元楚将の季布は、追及を逃れるために奴隷に身をやつし、遊侠朱家に自分を売った。
それからしばらくして、朱家の住む魯国にも、季布捜索の手が伸びてきた。
ある日、朱家は、季布を呼んで、言った。
「汝は楚の大将、季布だろう?
今、皇帝が汝に賞金をかけ、必死になって探し回っている。
汝を隠していたら、私の一族にも災いが及ぶだろう。
そこで、汝を縛って洛陽に連れて行き、皇帝に献上したいと思う。
汝の考えは、どうかな?」
季布は、あっさりと答えた。
「たしかに、私は楚の季布です。
身を隠すために首枷をはめて奴隷となり、貴公に買っていただいたのです。
今まで貴公は、私を手厚く待遇してくださった。
その恩返しをしたいが、私には、その手段がない。
漢帝劉邦が私を探しているというなら、ちょうど良い。
私を縛って皇帝に謁見し、千金の恩賞を得てください。
これで貴公への恩返しとしましょう」
すると朱家は、ニッ、と爽やかに笑った。
「この朱家が、人を殺して千金の恩賞など欲しがると思うのかね?
たとえ天下に並びなき大富豪になれるとしても、そんなことを、やるつもりはないね。
私には、友人が1人いる。
その名は、滕公夏侯嬰。
夏侯嬰とは幼い頃から厚く交流してきたが、今、彼は洛陽で漢帝に仕えている。
この夏侯嬰に頼んで、汝の命を救おうではないか」
季布は、感謝して言った。
「もしそれが可能なら、まさに『死せるを生かして骨に肉をつける』というようなものです」
朱家は、
「よし。それでは、行ってこよう」
と、旅支度を整え、洛陽へ向かった。
*
朱家は、洛陽に着くと、滕公夏侯嬰の屋敷を訪れた。
夏侯嬰は、友人の来訪を喜び、朱家を迎え入れ、酒を出して、もてなした。
その酒の席で、朱家は、こんなことを尋ねた。
「最近、皇帝陛下が季布を探しておられるそうですな。
一体、季布に、どんな罪があって、こうも厳しく捜索しておられるのです?」
夏侯嬰が言う。
「季布は、かつて楚に仕えていた時、しばしば皇帝陛下を罵り辱めたのだ。
それで、探し出して罪を正そうというわけだ」
朱家は、残念そうに首を振った。
「およそ臣たるものは、それぞれの主のために職分を尽くすものです。
季布は楚に仕えていたのだから、楚のために働くのは当然ではありませんか。
しかるに、皇帝陛下は天下を得て、まず私怨によって1人の人間を殺そうとしておられる。
なんと器量の狭いことか!
ましてや、季布は才能のある賢人であり、なおかつ武勇に優れた大将でもあります。
こうも熱心に捜索していれば、季布は、北方の胡や南方の越のような異民族の領域へ逃げるに決まっています。
そうすれば、1人の賢い大将を失うというだけではない。
むしろ敵に強力な人材を渡してしまうことになります。
夏侯嬰殿。
御辺は、このことを皇帝陛下に奏上し、季布を赦免するよう勧めるべきではありませんか?
そうして賢人を求める態度を示せば、天下の豪傑たちは、首を伸ばして皇帝陛下の臣になることを願い出てくるでしょう」
こう諭されると、さすがの夏侯嬰である。
朱家の言い分に理があることを悟り、すぐに動き出した。
*
夏侯嬰は、朝廷に入り、劉邦に奏上した。
「季布に罪はありません。
陛下、どうしてこれほど季布を捜索なさるのですか」
劉邦は、眉をひそめた。
「季布は、何度も俺を辱めやがったんだぞ。
なんで『罪無し』なんて言うんだよ」
夏侯嬰が言う。
「臣たる者は、おのおのの主のために忠義を尽くすものです。
季布は、ただ楚に仕えることのみを考え、漢のことは考えていませんでした。
項羽に仕えることのみを考え、陛下に仕えることは考えていませんでした。
つまり、これは季布の忠義です。どうして罪に問えましょうか。
漢の群臣が、みんな季布のように忠義を尽くしたなら、陛下は『ちゃんと天下が治まるだろうか?』などと心配する必要も、なくなります。
もし季布1人の罪を許し、むしろ臣として用いなさったら、季布のような知恵と武勇を兼ね備えた人材が先を争ってやってきて、陛下の臣となることを願い出るでしょう。
陛下は、1万乗の車を動かす尊い地位にあるおかた。
広い四海(世界)を支配するおかたなのです。
陛下の器量は、季布1人を受け入れられないほど狭くはないはずです」
劉邦は、たちまち夏侯嬰の正しさを悟った。
「汝の主張は、すごくいいぞ!
分かった。季布は無罪としよう。
そして鍾離昧も無罪だ。
もし季布や鍾離昧が自分から出頭したら、俺は、2人の罪を許す。
そして、彼らが楚に仕えていたときと同じように官職を与えよう。
ただし、疑い恐れて出頭してこないようなら……よからぬことを考えている、とみなす。
その時は、罪を正すからな」
*
夏侯嬰は、朝廷から退出して帰宅し、劉邦の言ったことを朱家に話した。
朱家は大いに喜び、拝謝して魯国に帰った。
そして朱家は、季布に事の次第を詳しく語った。
季布は深く喜び、朱家に拝謝すると、みずから洛陽へ向かった。
そして洛陽に到着すると、朝廷に出頭した。
劉邦は、季布と対面すると、こう尋ねた。
「汝は、この四海のどこにも身の置きどころが無かったはずだ。
どうして早く俺のところへ来なかったんだ?」
季布が言う。
「国が破れ、主が滅び、臣は、覇王様と一緒に烏江で死ねなかったことだけを悔やみ続けておりました。
どの面さげて陛下に見えることができましょうか」
劉邦が、さらに問う。
「季布よ。汝は、どうして今まで、俺をあんなに辱めたんだ?」
すると季布は、男泣きに涙を流した。
「臣は、覇王様の命によって、陛下と敵対していたのです。
それゆえに陛下を罵ったまでのこと。
むしろ『あの程度では罵り方が足りなかったのではないか』と……そのことだけが気がかりです」
劉邦は、深く溜め息をついた。
「季布は、本物の忠烈の士だ」
そして劉邦は、その場で季布を郎中(皇帝の親衛隊)に任命した。
季布は、叩首(ひざまずいて地面に頭を叩きつける最上級の礼)して、言った。
「私は亡国の臣。
行き場を失い、首枷をはめて、奴隷に落ちた身です。
誅殺せずに見逃していただけるだけでも、十分でございます。
官職などに任命していただくわけには、いきません」
劉邦は、ニヤッ、と笑った。
「そうやって断るのは、お前が楚のことを忘れていないからだろう。
俺は、そういう忠義の心を憐れんで、お前に爵位を与える。
それは、他の皆にも、お前のような忠義の心を持つことを奨励したいからなんだ。
季布よ。
お前は、もう俺の国に住む人材なんだぜ。
官職は要らない、だなんて、寂しいことを言うなよな」
季布は、思わず息を飲んだ。
劉邦……この男は、なんという器量の大きさだろうか。
つい先日まで劉邦の敵であった季布が、早くも劉邦の下にいることを心地よく感じ始めている……
季布は、ついに郎中の官職を受け入れ、拝謝して、その場から退出したのだった。
(つづく)
■次回予告■
各地に散った楚の旧臣で行方が知れぬ最後の大物、鍾離昧。彼を匿い続けていた者は、なんと楚王韓信だった。
なぜ韓信が? 何を狙って? 皇帝劉邦の胸の奥で高まりはじめる不信と不安。君臣蜜月の関係に繕い難き亀裂が走る。疑心暗鬼――その恐るべき影からは、何人たりとも逃れられない。
次回「龍虎戦記」第七十六回
『不穏の影、蠢き』
乞う、ご期待!