覇王項羽は烏江で滅び、ついに天下は平定されたが……
いまだ劉邦に服従する姿勢を見せていない国が、1つだけ、あった。
山東の魯国である。
とはいえ、劉邦は、大して気にもしていない様子だった。
「魯は、小さい国だ。
歯牙にかけるほどでもないだろ。
放っておけばいいや」
劉邦は、軍を撤収させ、河南に新しい都を建てようと検討しはじめた。
そのとき、軍師張良が、劉邦に謁見して言った。
「漢王様。まだ軍を撤収させては、いけません。
魯は小国とはいえ、平定せぬまま放置するのは、災いの種を後々まで貯めておくようなもの。
ここで帰服させておかねば、遠くないうちに必ず戦となるでしょう。
そうなってから後悔しても遅いのです」
劉邦は、驚いて目を丸くした。
「ええ?
魯国みたいな小さな国が、どうしてそこまでの害になるんだ?」
張良が答えて言う。
「魯国は孔子の出身地であり、礼儀を非常に大切にする国です。
昔、懐王(義帝)が項羽を封じて魯公(魯の君主)としましたから、項羽の根本の地でもあります。
このまま放置していたら、魯国の人々は、項羽の復讐を為すために義兵を起こすでしょう。
そして、かつて項羽が会稽で兵を起こしたとき、項羽は東呉(会稽周辺)の人々の心を強く掴みました。
魯人が決起すれば、呉人もまた断固とした決意で応じるでしょう。
魯人が東呉の豪傑たちをも糾合し、その軍勢を借りて荊楚を下し、湖襄を占領したならば、もう簡単には平定できなくなります。
そうなれば、まさに由々しき災いとなります」
劉邦は、納得して、うなずいた。
「分かった。張良先生が教えてくれなかったら、俺は、大間違いをやらかすところだった」
そこで劉邦は、すぐに兵を率いて、山東の魯へ向かった。
*
劉邦の軍勢が魯の城に到着すると……
案の定、魯城は、城壁上に切れ間なく旗を立て並べ、四方の門を厳重に閉ざして、劉邦の侵入を拒んだ。
漢軍は、魯城を攻め落とすべく、さっそく攻撃を開始した。
だが……
魯城の四方を取り囲み、数日に渡って攻め立てたものの、魯城は少しも弱ったり動揺したりする気配がない。
それどころか、城内からは、琴を弾いて高く歌う声すら聞こえてくる。
劉邦は、少し怒りだした。
「この野郎!
鉄砲火矢を用意して、一揉みに攻め落としてやる!」
そこで張良が諌めた。
「不可です!
魯は、周公丹(周の武王の弟)の末裔の国。
そのため魯人は、周の時代の礼儀作法を受け継ぎ、重んじてきました。
孔子もまた、魯国の尼山に生まれ、代々の帝王の師となりました。
それゆえ、天下の人々は魯国を大変に尊んでいるのです。
魯人が、漢の大軍を見ても降伏しないのは、漢王様と力で争おうとしているからでは、ありません。
ただ主である項羽のために、礼節を尽くして死にたいと考えているからです。
その思いを、力によって捻じ伏せるべきではありません。
むしろ、魯人のやりたいように、思う存分やらせてやりましょう。
項羽の首を城の前に置き、大義を示しなさいませ。
そうすれば、魯人は自分から帰服してくるでしょう」
劉邦は、張良の言葉に従い、動き出した。
項羽の首を城壁の下まで運び、魯人たちに見せたのである。
城内の長老たちは、項羽の首を見ると、皆ことごとく悲しみ泣いた。
そこで劉邦は、使者を城壁の前に送り、こう呼びかけさせた。
「覇王項羽は、義帝を弑逆し、人民に残虐な害を加えた!
それゆえに、この私、劉邦は、四方の諸侯と相談し、義帝のために喪を発し、縞素(白い喪服)を着て、義兵をあげた!
その結果、楚は滅び、天下のために残虐な賊は取り除かれたのだ!
汝らは、なぜ早く投降しないのか!
これは、天意に逆らう行いである! 大義を知らぬ者のやることである!
聖人の教えにも恥じる行為ではないのか!」
魯の長老は、これを聞き……
ついに、城門を開いて降伏した。
劉邦は、城内に入ると、まず人民を安心させる政策を敷いた。
それから、項羽の首と胴体を一緒にして、穀城の東15里のところに葬った。
葬儀にあたり、項羽を尊重して『魯公』の号を承認し……
霊廟も建てて、司祭に季節ごとの祭礼を行うよう命じたのだった。
*
魯が降伏したことで、天下の平定は、すべて完了した。
斉王韓信は、大小の諸侯、文武の将士と一緒に、劉邦に祝賀の言葉を奏した。
それから韓信は、楚討伐のため集結していた各勢力に帰国を許してもらえるよう、劉邦に願い出た。
劉邦も、うなずいた。
「そうだな。もう引き上げてもらって大丈夫だろう」
というわけで、次の日。
劉邦から下知が出た。
「もろもろの諸侯は、自分の軍馬を率いて、それぞれの領国へ帰ってよし。
それ以外の大小文武の将士については、洛陽へ行った後、それぞれの功労を論じて、恩賞を行う(論功行賞)」
しかし、その一方……
劉邦は、胸の中に、こんな不安を抱えてもいた。
「韓信は、斉の70以上の城を支配している。
斉は大国だし、その王の権限は重い。
このままにしておいたら、後々、韓信が何かやらかすかもしれない……
そうだ!
楚国は、中国の隅のほうにある、荊蛮の地(南の田舎)だ。
たとえ数万の軍勢を持っていても、楚にいたら、簡単に反乱は起こせないだろう。
斉に比べれば、はるかに弱小な国でもあるし……
よし! 韓信は、楚に移らせよう!」
*
次の日。
劉邦は、韓信を呼び、猫なで声で言った。
「いやあ、韓信将軍の力は、すごかったなあ!
俺が韓信将軍を得てからというもの、行くところ行くところ勝たないということ無しで、とうとう天下を平定してしまった。
韓信将軍が大きな功績を積み重ねてくれたことは、一生、忘れられないよ!
でも、俺は、ちょっと不安なんだ。
韓信将軍の功績や権力が、あまりにも大きいから、小人(つまらない人間)に嫉妬されて、今の地位を長く保てないんじゃないか、ってな。
俺は、韓信将軍を最後まで大切にしたいと思ってきた。
だから、韓信将軍を、そんな危険に晒したくはない。
そこでだ。今のうちに大元帥の印章を返上し、退任してはどうかな?
そして、韓信将軍には、楚の地の守りについてほしい。
楚の人心を安定させ、君臣の義理を果たし、その功績を1万代先の未来まで伝えてくれ」
韓信は、これを聞いて愕然とした。
大元帥の印章を返せ……と言われれば、返さないわけには、いかない。
韓信は、他にどうすることもできず、言われるままに大元帥の印章を返上した。
こうして、韓信の指揮下にあった大小の将士は、すべて韓信の元から去り、劉邦の指揮下に入ることとなった。
しかし、もう1つの要求は……斉から楚への改封(別の領地に封じなおすこと)については、そう簡単には受け入れられない。
韓信は、劉邦に奏上した。
「漢王様が、臣を斉王に封じなさってから、もう長い時間が経ちました。
斉の国民も私に馴染んでおりますし、いまさら改封なさるのは、良いことではないと思いますが……」
劉邦は、大げさに嘆いてみせた。
「いやいや! 韓信将軍は間違ってるぞ!
今までは、漢と楚がお互いに争っていたから、人々の心も安定していなかった。
特に斉国は、裏切りや謀反の多い国だ。
だから韓信将軍を斉に封じて、守ってもらってたわけだ。
ところが今では、天下は完全に平定されて、四海(世界)はガラッと一新された。
反乱が起きる恐れもなくなったから、無理に斉に、こだわらなくてもいい。
どこの国に封じたって大丈夫だろう?
韓信将軍は、楚の淮陰の出身じゃないか。
将軍にとって、楚は、まさに父母の国。
しかも、楚を滅ぼしたのは韓信将軍の力なわけだから、将軍が攻め取った地を将軍のものとするのは、道理にかなってるよな?
そういうわけで、将軍を楚王に封じることにしたんだ。
斉より楚の方が格下だから、とか、そんなことを考えて決めたわけじゃないよ!
まあ、変に勘ぐらないでくれよ。な?」
劉邦に、こう言われてしまっては、韓信としても、面と向かって拒否するわけにはいかず……
韓信は、不本意ながら斉王の印章を劉邦に返し、代わりに楚王の印章を受け取って、楚国に向かったのだった。
(つづく)