それから、しばしの平和な時が流れた。
同じ年の夏5月。
皇帝劉邦は、洛陽南の宮殿で酒宴を開き、群臣の労をねぎらった。
みんなが数杯ずつ酒を飲み、宴もたけなわというところで、劉邦は、宴会での雑談として、こんな質問をした。
「ここにいる列侯や諸将に訊いてみたいことがあるんだ。
心の中で思ってることを、隠さずに答えてくれよ。
俺は、元々は、しがない泗水の亭長でしかなかったけど、こうして天下を手に入れることができた。
しかし項羽は、鼎を持ちあげるほどの力を持ち、気迫は山を貫き、武勇は天下無敵というほどだったが、とうとう天下を失ってしまった。
これは、一体どうしてだと思う?
遠慮せずに思ったことを言ってくれ。どうだ?」
そこで、大将の高起が答えた。
「皇帝陛下は、高慢で、人を侮る性格です。
そして項羽は、仁(優しさ)の心を持っていて、よく人を愛しました。
しかし、皇帝陛下は、部下に城を攻めさせ、土地を攻略させ、功績をあげたときには、重く恩賞を与えてくださいます。
それゆえ、天下の人々は、皇帝陛下と利害が一致いたします。
これが天下を手に入れなさった理由でしょう」
また、王陵も答えた。
「確かに項羽には仁の心がありました。
寒さで凍えている人を見たら涙を流し、自分の着ている衣服を脱いで、その人に与えたそうです。
また、飢えた人を見たら、憐れんで、自分の食糧を分け与えたとも聞きます。
その一方、項羽は、能力のある者や賢い者には嫉妬します。
功績のある者には恩賞を与えるどころか害を加え、賢者のことは疑ってかかります。
戦で勝っても他人の功績を評価しようとはせず、土地を攻め取っても他人に利益を与えようとしない。
これが、項羽が天下を失った理由と思います」
劉邦は、にやり、と笑った。
「お前たちは、理由の1つは知っているみたいだが、2つ目のことは知らないみたいだな。
帷幕の中で策略を巡らせたり、千里も離れたところで勝利を決定づけたりする知恵では、俺は張良先生に敵わない。
国家を安定させ、人民の心を宥め、食糧を運送し続けて全軍を養うことにかけては、俺より蕭何のほうが上だ。
100万の軍勢を率いて、戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず取るようなことでは、俺は韓信に全く及ばない。
この3人は、みんな人傑(極めて優れた人物)だよ。
そして俺は、そういう人傑たちを用いることができた。
これが、俺が天下を得た理由だ。
ところが項羽は、たった1人の范増さえ、うまく用いることができなかった。
忠義の諌言を拒んで韓生を煮殺したことも、あったっけな。
これが、項羽が負けて天下を失った理由なんだ」
これを聞くと、群臣は地に拝伏して言った。
「まさに、陛下の仰る通りです!」
そして、それからまた数回ずつ盃を傾け、君臣いっしょに歌い楽しみ、喜び合った。
劉邦も、気持ちよく酔っぱらって、実に上機嫌だった。
そのとき、韓信が、劉邦の上機嫌に乗じて言った。
「ところで皇帝陛下。
昔、臣が楚を離反して漢中に入った時、山の中で道に迷い、後ろからは追手が迫って来ていて、困り果てたことがありました。
そのとき、山中で出会った1人の樵に、道を尋ねました。
しかし臣は、『楚の兵が、この樵から話を聞いて、また追ってくるのではないか』と恐れ……
我ながら無情なことに、樵を斬殺し、口を封じてしまったのです。
臣が陛下のもとで功績を立てられたのは、そのことがあったからこそです。
さらに、その後、孤雲山・両脚山にたどり着いたとき、辛奇という義士に出会いました。
辛奇は臣に従って楚討伐のために何度も大きな功績を立てました。
しかし、広武山の大戦のとき、辛奇は討ち死にしてしまったのです。
今に至るも、まだ辛奇には恩賞が与えられておりません。
どうか、お願いでございます。
あの樵のために祠を建て、祭祀を行うよう命じてくださいませ。
そして辛奇には官位を贈り、それを辛奇の子孫が受け継げるように、していただけないでしょうか?
さすれば、皇帝陛下の恩徳が枯れ果てた骨にまで及び、殷の湯王や周の武王の大きな徳に並ぶものとなりましょう」
劉邦は驚いた。
「そんなことがあったのか!
韓信、もし卿が教えてくれなかったら、その樵が道を教えてくれたことや、辛奇が功績を立てながら陣没したことは、知らないままだったろう。
あやうく義理を欠くところだったぜ」
そこで、翌日。
劉邦は詔を下し、例の樵の祠を建てて、四季の祭祀を行うよう命じた。
また、辛奇には建忠侯の位を贈り、子孫が世襲できるように、はからったのだった。
*
さて、ある日。
張良が、劉邦に、こう奏上した。
「かつて、我が主の韓王は、項羽によって殺害されました。
陛下には以前、亡き韓王の孫の姫信を、新たな韓王に封じていただきましたが……
天下が平定された今、あらためて姫信を正式に韓王として認め、陽翟を都として韓王室の宗廟を建てることを、お許しくださいませ」
張良の願いは、すぐに聞き入れられた。
かくして、張良の悲願であった祖国韓の再興は、ついに成し遂げられたのだった。
*
また、王陵は、
「亡き母のために祠を建てたいのです」
と劉邦に奏上した。
劉邦は、涙ぐみながら、うなずいた。
「王陵、汝のお母さんは、賢い人だったなあ。
俺がこうして天下を取ることを予測して、王陵が項羽の方に行かないように気を配ってくれたんだ……」
劉邦は、すぐに祠を建て、香や蝋燭を毎月下賜して、怠たりなく祭祀を行わせた。
このとき建てられた王陵の母の祠の遺跡は、今でも沛県に残っているという。
*
衡山王呉芮は、項羽によって王に封ぜられた人物である。
しかし、その後、項羽から離反し、劉邦に帰服した。
その功績によって、呉芮は長沙王に改封され、臨湘に都を置くこととなった。
また、淮南王英布、梁王彭越、燕王臧荼は、いずれも現在の領土を安堵された。
そして、劉賈をはじめとする劉氏一族は、ことごとく王に封ぜられ……
蕭何などの功臣20人あまりも、列侯に封ぜられた。
*
と、このように、論功行賞は順次、進んでいったのだが……
なにしろ、楚漢の戦争は、未曾有の大乱だった。
劉邦に味方した人間は数え切れぬほどであり、その功績を1人1人評価していくだけでも、とほうもない時間がかかる。
韓信や蕭何のように、誰の目から見ても大きな功績がある臣ならば、まだしも……
『本当にこの人に功績があったのか?』、『あったとすれば、その大きさは、どの程度か?』などと議論が必要になるような臣は、ますますもって、恩賞の決定が遅れてしまう。
恩賞が宙ぶらりんになった者たちは、当然、不安に駆られだす。
そんなわけで……
まだ恩賞の沙汰が下っていない者たちが、あちらに5人、こちらに3人、と寄り集まり、何事かヒソヒソ語り合っている様子が、朝廷のあちこちで見られるようになった。
*
ある日、劉邦が高楼から下を眺めていると、数人の臣が密談しているのが目に入った。
劉邦は不思議に思い、張良に尋ねた。
「なあ、張良先生。
あいつら、いったい何をコソコソ話してるんだろう?」
張良は答えた。
「皇帝陛下が天下をお取りになれたのは、強い将も、弱い将も、親しい将も、疎遠な将も、みんなで陛下に忠誠を尽くし、力と心を合わせて戦ったおかげです。
しかし今、陛下が恩賞を与えなさったのは、みんな陛下が親しみ愛しておられる者ばかり。
そして、陛下が誅殺なさったのは、みんな陛下が怨んでおられる者ばかりです。
そのため、まだ賞罰が決定していない者たちは、自分は一体どうなるのかと不安に駆られて恐れ慄き、謀反を企てて、あんなふうに相談しているのですよ」
劉邦は、飛び上がって驚いた。
「謀反だってえ!?
大変じゃないか! 一体どうやって止めたらいいんだ?」
すると、張良は尋ねた。
「陛下が普段から非常に憎んでおられて、そのことが群臣にも知れ渡っている者は、誰ですか?」
劉邦は答える。
「雍歯だ。俺、あいつが嫌いだ」
張良が、また尋ねる。
「では、陛下が常に深く愛しておられる者は、誰ですか?」
劉邦が言う。
「丁公だな」
張良は、うなずいた。
「なるほど。雍歯と丁公ですか。
あの2人は、漢楚の戦いの途中で漢に寝返ってきましたが、元々は楚に仕える臣でした。
昔、陛下が睢水で大敗なさったとき、項羽の命によって陛下を追撃したのが、まさに雍歯と丁公でしたね。
(第四十七回参照)
あのとき、雍歯は主の命令をしっかりと守り、力を尽くして陛下を追いかけました。
これすなわち忠臣ございます。
ですから、すぐに雍歯を侯に封じなさいませ。
一方、丁公は、皇帝陛下を見逃して助けました。
これは主の命令に反する行い。すなわち丁公は不忠の人でございます。
すぐに丁公を誅殺なさいませ。
そうすれば、すぐに人々の不安は解消されるでしょう」
*
劉邦は、張良の言葉に従って、すぐに雍歯を呼んで什方侯に封じた。
一方、丁公のほうは市街に引き出して首を刎ね、晒しものとして全軍に見せつけた。
群臣は、みんな喜んだ。
「雍歯ほど陛下に憎まれている男でも、侯に封ぜられたんだ。
これなら、私のことも心配ないな。
安心して、皇帝陛下に忠義を尽くして仕えよう。
そして、丁公のように主を裏切れば、命を失うことになるんだ。
ああならないように気を付けよう」
こうして群臣の不安は解消され、寄り集まって不安を口にするようなことも、なくなったのだった。
(つづく)
■次回予告■
忠義の臣も武勇の猛者も負ければたちまち日陰者。季布、鍾離昧、そして田横、追及恐れて闇から闇へ逃れ続ける敵将たちに皇帝劉邦の手が伸びる。
果たして逃亡者たちの命運や、いかに。
次回「龍虎戦記」第七十五回
『逃亡者たちの行方』
乞う、ご期待!