龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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七十一の中 四面楚歌

 

 

 翌日。

 

 韓信は、予定通り兵を陣内に留まらせ、交戦を控(ひか)えた。

 そして戦車を四方に配置し、兵を手配して楚(そ)軍を厳しく包囲した。

 

 その一方、蕭何(しょうか)には兵糧(ひょうろう)の運送を催促(さいそく)して、持久戦に備え……

 

 大将たちには、こう命(めい)じた。

「樊噲(はんかい)殿。汝は、山頂に上がって、銅鑼(どら)を鳴らし、太鼓を打て。

 これは疑兵(ぎへい)の計だ。

 つまり、大軍が山頂にいるように見せかけ、敵の心を掻(か)き乱すのだ。

 

 そして灌嬰(かんえい)。

 汝は楚(そ)の陣の左右に伏せ、もし項羽が戦車隊を突破して逃げようとしたら、一斉に飛び出て項羽を止めよ」

 

「はっ!」

 大将たちは、韓信の指示に従って、それぞれの持場へ向かった。

 

 

   *

 

 

 それから、しばらく経ち……

 項羽が聖女(せいじょ)山(ざん)の下に陣を置いてから、3日が経過した。

 この間、漢楚(そ)ともに睨(にら)みあいを続けるだけで、一度も交戦していない。

 

 もともと楚(そ)軍は物資が不足気味だったが、この日、ついに兵糧(ひょうろう)が底をついてしまった。

 楚(そ)将季布と項伯は、この状況に焦(あせ)りを覚え、項羽の元へ、やってきた。

 

「本日、とうとう兵糧(ひょうろう)が尽き、馬に食わせる秣(まぐさ)も無くなってしまいました。

 我が軍の中にも、ひそかに不満を抱く者が多数あらわれております。

 

 今、敵が計略によって彼らの心を惑(まど)わせば、味方の中から裏切り者が出かねません。

 事(こと)は急を要します。

 

 覇王様。

 臣らと8千子弟(してい)、その他の諸軍を率(ひき)いて、一刻(いっこく)も早く、ここから脱出してくださいませ。

 

 そして荊州(けいしゅう)か襄陽(じょうよう)、あるいは江東あたりに身を落ち着け、鋭気を養って再起をはかるのです」

 

 項羽は、がっくりと肩を落とした。

「食糧が無いんじゃあ、確かに守りきれるわけがない。

 だが、逃げるにしても、どう逃げる?

 四方は漢の大軍に取り囲まれている。そう簡単には出られまい。

 一体どうすればいいんだ」

 

 季布が言う。

「臣が8千子弟(してい)を見ますと、彼らは、ひたすら覇王様のために刃を振るって敵に向かっております。

 意気(いき)は甚(はなは)だ盛(さか)んで、行く先々で勝たぬということはないほどの強兵たちです。

 

 漢の兵も、彼ら8千子弟(してい)を見たときには、誰もが震え恐れてしまい、自分からの刃を交えようとする者が1人もいないほどです。

 

 覇王様は、この8千子弟(してい)を率(ひき)いて、みずから先陣を切ってくださいませ。

 臣らは、本陣の人馬を率(ひき)い、虞(ぐ)娘娘(にゃんにゃん)を守護しながら、後に続こうと思います」

 

 項羽は、うなずいた。

「よし。

 じゃあ、明日、俺が先陣に立って、包囲を切り崩してやる。

 汝らは後陣を連れて後に続け!」

 

 そして、項羽は諸軍に命令を伝え、明日の行動の用意をさせたのだった。

 

 

   *

 

 

 が……

 楚(そ)の将兵たちは、項羽からの命令を聞くと、ひそひそと、こんな陰口(かげぐち)を叩きはじめた。

「俺たちは、長いこと従軍し続けてきた。

 その間、故郷とは、まったく連絡が取れていない……

 

 秋も深まり、たんだん寒くなってきたというのに、衣服の破れ綻(ほころ)びた所を縫(ぬ)って補修することもできない。

 そのうえ、今度は兵糧(ひょうろう)枯渇(こかつ)ときた。

 まともに飯(めし)を食うこともできないのに、漢の勇猛な兵を殺せるとでも思ってるのか?」

 

 すでに太陽も西に沈んだ黄昏(たそがれ)時(どき)。

 颯々(さつさつ)たる秋風の中に、木の葉の落ちる音が寥々(りょうりょう)と聞こえてくる。

 楚(そ)兵たちは、ひどく哀(あわ)れの心を催(もよお)した。

 

 ただでさえ見知らぬ土地へ旅することは物憂(ものう)いのに、今は、誰もが飢(う)え疲れている。

 夜は山道の露(つゆ)の上に衣服の袖(そで)を敷(し)いて寝る暮らし。

 昼は空の雲へと首を向けて望郷の念を募(つの)らせる毎日。

 

 秋の夜を過ごすのに、1人では、あまりに寂(さみ)しく、あまりに切ない。

 楚(そ)兵たちは、こちらに5人、あちらに3人、と思い思いに集まって、心の憂(う)さを語り合い、胸の寂(さみ)しさを紛(まぎ)らわした。

 

 そうこうするうちに、時刻は初更(しょこう)ごろ(午後8時)になった。

 

 そのときである。

 遥か向こうの山の上から、簫(しょう)の音(ね)が聞こえてきた。

 

 なんとも物悲(ものがな)しい旋律(せんりつ)だ。

 楚(そ)の兵士たちは、たちまち簫(しょう)に心を奪われ、じっと耳を傾けはじめた。

 

 簫(しょう)の曲に合わせて、歌声が聞こえてくる。

 その歌に曰(いわ)く――

 

 

  九月深秋(しんしゅう) 四野(しや)に霜(しも)飛び

  天高く水涸(か)れ 寒雁(かんがん)悲愴(ひそう)なり

  最も戍辺(じゅへん)に苦しみて 日夜傍徨(ぼうこう)し

  堅(かた)きを披(き)て鋭(えい)を執(と)り 骨沙岡(さこう)に立つ

 

  家を離るること十年 父母と生別(せいべつ)し

  妻子(さいし)何(なん)ぞ堪(た)えん 孤房(こぼう)に独宿(どくしゅく)するを

  腴田(ゆでん)有ると雖(いえど)も 孰(たれ)か之(これ)と守らん

  隣家(りんか)の酒熟(じゅく)すも 孰(たれ)か之(これ)と嘗(な)めん――

 

 

 楚(そ)兵たちは、息を飲んだ。

 聞き覚えのある歌詞。聞き覚えのある旋律(せんりつ)。

 これは、まぎれもなく彼らの故郷……楚(そ)の歌だったのだ。

 

 完全に心を奪われた楚(そ)兵たちの耳に、歌声は、さらに響く――

 

 

  白髪(はくはつ)門に倚(よ)りて 秋水(しゅうすい)を望穿(ぼうせん)し

  稚子(ちし)憶念(おくねん)して 涙肝腸(かんちょう)を断(た)つ

  胡馬(こば)風に嘶(いば)ひて 尚(な)ほ土を恋(こ)ふを知る

  人生久(ひさ)しく客(かく)たりて 寧(いずく)んぞ故郷を忘れんや

 

  一旦兵を交(まじ)へば 刃を蹈(ふ)みて死し

  骨肉泥(どろ)と為(な)りて 衰草(すいそう)の濠梁(ごうりょう)たらん

  魂魄(こんぱく)悠悠(ゆうゆう)として 倚(よ)る所を知らず

  壮志(そうし)寥寥(りょうりょう)として 之(これ)を荒唐(こうとう)に付(ふ)す

 

  当(まさ)に此(こ)の永夜(えいや)に 追思(ついし)返省(へんせい)し

  急ぎ早く楚(そ)を散(さん)じ 殊方(しゅほう)に死するを免(まぬか)るべし

  我が歌豈(あ)に誕(いつわ)らんや 天汝(なんじ)に告(つ)げしむ

  汝(なんじ)其(そ)れ命(めい)を知りて 渺茫(びょうぼう)と謂(い)ふ勿(なか)れ

 

  漢王徳(とく)あり 降軍(こうぐん)殺さず

  帰情(きじょう)哀告(あいこく)せば 汝(なんじ)を放(はな)ちて翱翔(こうしょう)せしめん

  空営(くうえい)を守ること勿(なか)れ 糧道(りょうどう)已(すで)に絶(た)えたり

  指日(しじつ)に羽(う)を擒(とりこ)にし 玉石(ぎょくせき)俱(とも)に傷(やぶ)らん

 

  楚(そ)の声 楚(そ)の卒(そつ)を散(さん)ず

  我能(よ)く吹きて六律(りくりつ)に協(かな)ふ

  我胥(しょ)に非(あら)ずして丹陽(たんよう)に品(ひん)し

  我鄒(すう)に非(あら)ずして燕室(えんしつ)に歌ふ

 

  仙音(せんいん)微(かす)かにして九天に通ず

  秋風(しゅうふう)起こるは楚(そ)亡(ほろ)ぶる日なり

  楚(そ)既(すで)に亡(ほろ)ばば汝(なんじ)焉(いず)くにか帰らん

  時は待たず電疾(でんしつ)の如し

 

  歌ひ歌ふ三百字 字字句句深意(しんい)有り

  汝(なんじ)に勧(すす)む 等閑(なおざり)の看(かん)を作(な)すこと莫(なか)れ

  耳に入れて心に関わり 当(まさ)に熟記(じゅくき)すべし

 

 

 はじめは故郷を思う楚(そ)の哀歌(あいか)だったものが、途中から、楚(そ)兵に投降を呼びかける歌詞に変わっている。

 張良は、この楚歌(そか)を数百人の部下に教え、あちこちに配置し、一斉に歌わせたのだった。

 

 そして張良自身は、雞鳴(けいめい)山(ざん)から九里山へ向けて、数十回も繰り返し簫(しょう)を演奏しつづけた。

 

 その響きは清く調和し、哀(かな)しく、切なく、怨(うら)むが如く、訴(うった)えるが如く、聞く者の旅愁(りょしゅう)に染(し)み込んでいった。

 

 ある音は高く、ある音は低く。

 ある音は長く、ある音は短く。

 五音(ごいん)の音階に乱れなく。

 六律(りくりつ)の音は、よく和(わ)して響き渡る。

 

 露(つゆ)が梧桐(あおぎり)に落ちるが如く。

 鶴(つる)が沼沢(しょうたく)に啼(な)くが如く。

 風が鈴の音(ね)を玎玎(ちょうちょう)冬冬(とうとう)送るが如く。

 滴(しずく)が銅壺(どうこ)に漏(も)れ落ちるが如く。

 

 聴く人々は歌に心を震わされ、不覚(ふかく)の涙を抑(おさ)えかね、千筋(せんすじ)の涙を頬(ほお)に伝わした。

 たとえ鉄石の如き肝腸(かんちょう)を持っていても、氷霜(ひょうそう)の如き節操(せっそう)を持っていても、どうして心を動かされずにいられようか。

 

 楚(そ)軍の名も無き英雄たちは、完全に戦意喪失した。

 彼らの壮烈(そうれつ)な意気(いき)は、磨(す)り減って消えてしまったのだった。

 

 

(つづく)




●注釈
(1)
 今回描かれたのが、極めて有名な故事成語『四面楚歌』の由来となった場面である。「史記・項羽本紀」の該当部分は、日本の高校漢文教科書では定番の題材だから、高校生の頃に学んだ覚えのある方も多かろうと思う。
 ただ、「西漢通俗演義」では、なんとこの歌が楚(そ)の歌であると明記されていない。というより歌詞を見る限り、張良が楚(そ)兵の心を挫(くじ)くために新しく作った詩としか考えられない。おそらく小説的な演出のために史実から改変したのだろう。
 これほどの名場面でそれは寂しいと考えたのか、「通俗漢楚軍談」は第七十二回において『四面に楚歌を歌ふ』という文章を独自に挿入している。筆者も「軍談」の考え方に賛成である。
 そこで本編では、可能な限り「軍談」の記述を尊重する方針を曲げ、これが楚(そ)の歌であるという描写を各所に補うことにした。具体的には、『はじめは懐かしい楚(そ)の歌であった歌詞が、途中から投降を促す内容に繋がっていく』という設定にした。この解釈は、あくまで筆者独自のものであることをご了解いただきたい。

(2)
 本文の中に、『五音(ごいん)』『六律(りくりつ)』『八音(はちおん)』などの言葉が登場した。これらはみな中国の伝統的な音楽理論で用いられる用語である。「周礼・春官宗伯」や「史記・律書」など、さまざまな書籍に記述がある。
 中国の音楽理論では、1オクターブの音階を12分割し、その奇数番目を陽の音六律(りくりつ)、偶数番目を陰の音六呂(りくりょ)と呼んだ。両方合わせて十二律、別名を律呂(りつりょ)という(『呂律(ろれつ)』の語源)。張良のセリフ中に『十二(じゅうに)干支(かんし)に対応し』とあるのは、この十二律のことだろう。
 五音(ごいん)または五声(ごせい)は、十二律とは別の基準で作られた音階である。笛の長さ81:72:64:54:48に対応する音階をそれぞれ宮(きゅう)・商(しょう)・角(かく)・徴(ちょう)・羽(う)と呼び、まとめて五音(ごいん)という。笛の長さは発生する音の振動数に反比例し、振動数が高い音ほど人間は高い音と認識する。要するに、笛が短いほど高い音が出る。ゆえに、笛の長さによって音の高さを規定できるのだ。
 八音(はちおん)とは、楽器の素材8種類のこと。金属、石、土、革、糸、木、匏(ふくべ)(ヒョウタン)、竹の8種をいう。
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