龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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六十九の甲 破滅への案内人

 

 

 時に、大漢5年。(紀元前203年)

 

 漢王劉邦は、大小の大将たちと(とも)に、100万の雄兵(ゆうへい)(そろ)えて成皋(せいこう)から出発した。

 兵も馬も強壮。数百里も続く大行列での進軍である。

 

 これだけの大軍となると、進路上に住む人々が、とばっちりを恐れるのも当然だ。

 しかし、先鋒(せんぽう)の大将の孔熙(こうき)・陳賀は、きちんと軍勢を制御して、人民には毛1本ほどの小さな危害(きがい)も加えなかった。

 

 そのため人民は安心し、食べ物や飲み物を差し入れして、漢軍を迎えた。

 また、各地の郡県から帰服してくる者も、数え切れないほどになった。

 

 そのおかげで漢軍は、想定より(はる)かに短い時間で目的地に到着することができたのだった。

 

 今回、漢軍が駐屯した、この地……

 韓信が決戦の舞台に選んだ場所は、()しくも全ての戦いの発端(ほったん)となった地。

 劉邦の故郷、沛県(はいけん)であった。

 

 沛県(はいけん)は、彭城(ほうじょう)から見て北北西に140里(56km)。

 もう目と鼻の先と言ってもよい近さにある。

 

 韓信は、この沛県(はいけん)に到着するや、諸大将に指図(さしず)して、おびただしい数の陣屋を構え、合戦の用意を進めだした。

 

 

   *

 

 

 急速に決戦準備が進む中、先鋒(せんぽう)孔熙(こうき)・陳賀は、劉邦に謁見(えっけん)して報告を行った。

「漢王様の威徳(いとく)のおかげで、いたるところの郡県が、招きもせぬうちに帰服して参りました。

 これだけの大軍が容易(たやす)沛県(はいけん)まで来られたのは、きっと漢王様が()を滅ぼすという吉兆(きっちょう)でしょう」

 

 劉邦は、にっこり笑って喜んだ。

「みんな、お前たちの力だよ」

 

 期待通りの働きをしてくれた孔熙(こうき)・陳賀に、劉邦は重く恩賞を与えた。

 そして、中軍の左右にそれぞれ陣営を立て、その守備を孔熙(こうき)・陳賀に任せた。

 

 さらに劉邦は、蕭何(しょうか)催促(さいそく)して、大量の兵糧(ひょうろう)を運送させた。

 そして数多くの間者(かんじゃ)(はな)ち、ひそかに彭城(ほうじょう)の様子を(さぐ)らせもした。

 

 このように、劉邦は細かな所まで気をつかって軍を動かした。

 軍の内部にも、外部の敵にも、何ひとつとして用心の欠けた所がない。

 単なる野盗の親分でしかなかった劉邦は、数え切れないほどの戦いを()て、今や当代一流の軍略家に成長していたのだ。

 

 そのため、今の世に(いた)るまで、あらゆる人が劉邦を賞賛して言った。

「『軍勢を出す時に紀律を(たも)ち、(はかりごと)を好んで成功する者』と(いにしえ)の人が言ったのは、まさに漢王劉邦のことを指しているのだ。

 これぞまさに王者の軍と呼ぶべきものだ」

 と……

 

 

   *

 

 

 さて。

 劉邦が君主として忙しく立ち働いている間、韓信は、計略の最後の()めのところを()り続けていた。

 

 そんな、ある日。

 韓信は、沛県(はいけん)の近くに、小高(こだか)(ろう)が立っているのを見つけた。

 

 韓信は、(ろう)を見て、心の中で喜んだ。

「ほう、よく目立つ(ろう)だな。

 これはいい。ひとつ追加で手を打っておくか」

 

 ここで韓信は足を止め、何を思ったか、漢詩を作りはじめた。

 しばらく考えて詩の文章を練り上げると、1枚の木牌(もくはい)(木の板)に8句の詩を書きつけ、それを(ろう)の上に掛けさせた。

 

 この韓信の奇妙な行動を、こっそり(のぞ)き見ていた者がいる。

 ()が韓信の動向を(さぐ)るために(はな)っておいた間者(かんじゃ)である。

 

 韓信が、わざわざ(ろう)に掛けさせた以上、あの漢詩には何か深い意味があるに違いない。

 間者(かんじゃ)は、そう考えて、韓信たちが去った後で(ろう)に近づき、漢詩を書き写した。

 

 

   *

 

 

 ()間者(かんじゃ)は、急いで彭城(ほうじょう)に帰ると、項羽に報告した。

「劉邦は、大軍を沛県(はいけん)付近に駐屯させ、早くも彭城(ほうじょう)へ攻め寄せようとしております。

 それから……移動の途中、韓信が妙な詩を書いて(ろう)に掛けておりました」

 

 間者(かんじゃ)は、写した漢詩を項羽に差し出した。

 項羽が読んでみると、その詩の内容は……

 

 

  義を(とな)へて諸侯を会す

  平将(へいしょう)道の収むる無し

  人心(ことごと)()(そむ)

  天意炎劉(えんりゅう)(ぞく)

  日を()して垓下(がいか)(ほろ)

  時に(のぞ)んで沛楼(はいろう)(ほろ)

  剣光烈焔(れつえん)を生ず

  項王の(こうべ)馘斬(かくざん)

 

 

 つまり、『人々の心は、完全に()から離れた。天も劉邦に味方している。この剣で項羽の首を斬ってやろう』と、だいたいそういう意味の詩である。

 

 項羽は、漢軍のいる北西の方角を(にら)み、大声で(ののし)った。

股潜(またくぐ)り男め!

 今度という今度は、奴を殺すまで絶対に兵を引かないぞ!」

 

 項羽は、いつものように突発的な怒りに突き動かされ、全軍に命令を出して、その日のうちに出陣しようと動きだした。

 

 これを聞いた季布と周蘭(しゅうらん)が、慌てて飛んできて、口々に(いさ)めた。

「不可です!

 これは、我々を誘い出そうとする韓信の計略です!

 

 覇王様が兵を出さないことに悩み、この詩を作って覇王様の怒りを刺激したのです。

 もし怒りに任せて軽々しく動けば、必ず敵の小狡(こずる)い計略に(おちい)ることでしょう」

 

 項羽は、首を横に振った。

「汝らの知ったことじゃないっ!

 俺は天下を縦横(じゅうおう)に駆け回ってきたが、まだ1日たりとも(はずかし)めを受けたことはない!

 

 そのはずなのに……(また)(くぐ)ったあの野郎だけが、いつもいつも俺を(あなど)って悪口ばっかり吐きやがる!

 もしこのまま軍を動かさずにいたら、天下の諸侯は俺を(ゆび)さし、(つば)を吐いて(あざけ)り笑うに決まってる!」

 

 周蘭(しゅうらん)が、また言う。

「漢軍の兵力は、我々を上回っております。

 そのうえ、韓信は人を(だま)す計略を極めて上手く用いる男。

 覇王様。軽々しく戦いに出ては、なりません。

 

 臣が考えますに、今は、ただ堀を深くし、城壁を高くし、(いくさ)を交えず耐えるのが一番です。

 その間に諸国へ檄文(げきぶん)を送って兵を集め、会稽(かいけい)から兵糧(ひょうろう)を運び込ませるのです。

 

 固く守って時間を稼げば、漢軍は、あの大軍です。

 自然に兵糧(ひょうろう)が尽き、疲れ苦しみはじめるでしょう。

 

 覇王様が出陣なさるのは、その時です。

 これすなわち『以逸待労(いいつたいろう)』(兵を休ませ、敵の疲労を待つ)の計。

 敵が疲れ果てたところで、こちらは十分に英気を養った兵を駆り立て、西に攻め込む。

 

 兵が()えてしまっては、韓信が何をしようとも無駄でございます。

 張良とて、得意の計略を実行するできないでしょう。

 これで成皋(せいこう)滎陽(けいよう)は、手に(つば)を付けて(から)め取るように簡単に奪えます。

 

 しかし、覇王様が臣の言葉に従わず、城を(から)にして出陣なさったなら……

 まさに衆寡(しゅうか)(てき)せず。この少人数で、あの大軍に勝つことは不可能です」

 

「ううん……」

 項羽は、周蘭(しゅうらん)諌言(かんげん)を聞いて、低くうなった。

 

 周蘭(しゅうらん)は、かつて(せい)()龍沮(りゅうしょ)が韓信に敗れた時、副将を務めた男である。

 韓信の恐ろしさを身を持って体験した者だけに、その言葉には説得力がある。

 

 しかし、項羽の胸の中で、いますぐ出陣したいという衝動が燃え続けているのも、また事実だった。

 

 

   *

 

 

 結局。

 項羽は、出陣するかどうか決断しきれぬまま、後宮に入って休息した。

 

 その夜。

 項羽の妻、虞姫(ぐき)が、心配そうに項羽に寄り添い、言った。

(うわさ)は、(わたし)の耳にまで聞こえてきましたわ。

 漢王劉邦が、100万の兵を(ひき)いて、近いうちに攻めてくると……

 陛下は、そのための(そな)えをしておられたのですか?」

 

 項羽は、苦い顔をして、うなずいた。

「うん。そうなんだ。

 しかし、ちょっと決断しかねていることがあって……」

 

 項羽は、さきほど周蘭(しゅうらん)(いさ)めて言ったことを、ありのままに語って聞かせた。

 

 虞姫(ぐき)は、じっと項羽の言葉に耳を傾け、すべてを聞き終えると、項羽の手の上に自分の手のひらを、そっと重ねた。

周蘭(しゅうらん)の申すことは、本当に道理に(かな)っていると思いますわ。

 陛下が彼の言葉に従いなされば、きっと社稷(しゃしょく)(国家)は無事に(たも)たれるでしょう。

 

 でも、もし彼の(いさ)めを無視すれば、ただ漢に勝てないというだけでは済みません。

 おそらく彭城(ほうじょう)も守りきれなくなるでしょう。

 陛下、どうか、よくお考えくださいませ」

 

 項羽は、ますます困ってしまった。

「うーん、そうか……

 ()よ、お前まで周蘭(しゅうらん)に賛成なのか……」

 

 

(つづく)




●注釈
(1)
 本編冒頭で『大漢5年』と書いたが、この部分は「通俗漢楚軍談」や「西漢通俗演義」においては『大漢5年8月』と記されている。
 以前にも述べたが、当時の(こよみ)は10月から新年が始まり、10月、11月、12月、1月、2月……と続く。史実における劉邦の皇帝即位が漢5年2月なので、項羽との決戦はそれ以前に行われているはずである。よって今回の話が8月の出来事とは考えられない。実際「漢書・高帝紀」には、固陵(こりょう)の戦いが5年10月、周殷(しゅういん)()を離反したのが11月、今回の戦いが12月と明記されている。
 「軍談」や「演義」においても、この後の第七十三回が『大漢5年12月』の出来事と記されている。今回の戦いを8月に設定してしまうと本編内で矛盾が生じるため、やむをえずここでは『8月』を削除し、単に『大漢5年』とだけ書いて時期をぼかすことにした。

(2)
 本編中の『このように、劉邦は細かな所まで気をつかって軍を動かした』から韓信の漢詩までの文章は、「西漢通俗演義」には存在しない。「通俗漢楚軍談」独自の増補部分と思われる。
 その中に『軍勢を出す時に紀律を(たも)ち、(はかりごと)を好んで成功する者だ』という引用があったが、「軍談」における表記は『師を出すに律を以てし、謀を好んで而して成る者なり』である。
 この前半部分は、「易経・師」からの引用。原文は『師出以律、否臧凶』で、『軍を出す時には紀律を持て。そうでなければ凶である』というような意味になる。
 後半部分は「論語・述而」からの引用。第五十二回で范増(はんぞう)が引用したのと同じ言葉である。(第五十二回注釈参照)
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