龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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七十六の上 不穏の影、蠢き

 

 

 (せい)田横(でんおう)は自殺し……

 ()将の季布は劉邦に帰服した。

 

 劉邦が名指(なざ)しで捜索していた敵将は、あと1人、鍾離昧(しょうりまい)を残すのみとなった。

 

 しかし、鍾離昧(しょうりまい)の居場所を知らせてくる者は、いつまでたっても現れない。

 劉邦は深く(うれ)い、諸臣に言った。

 

鍾離昧(しょうりまい)は、()の名将だ。

 武勇は()軍の中でも特に優れていて、知恵の方でも軍師范増(はんぞう)に負けないほどだった。

 

 このまま放っておけば、あとで、きっと(わざわ)いをなすだろう。

 汝らは、どんな手を使ってでも鍾離昧(しょうりまい)を捕らえ、俺を安心させてくれ」

 

 

   *

 

 

 劉邦の部下たちは、洛陽(らくよう)の内外へ、こう()れまわった。

鍾離昧(しょうりまい)の居場所を知る者がいたら、すぐに教えに来い」

 

 すると……

 ()れを出してすぐに、奇妙な男が洛陽(らくよう)の城下にやってきた。

 その男は、布の(ほう)(上着)に草履(ぞうり)ばき、という見すぼらしい姿で劉邦の部下たちの前に来ると……いきなり大笑いしはじめた。

 

「たかが鍾離昧(しょうりまい)1人など、心配するほどのものではないわ!

 わしは、もっと大事なことを皇帝に奏上しようと思っている。

 それなのに……

 わしを皇帝に引き合わせようという人物が、1人も、おらぬのだ!

 まったく、残念だなあ!」

 

 この男、見た目だけでなく、言うことも、どこか普通ではない。

 

 劉邦の部下たちは、男に(たず)ねた。

「貴公、名は?」

 

 男が答える。

「わしは(せい)国の人で、(せい)(ろう)、名は(けい)という。

 漢帝国1万代先の未来と子々(しし)孫々(そんそん)に渡る繁栄の基盤を岩の如く固く安定させるため、必要な策を()きに来た」

 

 劉邦の部下たちは、眉をひそめた。

「そんな見苦しい服装で、皇帝陛下に謁見(えっけん)するつもりか?」

 

 婁敬(ろうけい)は、平然と答える。

市井(しせい)民草(たみぐさ)は、豪華な礼服など持っておらぬわ。

 わしが着ているこの(ほう)草履(ぞうり)は、まさに庶民の服装なのだ。

 どうして着替える必要がある? わしは()じも恐れもしない」

 

 劉邦の部下たちは、婁敬(ろうけい)の言うことを、ありのまま劉邦に伝えた。

 

 すると劉邦は興味を引かれたらしく、

「よし、連れてこい」

 と(めい)じた。

 

 婁敬(ろうけい)は、すぐに劉邦の前へと案内されてきた。

 劉邦は婁敬(ろうけい)を見て、問う。

「俺に会って、大事なことを伝えたいんだって?

 一体、どういうすばらしい意見を持ってきてくれたんだ?」

 

 婁敬(ろうけい)は答えた。

「昔、覇王項羽は、范増(はんぞう)諌言(かんげん)に従わず、関中を捨てて彭城(ほうじょう)(みやこ)(うつ)しました。

 これを韓生(かんせい)が言葉を尽くして(いさ)めましたが、項羽は怒り、韓生(かんせい)煮殺(にころ)してしまいました。

 項羽が天下を失ったのは、これが理由でございます。

 

 しかるに今、皇帝陛下は洛陽(らくよう)(みやこ)を建てなさった。

 確かに、彭城(ほうじょう)に比べれば、はるかに良い立地と言えましょう。

 なにしろ、この洛陽(らくよう)は、かつて(しゅう)王朝の(みやこ)があった地です。

 思うに陛下は、(しゅう)王朝と同等以上に漢を繁栄させたいと考えて、この地を選ばれたのではありませんか?」

 

 劉邦が、うなずく。

「ああ。確かに、そういう意図だ」

 

 婁敬(ろうけい)が言う。

「陛下は天下を取りなさった。

 しかし、その状況は(しゅう)と同じとは言えません。

 

 (しゅう)は、始祖后稷(こうしょく)(しゅう)王朝の祖先とされる農業神)の時代から、徳を積み仁義の行いを重ねること数百年。

 武王の代に至り、ついに(ちゅう)王を()って天下を手に入れました。

 

 その後、武王の息子の成王が即位し、当時洛邑(らくゆう)と呼ばれていたここ洛陽(らくよう)を、天地の中心と定めました。

 それは、四方の諸侯が(みつぎ)(もの)を運んだり職務を果たしに来たりするとき、距離が平等となるようにという配慮だったのです。

 

 こういうやり方の場合、徳が有るうちは、天が国の発展をもたらしてくれます。

 が、徳が無くなりはじめると、たちまち天が国に滅亡をもたらしてしまう。

 

 (しゅう)(さか)んであった頃、諸侯も、四方の異民族も、1人残らず(しゅう)に服従しておりました。

 しかし(しゅう)(おとろ)えだすと、天下の諸侯は朝廷に参内(さんだい)しなくなり、(しゅう)は諸侯を制御できなくなりました。

 

 これは(しゅう)の徳が薄かったせいではありません。ただ形勢が弱くなったからなのです。

 

 それに対して皇帝陛下は、豊沛(ほうはい)から起こり、蜀漢(しょくかん)を手中に収め、三秦(さんしん)を平定し、滎陽(けいよう)成皋(せいこう)間で覇王項羽と大小とりまぜ70戦以上も戦いました。

 この(いくさ)で、人々は肝臓や脳を地に()き散らしましたが、その傷は、いまだに()えきっておりません。

 

 この状況で陛下が(しゅう)王朝と同様の隆盛を求めるのは、(あやま)りとしか言いようがありますまい。

 

 一方、ここから西にある(しん)の地は、周囲を山に囲まれ、中央に大河を(よう)し、4つの関門に固く守られております。

 これまさに天下の喉元(のどもと)

 たとえば人間と戦う時、相手の(のど)を攻撃せず、背中ばかり叩いているようでは、いつまでたっても勝てないでしょう?

 

 したがって、(みやこ)を置くならば、(しん)の地、咸陽(かんよう)周辺が最良でございます。

 (しん)に拠点を構えておけば、突発的な有事の際にも100万の軍勢をすぐに用意できましょう。

 

 陛下が洛陽(らくよう)(みやこ)を置くことに(こだわ)り続ければ、後日、漢の勢いが弱まったとき、天下の動きを制御できなくなります。

 そのとき、諸侯の誰かが険阻(けんそ)な関中に立てこもったならば、始皇帝や項羽の再来というべき強さを見せることでしょう。

 

 以上、これこそが臣の申し上げる天下の大事(だいじ)

 漢帝国1万代先の未来と子々(しし)孫々(そんそん)に渡る繁栄の基盤、でございます」

 

 

   *

 

 

 劉邦は、婁敬(ろうけい)の提言を聞いて、ハッとした。

 確かに婁敬(ろうけい)の言う通りだ。

 劉邦が何年も戦い続けられたのは、背後に関中という堅固な拠点を持っていたおかげ。

 逆に項羽が咸陽(かんよう)(みやこ)としていたら、漢軍がどんなに攻め立てても滅ぼせなかったに違いない。

 

 そこで劉邦は、群臣を集めて、婁敬(ろうけい)の提言について意見を求めた。

 劉邦の下にいる群臣は、ほとんどが山東(さんとう)(中国東部)出身の人間である。故郷を遠く離れて(しん)の地へ遷都(せんと)することには、多くの臣が難色を示した。

 

 群臣は言った。

(しゅう)は、洛陽(らくよう)(みやこ)を置いてから数百年も(おとろ)えずに存続しました。

 一方、(しん)の始皇帝は咸陽(かんよう)(みやこ)を置き、わずか2世で滅びてしまったのです。

 こうした前例を(かんが)みれば、(みやこ)洛陽(らくよう)のほうが吉と思われます。

 

 また、洛陽(らくよう)は東に成皋(せいこう)あり、西に澠池(べんち)あり、背には黄河を負い、前は洛水(らくすい)に面す。

 このように、守りの固さにおいても信頼できる土地でございます」

 

 劉邦は、腕を組んで、うなった。

「うーん、そうか……

 張良先生は、どう思う?」

 

 張良が答える。

「確かに洛陽(らくよう)も、成皋(せいこう)澠池(べんち)のおかげで、一定の守りの固さは有しております。

 ただし、洛陽(らくよう)は、いささか交通の便が良すぎます。

 洛陽(らくよう)には四方のどこからでも侵入できますから、軍の拠点とするには向いておりません。

 

 一方、関中の咸陽(かんよう)を見ますと、東以外の3方向が山脈で完全に遮断されております。

 残る東方から関中に入ろうとしても、左は崤山(こうざん)が横たわり、右は函谷関(かんこくかん)に塞がれていて、容易に侵入できません。

 しかも、関中の背後には(ろう)(しょく)という肥沃(ひよく)な土地が千里に渡って広がっておりますから、長期戦にも対応可能です。

 

 すなわち、咸陽(かんよう)(みやこ)とすれば、ただ東方の守りを固めるだけで、容易に諸侯を制することができるのです。

 いわゆる金城(きんじょう)千里(せんり)天府(てんぷ)の国。

 婁敬(ろうけい)の意見は、大変すばらしいと思います」

 

 劉邦は、うなずいた。

「よし! それじゃあ、婁敬(ろうけい)の教えに従い、日を選んで咸陽(かんよう)遷都(せんと)しよう!」

 

 

(つづく)

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