かくして、漢の都は咸陽に置かれることが決まった。
この功績によって、婁敬には奉春君の号と、劉氏の姓が与えられた。
これ以後、婁敬は劉敬と名乗るようになる。
皇帝劉邦と同じ姓を与えられるのは、臣下として最大の栄誉。婁敬の功績が極めて高く評価された証拠である。
劉邦は天下に詔を伝え、咸陽に都を建て、今後は建寅月(1月)を年の初めとすることを宣言した。
これによって、今まで以上に天下は安定した。
人々は道に捨てられた物も盗まず、夜になっても戸に鍵もかけない。万民が歌い楽しみ暮らす、平和な時代が訪れたのだった。
群臣は表を上げ、遷都を祝賀した。
その表に曰く、
『皇帝陛下は神聖なる武力によって四方を平定し、威徳によって万国を征服した。
今や中華と蛮夷は1つに混ざり合い、各国の礼儀作法や音楽が共通の制度に統一された。
陛下が功臣との間に結んだ盟約は、泰山が砥石のように磨り減り、黄河が帯のように細くなるまで、末永く続く。
雲纏う龍と風従える虎が一堂に会するこの時を、陛下は喜んで迎えておられよう。
陛下は盛運を建てて輝かせ、皇室の大宗(嫡流)から小宗(支流)にまで行きわたらせなさった。
今ここに皇国の基礎を突き固め、一世から万世へと続く統治を形作りなさったのである。
この地、関中の前方に臨む沙苑では、旺気が浮かび上がって皇帝陛下に従う。
後方に横たわる滸崗では、煙る雲が連なって秀麗なる景色を作る。
右手には藍山が巡り、また東には華嶽が環を成す。
終南山を城壁となす、ここはまさに天の造りし険要の地。
涇水・渭水に従って守りをなす、ここはまさに地の設けし自然の雄。
陛下は、この天府の地を安寧の都に定め、金城湯池……金属を城壁とし熱湯を堀としたかのような堅固な守りを享受しておられる。
臣らは微力なれど、陛下の歩む王道を共に歩み、中夏の歴史を共に見つめ、蓬莱の仙境へ共に至って、鳳凰が飛び立つための台へ共に登ろう。
臣ら、慶賀欣躍の至りに勝えず』
劉邦は、表文を読んで、ななめならず喜んだ。
そして群臣に恩賞を与え、盛大に酒宴を設けて、1日中、歓楽を尽くしたのだった。
*
それからしばらく経った、ある日。
劉邦は、宮廷の奥にある箱のように小ぢんまりした宮殿で、座って休んでいたが……
ふと、鍾離昧のことを思い出した。
「そういえば、いまだに鍾離昧が姿を見せないな……
素直に出頭すれば罪を赦すと告知したのに、それでも出てこないということは……
後で大きな災いを引き起こすつもりかもしれない」
次の日。
劉邦は群臣を召集し、尋ねた。
「鍾離昧が、いまだに姿を見せない。
汝らの中に、鍾離昧の居場所を知ってる者は、いないのか?」
すると、元楚将の季布が進み出た。
「臣は、楚の陣から没落するとき、鍾離昧に『汝は、どこを目指して逃げるつもりか?』と尋ねました。
鍾離昧は特に隠す様子もなく答えました。
『私は、以前から漢の韓信と厚く交流していた。韓信に匿ってくれるよう頼もうと思う』と……
もっとも、本当に鍾離昧が韓信のところにいるかどうかは、臣には分かりませんが」
劉邦は、これを聞いて顔色を変えた。
心の中に、激しい疑念と恐怖を抱き始めたのだ。
*
劉邦は、いったん群臣を解散させると、謀士陳平を呼んだ。
「陳平よ。
韓信が鍾離昧を匿っているのは、何か企んでいるからに違いない。
すぐに人を派遣して事実を問いただし、鍾離昧を捕らえて心配の種を取り除きたい。
どういう計略で捕まえればいい?」
陳平は、答えた。
「この件は、急ぎすぎては、いけません。
といって、のんびり構えるのも不可です。
こちらが急に動けば、鍾離昧は他所へ逃げ去るでしょう。
さすれば捕らえるのは難しくなります。
逆に時間をかけすぎれば、わざわざ虎を養って災いを為させるようなもの。
遠くないうちに必ず乱が生じましょう。
そこで……
まず心腹の部下を1人、別件の名目で韓信の元へ派遣してください。
そして、もし韓信のところに本当に鍾離昧がいたら、韓信に伝えるのです。このように……このように……
……と、こう言えば、韓信は進退窮まり、みずから鍾離昧を殺すでしょう」
劉邦は、陳平から話を詳しく聞くと、ひそかに随何を呼んだ。
随何は、漢でも1、2を争う弁舌の士。かつて項羽の腹心だった英布を漢の側に寝返らせたほどの男だ。
この重要な役目を任せるには最適の人材である。
劉邦は、随何に低く囁いた。
「汝は、義帝の陵墓を造営するためという名目で郴州へ向かえ。
そして、道の途中で楚国に立ち寄り、韓信に会うんだ。
本当の目的は、韓信のところに鍾離昧がいるかどうか探ることだ。
もし本当に鍾離昧がいたら、これこれこういうふうに韓信に話して、韓信が鍾離昧を殺すように誘導しろ。
もし後の憂いを取り除くことができたら、それが汝の功績になる」
(つづく)