龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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七十五の中 逃亡者たちの行方

 

 

 田横(でんおう)は、劉邦からの招聘(しょうへい)に応じ、(みやこ)洛陽(らくよう)へ向けて旅立った。

 田横(でんおう)側の同行者は、2人の食客(しょっかく)のみ。

 劉邦の使者である陸賈(りくか)に導かれての旅路である。

 

 さて、一行が30里ほど進んだとき、路上で1つの事件が起きた。

 

 そのとき田横(でんおう)は、歩きながら、こんなことを考えていた……

「かつて漢によって(せい)王が殺され、私は海島(かいとう)に逃げることになった。

 つまり漢帝劉邦は、私にとって主君の(かたき)だ。

 

 それが今、漢帝が天下を取り、(みことのり)(くだ)して、私を召し寄せた。

 もはや、私が生きているうちに主君の復讐を為しとげることは、できないだろう。

 

 復讐するどころか、私は膝を曲げて漢帝に仕え、王侯に(ほう)ぜられて、自分だけ保身を(はか)ろうとしている……

 そんなのは、立派な大丈夫の、やることではない。

 (なん)面目(めんもく)があって天地の間に立っていられようか」

 

 おそらくは海島(かいとう)を出たときから……

 いや、詔書(しょうしょ)を受け取ったときから、覚悟は決まっていたのだろう。

 

 田横(でんおう)は、突然、短刀を抜き、みずから首を()()った。

 

「えっ!?」

 あまりにも唐突な田横(でんおう)の自殺に、食客(しょっかく)陸賈(りくか)驚愕(きょうがく)した。

 みんなで飛びかかって田横(でんおう)を止めようとしたものの、とても間に合わず……

 

 田横(でんおう)は、あっけなく息絶(いきた)えてしまったのだった。

 

 

   *

 

 

 陸賈(りくか)と2人の食客(しょっかく)は、田横(でんおう)亡骸(なきがら)(ひつぎ)に収め、洛陽(らくよう)へ、やってきた。

 

 陸賈(りくか)(こと)次第(しだい)を報告すると……

 劉邦は、深く嘆息(たんそく)して、田横(でんおう)の死を()しんだ。

 

 そして劉邦は、王に対する礼儀作法を用いて田横(でんおう)洛陽(らくよう)の東に(ほうむ)り……

 田横(でんおう)に同行した2人の食客(しょっかく)には、都尉(とい)の官職を(さず)けた。

 

 劉邦としては、死んだ田横(でんおう)に対する、せめてもの(はなむけ)のつもりだったのだろう。

 しかし、これが裏目に出た。

 

 田横(でんおう)食客(しょっかく)2人は、朝廷で都尉(とい)の官職を(さず)かると、ひとまず拝謝し、朝廷から退出した。

 そして、2人で、こう話し合った。

 

田横(でんおう)様が自殺なさったのには、2つの理由がある。

 1つは、漢に仕えることを良しとしなかったから。

 もう1つは、500人の義士が漢軍に囲まれ殺されるのを恐れたからだ。

 

 ()き主君のために忠義を(つらぬ)き、なおかつ500人の部下をも守る。

 この2つの目的を果たすために、あえて1人で自殺することを選択なさった……

 まさに本物の大丈夫の(こころざし)だ。

 

 それなのに、我々2人だけが、のうのうと富貴を(むさぼ)って生きていられようか?」

 

 そこで……

 2人の義士は、田横(でんおう)の墓のそばに、大きな穴を掘った。

 そして穴の中に入り、2人とも、みずから(くび)()ねて死んでしまった。

 

 

   *

 

 

 この事件は、翌日になって、劉邦の耳にも入った。

 劉邦は大いに驚き、言った。

田横(でんおう)主君(しゅくん)への義を果たすために自殺した。誰にでもできることじゃない。

 そして、2人の食客(しょっかく)が自分で墓を掘って死んだのは、それよりさらに難しいことだ。

 

 田横(でんおう)は、ここまで人の心を(つか)んでいたのか……

 となると、海島(かいとう)にいる500人が田横(でんおう)の自殺を知れば、いままで田横(でんおう)から受けた恩義に(むく)いるため、反乱を起こすに違いない」

 

 そこで劉邦は、大急ぎで海島(かいとう)に使者を送り、反乱を思いとどまるよう呼びかけた。

 

 ところが、ここで、また思わぬことが起きた。

 

 田横(でんおう)の500人の部下たちは、田横(でんおう)が自殺したことを知ると……

 互いに顔を見合わせ、涙を流し慟哭(どうこく)しながら倒れ、口々に叫んだ。

 

田横(でんおう)様は、我々のために漢へ向かい、死になさったのだ!

 我らだけが(せい)を求めていられようか!」

 

 そして、500人全員が自殺してしまったのである。

 

 漢の使者は、急いで(みやこ)に帰り、(こと)次第(しだい)を報告した。

 

 劉邦は、ますます驚いて、言った。

「天下には、義を(とうと)ぶ人物が、どうしてこうも多いんだろうか……

 これほど多くの人々が義を尽くした例は、歴史上にも珍しいなあ」

 

 そこで劉邦は、再び海島(かいとう)に人を送り、田横(でんおう)の500人の部下たちを手厚(てあつ)(ほうむ)らせた。

 

 (のち)()、人々は田横(でんおう)の義の心を(した)い、この島を田横(でんおう)(とう)と名付けた。

 そこには今でも田横(でんおう)霊廟(れいびょう)があり、季節ごとの祭祀(さいし)が行われているそうである。

 

 

   *

 

 

 それから少し経った、ある日。

 劉邦は言った。

田横(でんおう)は、長く海島(かいとう)(こも)り、漢に帰服してこなかった。

 それを俺は、すごく心配していたんだ。

 田横(でんおう)や500人の部下たちが自殺したのは残念だが、とにかく、これで俺の心腹(しんぷく)(やまい)は解消された。

 

 しかし、まだ心配の種は残っている。

 ()の大将の季布と鍾離昧(しょうりまい)は、()の滅亡後、まったく行方(ゆくえ)が分からなくなっている。

 

 この2人は、睢水(すいすい)の戦いで俺が敗れた時、さんざんに俺のことを(ののし)(はずかし)めてくれたんだ。

 どんな手を使ってでも、捕まえてやらなきゃ気が済まない!」

 

 そこで劉邦は、こんな高札(こうさつ)を道々に立てて、広く諸国に告知した。

 

『もし季布・鍾離昧(しょうりまい)()()りにする者がいたら、その者が無職であっても平民であっても関係なく、恩賞として千金を与える。

 

 逆に、もし季布・鍾離昧(しょうりまい)(かくま)う者がいたら、その者が国王であっても諸侯であっても関係なく、季布・鍾離昧(しょうりまい)と同罪として罰する』

 

 

   *

 

 

 このとき渦中(かちゅう)の人……元()将の季布は、(しん)(みやこ)咸陽(かんよう)で隠れ暮らしていた。

 

 季布を(かくま)っていたのは、周長という男である。

 あるとき周長は、劉邦が各地に立てた高札を見て、慌てて家に駆け戻った。

 

 周長は、季布を呼んで言った。

「漢帝は、躍起(やっき)になって季布将軍の行方(ゆくえ)を探しているようです。

 もし、うちで(かくま)っていることが露顕(ろけん)したら、私の一族は、ことごとく処罰されてしまう……

 

 このまま私の家にいるのは、季布将軍にとっても(えき)の無いことでしょう。

 将軍、一体どうしますか?」

 

 季布は、微笑(ほほえ)んで言った。

「なに、心配なさるな。

 私には、生きのびるための計略がある」

 

 季布は、刀を抜いて、自分の(もとどり)(まげ))を切り、残る髪も全て()り落とし、みずから首枷(くびかせ)をはめて、奴隷の姿となった。

 そして、周長と一緒に()国へ向かい、朱家(しゅか)という遊侠(ゆうきょう)の屋敷を訪れた。

 

 遊侠(ゆうきょう)とは、中国に古くから存在する、一種の極道(ごくどう)(もの)のことを言う。

 徒党を組み、武装し、暴力によって我を通す。要するに、ガラの悪いヤクザのような手合いである。

 

 しかし、真の遊侠(ゆうきょう)は、単なるチンピラや暴漢とは、根底にある精神が異なるのだという。

 仁義を大切にし、強きをくじいて、弱きを助く。

 そのためならば、政府や体制に逆らうことさえ()さない。

 それが、遊侠(ゆうきょう)心意気(こころいき)なのだ。

 

 そんな遊侠(ゆうきょう)たちの中でも、()国の朱家(しゅか)といえば、名の知られた人物。

 季布の計略とは、この朱家(しゅか)に自分を売り、奴隷になりすますことだったのである。

 

 周長は、奴隷姿の季布を、朱家(しゅか)の屋敷に連れて行き、こう言った。

朱家(しゅか)さん、この奴隷を買い取ってもらえないか?」

 

 朱家(しゅか)は、季布の姿を、よく見た。

 季布の首には、(かせ)がはめられている。確かに奴隷のような格好である。

 しかし……歩き方や座り方を見るに、単なる奴隷とは思えない迫力のようなものが感じられる。

 

 朱家(しゅか)は、心の中で思った。

「そうか……この人物は、いま(うわさ)の季布に違いない」

 

 だが、朱家(しゅか)は、何も言わずに季布を奴隷として買い取った。

 そして、そしらぬ顔をしたまま、季布を家に置いておいたのである。

 

 

(つづく)




●注釈
 本編に朱家(しゅか)という遊侠(ゆうきょう)が登場した。本編でも解説した通り、遊侠(ゆうきょう)とは今でいうところのヤクザのような存在である。
 司馬遷(しばせん)は「史記」の中に「遊侠(ゆうきょう)列伝」を立ててまで、遊侠(ゆうきょう)について詳述している。そこで語られる遊侠(ゆうきょう)の定義は以下のようなものである。
遊侠(ゆうきょう)は、その行いこそ正義から外れているかもしれないが、言ったことは必ず守り、行うべきことは必ず果たし、すでに承諾したことは必ず誠意をもってなしとげる。我が身を()しまず、他者の苦難の中に飛び込んでいき、存亡生死の覚悟も決まっている。それでいて自分の才能を誇らず、自分の徳を誇ることを恥とする』
 こうしてみると、遊侠(ゆうきょう)は、現代日本の娯楽作品にしばしば登場する『スジの通ったヤクザ』というキャラクター・アーキタイプの源流とも言えるだろう。
 ただし、現実の遊侠(ゆうきょう)がこんな理想的人物ばかりでないことには、他ならぬ司馬遷(しばせん)自身が「史記・遊侠(ゆうきょう)列伝」の最後で言及している。
『北の姚氏(ようし)、西の諸杜(しょと)、南の仇景(きゅうけい)、東の趙他(ちょうた)、羽公子、南陽の趙調(ちょうちょう)などの(やから)は、社会の中に盗跖(とうせき)(中国の伝説的盗賊)がいるようなものだ。どうして語るに値しようか!』
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