龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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七十の丁 九里山十面埋伏

 

 

 項羽(ひき)いる()軍は、手痛(ていた)い打撃を受け、彭城(ほうじょう)へと引き返してきた。

 その帰路(きろ)の途中で、すでに彭城(ほうじょう)周辺に漢軍が配置されていることを知ったのである。

 

 鍾離昧(しょうりまい)周蘭(しゅうらん)は、彭城(ほうじょう)を捨てて江東へ逃げることを提案した。

 だが、項羽の天性は、この状況でも変わらなかった。

 

 項羽は、鍾離昧(しょうりまい)周蘭(しゅうらん)の言葉を聞き入れず、逆に大言(たいげん)を放った。

「俺は、挙兵して以来、どこへ行っても、どんな敵でも、すべて撲滅(ぼくめつ)してきた!

 

 確かに敵の数は多いかもしれんが、漢の大将の中に、俺に(かな)う奴は1人もいない!

 怖がる必要が、どこにある!?

 もし俺がここから逃げ去ったら、天下の諸侯は、俺を大いに(あざけ)り笑うだろう。

 

 汝らは、ただ俺の後についてきて、俺が漢の大将どもと戦うところを見ていればいい!

 もし俺の槍の技に少しでも乱れがあれば、自分自身でこの首を()ねてやる!

 この(いのち)のある限り、俺は絶対に他人の(はずかし)めを受け入れたりしないっ!」

 

 鍾離昧(しょうりまい)も、周蘭(しゅうらん)も、その他の諸将も、みな口を閉ざした。

 項羽という男は、いったんこうなると、もう何を言っても聞きはしない……

 

 ()将たちは、そういう項羽の気性(きしょう)を、嫌というほど知っている。

 それゆえに、もう誰も、再び項羽を(いさ)めようとはしなかった。

 

 

   *

 

 

 項羽は、()軍の先頭に立って、彭城(ほうじょう)方面へと走り出した。

 

 項羽が彭城(ほうじょう)まで、あと少しというところに来た、そのとき。

 偵察(ていさつ)に出しておいた兵たちが、息を切らせて駆け戻ってきた。

 

「報告いたします!

 彭城(ほうじょう)は、すでに敵に奪われておりました!

 城壁には、おびただしい数の漢の赤旗が立て並べられており、四方の門は、武装した漢兵に固く守られています!」

 

 やはり……彭城(ほうじょう)は漢軍の手に落ちていたのだ。

 このまま彭城(ほうじょう)に向かっても、簡単には取り戻せまい。

 ()軍の将兵に、少なからぬ動揺が広がった。

 

 しかし項羽は、顔色ひとつ変えない。

 

 項羽は、馬からヒラリと飛び降りると、落ち着きはらった動きで全身の武装を整えだした。

 (かぶと)()を締め直し、胴鎧を一度はずして再び引き締め、それから再び馬に飛び乗る。

 

 そして項羽は、全軍へ向けて一声を放った。

「もはや彭城(ほうじょう)へ行っても無駄だ。

 我らは北へ向かう!

 九里山を越えて、目指(めざ)すは()だ!

 

 者ども!

 行くぞッ!」

 

 項羽は猛々(たけだけ)しく()えると、雞鳴(けいめい)(ざん)(にら)んで九里山方面へと駆けだした。

 その後に()軍が続く。

 

 やがて()軍が九里山の山道に踏み込んだ……そのとき。

 

 九里山の山頂で、一声の鉄砲が鳴り響いた。

 その直後、山のあちこちで大きな軍旗が振り立てられ、四方八面から漢の伏兵が一斉に湧き起こった。

 

 西北より王陵!

 北より盧綰(ろわん)

 東北より曹参(そうさん)

 東より英布!

 東南より彭越(ほうえつ)

 南より周勃(しゅうぼつ)

 西南より張耳(ちょうじ)

 西より臧荼(ぞうと)

 

 漢の名だたる大将たちが、槍を()げて覇王項羽を取り囲み、金鼓(きんこ)を地に震わせ、殺気を天に飛ばし、怒涛(どとう)の如く押し寄せてくる!

 

 対する項羽は、

「ウオオォォォォォッ!」

 雄叫(おたけ)びをあげて漢軍に(いど)みかかった。

 

 覇王項羽は、左を叩き右を突き、急な坂道を上って下りて、あちらへ行ってはこちらへ帰り、龍が大海に(おど)り虎が山岳(さんがく)を走るが如く縦横無尽に8人の漢将と渡り合った。

 

 覇王項羽、なんたる強さか!

 この8将の猛攻を受けてなお互角……いや、それどころか、むしろ項羽が優勢。

 とうとう項羽は、8人の漢将たちを、ことごとく追い散らしてしまった。

 

 だが、漢軍とて負けてはいない。

 先ほどの8将と入れ替わりに、薄昭(はくしょう)孫可懐(そんかかい)、高起、張倉、戚思(せきし)の5将が、刃を並べて項羽に討ってかかる。

 

 この新手(あらて)にも、項羽は少しも恐れる気配(けはい)を見せない。

 5人を相手に戦うこと20余合。

 孫可懐(そんかかい)は、項羽の槍によって馬から突き落とされてしまった。

 

 すると戚思(せきし)が、孫可懐(そんかかい)を救おうと駆け寄ってきた。

 戚思(せきし)は馬から飛び降りて、孫可懐(そんかかい)を抱き起こした……

 が。

 項羽の愛馬烏騅(うすい)が駆け寄って、2人まとめて踏み殺してしまった。

 

 残る薄昭(はくしょう)・高起・張倉は、震え上がって逃げ出した。

 

 これでも、まだ漢軍の攻撃は終わらない。

 今度は聖女(せいじょ)(ざん)東の谷際(たにぎわ)から、陳豨(ちんき)傅寛(ふかん)、陳武、呉芮(ごぜい)新手(あらて)(ひき)いて進み出てきた。

 

 再び激しい戦いが起きた。

 だが、彼らも項羽には(かな)わず、10合もしないうちに、ことごとく逃げ去ってしまった。

 

 こうして……

 この日、たった1日で、項羽は漢の名将60人以上と戦った。

 だが、その間、たったの1度も槍を地に突かず、馬を後退もさせなかった。

 

 漢軍は、これほどの攻勢にも関わらず、項羽に打ち勝つことができず……

 とうとう、その日は引き上げて行ってしまった。

 

 (いくさ)が終わると、項羽は手下の大将たちの方へ振り返り、ニッ、とガキ大将さながらの屈託(くったく)ない笑顔を見せた。

「どうだ? 俺は弱いか?」

 

 ()将たちは、みんな地上に拝伏して、言った。

「覇王様は、まことに天神でいらっしゃいます!

 今日ほどの(いくさ)ぶりは、過去に比べる相手すらありません!

 

 しかし覇王様、今日はもう日が暮れてしまいました。

 このあたりに陣を(きず)き、お休みくださいませ。

 ()娘娘(にゃんにゃん)に、陛下の疲れを癒やしていただきましょう」

 

「うん。そうするか」

 と、項羽は上機嫌に、馬から降りたのだった。

 

 

   *

 

 

 その夜。

 

 項羽は(よろい)を脱ぎ、()将たちの居並ぶ幕舎に腰をおちつけた。

 項羽は、()()()に、虞姫(ぐき)を呼んでくるよう(めい)じた。

 

 しばらくすると、虞姫(ぐき)が車から降りて、満座の大将たちが詰める幕舎に入ってきた。

 

 項羽は、虞姫(ぐき)に優しく微笑(ほほえ)みかけた。

虞姫(ぐき)よ。

 今日は、漢の兵がたくさんいて、怖かっただろう」

 

 虞姫(ぐき)は、首を振った。

(わたし)には、陛下の天威(てんい)がついております。

 それに、ここにいる諸将も守ってくれますわ。

 どうして恐れる必要など、ありましょうか。

 

 陛下こそ、今日は1日で漢の大将60人あまりと戦いなさったとか。

 さぞかし御身(おんみ)お疲れでございましょう」

 

 項羽は上機嫌に笑った。

「あはははは!

 いやいや、全然!

 

 俺は昔、(ちょう)を救いに行った時、章邯(しょうかん)(ひき)いる(しん)軍と9回戦って、数日間まともに食事もできなかったが、それでも疲れなかったんだ。

 今日1日くらい、平気平気!」

 

 項羽の顔色を見ると、どうも、これがただの強がりでもないようである。

 あれだけの戦いをしておいて、本当に疲れてすらいないらしいのだ。

 左右にいた()軍の大将たちは、項羽の無尽蔵の気力体力に驚き、ざわめいた。

 

 そのとき、大将たちの中から、周蘭(しゅうらん)が進み出た。

「覇王様。

 本日は敵の諸将に打ち勝ちなさいましたが、漢軍の勢いは、いまだ(おとろ)えておりません。

 

 敵は四方に布陣しておりますし、今晩、夜討(ようち)仕掛(しか)けてくる可能性があります。

 油断なさらず、陣の各所に(そな)えを(めい)じなさいませ」

 

 項羽は、うなずいた。

「確かに、お前の言う通りだ」

 

 そこで項羽は、全軍に下知(げち)して、陣の四方の守りを固めさせた。

 そして、江東の子弟8千人には、中軍の左右に配置して項羽を守るよう(めい)じた。

 

 そのうえで、項羽自身は幕舎の中に留まり、虞姫(ぐき)(さかずき)を交わし、一時(ひととき)の休息を楽しんだのだった。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

■次回予告■

 

 攻めても攻めても(おとろ)え見せぬ覇王項羽の無敵の武勇。その力を下支えする忠臣たちと八千子弟を項羽のもとから引き剥がすべく、漢の頭脳が最後の策を為す。

 秋風(しゅうふう)身を切る寂寥(せきりょう)の夜、山々から流れ来たるは胸打つ(しょう)と哀歌の響き。ああ、忘れられようか。東西南北いずこを見ても、あるものはただ――故郷の歌声。

 

 次回「龍虎戦記」第七十一回

 『四面楚歌』

 

 ()う、ご期待!

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