龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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七十六の中 不穏の影、蠢き

 

 

 かくして、漢の(みやこ)咸陽(かんよう)に置かれることが決まった。

 

 この功績によって、婁敬(ろうけい)には奉春(ほうしゅん)(くん)の号と、(りゅう)氏の(せい)が与えられた。

 これ以後、婁敬(ろうけい)劉敬(りゅうけい)名乗(なの)るようになる。

 皇帝劉邦と同じ(せい)を与えられるのは、臣下として最大の栄誉。婁敬(ろうけい)の功績が極めて高く評価された証拠である。

 

 劉邦は天下に(みことのり)を伝え、咸陽(かんよう)(みやこ)を建て、今後は建寅(けんいん)(げつ)(1月)を年の初めとすることを宣言した。

 これによって、今まで以上に天下は安定した。

 人々は道に捨てられた物も盗まず、夜になっても戸に鍵もかけない。万民が歌い楽しみ暮らす、平和な時代が訪れたのだった。

 

 群臣は表を上げ、遷都(せんと)を祝賀した。

 その表に(いわ)く、

 

『皇帝陛下は神聖なる武力によって四方を平定し、威徳(いとく)によって万国を征服した。

 今や中華と蛮夷(ばんい)は1つに混ざり合い、各国の礼儀作法や音楽が共通の制度に統一された。

 

 陛下が功臣との間に結んだ盟約は、泰山(たいざん)砥石(といし)のように()り減り、黄河が(おび)のように細くなるまで、末永(すえなが)く続く。

 雲(まと)う龍と風従える虎が一堂に会するこの時を、陛下は喜んで迎えておられよう。

 

 陛下は盛運(せいうん)を建てて輝かせ、皇室の大宗(たいそう)(嫡流)から小宗(しょうそう)(支流)にまで行きわたらせなさった。

 今ここに皇国の基礎を突き固め、一世(いっせい)から万世(ばんせい)へと続く統治を(かたち)(づく)りなさったのである。

 

 この地、関中の前方に(のぞ)沙苑(しゃおん)では、旺気(おうき)が浮かび上がって皇帝陛下に従う。

 後方に横たわる()(こう)では、(けぶ)る雲が(つら)なって秀麗なる景色を作る。

 右手には藍山(らんざん)が巡り、また東には華嶽(かがく)(かん)を成す。

 

 終南(しゅうなん)(ざん)を城壁となす、ここはまさに天の造りし険要の地。

 涇水(けいすい)渭水(いすい)に従って守りをなす、ここはまさに地の(もう)けし自然の雄。

 

 陛下は、この天府(てんぷ)の地を安寧(あんねい)(みやこ)に定め、金城(きんじょう)湯池(とうち)……金属を城壁とし熱湯を(ほり)としたかのような堅固な守りを享受(きょうじゅ)しておられる。

 

 臣らは微力なれど、陛下の歩む王道を(とも)に歩み、中夏(ちゅうか)の歴史を(とも)に見つめ、蓬莱(ほうらい)仙境(せんきょう)(とも)(いた)って、鳳凰(ほうおう)が飛び立つための(うてな)(とも)に登ろう。

 臣ら、慶賀(けいが)欣躍(きんやく)(いた)りに()えず』

 

 劉邦は、表文を読んで、ななめならず喜んだ。

 そして群臣に恩賞を与え、盛大に酒宴を(もう)けて、1日中、歓楽を尽くしたのだった。

 

 

   *

 

 

 それからしばらく経った、ある日。

 

 劉邦は、宮廷の奥にある箱のように()ぢんまりした宮殿で、座って休んでいたが……

 ふと、鍾離昧(しょうりまい)のことを思い出した。

 

「そういえば、いまだに鍾離昧(しょうりまい)が姿を見せないな……

 素直に出頭すれば罪を(ゆる)すと告知したのに、それでも出てこないということは……

 後で大きな(わざわ)いを引き起こすつもりかもしれない」

 

 次の日。

 劉邦は群臣を召集し、(たず)ねた。

鍾離昧(しょうりまい)が、いまだに姿を見せない。

 汝らの中に、鍾離昧(しょうりまい)の居場所を知ってる者は、いないのか?」

 

 すると、元()将の季布が進み出た。

「臣は、()の陣から没落するとき、鍾離昧(しょうりまい)に『汝は、どこを目指して逃げるつもりか?』と(たず)ねました。

 

 鍾離昧(しょうりまい)は特に隠す様子もなく答えました。

『私は、以前から漢の韓信と厚く交流していた。韓信に(かくま)ってくれるよう頼もうと思う』と……

 

 もっとも、本当に鍾離昧(しょうりまい)が韓信のところにいるかどうかは、臣には分かりませんが」

 

 劉邦は、これを聞いて顔色を変えた。

 心の中に、激しい疑念と恐怖を抱き始めたのだ。

 

 

   *

 

 

 劉邦は、いったん群臣を解散させると、謀士(ぼうし)陳平(ちんぺい)を呼んだ。

陳平(ちんぺい)よ。

 韓信が鍾離昧(しょうりまい)(かくま)っているのは、何か(たくら)んでいるからに違いない。

 

 すぐに人を派遣して事実を問いただし、鍾離昧(しょうりまい)を捕らえて心配の種を取り除きたい。

 どういう計略で捕まえればいい?」

 

 陳平(ちんぺい)は、答えた。

「この件は、急ぎすぎては、いけません。

 といって、のんびり構えるのも不可です。

 

 こちらが急に動けば、鍾離昧(しょうりまい)他所(よそ)へ逃げ去るでしょう。

 さすれば捕らえるのは難しくなります。

 

 逆に時間をかけすぎれば、わざわざ虎を(やしな)って(わざわ)いを為させるようなもの。

 遠くないうちに必ず乱が(しょう)じましょう。

 

 そこで……

 まず心腹(しんぷく)の部下を1人、別件の名目(めいもく)で韓信の元へ派遣してください。

 

 そして、もし韓信のところに本当に鍾離昧(しょうりまい)がいたら、韓信に伝えるのです。このように……このように……

 ……と、こう言えば、韓信は進退(きわ)まり、みずから鍾離昧(しょうりまい)を殺すでしょう」

 

 劉邦は、陳平(ちんぺい)から話を詳しく聞くと、ひそかに随何(ずいか)を呼んだ。

 随何(ずいか)は、漢でも1、2を争う弁舌の士。かつて項羽の腹心だった英布を漢の側に寝返らせたほどの男だ。

 この重要な役目を任せるには最適の人材である。

 

 劉邦は、随何(ずいか)に低く(ささや)いた。

「汝は、義帝の陵墓(りょうぼ)を造営するためという名目(めいもく)郴州(ちんしゅう)へ向かえ。

 そして、道の途中で()国に立ち寄り、韓信に会うんだ。

 

 本当の目的は、韓信のところに鍾離昧(しょうりまい)がいるかどうか(さぐ)ることだ。

 もし本当に鍾離昧(しょうりまい)がいたら、これこれこういうふうに韓信に話して、韓信が鍾離昧(しょうりまい)を殺すように誘導しろ。

 もし後の(うれ)いを取り除くことができたら、それが汝の功績になる」

 

 

(つづく)




●注釈
 本編に『今後は建寅(けんいん)(げつ)を年の初めとする』とある。しかし実際に建寅(けんいん)(げつ)(旧暦1月)が年初となったのは本編より100年ほど後、前漢の武帝の時代である。婁敬(ろうけい)劉敬(りゅうけい))が遷都(せんと)を提言した話は「史記・留侯世家」や「史記・劉敬叔孫通列伝」に記述されているが、その中にも年初の月を変更したという話は出てこない。したがって、この(こよみ)の変更の部分は「西漢通俗演義」の創作と思われる。
 ちなみに、中国では11月を建子(けんし)(げつ)と呼び、そこから建丑(けんちゅう)(12月)、建寅(けんいん)(1月)、建卯(けんぼう)(2月)……と十二支の順に月名をつけている。
 この月名は、日没直後に北斗七星の()の部分が指す方角((けん))に由来する。たとえば11月の日没直後には北斗七星の()が真北を向く。真北は()の方角であるから建子(けんし)、という具合である。
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