龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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七十五の上 逃亡者たちの行方

 

 

 漢の群臣は、なかなか恩賞が決定しないことに不安を覚え、謀反(むほん)の気配を見せはじめた。

 

 しかし、劉邦が雍歯(ようし)什方(じゅうほう)侯に(ほう)じ、丁公を不忠の罪で処罰すると……

 

 群臣は、

雍歯(ようし)ほど嫌われている者でも恩賞を与えられるなら、我々は大丈夫だ」

 と安心し、謀反(むほん)の考えを捨てたのだった。

 

 

   *

 

 

 それから数日後。

 張良が、また劉邦に奏上した。

 

雍歯(ようし)・丁公の一件で、群臣は安心し、喜んで皇帝陛下に服従するようになりました。

 

 ただ……

 かつて(せい)相国(しょうこく)であった田横(でんおう)が、海島(かいとう)という小島に身を隠し、静かに天下の動きを(にら)んでいるようです。

 

 田横(でんおう)(こころざし)は、小さなものでは、ありません。

 今のうちに計を巡らせて、反乱の芽を()んでおかなければ、後々、大きな災いをなすでしょう」

 

 劉邦は、うなずいた。

「なるほど。

 どういう策で田横(でんおう)に対処すればいい?」

 

 張良が言う。

海島(かいとう)は、万の波が打ち寄せ、(みず)飛沫(しぶき)がもうもうと立ち込める海中の小島。

 ここ洛陽(らくよう)(みやこ)からは数千里も離れております。

 陛下が軍を派遣して討伐(とうばつ)しようとしても、すぐに勝つことは難しいでしょう。

 

 臣が思いますに、田横(でんおう)の所へ使者を送って詔書(しょうしょ)(くだ)し、次のように伝えるのがよいでしょう。

(せい)の後継者として、(でん)氏を君主に立てる』と……

 

 そうして皇帝陛下に敵対した罪を(ゆる)し、利害を説いて召し寄せたならば、田横(でんおう)は、きっと陛下の徳を(した)って帰服するでしょう。

 力押しで攻めても、無駄に軍馬ばかりを費やして何も利益がない、という結果になりかねません」

 

 劉邦は、この張良の言葉に従い、陸賈(りくか)を使者として、海島(かいとう)へ向かわせた。

 

 

   *

 

 

 陸賈(りくか)は、数日かけて、海島(かいとう)の近くに、やってきた。

 

 四方の風景を(なが)めれば、羅山(らざん)が東に広がり、濰水(いすい)が西を(へだ)て、神山が南にそびえ、渤海(ぼっかい)が北に横たわっている。

 海の方を見れば、大波が次々に打ち寄せていて、水がどこまで続いているやら、果ても見えないほどである。

 

 陸賈(りくか)は、ここで地元の老人を見つけ、田横(でんおう)の居場所を(たず)ねた。

 

 老人は答えた。

田横(でんおう)の住んでいる海島(かいとう)は、即墨(そくぼく)県の北東100里(40km)のところに、ございます。

 四面を海に囲まれた島で、岸からは25里(10km)も離れております。

 

 田横(でんおう)にお会いになりたいのなら、大船を用意し、海に順風が吹くのを待ってから船出(ふなで)なさいませ」

 

 陸賈(りくか)は、即墨(そくぼく)県に行くと、老人の言葉に従って、大船を用意させた。

 そして多くの水夫を(やと)い、順風の吹いた日を狙って、海島(かいとう)へと出航した。

 

 老人の助言のおかげで、陸賈(りくか)は、苦もなく海島(かいとう)に上陸できた。

 

 ところが肝心(かんじん)田横(でんおう)は、漢の使者が来たと聞くと、要塞(ようさい)の門を閉ざし、対面を(こば)んでしまった。

 

 陸賈(りくか)は慌てることなく要塞(ようさい)の門前まで行き、こう呼びかけた。

「漢王様は、西楚(せいそ)を平定して天下を1つにまとめあげ、皇帝に即位あそばされた。

 

 それなのに、汝1人が、いまだに皇帝陛下に服従していないのだ。

 それゆえ陛下は、私を勅使(ちょくし)として詔書(しょうしょ)(くだ)し、汝を(さと)そうとしておられる。

 田横(でんおう)よ! (こば)まずに門を開き、顔を見せるがよい!」

 

 田横(でんおう)は、陸賈(りくか)の言葉を聞くと……

 門を開いて陸賈(りくか)を迎え入れ、詔書(しょうしょ)を開いて読んだ。

 

 その詔書(しょうしょ)の文面は、次のようなものだった。

 

『昔、武王は、(いん)紂王(ちゅうおう)を滅ぼして、(しゅう)王朝を打ち立てた。

 このとき、伯夷(はくい)叔斉(しゅくせい)の兄弟は、武王を批判して言った。

「主君である紂王(ちゅうおう)を滅ぼすことが仁義ある行いと言えましょうか?」

 

 その後、伯夷(はくい)叔斉(しゅくせい)は、(しゅう)(あわ)を食うのは人として恥だと考え、山に(こも)って山菜のみを食べる暮らしをした末、とうとう()()にしてしまったのだ。

 

 だが、伯夷(はくい)叔斉(しゅくせい)がどう考えていたにせよ、武王は天下を手に入れることができた。

(第十二回注釈参照)

 

 (しん)の文公に仕えた(かい)()(すい)は、主君の文公が貪欲(どんよく)奸臣(かんしん)褒賞(ほうしょう)を与えるのを見て失望し、自分は恩賞を要求もせず隠棲(いんせい)した。

 

 ところが、やはり(かい)()(すい)の態度に関係なく、文公は中国の覇者となったのだ。

 

 汝、田横(でんおう)は、いま海島(かいとう)で暮らしている。

 しかし、(ちん)が中国全土を平定した今、汝も漢の臣となるしかないとは思わないか?

 1人で人間社会から離れれば、伯夷(はくい)叔斉(しゅくせい)(かい)()(すい)と同等の名声を得られると考えているのか?

 

 そうでないなら、すぐに、こちらへ来てもらいたい。

 汝を、どのように待遇するかは今後の話次第(しだい)だが、うまくすれば王に、悪くとも侯には(ほう)じて、(でん)氏の血を保ち、祖先の祭祀(さいし)を失わずにすむよう取り計らってやろう。

 

 これ以上、海の果てに閉じこもって、魚や(すっぽん)を友達として暮らすことはあるまい。

 

 もし汝が出頭しないようであれば、(ちん)としては、兵を()げて東へ向かわせるしかなくなる。

 捕虜となり、首を()ねられ、(でん)氏の血筋を絶滅させるのは、愚かなことだと思わないか?

 

 どうか、はやく来てほしい。

 道を誤らないでくれ!』

 

 田横(でんおう)は、詔書(しょうしょ)を読み終えると、陸賈(りくか)を、もてなした。

 その酒の席で、田横(でんおう)は言った。

「早々に(みやこ)(のぼ)り、漢に帰服いたしましょう」

 

 

   *

 

 

 が……

 田横(でんおう)の部下たちは、(みんな)田横(でんおう)を止めようとした。

「漢に帰服するのは不可です!

 

 漢の皇帝は、外面(そとづら)では心が広いようでいて、内面では非常に厳しい性格です。

 度量が大きいようでいて、実際には容赦(ようしゃ)ない人物なのです。

 

 今から帰服しに行ったとしても、田横(でんおう)様が、これまで海島(かいとう)に閉じこもって長く帰服せずにいたことを、漢帝は決して忘れないでしょう。

 漢帝が一度(ひとたび)怒れば、王侯に(ほう)じるなどという約束は反故(ほご)にされるに決まっています。

 さすれば田横(でんおう)様は漢に服従することもできず、この島に帰ってくることもできず、大いに後悔するハメになります!

 

 洛陽(らくよう)へ行くのは中止しましょう。

 この海島(かいとう)に多数の要塞を築き、鉄砲や火矢を準備し、厳しく防備を整えるのが最も良い方策です。

 

 我ら500人が心と力を合わせて田横(でんおう)様と(とも)に防衛に(つと)めれば……

 ここは大波が打ち寄せる島。たとえ漢帝に100万の勇ましい兵がいたとしても、近づくことは、できません。

 

 そうすれば、田横(でんおう)様は、ここに座ったまま天下の動きを観察し、悠々(ゆうゆう)と遊び楽しむことができましょう」

 

 田横(でんおう)は、首を振った。

「いや。長い目で見れば、それは良策とは言えない。

 私が海島(かいとう)に来てから、汝らには少しも恩恵を与えてやることができなかった。

 

 今、漢帝は、こんな遠くまで勅使(ちょくし)(つか)わして、私を召し寄せたのだ。

 これで私が帰服しなかったら、今度は必ず兵を起こして、私を討伐(とうばつ)しに来るだろう。

 

 その時には、汝らも矢や石の降り注ぐ中で戦い、千の苦しみと万の(つら)さを味わうことになる。

 もし戦いに敗れたら、全員が刃に貫かれて死ぬことになるだろう。

 そんな事態にだけは、したくないのだ」

 

 結局……

 田横(でんおう)は、食客(しょっかく)2人だけを連れ、陸賈(りくか)と一緒に洛陽(りくよう)へと旅立ったのだった。

 

 

(つづく)




●注釈
 劉邦の詔書(しょうしょ)に登場した『(かい)()(すい)』は、(しん)の文公に仕えた人物。私欲に(とら)われない清廉な行動で知られる。
 「史記・晋世家」によると、紀元前7世紀、(しん)の公子重耳(ちょうじ)(後の文公)は政争による身の危険を避けるために国を脱出し、放浪の旅に出たという。この旅に同行した臣の1人が(かい)()(すい)である。
 時は流れ、重耳(ちょうじ)(しん)の君主となるために帰国することになった。その旅の途中、重耳(ちょうじ)の臣である咎犯(きゅうはん)が突然、『私には過失が多いので退任したい』と言いだした。そこで重耳(ちょうじ)は、すぐに咎犯(きゅうはん)慰留(いりゅう)したのだが……
 この一部始終を見ていた(かい)()(すい)は、笑って言った。
咎犯(きゅうはん)は、重耳(ちょうじ)様が(しん)の君主になれるのは自分のおかげだ、などと考えて、主君に取引を持ちかけたのだ。まったく恥ずべきことだ。あんな奴と同列にされるのは我慢ならないな』
 つまり、咎犯(きゅうはん)の進退(うかが)いは、より良い待遇を引き出すためのかけひきに過ぎない、と(かい)()(すい)喝破(かっぱ)したわけである。
 私欲のために心にも無いことを口にする奸臣(かんしん)。そしてその奸臣(かんしん)の思惑通りに慰留(いりゅう)してしまう情けない主君。それらに失望した(かい)()(すい)は、重耳(ちょうじ)の元を離れて隠棲するようになった。そして重耳(ちょうじ)(しん)公となった後も一切恩賞を求めようとはせず、そのまま死んでしまったのだという。
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