劉邦率いる漢軍100万は、楚の都彭城にほど近い沛県付近に布陣した。
対する覇王項羽も、誘き出される形で出陣し、いよいよ明朝より戦闘開始……という状況になった。
そして、翌朝未明。
大元帥韓信は、漢の中軍に出てくると、帷幕の中に諸大将を呼び集め、言った。
「漢王様が漢中を出てから数年。
軍を働かせ、民衆を動かし、千の辛さと万の苦しみを味わいながら項羽と戦うこと70回あまり。
今、項羽の勢力は孤立し、力も弱り、ついに本日この一戦にて勝負を付けるというところまで来た。
諸君は、ますます心を励まして敵に向かい、前に進んでは武勇を振るい、後ろに退いては固く守り、左と指示されれば左に移り、右と指示されれば右に回り、ひたすら私の指揮に従って戦ってほしい。
ここにいる皆で漢王様の新国家創業を助けた後は、それぞれ列侯に封ぜられて、1万代先の子孫にまで業績を伝えようではないか!」
大将たちは、声を揃えて一斉に叫んだ。
「願わくは、大元帥の号令に従わん!」
韓信は、力強く、うなずいた。
「よし!
では、それぞれの布陣を伝える!」
韓信は、今回の戦いのために、周易の理論に基づいた布陣を練り上げていた。
周易とは古の書籍の名で、別名を易経ともいう。
易、すなわち占いに関する知識や理論が詰め込まれた書籍である。
韓信は、周易にある六十四卦に対応させ、最も吉となる布陣を考えたのだ。
その布陣の内訳は……
乾為天、王陵。西北に埋伏。
坎為水、盧綰。北に埋伏。
艮為山、曹参。東北に埋伏。
震為雷、英布。東に埋伏。
巽為風、彭越。東南に埋伏。
離為火、周勃。南に埋伏。
坤為地、張耳。西南に埋伏。
兌為沢、臧荼。西に埋伏。
この8将が、おのおの副将16人と精兵4万5千を率い、旗幟64枚を立てて布陣する。
前方には八卦に対応した部隊を列ね、後方には五行に対応した陣所を設け、左右で輔弼する人材は、だれ1人として不足することのないよう配置した。
また、夏侯嬰は10万の軍勢を率い、劉邦の後ろについて、予定外の緊急事態に備える。
張良は防護使として、10万の兵で左に配置。
陳平は救応使として、同じく10万で右に控える。
孔熙・陳賀は各2万の兵を従え、左右に分かれて劉邦の前方で壁となる。
呂馬通・呂況は精兵2万を率い、それぞれ太陽・月の象徴を担う。
靳歙は1万2千の兵と12人の副将によって、12方位の形を象る。
陳武は士卒2万8千と副将28人を、28の星宿になぞらえる。
壬敖は2万5千の兵によって、劉邦の本陣を守る。
劉沢は3千余騎で雞鳴山に陣取り、旗幟を虚しく立て並べて大軍に見せかける。
劉高は5千の精兵によって後陣の警備にあたる。
薄昭、孫可懐、高起、張倉、戚思は、督戦隊。
各1千の兵を率いて四方に配置し、諸軍の隊伍を整え、動きを止める者がいたら前進を促す。
陳豨、陸賈、傅弼、呉芮は、おのおの5千の兵を率いて、間道から密かに徐州へ向かう。
その狙いは彭城。
楚軍が城を空にして出陣したのを確認したら、一気に彭城へ攻め込み、項羽の妻子一族を生け捕りにする算段だ。
うまく彭城を占領した後は、城内の人民を宥め、四方の門から楚の旗幟を全て抜き捨てて、かわりに漢の赤旗を立てる。
灌嬰は、負けを装って、項羽を南の会稽方面へ誘い込む。
中郎騎将楊喜、五軍都尉陽武、左軍司馬楊翼、右軍司馬呂勝は、烏江に行って、左右に埋伏する。
こうして、全軍の配置が伝えられ、あらゆる方面への備えが整った。
と、ここで王陵が進み出た。
「大元帥、質問があります。
大元帥は、それがしらに『九里山に埋伏せよ』と命じられました。
しかし、九里山は沛県から離れること180里(72km)。
今、楚軍50万人が各地に無数の陣を置いており、通過できる場所が無いように思えます。
それがしらは、戸惑っております。
一体どの道から進んで、どの場所に埋伏すればよいのでしょうか?
また、大元帥自身は、どこで敵を迎え討ち、漢王様は、どこで敵を引きつけなさるのですか?
できますれば、詳しく教えて、我らの疑問を解消してください」
韓信が言う。
「私は、この場所へ来る前に、あらかじめ調査員を出して、ここら一帯の地理、通るべき道、兵を埋伏すべき場所などを全て考えておいた。
たとえ孫子・呉子を欺くほどの機略があっても、地理を知らなければ戦に勝てるはずがないからな。
九里山は彭城の北、9里(3.6km)の位置にある。
項羽は今、李左車に騙され沛県まで来て、はなはだ後悔しているだろう。
それゆえ項羽は、今日の戦いで痛手を被れば、必ず彭城へ帰還しようと考えるはずだ。
そこで、項羽の帰路上にある九里山に諸君を伏せておき、項羽を包囲してしまう、という作戦だ。
さらに、陳豨、呉芮ら5名には、空になった彭城を奪うよう指示しておいた。
項羽の周囲は全て漢軍となり……
引き返すべき拠点さえ失う……
そうなれば、項羽は、進んで行くべき先も、戻って守るべき所も見失う。
そこまで追いつめられれば、項羽は、長江を渡って江東へ逃げようとするはずだ。
その渡河地点は、間違いなく烏江の港。
よって、烏江に4人の大将を伏せ、項羽が渡河しようとした所を捕縛する。
これが私の立てた作戦だ。
さて、肝心の九里山まで行く道すじについてだが……
まず諸君は、いったん西に兵を引き、固陵北の道を黄河に沿って東進。帰徳郡・虞城県付近を経由して九里山に入れ。
あの一帯には、彭城の北側を覆うように、4つの高山が並んでいる。
中央の九里山、これは古くは九嶷山と呼ばれていた。
その東北に雞鳴山。
西に楚王山。
北に聖女山がある。
全ての山を繋げれば、周囲200里(80km)といったところだ。
項羽が彭城に到着し、城壁の上に漢の赤旗があるのを見れば、決して城には近づかず、必ず北へ向かって逃走するだろう。
そのとき、九里山に埋伏した諸君が四方から飛び出し、項羽を包囲して攻め立てるのだ。
さすれば、覇王といえども、どうして逃げきることができようか。
とまあ、このように、あらかじめ計略を決めておいたのだ。
楚の兵たちを死地に誘導し、前後左右にさんざん走り回らせて疲れさせ、食糧などの軍需品を枯渇させ、確実に勝利を掴もうというわけだ」
諸大将は、韓信の流れるような説明に聞き惚れ、説明が終わるや地に拝伏した。
「大元帥の妙算は、鬼神にさえ予測できないでしょう!」
大将たちは、大いに納得して、それぞれの持ち場へ動き出そうとした。
と、そのとき。
また1人、とんでもない大声で叫ぶ者があった。
「大元帥ッ!
どうして俺を侮って、そこらへんの土とか木みたいに無視するんですかあッ!」
満座の大将たちが、驚いて声の主に目を向けた。
誰かと思えば……武陽侯、樊噲である。
韓信は、思わず笑った。
「私が、いつ御辺を侮ったというんだ」
樊噲は、もう、ほとんど涙目である。
「侮ったんでなけりゃ、なんだってんです!
漢王様が漢中を出なさってから、俺は数百回の合戦で出陣しなかったことは1度もないんだ!
項羽が弱りきって、楚の滅亡が、まさに今日の1戦で決まる……
さっき大元帥は、今まで戦場に出たこともないような無名の将にまで、1人1人仕事を指示なさったじゃないですか!
なのにッ!
この俺1人だけがッ!
まだ名前も呼んでもらえてないんですよッ!
こりゃ一体どういうわけなんですかあっ!」
(つづく)