龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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七十四の下 論功行賞

 

 

 それから、しばしの平和な時が流れた。

 

 同じ年の夏5月。

 皇帝劉邦は、洛陽(らくよう)南の宮殿で酒宴を開き、群臣の労をねぎらった。

 

 みんなが数杯ずつ酒を飲み、宴もたけなわというところで、劉邦は、宴会での雑談として、こんな質問をした。

「ここにいる列侯や諸将に()いてみたいことがあるんだ。

 心の中で思ってることを、隠さずに答えてくれよ。

 

 俺は、元々は、しがない泗水(しすい)の亭長でしかなかったけど、こうして天下を手に入れることができた。

 しかし項羽は、(かなえ)を持ちあげるほどの力を持ち、気迫は山を貫き、武勇は天下無敵というほどだったが、とうとう天下を失ってしまった。

 

 これは、一体どうしてだと思う?

 遠慮せずに思ったことを言ってくれ。どうだ?」

 

 そこで、大将の高起が答えた。

「皇帝陛下は、高慢で、人を(あなど)る性格です。

 そして項羽は、(じん)(優しさ)の心を持っていて、よく人を愛しました。

 

 しかし、皇帝陛下は、部下に城を攻めさせ、土地を攻略させ、功績をあげたときには、重く恩賞を与えてくださいます。

 それゆえ、天下の人々は、皇帝陛下と利害が一致いたします。

 これが天下を手に入れなさった理由でしょう」

 

 また、王陵も答えた。

「確かに項羽には(じん)の心がありました。

 寒さで(こご)えている人を見たら涙を流し、自分の着ている衣服を脱いで、その人に与えたそうです。

 また、()えた人を見たら、(あわ)れんで、自分の食糧を分け与えたとも聞きます。

 

 その一方、項羽は、能力のある者や賢い者には嫉妬(しっと)します。

 功績のある者には恩賞を与えるどころか害を加え、賢者のことは疑ってかかります。

 (いくさ)で勝っても他人の功績を評価しようとはせず、土地を攻め取っても他人に利益を与えようとしない。

 これが、項羽が天下を失った理由と思います」

 

 劉邦は、にやり、と笑った。

「お前たちは、理由の1つは知っているみたいだが、2つ目のことは知らないみたいだな。

 

 帷幕(いばく)の中で策略を巡らせたり、千里も離れたところで勝利を決定づけたりする知恵では、俺は張良先生に(かな)わない。

 国家を安定させ、人民の心を(なだ)め、食糧を運送し続けて全軍を養うことにかけては、俺より蕭何(しょうか)のほうが上だ。

 100万の軍勢を(ひき)いて、戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず取るようなことでは、俺は韓信に全く及ばない。

 

 この3人は、みんな人傑(じんけつ)(極めて優れた人物)だよ。

 そして俺は、そういう人傑(じんけつ)たちを用いることができた。

 これが、俺が天下を得た理由だ。

 

 ところが項羽は、たった1人の范増(はんぞう)さえ、うまく用いることができなかった。

 忠義の諌言(かんげん)(こば)んで韓生(かんせい)煮殺(にころ)したことも、あったっけな。

 

 これが、項羽が負けて天下を失った理由なんだ」

 

 これを聞くと、群臣は地に拝伏して言った。

「まさに、陛下の(おっしゃ)る通りです!」

 

 そして、それからまた数回ずつ(さかずき)を傾け、君臣いっしょに歌い楽しみ、喜び合った。

 劉邦も、気持ちよく酔っぱらって、実に上機嫌だった。

 

 そのとき、韓信が、劉邦の上機嫌に乗じて言った。

「ところで皇帝陛下。

 昔、臣が()を離反して漢中に入った時、山の中で道に迷い、後ろからは追手が迫って来ていて、困り果てたことがありました。

 

 そのとき、山中(さんちゅう)で出会った1人の(きこり)に、道を(たず)ねました。

 しかし臣は、『()の兵が、この(きこり)から話を聞いて、また追ってくるのではないか』と恐れ……

 我ながら無情なことに、(きこり)を斬殺し、口を(ふう)じてしまったのです。

 

 臣が陛下のもとで功績を立てられたのは、そのことがあったからこそです。

 

 さらに、その後、孤雲山(こうんざん)両脚山(りょうきゃくざん)にたどり着いたとき、辛奇(しんき)という義士(ぎし)に出会いました。

 辛奇(しんき)は臣に従って()討伐(とうばつ)のために何度も大きな功績を立てました。

 

 しかし、広武(こうぶ)(さん)の大戦のとき、辛奇(しんき)()()にしてしまったのです。

 今に至るも、まだ辛奇(しんき)には恩賞が与えられておりません。

 

 どうか、お願いでございます。

 あの(きこり)のために(ほこら)を建て、祭祀(さいし)を行うよう(めい)じてくださいませ。

 そして辛奇(しんき)には官位を(おく)り、それを辛奇(しんき)の子孫が受け継げるように、していただけないでしょうか?

 

 さすれば、皇帝陛下の恩徳が枯れ果てた骨にまで及び、(いん)湯王(とうおう)(しゅう)の武王の大きな徳に並ぶものとなりましょう」

 

 劉邦は驚いた。

「そんなことがあったのか!

 韓信、もし(けい)が教えてくれなかったら、その(きこり)が道を教えてくれたことや、辛奇(しんき)が功績を立てながら陣没したことは、知らないままだったろう。

 あやうく義理を欠くところだったぜ」

 

 そこで、翌日。

 劉邦は(みことのり)(くだ)し、例の(きこり)(ほこら)を建てて、四季の祭祀(さいし)を行うよう(めい)じた。

 

 また、辛奇(しんき)には建忠(けんちゅう)(こう)(くらい)を贈り、子孫が世襲できるように、はからったのだった。

 

 

   *

 

 

 さて、ある日。

 張良が、劉邦に、こう奏上した。

「かつて、我が(あるじ)(かん)王は、項羽によって殺害されました。

 陛下には以前、亡き(かん)王の孫の姫信(きしん)を、新たな(かん)王に(ほう)じていただきましたが……

 

 天下が平定された今、あらためて姫信(きしん)を正式に(かん)王として認め、陽翟(ようてき)(みやこ)として(かん)王室の宗廟(そうびょう)を建てることを、お許しくださいませ」

 

 張良の願いは、すぐに聞き入れられた。

 かくして、張良の悲願であった祖国(かん)の再興は、ついに成し遂げられたのだった。

 

 

   *

 

 

 また、王陵は、

「亡き母のために(ほこら)を建てたいのです」

 と劉邦に奏上した。

 

 劉邦は、涙ぐみながら、うなずいた。

「王陵、汝のお母さんは、賢い人だったなあ。

 俺がこうして天下を取ることを予測して、王陵が項羽の方に行かないように気を配ってくれたんだ……」

 

 劉邦は、すぐに(ほこら)を建て、(こう)蝋燭(ろくそく)を毎月下賜(かし)して、(おこ)たりなく祭祀(さいし)を行わせた。

 

 このとき建てられた王陵の母の(ほこら)の遺跡は、今でも沛県(はいけん)に残っているという。

 

 

   *

 

 

 衡山(こうざん)呉芮(ごぜい)は、項羽によって王に(ほう)ぜられた人物である。

 しかし、その後、項羽から離反し、劉邦に帰服した。

 その功績によって、呉芮(ごぜい)長沙(ちょうさ)王に改封(かいほう)され、臨湘(りんしょう)(みやこ)を置くこととなった。

 

 また、淮南(わいなん)王英布、(りょう)彭越(ほうえつ)(えん)臧荼(ぞうと)は、いずれも現在の領土を安堵(あんど)された。

 

 そして、劉賈(りゅうか)をはじめとする(りゅう)氏一族は、ことごとく王に(ほう)ぜられ……

 

 蕭何(しょうか)などの功臣20人あまりも、列侯に(ほう)ぜられた。

 

 

   *

 

 

 と、このように、論功行賞は順次、進んでいったのだが……

 なにしろ、()漢の戦争は、未曾有(みぞう)の大乱だった。

 劉邦に味方した人間は数え切れぬほどであり、その功績を1人1人評価していくだけでも、とほうもない時間がかかる。

 

 韓信や蕭何(しょうか)のように、誰の目から見ても大きな功績がある臣ならば、まだしも……

 『本当にこの人に功績があったのか?』、『あったとすれば、その大きさは、どの程度か?』などと議論が必要になるような臣は、ますますもって、恩賞の決定が遅れてしまう。

 

 恩賞が(ちゅう)ぶらりんになった者たちは、当然、不安に駆られだす。

 

 そんなわけで……

 まだ恩賞の沙汰(さた)(くだ)っていない者たちが、あちらに5人、こちらに3人、と寄り集まり、何事(なにごと)かヒソヒソ語り合っている様子が、朝廷のあちこちで見られるようになった。

 

 

   *

 

 

 ある日、劉邦が高楼(こうろう)から下を(なが)めていると、数人の臣が密談(みつだん)しているのが目に入った。

 

 劉邦は不思議に思い、張良に(たず)ねた。

「なあ、張良先生。

 あいつら、いったい何をコソコソ話してるんだろう?」

 

 張良は答えた。

「皇帝陛下が天下をお取りになれたのは、強い将も、弱い将も、親しい将も、疎遠な将も、みんなで陛下に忠誠を尽くし、力と心を合わせて戦ったおかげです。

 

 しかし今、陛下が恩賞を与えなさったのは、みんな陛下が親しみ愛しておられる者ばかり。

 そして、陛下が誅殺(ちゅうさつ)なさったのは、みんな陛下が(うら)んでおられる者ばかりです。

 

 そのため、まだ賞罰が決定していない者たちは、自分は一体どうなるのかと不安に駆られて恐れ(おのの)き、謀反(むほん)(くわだ)てて、あんなふうに相談しているのですよ」

 

 劉邦は、飛び上がって驚いた。

謀反(むほん)だってえ!?

 大変じゃないか! 一体どうやって止めたらいいんだ?」

 

 すると、張良は(たず)ねた。

「陛下が普段から非常に憎んでおられて、そのことが群臣にも知れ渡っている者は、誰ですか?」

 

 劉邦は答える。

雍歯(ようし)だ。俺、あいつが嫌いだ」

 

 張良が、また(たず)ねる。

「では、陛下が常に深く愛しておられる者は、誰ですか?」

 

 劉邦が言う。

「丁公だな」

 

 張良は、うなずいた。

「なるほど。雍歯(ようし)と丁公ですか。

 あの2人は、漢()の戦いの途中で漢に寝返(ねがえ)ってきましたが、元々は()に仕える臣でした。

 

 昔、陛下が睢水(すいすい)で大敗なさったとき、項羽の(めい)によって陛下を追撃したのが、まさに雍歯(ようし)と丁公でしたね。

(第四十七回参照)

 

 あのとき、雍歯(ようし)(あるじ)の命令をしっかりと守り、力を尽くして陛下を追いかけました。

 これすなわち忠臣ございます。

 ですから、すぐに雍歯(ようし)を侯に(ほう)じなさいませ。

 

 一方、丁公は、皇帝陛下を見逃(みのが)して助けました。

 これは(あるじ)の命令に反する行い。すなわち丁公は不忠の人でございます。

 すぐに丁公を誅殺(ちゅうさつ)なさいませ。

 

 そうすれば、すぐに人々の不安は解消されるでしょう」

 

 

   *

 

 

 劉邦は、張良の言葉に従って、すぐに雍歯(ようし)を呼んで什方(じゅうほう)侯に(ほう)じた。

 一方、丁公のほうは市街に引き出して首を()ね、(さら)しものとして全軍に見せつけた。

 

 群臣は、みんな喜んだ。

雍歯(ようし)ほど陛下に憎まれている男でも、侯に(ほう)ぜられたんだ。

 これなら、私のことも心配ないな。

 安心して、皇帝陛下に忠義を尽くして仕えよう。

 

 そして、丁公のように(あるじ)を裏切れば、(いのち)を失うことになるんだ。

 ああならないように気を付けよう」

 

 こうして群臣の不安は解消され、寄り集まって不安を口にするようなことも、なくなったのだった。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

■次回予告■

 

 忠義の臣も武勇の猛者(もさ)も負ければたちまち日陰者。季布、鍾離昧(しょうりまい)、そして田横(でんおう)、追及恐れて闇から闇へ(のが)れ続ける敵将たちに皇帝劉邦の手が伸びる。

 果たして逃亡者たちの命運や、いかに。

 

 次回「龍虎戦記」第七十五回

 『逃亡者たちの行方(ゆくえ)

 

 ()う、ご期待!




●注釈
 丁公が殺されるエピソードは、「西漢通俗演義」にはない。「通俗漢楚軍談」の増補だろう。
 とはいえ全くの創作というわけではなく、ちゃんと史書を典拠としている。「史記・季布欒布列伝」に、睢水(すいすい)の戦いのとき丁公が劉邦を見逃(みのが)したことと、戦後、その不忠を理由として劉邦によって処刑されたことが記されている。
 余談だが、「史記・季布欒布列伝」によると、丁公は季布の母弟(ぼてい)であったらしい。母弟(ぼてい)とは、『母の弟』ではなく、『同じ母親から生まれた弟』のことを言う。
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