田横は、劉邦からの招聘に応じ、都洛陽へ向けて旅立った。
田横側の同行者は、2人の食客のみ。
劉邦の使者である陸賈に導かれての旅路である。
さて、一行が30里ほど進んだとき、路上で1つの事件が起きた。
そのとき田横は、歩きながら、こんなことを考えていた……
「かつて漢によって斉王が殺され、私は海島に逃げることになった。
つまり漢帝劉邦は、私にとって主君の仇だ。
それが今、漢帝が天下を取り、詔を下して、私を召し寄せた。
もはや、私が生きているうちに主君の復讐を為しとげることは、できないだろう。
復讐するどころか、私は膝を曲げて漢帝に仕え、王侯に封ぜられて、自分だけ保身を図ろうとしている……
そんなのは、立派な大丈夫の、やることではない。
何の面目があって天地の間に立っていられようか」
おそらくは海島を出たときから……
いや、詔書を受け取ったときから、覚悟は決まっていたのだろう。
田横は、突然、短刀を抜き、みずから首を掻き斬った。
「えっ!?」
あまりにも唐突な田横の自殺に、食客も陸賈も驚愕した。
みんなで飛びかかって田横を止めようとしたものの、とても間に合わず……
田横は、あっけなく息絶えてしまったのだった。
*
陸賈と2人の食客は、田横の亡骸を棺に収め、洛陽へ、やってきた。
陸賈が事の次第を報告すると……
劉邦は、深く嘆息して、田横の死を惜しんだ。
そして劉邦は、王に対する礼儀作法を用いて田横を洛陽の東に葬り……
田横に同行した2人の食客には、都尉の官職を授けた。
劉邦としては、死んだ田横に対する、せめてもの餞のつもりだったのだろう。
しかし、これが裏目に出た。
田横の食客2人は、朝廷で都尉の官職を授かると、ひとまず拝謝し、朝廷から退出した。
そして、2人で、こう話し合った。
「田横様が自殺なさったのには、2つの理由がある。
1つは、漢に仕えることを良しとしなかったから。
もう1つは、500人の義士が漢軍に囲まれ殺されるのを恐れたからだ。
亡き主君のために忠義を貫き、なおかつ500人の部下をも守る。
この2つの目的を果たすために、あえて1人で自殺することを選択なさった……
まさに本物の大丈夫の志だ。
それなのに、我々2人だけが、のうのうと富貴を貪って生きていられようか?」
そこで……
2人の義士は、田横の墓のそばに、大きな穴を掘った。
そして穴の中に入り、2人とも、みずから首を刎ねて死んでしまった。
*
この事件は、翌日になって、劉邦の耳にも入った。
劉邦は大いに驚き、言った。
「田横は主君への義を果たすために自殺した。誰にでもできることじゃない。
そして、2人の食客が自分で墓を掘って死んだのは、それよりさらに難しいことだ。
田横は、ここまで人の心を掴んでいたのか……
となると、海島にいる500人が田横の自殺を知れば、いままで田横から受けた恩義に報いるため、反乱を起こすに違いない」
そこで劉邦は、大急ぎで海島に使者を送り、反乱を思いとどまるよう呼びかけた。
ところが、ここで、また思わぬことが起きた。
田横の500人の部下たちは、田横が自殺したことを知ると……
互いに顔を見合わせ、涙を流し慟哭しながら倒れ、口々に叫んだ。
「田横様は、我々のために漢へ向かい、死になさったのだ!
我らだけが生を求めていられようか!」
そして、500人全員が自殺してしまったのである。
漢の使者は、急いで都に帰り、事の次第を報告した。
劉邦は、ますます驚いて、言った。
「天下には、義を尊ぶ人物が、どうしてこうも多いんだろうか……
これほど多くの人々が義を尽くした例は、歴史上にも珍しいなあ」
そこで劉邦は、再び海島に人を送り、田横の500人の部下たちを手厚く葬らせた。
後の世、人々は田横の義の心を慕い、この島を田横島と名付けた。
そこには今でも田横の霊廟があり、季節ごとの祭祀が行われているそうである。
*
それから少し経った、ある日。
劉邦は言った。
「田横は、長く海島に籠り、漢に帰服してこなかった。
それを俺は、すごく心配していたんだ。
田横や500人の部下たちが自殺したのは残念だが、とにかく、これで俺の心腹の病は解消された。
しかし、まだ心配の種は残っている。
楚の大将の季布と鍾離昧は、楚の滅亡後、まったく行方が分からなくなっている。
この2人は、睢水の戦いで俺が敗れた時、さんざんに俺のことを罵り辱めてくれたんだ。
どんな手を使ってでも、捕まえてやらなきゃ気が済まない!」
そこで劉邦は、こんな高札を道々に立てて、広く諸国に告知した。
『もし季布・鍾離昧を生け捕りにする者がいたら、その者が無職であっても平民であっても関係なく、恩賞として千金を与える。
逆に、もし季布・鍾離昧を匿う者がいたら、その者が国王であっても諸侯であっても関係なく、季布・鍾離昧と同罪として罰する』
*
このとき渦中の人……元楚将の季布は、秦の都咸陽で隠れ暮らしていた。
季布を匿っていたのは、周長という男である。
あるとき周長は、劉邦が各地に立てた高札を見て、慌てて家に駆け戻った。
周長は、季布を呼んで言った。
「漢帝は、躍起になって季布将軍の行方を探しているようです。
もし、うちで匿っていることが露顕したら、私の一族は、ことごとく処罰されてしまう……
このまま私の家にいるのは、季布将軍にとっても益の無いことでしょう。
将軍、一体どうしますか?」
季布は、微笑んで言った。
「なに、心配なさるな。
私には、生きのびるための計略がある」
季布は、刀を抜いて、自分の髻(髷)を切り、残る髪も全て剃り落とし、みずから首枷をはめて、奴隷の姿となった。
そして、周長と一緒に魯国へ向かい、朱家という遊侠の屋敷を訪れた。
遊侠とは、中国に古くから存在する、一種の極道者のことを言う。
徒党を組み、武装し、暴力によって我を通す。要するに、ガラの悪いヤクザのような手合いである。
しかし、真の遊侠は、単なるチンピラや暴漢とは、根底にある精神が異なるのだという。
仁義を大切にし、強きをくじいて、弱きを助く。
そのためならば、政府や体制に逆らうことさえ辞さない。
それが、遊侠の心意気なのだ。
そんな遊侠たちの中でも、魯国の朱家といえば、名の知られた人物。
季布の計略とは、この朱家に自分を売り、奴隷になりすますことだったのである。
周長は、奴隷姿の季布を、朱家の屋敷に連れて行き、こう言った。
「朱家さん、この奴隷を買い取ってもらえないか?」
朱家は、季布の姿を、よく見た。
季布の首には、枷がはめられている。確かに奴隷のような格好である。
しかし……歩き方や座り方を見るに、単なる奴隷とは思えない迫力のようなものが感じられる。
朱家は、心の中で思った。
「そうか……この人物は、いま噂の季布に違いない」
だが、朱家は、何も言わずに季布を奴隷として買い取った。
そして、そしらぬ顔をしたまま、季布を家に置いておいたのである。
(つづく)