

 その後で、項伯が(たず)ねる。

 

()()(しゃ)先生は、元々は(ちょう)の人でしたが、最近は(せい)国で韓信の幕賓(ばくひん)(参謀)として働いていると聞いております。

 その()()(しゃ)先生が、どういうわけで私を(たず)ねて来られたのです?」

 

 ()()(しゃ)は、表情を(くも)らせた。

「昔、(ちょう)王が私の諌言(かんげん)を聞かず、陳余(ちんよ)の言うがままに漢と戦ったことは、御存知(ごぞんじ)でしょう。

 あの時、韓信は背水の陣によって(ちょう)を破り、陳余(ちんよ)泜水(ていすい)において斬り、ついに(ちょう)を滅ぼしました。

 

 そのため、私は身の置き場をなくしてしまい、韓信の麾下(きか)謀士(ぼうし)として働くことで、(いのち)を繋いだのです。

 

 ところがその後、予想だにしなかったことに、韓信は漢王劉邦によって(せい)王に(ほう)ぜられました。

 それからというもの、韓信は、無闇(むやみ)やたらと尊大にふるまい、何もかも自分1人で決断するようになりまして。

 

 部下の言うことは全て無視され、計略も用いられなくなりました。

 それゆえ、韓信を(うら)んで逃げ去った者は、全体の8割か9割ほどにも、のぼっております。

 

 そんなおり、(さいわ)いにも、覇王様が漢と(いくさ)を交えなさると耳にしました。

 この()()(しゃ)不才(ふさい)の身ではありますが、覇王様の麾下(きか)に加えていただきたく思い、参上いたしました。

 

 私を用いていただけるなら、早朝も夕暮れも計略を議論し、犬や馬のように忠実に働きたいと考えております。

 さらに、私は韓信の下におりましたから、韓信が用いようとしている計なら、1つも()らさず推測できます。

 老大王、なにとぞ覇王様に私を推薦(すいせん)してくださいませ」

 

 項伯は、難しい顔をして、うなった。

「ううむ……

 今は()漢両国が(あい)(あらそ)っている最中(さいちゅう)です。

 お互いに、極めて多くの謀略(ぼうりゃく)・計略を戦わせております。

 

 ()()(しゃ)先生は、その敵国から(くだ)って来られたのです。

 ひょっとしたら、()軍の内情を調べるために、(いつわ)りの降伏をしてきたのかもしれない。

 申し訳ないが、先生を信用することはできませんな……」

 

 ()()(しゃ)は、真剣な顔をして、項伯を正面から見すえた。

「老大王は、(あやま)っておられます。

 私は一介(いっかい)謀士(ぼうし)にすぎません。

 鎧を着ることも、馬にまたがって刃を交え敵を破ることもできません。

 

 私は、ただ主君の左右に(ひか)えて、計略を論じるのみの存在です。

 それを聞くか聞かぬかは主君が決めること。

 私の策が害になるようなら、採用しなければ良いだけでしょう?

 

 まして、()の内情など、韓信は常に間者(かんじゃ)(もぐ)りこませ、(さぐ)り続けています。

 私に(いつわ)りの降伏をさせて、その後で内情を聞き出す……そんな悠長(ゆうちょう)なことを、するはずがありましょうか?

 

 私は、本当に覇王様の威徳(いとく)(した)って帰服しただけなのです。

 それが、このように疑われてしまうとは……

 

 何よりも(くや)しいのは、この私に人を見る目が無かったということです。

 多くの人々が覇王様を賞賛するのを聞き、『このお方なら』と考えて、はるばる彭城(ほうじょう)まで参ったのですが……どうやら私の見込み違いだったようですね。

 

 今となっては、ここから立ち去っても、私には行くべき所がありません。

 もう絶望いたしました……

 老大王の前で(いのち)を断ち、私が潔白(けっぱく)であることを証明いたしましょう」

 

 ()()(しゃ)は、早口にこう言い切ると、剣を抜いて、自分の首を()ねようとした。

 

「わっ! ()()(しゃ)先生!」

 項伯は、とっさに()()(しゃ)に抱きついて、自殺を止めた。

 

「先生、申し訳ありません。

 今は戦争によって世が掻き乱されている時です。

 先生は漢軍から出て来られたのですから、疑わないわけには、いかなかったのです。

 

 ただ、私は、どうも言葉づかいが粗忽(そこつ)(うっかり)でして……

 つい、賢者を(うやま)う礼儀作法を忘れてしまうのです。

 どうか、私の罪をお許しください」

 

 項伯は、()()(しゃ)を奥に招き入れて、その夜は酒を出して()()(しゃ)を、もてなした。

 

 

   *

 

 

 翌日の朝。

 項伯は、()()(しゃ)を連れて、項羽に謁見(えっけん)した。

 

 ()()(しゃ)が降参してきたことを報告すると、項羽は限りなく喜んだ。

亜父(あふ)が死んでしまってから、謀士(ぼうし)()りなくて困ってたんだ。

 そこへ()()(しゃ)ほどの人が来てくれるとは!

 これは願ったり(かな)ったりだな」

 

 項羽は、すぐに()()(しゃ)()し寄せた。

広武(こうぶ)(くん)の名前は、前々からよく聞いていたぞ。

 汝が(ちょう)にいた時にも、どうにかして味方に招けないかと考えていた。

 ついに、その願いが(かな)ったぞ!」

 

 ()()(しゃ)が言う。

「臣は、かつて(ちょう)に仕えておりましたが、(ちょう)王は、臣を用いることができませんでした。

 (ちょう)を去った後は、韓信の謀士(ぼうし)となりましたが、韓信もまた、臣を用いませんでした。

 

 そのため、臣は身の置きどころを失って、覇王陛下の元へ参りました。

 こうして陛下に(まみ)えている今、臣は、まさに小児(しょうに)が父母を見るのと同じ気持ちでおります。

 足の遅い駑馬(どば)程度の力しか持たない臣ですが、陛下が拾ってくださるならば、微力を尽くし、国のために死をも()さずに働きましょう。

 

 しかし、もし陛下が臣を疑い、用いてくださらないようなら……

 その時は、しかたがない。東海(東シナ海)に行って、身投(みな)げでもすることにします。

 天下すべてから見捨(みす)てられた人間として生きていくのは、(つろ)うございますからな」

 

 項羽は、上機嫌に笑った。

「いやいや、海に飛び込むなんて、悲しいことを言うなよ。

 俺は、汝が本心から帰服してきたと信じてるよ。

 今日から、朝も夕も俺の左右に(はべ)り、(はかりごと)の相談に乗ってくれ」

 

 こうして項羽は、()()(しゃ)謀士(ぼうし)として採用した。

 

 実際に働かせてみると、さすがは()()(しゃ)(ちょう)随一(ずいいち)謀士(ぼうし)として名が知られていただけのことはあった。

 弁舌の技が人並み外れているうえ、容貌(ようぼう)にも人の心を動かす美しさがある。

 

 そのため、項羽は非常に喜び、なんら疑うこともなく()()(しゃ)を用い続けたのだった。

 

 

   *

 

 

 同じ頃。

 成皋(せいこう)では、劉邦が韓信を呼び出していた。

「なあ韓信。

 ここに大軍が集まってから、ずいぶん時間が経ったぞ。

 

 このままじゃ、食糧や馬草(まぐさ)が足りなくなっちまう。

 なんで、まだ軍を出発させないんだ?」

 

 韓信は答えた。

「臣は、連日、軍馬の調練(ちょうれん)に取り組んでおりました。

 今や全軍すべてに渡って十分な練度(れんど)仕上(しあ)がりましたので、まさに今日、進発しようと思います。

 漢王様も、御車(おくるま)をお出しくださいませ」

 

 劉邦は、うなずいた。

「そうか! じゃあ行こう!

 ところで、大軍が大行列を作って進むわけだから、その先鋒(せんぽう)には、知恵も武勇も()(そな)えた大将を立たせるのがいいだろう。

 

 俺としては、いくつかの条件を満たせる大将を先鋒(せんぽう)としたい。

 

 まず、行く先々の人民を驚かせたり騒がせたりしないこと。

 進路上にある郡県の中で、俺に投降してくる者がいたら、すぐに味方に取り込んで安心させて、元々の官職のまま地方の管理を任せてやること。

 もちろん、その土地の人々の権利や財産は、少しも侵害しないこと。秋に生え変わった動物の毛くらい細かい侵害もダメだぞ。

 

 そういうことを任せられる良将2人くらいに先鋒(せんぽう)を頼みたいな。

 大元帥、汝の部下に、誰か良い人はいないか?」

 

 韓信が言う。

「臣は、以前に(ちょう)国を破りましたが、そのあと(ちょう)に長く留まって、四方から勇敢な士を招き集めました。

 そのとき、2人の良将を得ました。

 

 2人とも万夫(ばんぷ)不当(ふとう)の武勇を持ち、仕事を任せれば、非常によく力を発揮してくれます。

 そしてなにより、為人(ひととなり)が忠実かつ実直で、落ち着いて物事を行える人物なのです。

 

 この2人を先鋒(せんぽう)になされば、必ずや漢王様のお望み通りに働き、功績を上げてくれるでしょう」

 

 劉邦は、喜んだ。

「良さそうじゃないか!

 よし、早く連れて来てくれ」

 

 というわけで、韓信は、すぐに2人の大将を呼び出した。

 

 2人の大将は、劉邦の前に立つと、きちんと丁寧(ていねい)に礼をした。

 見れば、2人とも体つきは凛々(りんりん)、顔も実に堂々としている。

 見た目からも強さや実直さが伝わってくるようである。

 

 劉邦は、斜めならず喜び、2人に姓名(せいめい)や出身地を(たず)ねた。

 

 2人の大将が、順に答える。

「私の(せい)(こう)()()

 先祖は蓼県(りょうけん)の人であります」

 

「私の(せい)は陳、()は賀。

 先祖は費県(ひけん)の人でしたが、(のち)東斉(とうせい)に移住いたしました。

 

 我ら2人、幼いころから家業を手伝わず、ひたすら弓馬の道を(たしな)んで参りました。

 その後、(しん)の混乱を避けるため、泰山(たいざん)登雲(とううん)(れい)(ふもと)に移っておりました。

 

 そんな時、韓信大元帥が広く人材を求めておられる、と耳にして、2人そろって大元帥の麾下(きか)に加えていただいたのです」

 

 劉邦は、ますます喜び、その場で孔熙(こうき)蓼侯(りょうこう)、陳賀を費侯(ひこう)(ほう)じ、こう(めい)じた。

「それじゃあ、孔熙(こうき)、陳賀、汝ら2人を先鋒(せんぽう)とする!

 3万の精兵を(ひき)いて行け!

 

 行く先々の人民を(あわ)れみ、軍を制御して、ちょっとも人々を騒がしたり混乱させたりするなよ。

 そして、各地の郡県の県令や城主の中で、漢に降参してくる者がいたら、親切に対応して安心させてやれ。

 その人たちには、元の官職のまま、担当の土地を管理させるんだ。

 いいな? 絶対に人々を驚かすんじゃないぞ」

 

「はっ!」

 孔熙(こうき)と陳賀は、叩頭(こうとう)(頭を地につけるお辞儀)して感謝の言葉を述べ、さっそく兵を(ひき)いて出発していった。

 

 その後に続いて、劉邦と韓信は、112万の軍勢を(ひき)いて進発した。

 その行列の長いことは、数百里に渡って途切(とぎ)れず続くほどであったという。

 

 かくして、ついに最終決戦に向かう漢軍。

 果たして()との戦いの行方(ゆくえ)や、いかに。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

■次回予告■

 

 ついに幕を開けた漢()最終決戦。百万の大軍を(よう)してもなお正面切って当たり(がた)いのが項羽の武勇。いまだ(おとろ)えを知らぬ無敵の覇王を()ち果たすため、1人の謀士(ぼうし)が動きだす。

 (ちょう)の賢人、その名は李左車(りさしゃ)。わずか一口で(いのち)を奪う危険(きわ)まる埋伏(まいふく)の毒が、項羽を引き返せぬ崖っぷちへと導いていく。

 

 次回「龍虎戦記」第六十九回

 『破滅への案内人』

 

 ()う、ご期待!




●注釈
 劉邦が『秋に生え変わった動物の毛』と発言していたが、この部分の「西漢通俗演義」での表現は『秋毫(しゅうごう)』。犬や猫などの動物を飼っておられる方には馴染(なじ)み深いだろうが、秋は換毛の季節である。このとき新しく生えたばかりの毛は細く鋭い。こうした毛の細さを、非常に細かいことの(たと)えとして用いている。
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