龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】 作:外清内ダク
時に、大漢5年。(紀元前203年)
漢王劉邦は、大小の大将たちと
兵も馬も強壮。数百里も続く大行列での進軍である。
これだけの大軍となると、進路上に住む人々が、とばっちりを恐れるのも当然だ。
しかし、
そのため人民は安心し、食べ物や飲み物を差し入れして、漢軍を迎えた。
また、各地の郡県から帰服してくる者も、数え切れないほどになった。
そのおかげで漢軍は、想定より
今回、漢軍が駐屯した、この地……
韓信が決戦の舞台に選んだ場所は、
劉邦の故郷、
もう目と鼻の先と言ってもよい近さにある。
韓信は、この
*
急速に決戦準備が進む中、
「漢王様の
これだけの大軍が
劉邦は、にっこり笑って喜んだ。
「みんな、お前たちの力だよ」
期待通りの働きをしてくれた
そして、中軍の左右にそれぞれ陣営を立て、その守備を
さらに劉邦は、
そして数多くの
このように、劉邦は細かな所まで気をつかって軍を動かした。
軍の内部にも、外部の敵にも、何ひとつとして用心の欠けた所がない。
単なる野盗の親分でしかなかった劉邦は、数え切れないほどの戦いを
そのため、今の世に
「『軍勢を出す時に紀律を
これぞまさに王者の軍と呼ぶべきものだ」
と……
*
さて。
劉邦が君主として忙しく立ち働いている間、韓信は、計略の最後の
そんな、ある日。
韓信は、
韓信は、
「ほう、よく目立つ
これはいい。ひとつ追加で手を打っておくか」
ここで韓信は足を止め、何を思ったか、漢詩を作りはじめた。
しばらく考えて詩の文章を練り上げると、1枚の
この韓信の奇妙な行動を、こっそり
韓信が、わざわざ
*
「劉邦は、大軍を
それから……移動の途中、韓信が妙な詩を書いて
項羽が読んでみると、その詩の内容は……
義を
人心
天意
日を
時に
剣光
項王の
つまり、『人々の心は、完全に
項羽は、漢軍のいる北西の方角を
「
今度という今度は、奴を殺すまで絶対に兵を引かないぞ!」
項羽は、いつものように突発的な怒りに突き動かされ、全軍に命令を出して、その日のうちに出陣しようと動きだした。
これを聞いた季布と
「不可です!
これは、我々を誘い出そうとする韓信の計略です!
覇王様が兵を出さないことに悩み、この詩を作って覇王様の怒りを刺激したのです。
もし怒りに任せて軽々しく動けば、必ず敵の
項羽は、首を横に振った。
「汝らの知ったことじゃないっ!
俺は天下を
そのはずなのに……
もしこのまま軍を動かさずにいたら、天下の諸侯は俺を
「漢軍の兵力は、我々を上回っております。
そのうえ、韓信は人を
覇王様。軽々しく戦いに出ては、なりません。
臣が考えますに、今は、ただ堀を深くし、城壁を高くし、
その間に諸国へ
固く守って時間を稼げば、漢軍は、あの大軍です。
自然に
覇王様が出陣なさるのは、その時です。
これすなわち『
敵が疲れ果てたところで、こちらは十分に英気を養った兵を駆り立て、西に攻め込む。
兵が
張良とて、得意の計略を実行するできないでしょう。
これで
しかし、覇王様が臣の言葉に従わず、城を
まさに
「ううん……」
項羽は、
韓信の恐ろしさを身を持って体験した者だけに、その言葉には説得力がある。
しかし、項羽の胸の中で、いますぐ出陣したいという衝動が燃え続けているのも、また事実だった。
*
結局。
項羽は、出陣するかどうか決断しきれぬまま、後宮に入って休息した。
その夜。
項羽の妻、
「
漢王劉邦が、100万の兵を
陛下は、そのための
項羽は、苦い顔をして、うなずいた。
「うん。そうなんだ。
しかし、ちょっと決断しかねていることがあって……」
項羽は、さきほど
「
陛下が彼の言葉に従いなされば、きっと
でも、もし彼の
おそらく
陛下、どうか、よくお考えくださいませ」
項羽は、ますます困ってしまった。
「うーん、そうか……
(つづく)
●注釈
(1)
本編冒頭で『大漢5年』と書いたが、この部分は「通俗漢楚軍談」や「西漢通俗演義」においては『大漢5年8月』と記されている。
以前にも述べたが、当時の
「軍談」や「演義」においても、この後の第七十三回が『大漢5年12月』の出来事と記されている。今回の戦いを8月に設定してしまうと本編内で矛盾が生じるため、やむをえずここでは『8月』を削除し、単に『大漢5年』とだけ書いて時期をぼかすことにした。
(2)
本編中の『このように、劉邦は細かな所まで気をつかって軍を動かした』から韓信の漢詩までの文章は、「西漢通俗演義」には存在しない。「通俗漢楚軍談」独自の増補部分と思われる。
その中に『軍勢を出す時に紀律を
この前半部分は、「易経・師」からの引用。原文は『師出以律、否臧凶』で、『軍を出す時には紀律を持て。そうでなければ凶である』というような意味になる。
後半部分は「論語・述而」からの引用。第五十二回で