龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

220 / 220
七十三の上 覇道の果てるとき

 

 

 項羽の部下は次々に離散し、あるいは戦死し、とうとう兵卒28人を残すのみとなってしまった。

 

 項羽は、ろくに休息もできぬまま漢軍からの逃走を続け、その途中で行きついた古い屋敷に入り、屋敷を守っていた老人たちの厚意(こうい)によって、ようやく一晩の眠りにつくことができた。

 

 さて、項羽が屋敷の奥で(よろい)を枕として横になっていると……

 

 夜半を過ぎたころ。

 突然、(くれない)色の太陽が一輪(いちりん)、遠く長江の水面から浮かび上がってきた。

 

 項羽は驚いて起き上がり、太陽を見つめた。

 

 すると……なんということだろう。

 太陽の近くに五色(ごしき)の雲が湧き上がり、太陽に近づきはじめた。

 

 よく見れば、雲の上には……劉邦が座っているではないか!

 

 劉邦は、雲に乗って太陽のそばまで行くと、太陽を抱いて、持ち去ろうとした。

 

 項羽は、慌てて服の(すそ)をまくりあげ、長江の中へザブザブ踏み込んで、劉邦を追いかけた。

 どうにか項羽は劉邦の雲に追いつき、雲の上に、よじ登ろうとした。

 

 だが劉邦は、項羽を雲から蹴り落とし、そのまま太陽を抱いて、西の空へ飛び去っていってしまった。

 

 項羽は、水の中に落ち、沈んでいった。

 沈みながら、項羽は、神々(こうごう)しい光が劉邦を追っていくのを見た。

 やけに(かぐわ)しい(かお)りが、あたりに立ち込めるのを()いだ……

 

 

   *

 

 

「うっ!?」

 ここで項羽は目を覚ました。

 夢。いままで夢を見ていたのだ。

 

 なんという夢だろう。

 劉邦が太陽を抱いて飛び去る夢とは……

 

 かつて、これとよく似た夢を見た男がいる。

 (しん)の始皇帝だ。

 

 (くれない)(ころも)の少年が、太陽を(うば)って西へ去る夢。

 始皇帝は、その夢を見て、狂った。

 (しん)の天下が(うば)われることに異常な恐怖を抱き、猜疑心(さきぎしん)(とりこ)となり、不老不死の体を手に入れて永久に中華の君主たらん、とまで思いつめてしまった。

(第一回参照)

 

 では……項羽は?

 

 項羽は、長く長く()(いき)をつき、ポツリと、つぶやいた。

「これが天命、か……」

 

 と、そのとき。

 突然、屋敷の外から、天を動かすような太鼓の音と、地を震わせるような(とき)の声が聞こえてきた。

 

 兵卒が、項羽の前に駆け込んで来て報告する。

「漢軍ですッ!

 この屋敷の周りにある林へ殺到(さっとう)してきました!」

 

 項羽は、すぐさま立ち上がり、左手で(よろい)(つか)んで肩にかけ、右手で槍を握って外へ駆けだし、愛馬烏騅(うすい)に飛び乗った。

 

 夜が、ほのぼのと明けた時刻。

 屋敷の四方八面には、すでに漢の兵が雲のように集まって来ていた。

 その中から、1人の漢将が馬を(おど)らせ飛び出てきた。

 

「我は漢の大将、灌嬰(かんえい)なり!

 楚賊(そぞく)! はやく首を渡せ!」

 

 項羽は怒り、灌嬰(かんえい)に戦いを(いど)んだ。

 1打、1打、受ける灌嬰(かんえい)の手が(しび)れるほどの強打を浴びせかけ、灌嬰(かんえい)を次第に追い込んでいく。

 

 と、そのとき、灌嬰(かんえい)の後ろから、楊武(ようぶ)呂勝(りょしょう)、陳武、靳歙(きんきゅう)の4将が、相次(あいつ)いで駆けつけた。

 

 いくら項羽が強くとも、味方がたった28人では、漢の大軍と正面きって戦うのは無理というもの。

 

 項羽は、

「オォリャァーッ!」

 と怒声を放ちながら、正面の漢軍に、いきなり突進した。

 

 項羽の狙いは、漢将たちとの交戦を避け、強行突破で包囲を脱出することだ。

 一方、漢の将兵たちも、項羽の恐るべき力と気迫に気圧(けお)されて、誰一人として近づこうとしない。

 

 結局、項羽と28騎の兵士たちは、まんまと包囲を抜け出すことに成功した。

 

 

   *

 

 

 そこから項羽は、さらに50里(20km)走り続けた。

 

 ようやく項羽は、烏江(うこう)に近づいてきた。

 烏江(うこう)には、長江の渡し場がある。

 うまく舟を見つければ、江東へ渡ることも、できるだろう。

 

 項羽は手綱(たづな)を引いて馬を止め、四方を見回した。

 長江が見えれば……あわよくば舟でも見つかれば……と思っていたのだが。

 長江どころか、見えるのは、漢軍が何重にも何層にも重なって、野に満ち山を埋め尽くしている姿のみ。

 

 項羽は苦笑し、心の中で思った。

「これじゃあ、たとえ翼があっても、包囲から抜け出せそうにないな。

 昨夜の夢の警告もある。

 ……どうにもならないか」

 

 ここで項羽は、28人の兵卒を(かえり)みて、堂々と言った。

「俺は、兵を起こしてから今まで、大戦(おおいくさ)だけでも70回以上もの合戦に(いど)んできた。

 ぶつかった相手は全て破り、攻撃した相手は全て服従させ、いまだかつて敗北したことはない。

 そして、ついに天下に覇を唱えた。

 

 確かに今、俺は、これほど追いつめられている……

 ……だが!

 

 ()れ天の我を(ほろ)ぼすなり!

 (いくさ)の罪に(あら)ず!

 

 天が俺を滅ぼそうとしているのだ!

 (いくさ)が弱いから負けるのではないのだ!

 

 今日、俺は死戦(しせん)(いど)む!

 3回だ! 今から俺は、3回勝つ!

 お前たちも、俺に続いて敵の包囲をブチやぶれ! 将を斬れ! 軍旗を()り取れ!

 俺たちは弱くて負けるんじゃないってことを、天下に知らしめてやれ!」

 

 今、項羽のもとにいる28人。

 それは、ありとあらゆる困難と苦境に叩き込まれながら、それでも項羽についてきた屈強の28人である。

 

 その28人の目が……燃えた!

 

 項羽は28騎の兵士を4つに分けて、一斉に漢軍へと突撃を開始した。

 項羽が烏騅(うすい)を風の如く走らせながら、兵士に向けて叫ぶ。

 

「まず俺が敵の大将を1人斬って道を作る!

 汝らは、そこから包囲を突破し、それぞれ別の方向へ走れ!

 そして東の山の(ふもと)で、3ヶ所に布陣して俺の到着を待て!」

 

 28騎が声をそろえる。

「はっ! 覇王様の(めい)のままに!」

 

 そうこうする間に、漢軍は、もう目の前。

 項羽は烏騅(うすい)の足をますます速め、

()ォォォオオーッ!」

 と(わめ)いて、漢軍の中に突っ込んだ。

 

 項羽の槍が、うなる!

 出会い頭に1人の漢将を斬って捨て、勢いそのまま駆け抜ける。

 漢軍は、あたかも風に吹き散らされる雲の如く、四方へ乱れ散っていく。

 

 その中にあって、ただ1人踏みとどまって項羽の前に立ちふさがった大将がいた。

 楊喜(ようき)だ。

 彼は、つい昨日、項羽の鉄鞭(てつべん)に打たれたばかり。

 その痛みもどうにか消え、昨日の(うら)みを晴らさんとして、馬を(おど)らせ飛び出したのだ。

 

 が。

 項羽は楊喜(ようき)一目(ひとめ)見るや、

「どけェッ!」

 と大声で りつけた。

 

 その、あまりの迫力に、楊喜(ようき)は戦うまでもなく恐れ(おのの)き、手に持っていた(げき)を地に落とした。

 さらに、楊喜(ようき)の馬まで驚き(おび)え、50歩ほども後退してしまった。

 

 こんな調子では、戦いになど、なるはずもない。

 楊喜(ようき)は、馬を反転させて、逃げ去っていった。

 

 

   *

 

 

 項羽は、そのまま駆け抜けて、東の山の(ふもと)に到着した。

 28騎の兵は、約束通り、3ヶ所に分かれて項羽を待っていた。

 

 項羽が28騎と合流した、まさにそのとき。

 漢の大軍が、3方向から項羽に襲い掛かってきた。

 

 項羽は、もう慌ても騒ぎもしなかった。

 ただ槍を()げ、烏騅(うすい)を走らせ、我が身を羽翼(うよく)のように躍動(やくどう)させて、3方向の敵と戦いまくった。

 

 漢の大将李佑(りゆう)を斬り、都尉(とい)王恒(おうかん)を馬から突き落とし、兵卒に至っては殺しも殺したり、数百人を血の海に沈めた。

 

 一方、これだけの戦いをしておきながら、()兵の方は……たった2人しか()たれていない。

 

 漢将の呂勝(りょしょう)楊武(ようぶ)は、項羽の異常な強さを見て、はなはだ怒った。

「項羽ッ!

 そんなありさまに成り果てても、まだ我が兵を()ちとるのかッ!

 一体どうしてそうまで強いんだ!」

 

 呂勝(りょしょう)楊武(ようぶ)の2人は、刀を舞わせて項羽に斬りかかった。

 だが、とても(かな)わない。

 10合も戦わないうちに、呂勝(りょしょう)楊武(ようぶ)は、2人そろって敗走してしまった。

 

 

   *

 

 

 結局……

 その日、項羽は1日で9回も漢の大軍と戦い、大将9人と漢兵1千人以上を殺した。

 それでいて、項羽自身は体に1つの傷も受けていないのだ。

 

 戦いが済んだ後、項羽は、生き残りの兵士たちに無邪気に微笑(ほほえ)みかけた。

「どうだ?

 俺が言ったこと、間違(まちが)ってたか?」

 

 兵士たちは、全員そろって拝伏した。

「覇王様は、『3回戦って1人の大将を斬る』と(おっしゃ)ったじゃないですか。

 9回戦って、9人の大将と千人以上の兵を斬りなさるだなんて!」

 

 項羽は、思わず、少年のように笑いだした。

「あはっ!

 そっか。ちょっとやりすぎたかな?」

 

 兵士たちは言った。

「覇王様は、(まこと)の天神であらせられます!」

 

 

(つづく)

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。