龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

228 / 229
七十五の下 逃亡者たちの行方

 

 

 元()将の季布は、追及(ついきゅう)(のが)れるために奴隷に身をやつし、遊侠(ゆうきょう)朱家(しゅか)に自分を売った。

 

 それからしばらくして、朱家(しゅか)の住む()国にも、季布捜索の手が伸びてきた。

 ある日、朱家(しゅか)は、季布を呼んで、言った。

「汝は()の大将、季布だろう?

 今、皇帝が汝に賞金をかけ、必死になって探し回っている。

 

 汝を隠していたら、私の一族にも災いが及ぶだろう。

 そこで、汝を縛って洛陽(らくよう)に連れて行き、皇帝に献上したいと思う。

 汝の考えは、どうかな?」

 

 季布は、あっさりと答えた。

「たしかに、私は()の季布です。

 身を隠すために首枷(くびかせ)をはめて奴隷となり、貴公に買っていただいたのです。

 

 今まで貴公は、私を手厚(てあつ)く待遇してくださった。

 その恩返しをしたいが、私には、その手段がない。

 

 漢帝劉邦が私を探しているというなら、ちょうど良い。

 私を縛って皇帝に謁見(えっけん)し、千金の恩賞を得てください。

 これで貴公への恩返しとしましょう」

 

 すると朱家(しゅか)は、ニッ、と(さわ)やかに笑った。

「この朱家(しゅか)が、人を殺して千金の恩賞など欲しがると思うのかね?

 たとえ天下に並びなき大富豪になれるとしても、そんなことを、やるつもりはないね。

 

 私には、友人が1人いる。

 その名は、滕公(とうこう)夏侯嬰(かこうえい)

 

 夏侯嬰(かこうえい)とは幼い頃から厚く交流してきたが、今、彼は洛陽(らくよう)で漢帝に仕えている。

 この夏侯嬰(かこうえい)に頼んで、汝の(いのち)を救おうではないか」

 

 季布は、感謝して言った。

「もしそれが可能なら、まさに『死せるを()かして骨に肉をつける』というようなものです」

 

 朱家(しゅか)は、

「よし。それでは、行ってこよう」

 と、旅支度(たびじたく)を整え、洛陽(らくよう)へ向かった。

 

 

   *

 

 

 朱家(しゅか)は、洛陽(らくよう)に着くと、滕公(とうこう)夏侯嬰(かこうえい)の屋敷を(おとず)れた。

 

 夏侯嬰(かこうえい)は、友人の来訪を喜び、朱家(しゅか)を迎え入れ、酒を出して、もてなした。

 

 その酒の席で、朱家(しゅか)は、こんなことを(たず)ねた。

「最近、皇帝陛下が季布を探しておられるそうですな。

 一体、季布に、どんな罪があって、こうも厳しく捜索しておられるのです?」

 

 夏侯嬰(かこうえい)が言う。

「季布は、かつて()に仕えていた時、しばしば皇帝陛下を(ののし)(はずかし)めたのだ。

 それで、探し出して罪を正そうというわけだ」

 

 朱家(しゅか)は、残念そうに首を振った。

「およそ臣たるものは、それぞれの(あるじ)のために職分を尽くすものです。

 季布は()に仕えていたのだから、()のために働くのは当然ではありませんか。

 

 しかるに、皇帝陛下は天下を得て、まず私怨(しえん)によって1人の人間を殺そうとしておられる。

 なんと器量の狭いことか!

 

 ましてや、季布は才能のある賢人であり、なおかつ武勇に優れた大将でもあります。

 こうも熱心に捜索していれば、季布は、北方の()や南方の(えつ)のような異民族の領域へ逃げるに決まっています。

 

 そうすれば、1人の賢い大将を失うというだけではない。

 むしろ敵に強力な人材を渡してしまうことになります。

 

 夏侯嬰(かこうえい)殿。

 御辺(ごへん)は、このことを皇帝陛下に奏上し、季布を赦免(しゃめん)するよう(すす)めるべきではありませんか?

 そうして賢人を求める態度を示せば、天下の豪傑たちは、首を伸ばして皇帝陛下の臣になることを願い出てくるでしょう」

 

 こう(さと)されると、さすがの夏侯嬰(かこうえい)である。

 朱家(しゅか)の言い分に理があることを(さと)り、すぐに動き出した。

 

 

   *

 

 

 夏侯嬰(かこうえい)は、朝廷に入り、劉邦に奏上した。

「季布に罪はありません。

 陛下、どうしてこれほど季布を捜索なさるのですか」

 

 劉邦は、眉をひそめた。

「季布は、何度も俺を(はずかし)めやがったんだぞ。

 なんで『罪無し』なんて言うんだよ」

 

 夏侯嬰(かこうえい)が言う。

「臣たる者は、おのおのの(あるじ)のために忠義を尽くすものです。

 季布は、ただ()に仕えることのみを考え、漢のことは考えていませんでした。

 項羽に仕えることのみを考え、陛下に仕えることは考えていませんでした。

 つまり、これは季布の忠義です。どうして罪に問えましょうか。

 

 漢の群臣が、みんな季布のように忠義を尽くしたなら、陛下は『ちゃんと天下が治まるだろうか?』などと心配する必要も、なくなります。

 もし季布1人の罪を許し、むしろ臣として用いなさったら、季布のような知恵と武勇を()ね備えた人材が先を争ってやってきて、陛下の臣となることを願い出るでしょう。

 

 陛下は、1万乗の車を動かす(とうと)い地位にあるおかた。

 広い四海(世界)を支配するおかたなのです。

 陛下の器量は、季布1人を受け入れられないほど狭くはないはずです」

 

 劉邦は、たちまち夏侯嬰(かこうえい)の正しさを(さと)った。

(なんじ)の主張は、すごくいいぞ!

 分かった。季布は無罪としよう。

 そして鍾離昧(しょうりまい)も無罪だ。

 

 もし季布や鍾離昧(しょうりまい)が自分から出頭したら、俺は、2人の罪を許す。

 そして、彼らが()に仕えていたときと同じように官職を与えよう。

 

 ただし、疑い恐れて出頭してこないようなら……よからぬことを考えている、とみなす。

 その時は、罪を正すからな」

 

 

   *

 

 

 夏侯嬰(かこうえい)は、朝廷から退出して帰宅し、劉邦の言ったことを朱家(しゅか)に話した。

 

 朱家(しゅか)は大いに喜び、拝謝して()国に帰った。

 そして朱家(しゅか)は、季布に(こと)次第(しだい)を詳しく語った。

 

 季布は深く喜び、朱家(しゅか)に拝謝すると、みずから洛陽(らくよう)へ向かった。

 そして洛陽(らくよう)に到着すると、朝廷に出頭した。

 

 劉邦は、季布と対面すると、こう(たず)ねた。

「汝は、この四海のどこにも身の置きどころが無かったはずだ。

 どうして早く俺のところへ来なかったんだ?」

 

 季布が言う。

「国が破れ、(あるじ)が滅び、臣は、覇王様と一緒に烏江(うこう)で死ねなかったことだけを()やみ続けておりました。

 どの(つら)さげて陛下に(まみ)えることができましょうか」

 

 劉邦が、さらに問う。

「季布よ。汝は、どうして今まで、俺をあんなに(はずかし)めたんだ?」

 

 すると季布は、男泣きに涙を流した。

「臣は、覇王様の(めい)によって、陛下と敵対していたのです。

 それゆえに陛下を(ののし)ったまでのこと。

 むしろ『あの程度では(ののし)り方が足りなかったのではないか』と……そのことだけが気がかりです」

 

 劉邦は、深く溜め息をついた。

「季布は、本物の忠烈の士だ」

 

 そして劉邦は、その場で季布を郎中(ろうちゅう)(皇帝の親衛隊)に任命した。

 

 季布は、叩首(こうしゅ)(ひざまずいて地面に頭を叩きつける最上級の礼)して、言った。

「私は亡国の臣。

 行き場を失い、首枷(くびかせ)をはめて、奴隷に落ちた身です。

 

 誅殺(ちゅうさつ)せずに見逃(みのが)していただけるだけでも、十分でございます。

 官職などに任命していただくわけには、いきません」

 

 劉邦は、ニヤッ、と笑った。

「そうやって断るのは、お前が()のことを忘れていないからだろう。

 俺は、そういう忠義の心を(あわ)れんで、お前に爵位(しゃくい)を与える。

 それは、他の(みんな)にも、お前のような忠義の心を持つことを奨励(しょうれい)したいからなんだ。

 

 季布よ。

 お前は、もう俺の国に住む人材なんだぜ。

 官職は()らない、だなんて、(さみ)しいことを言うなよな」

 

 季布は、思わず息を飲んだ。

 劉邦……この男は、なんという器量の大きさだろうか。

 つい先日まで劉邦の敵であった季布が、早くも劉邦の下にいることを心地よく感じ始めている……

 

 季布は、ついに郎中(ろうちゅう)の官職を受け入れ、拝謝して、その場から退出したのだった。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

■次回予告■

 

 各地に散った()の旧臣で行方(ゆくえ)が知れぬ最後の大物、鍾離昧(しょうりまい)。彼を(かくま)い続けていた者は、なんと()王韓信だった。

 なぜ韓信が? 何を狙って? 皇帝劉邦の胸の奥で高まりはじめる不信と不安。君臣蜜月(みつげつ)の関係に(つくろ)(がた)き亀裂が走る。疑心暗鬼――その恐るべき影からは、何人(なんぴと)たりとも(のが)れられない。

 

 次回「龍虎戦記」第七十六回

 『不穏の影、蠢き』

 

 ()う、ご期待!

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。