龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】 作:外清内ダク
かくして、韓信は
韓信が
1人は、
もう1人は、
そう……
まだ韓信が無名であったころ、
韓信に
10日ほどで、
2人は韓信の宮殿に招き入れられ、韓信の前まで案内されたが……
2人とも、震え恐れて床に拝伏し、韓信を見上げようともしなかった。
韓信は、苦笑した。
「ま、そんなに怖がらなくてよろしい。
おい、用意しておいたものを」
と、韓信は部下に
すると部下は、なんと、千両もの黄金を
「私が昔、
私は、汝の思いやりに感じ入って、『いつか裕福になったら、手厚くご恩返しをしよう』と言ったな。
あのとき汝は、怒って、こう言った。
『いい年をした男が自分で飯の種を稼ぐこともできない。それを憐れんで食事を恵んでやったんだ。恩返しなんか期待してると思うのか!』
ふふふ……期待していなかった恩返しを受けて、今の気持ちは、どうかね?」
この
次に韓信は、例の不良青年に目を向けた。
韓信が名を上げれば上げるほど、『
今や『韓信の
その『
当然、不良青年は、どんな罰が与えられるのかと、恐れ
韓信は、誰もが予想だにしないことを口にした。
「汝を
不良青年は、驚きのあまり凍り付いた。
この当時の
不良青年は、おそるおそる
「あのう、わたくしめは、まったくバカで粗野な田舎者でしたから、あなた様が、こんなに
まさか、
これは、一体どういうわけで……?」
韓信は、真顔になって答えた。
「
この私が、そんなマネを、すると思うのか?
とにかく、辞退せずに引き受けたまえ」
不良青年は、わけも分からぬまま、恩に感謝する言葉を述べて、退出していった。
その後で、韓信は、左右の部下に言った。
「あの男は壮士(勇敢な若者)だよ。
昔、彼が私を
私は、あの屈辱に耐えることで、今の地位を手に入れたのだ。
つまり、あの若者は、私が功績を建てるのを助けてくれたようなものだ。
それゆえ、彼に官職を与えることにしたのだよ」
韓信の部下たちは、感嘆した。
「これぞまさに、『徳をもって
並の人間に、できることではありませんよ」
*
さて、その年の正月。
「ついに争いが終わって天下が静かになり、人民が
そこで……
漢王様は、今こそ皇帝に即位なさって、民衆を安心させてくださいませ」
劉邦は、目を丸くした。
「皇帝だって? 始皇帝と同じ
でも、俺は聞いたことがあるぞ。
『帝の
根拠のない言葉や嘘の言葉を語る者が、ついてよい
俺は才能も無いし、人徳も薄いし……
皇帝なんて、とても無理だよ」
しかし、群臣は口々に言った。
「漢王様は、ごく小さな勢力から始めて、暴虐の
そして、功績のある者は、ことごとく領地を与えて王侯に
しかし、よくお考えください。
我々が
どうか漢王様、皇帝という
「いや、でもなあ……」
と、劉邦は3度にわたって固辞した。
しかし、群臣は、しつこく皇帝即位を
とうとう劉邦は
「……よし、わかった。
俺が皇帝になることが、国家のために有益だっていうなら、これ以上『嫌だ』とも言えないな」
*
群臣は日を占い、2月の
車を用意して劉邦を迎え入れ、
儀式が済んだ後、劉邦は
『
しかし、そのために四海(世界)に紛争が起き、二世皇帝の代には、ますます
しかし上天の助けと祖先の霊の
群臣たちが、
そこで
これより天下すべてを平定し、国名を号して大漢とし、
そして、同じ日に
さらに、
これまで
以上、天下に布告し、あまねく人民に知らせる』
かくして、劉邦は、ついに皇帝の
文武の百官は、
(つづく)
●注釈
(1)
韓信が
若い頃の韓信は貧乏で素行が悪く、商売をして稼ぐこともできなかったので、南昌という
のちに
『貴公は
……これを言うためにわざわざ呼びつけるあたりが、まことに韓信らしい。
(2)
本編に『
これは、山の場合は南が陽で北が陰、川の場合は北が陽で南が陰とされるため。「春秋穀梁伝・僖公二十八年」に『水の北を陽という。山の南を陽という』とあるほか、最古の漢字字典「説文解字・ 部」には『陰:闇のこと。水の南、山の北のこと』とある。
なぜ山と川で陰陽の方角が逆になるのかというと、陽光の当たりやすさが理由らしい。山の南側斜面は太陽に面していて明るい。また、川の北側の土地は、南方に遮蔽物がないため陽光が当たりやすい。それゆえに『陽』であるのだという。
この考え方は、各地の地名にも反映されている。たとえば、我が国では中国山地の南側を山陽、北側を山陰と呼ぶ。本編に登場した地名の中では、韓信の出身地
(3)
劉邦が皇帝に即位した日が『大漢5年2月の
史書に目を向けると、「史記・高祖本紀」や「漢書・高帝紀」ではともに『大漢5年(2月の)
以前にも注釈で説明したが、当時の