龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

223 / 239
巻十三 狡兎死して走狗煮らる
七十四の上 論功行賞


 

 

 覇王項羽は烏江(うこう)で滅び、ついに天下は平定されたが……

 いまだ劉邦に服従する姿勢を見せていない国が、1つだけ、あった。

 山東(さんとう)の魯(ろ)国である。

 

 とはいえ、劉邦は、大して気にもしていない様子だった。

「魯(ろ)は、小さい国だ。

 歯牙(しが)にかけるほどでもないだろ。

 放っておけばいいや」

 

 劉邦は、軍を撤収させ、河南(かなん)に新しい都(みやこ)を建てようと検討しはじめた。

 

 そのとき、軍師張良が、劉邦に謁見(えっけん)して言った。

「漢王様。まだ軍を撤収させては、いけません。

 魯(ろ)は小国とはいえ、平定せぬまま放置するのは、災(わざわ)いの種を後々(のちのち)まで貯めておくようなもの。

 

 ここで帰服させておかねば、遠くないうちに必ず戦(いくさ)となるでしょう。

 そうなってから後悔しても遅いのです」

 

 劉邦は、驚いて目を丸くした。

「ええ?

 魯(ろ)国みたいな小さな国が、どうしてそこまでの害になるんだ?」

 

 張良が答えて言う。

「魯(ろ)国は孔子の出身地であり、礼儀を非常に大切にする国です。

 昔、懐王(かいおう)(義帝)が項羽を封(ほう)じて魯公(ろこう)(魯(ろ)の君主)としましたから、項羽の根本の地でもあります。

 

 このまま放置していたら、魯(ろ)国の人々は、項羽の復讐(ふくしゅう)を為すために義兵を起こすでしょう。

 

 そして、かつて項羽が会稽(かいけい)で兵を起こしたとき、項羽は東呉(とうご)(会稽(かいけい)周辺)の人々の心を強く掴(つか)みました。

 魯(ろ)人が決起すれば、呉(ご)人もまた断固とした決意で応じるでしょう。

 

 魯(ろ)人が東呉(とうご)の豪傑たちをも糾合(きゅうごう)し、その軍勢を借りて荊楚(けいそ)を下し、湖襄(こじょう)を占領したならば、もう簡単には平定できなくなります。

 そうなれば、まさに由々(ゆゆ)しき災(わざわ)いとなります」

 

 劉邦は、納得して、うなずいた。

「分かった。張良先生が教えてくれなかったら、俺は、大間違いをやらかすところだった」

 

 そこで劉邦は、すぐに兵を率(ひき)いて、山東(さんとう)の魯(ろ)へ向かった。

 

 

   *

 

 

 劉邦の軍勢が魯(ろ)の城に到着すると……

 案(あん)の定(じょう)、魯(ろ)城は、城壁上に切れ間なく旗を立て並べ、四方の門を厳重に閉ざして、劉邦の侵入を拒(こば)んだ。

 

 漢軍は、魯(ろ)城を攻め落とすべく、さっそく攻撃を開始した。

 

 だが……

 魯(ろ)城の四方を取り囲み、数日に渡って攻め立てたものの、魯(ろ)城は少しも弱ったり動揺したりする気配がない。

 それどころか、城内からは、琴(こと)を弾(ひ)いて高く歌う声すら聞こえてくる。

 

 劉邦は、少し怒りだした。

「この野郎!

 鉄砲火矢を用意して、一(ひと)揉(も)みに攻め落としてやる!」

 

 そこで張良が諌(いさ)めた。

「不可です!

 魯(ろ)は、周公(しゅうこう)丹(たん)(周(しゅう)の武王の弟)の末裔(まつえい)の国。

 そのため魯(ろ)人は、周(しゅう)の時代の礼儀作法を受け継ぎ、重んじてきました。

 

 孔子もまた、魯(ろ)国の尼山(にさん)に生まれ、代々の帝王の師となりました。

 それゆえ、天下の人々は魯(ろ)国を大変に尊(とうと)んでいるのです。

 

 魯(ろ)人が、漢の大軍を見ても降伏しないのは、漢王様と力で争おうとしているからでは、ありません。

 ただ主(あるじ)である項羽のために、礼節を尽くして死にたいと考えているからです。

 その思いを、力によって捻(ね)じ伏せるべきではありません。

 

 むしろ、魯(ろ)人のやりたいように、思う存分(ぞんぶん)やらせてやりましょう。

 項羽の首を城の前に置き、大義を示しなさいませ。

 そうすれば、魯(ろ)人は自分から帰服してくるでしょう」

 

 劉邦は、張良の言葉に従い、動き出した。

 項羽の首を城壁の下まで運び、魯(ろ)人たちに見せたのである。

 

 城内の長老たちは、項羽の首を見ると、皆(みな)ことごとく悲しみ泣いた。

 

 そこで劉邦は、使者を城壁の前に送り、こう呼びかけさせた。

「覇王項羽は、義帝を弑逆(しいぎゃく)し、人民に残虐(ざんぎゃく)な害を加えた!

 それゆえに、この私、劉邦は、四方の諸侯と相談し、義帝のために喪(も)を発し、縞素(こうそ)(白い喪服(もふく))を着て、義兵をあげた!

 

 その結果、楚(そ)は滅び、天下のために残虐(ざんぎゃく)な賊(ぞく)は取り除かれたのだ!

 

 汝らは、なぜ早く投降しないのか!

 これは、天意に逆らう行いである! 大義を知らぬ者のやることである!

 聖人の教えにも恥じる行為ではないのか!」

 

 魯(ろ)の長老は、これを聞き……

 ついに、城門を開いて降伏した。

 

 劉邦は、城内に入ると、まず人民を安心させる政策を敷いた。

 それから、項羽の首と胴体を一緒にして、穀城(こくじょう)の東15里のところに葬(ほうむ)った。

 

 葬儀にあたり、項羽を尊重して『魯公(ろこう)』の号を承認し……

 霊廟(れいびょう)も建てて、司祭に季節ごとの祭礼を行うよう命(めい)じたのだった。

 

 

   *

 

 

 魯(ろ)が降伏したことで、天下の平定は、すべて完了した。

 

 斉(せい)王韓信は、大小の諸侯、文武の将士と一緒に、劉邦に祝賀の言葉を奏(そう)した。

 それから韓信は、楚(そ)討伐(とうばつ)のため集結していた各勢力に帰国を許してもらえるよう、劉邦に願い出た。

 

 劉邦も、うなずいた。

「そうだな。もう引き上げてもらって大丈夫だろう」

 

 というわけで、次の日。

 劉邦から下知(げち)が出た。

「もろもろの諸侯は、自分の軍馬を率(ひき)いて、それぞれの領国へ帰ってよし。

 それ以外の大小文武の将士については、洛陽(らくよう)へ行った後、それぞれの功労を論じて、恩賞を行う(論功行賞)」

 

 しかし、その一方……

 劉邦は、胸の中に、こんな不安を抱えてもいた。

 

「韓信は、斉(せい)の70以上の城を支配している。

 斉(せい)は大国だし、その王の権限は重い。

 このままにしておいたら、後々、韓信が何かや(・)ら(・)か(・)す(・)かもしれない……

 

 そうだ!

 楚(そ)国は、中国の隅(すみ)のほうにある、荊蛮(けいばん)の地(南の田舎)だ。

 たとえ数万の軍勢を持っていても、楚(そ)にいたら、簡単に反乱は起こせないだろう。

 

 斉(せい)に比べれば、はるかに弱小な国でもあるし……

 よし! 韓信は、楚(そ)に移らせよう!」

 

 

   *

 

 

 次の日。

 劉邦は、韓信を呼び、猫なで声で言った。

 

「いやあ、韓信将軍の力は、すごかったなあ!

 俺が韓信将軍を得てからというもの、行くところ行くところ勝たないということ無しで、とうとう天下を平定してしまった。

 韓信将軍が大きな功績を積み重ねてくれたことは、一生、忘れられないよ!

 

 でも、俺は、ちょっと不安なんだ。

 韓信将軍の功績や権力が、あまりにも大きいから、小人(しょうじん)(つまらない人間)に嫉妬(しっと)されて、今の地位を長く保てないんじゃないか、ってな。

 

 俺は、韓信将軍を最後まで大切にしたいと思ってきた。

 だから、韓信将軍を、そんな危険に晒(さら)したくはない。

 

 そこでだ。今のうちに大元帥の印章を返上し、退任してはどうかな?

 そして、韓信将軍には、楚(そ)の地の守りについてほしい。

 楚(そ)の人心を安定させ、君臣の義理を果たし、その功績を1万代先の未来まで伝えてくれ」

 

 韓信は、これを聞いて愕然(がくぜん)とした。

 大元帥の印章を返せ……と言われれば、返さないわけには、いかない。

 韓信は、他にどうすることもできず、言われるままに大元帥の印章を返上した。

 

 こうして、韓信の指揮下にあった大小の将士は、すべて韓信の元から去り、劉邦の指揮下に入ることとなった。

 

 しかし、もう1つの要求は……斉(せい)から楚(そ)への改封(かいほう)(別の領地に封(ほう)じなおすこと)については、そう簡単には受け入れられない。

 

 韓信は、劉邦に奏上した。

「漢王様が、臣を斉(せい)王に封(ほう)じなさってから、もう長い時間が経ちました。

 斉(せい)の国民も私に馴染(なじ)んでおりますし、いまさら改封(かいほう)なさるのは、良いことではないと思いますが……」

 

 劉邦は、大げさに嘆(なげ)いてみせた。

「いやいや! 韓信将軍は間違(まちが)ってるぞ!

 

 今までは、漢と楚(そ)がお互いに争っていたから、人々の心も安定していなかった。

 特に斉(せい)国は、裏切りや謀反(むほん)の多い国だ。

 だから韓信将軍を斉(せい)に封(ほう)じて、守ってもらってたわけだ。

 

 ところが今では、天下は完全に平定されて、四海(世界)はガラッと一新された。

 反乱が起きる恐れもなくなったから、無理に斉(せい)に、こだわらなくてもいい。

 どこの国に封(ほう)じたって大丈夫だろう?

 

 韓信将軍は、楚(そ)の淮陰(わいいん)の出身じゃないか。

 将軍にとって、楚(そ)は、まさに父母の国。

 しかも、楚(そ)を滅ぼしたのは韓信将軍の力なわけだから、将軍が攻め取った地を将軍のものとするのは、道理にかなってるよな?

 

 そういうわけで、将軍を楚(そ)王に封(ほう)じることにしたんだ。

 斉(せい)より楚(そ)の方が格下だから、とか、そんなことを考えて決めたわけじゃないよ!

 まあ、変に勘(かん)ぐらないでくれよ。な?」

 

 劉邦に、こう言われてしまっては、韓信としても、面と向かって拒否するわけにはいかず……

 韓信は、不本意ながら斉(せい)王の印章を劉邦に返し、代わりに楚(そ)王の印章(いんしょう)を受け取って、楚(そ)国に向かったのだった。

 

 

(つづく)

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。