龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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七十七の上 狡兎死して走狗煮らる

 

 

 ある日の早朝。

 劉邦は、毎朝恒例の群臣による拝謁(はいえつ)を受けた後、具体的な政策論議に取り組んでいた。

 

 その時、こんな報告が外から飛び込んで来た。

「ただいま、どこの誰かは分かりませんが、『皇帝陛下に謁見(えっけん)して機密情報をお知らせ申し上げたい』という者が来ました。

 いかがいたしましょうか?」

 

 劉邦は興味を抱き、その者を中へ通すよう(めい)じた。

 

 その者は劉邦の前に近づき、言った。

「それがしは()(たみ)でございます。

 機密情報というのは、ほかでもない、()王韓信の悪行のことなのです。

 

 まず韓信は、()王に(ほう)ぜられた後、勝手に(たみ)田地(でんち)を奪いました。

 そして、その土地に自分の父母の墓を建ててしまいました。

 

 次に、韓信は多くの兵馬を(ひき)いて、むやみに各地の郡県を威圧しました。

 そのため、(たみ)(おび)え、不安に駆られております。

 

 そして最後に、韓信は逃亡中の()鍾離昧(しょうりまい)(かくま)っているのです。

 

 韓信は長期に渡って何かの陰謀(いんぼう)(たくら)んでおります。

 おそらくは謀反(むほん)……!

 鍾離昧(しょうりまい)の首を皇帝陛下に差し出そうとしないのが、その証拠です。

 

 以上の事実を(つか)みましたので、皇帝陛下にご報告すべく星夜を(てっ)して駆けつけた次第(しだい)

 どうか、はやく韓信を取り除き、()(たみ)をお救いくださいませ!」

 

 

   *

 

 

 劉邦は、陳平(ちんぺい)などの諸臣を呼び集めた。

「韓信が、自分の功績を(たの)みとして、バカなことを考えはじめたらしい。

 鍾離昧(しょうりまい)(かくま)っているからには、謀反(むほん)の意志があるとみていいだろう。

 

 本当は(せい)を本拠地として反乱を起こす計画だったんだろうが、俺が()改封(かいほう)したもんだから、アテが(はず)れて、韓信は俺を(うら)んでるだろうな」

 

 群臣は、劉邦の言葉を聞くと、いきりたった。

「これは軽く見てよいことではありません!

 陛下! 早く兵を起こし、韓信を処罰なさいませ!」

 

 が、ここで陳平(ちんぺい)が声を上げた。

「はなはだ不可なり!

 韓信は、並の将とは比べ物にならない(いくさ)上手(じょうず)だ。

 しかも韓信がいる()の地は、淮水(わいすい)流域や(さい)州に繋がる交通の要衝で、数十万の軍勢を養えるだけの国力がある。

 

 もし韓信が変を起こせば、その勢いは当たるべからざるものになる。

 これまさに項羽の再来である!

 

 汝ら諸将は、一時的な不平の気持ちに流されて、軽々しく韓信と戦おうとしている。

 私には、戦わずとも結果が見える。戦えば必ず敗れることになるぞ!」

 

 劉邦が言う。

「じゃあ陳平(ちんぺい)、どうやって事態を収めればいい?」

 

 陳平(ちんぺい)が、うなずいた。

「臣が愚見(ぐけん)を申しますならば、韓信を捕らえるのに力を用いてはいけません。ただ知恵をもって捕らえるべきです。

 

 臣に、ひとつの計略がございます。

 軍を動かさず、韓信が自分から捕らえられに来るようしむけるのです。

 これで陛下のご心配は、自然に解消されましょう」

 

 劉邦が問う。

「その計略ってのは?」

 

 陳平(ちんぺい)が言う。

()国には、雲夢(うんぼう)(たく)という巨大な湖沼(こしょう)(ぐん)がございます。

 皇帝陛下は、この雲夢(うんぼう)遊幸(ゆうこう)(旅行)すると(いつわ)り、()に移動なさいませ。

 

 (いにしえ)の天子は、季節ごとに各地方へ巡狩(じゅんしゅ)(巡り歩いて視察すること)いたしました。

 春は東へ、夏は南へ、秋は西へ、冬は北へ。

 四季おりおりに(たみ)の暮らしを見て回る。これが、古来より聖なる君主の(まつりごと)のやり方でございました。

 

 これにあやかって、御車(おくるま)を出して雲夢(うんぼう)遊幸(ゆうこう)なさり、各地の諸侯に(めい)じるのです。

()の西の国境あたりに集合せよ。

 もし来ない者がいたら、大将に(めい)じて軍を派遣し征伐(せいばつ)する』と。

 

 この話を韓信が聞けば、必ず(みずか)ら陛下の出迎えに現れるでしょう。

 そのとき武士に(めい)じて、韓信を捕らえるのです。

 

 こうすれば、必要となるのは武士1人の力のみ。

 諸将に苦労をさせ大軍を動かして勝負を決するより、ずっと優れているかと思います」

 

 さすがは陳平(ちんぺい)陰謀(いんぼう)にかけては天下一の男である。

 劉邦は陳平(ちんぺい)の計略を深く喜び、さっそく東国の諸侯に向けて(みことのり)(くだ)した。

 

(ちん)は、この大漢6年冬12月、雲夢(うんぼう)巡狩(じゅんしゅ)する。

 

 このとき諸侯を集合させて、各地方の(たみ)を視察し、各地の風俗を文書として(あらわ)し、天下に示したいと思う。

 もし集合しない諸侯がいたら、大将に(めい)じて軍を差し向け討伐(とうばつ)するから、そのつもりでいるように』

 

 その年の12月、劉邦は文武の群臣を引き連れて咸陽(かんよう)を離れ、(ちん)(さい)雲夢(うんぼう)の北)あたりまで出た。

 

 これに対し、英布・彭越(ほうえつ)など東国の諸侯は、ことごとく集合して劉邦を迎えた。

 

 

   *

 

 

 一方、韓信は、劉邦からの(みことのり)を聞くと、部下たちを集めて会議を開いた。

「先日、随何(ずいか)が私のところへ来て、知らせてくれた。

鍾離昧(しょうりまい)()(かくま)われていることを、すでに皇帝陛下は御存知(ごぞんじ)だ。

 朝廷の諸臣は、韓信を処罰せよと口々に陛下へ(すす)めている』と……

 

 私は、早く鍾離昧(しょうりまい)を殺して、私への批判を止めたいと思った。

 だが、鍾離昧(しょうりまい)は私の旧友だ……彼を殺すのは(しの)びない。

 

 そこへきて今、皇帝陛下が雲夢(うんぼう)遊幸(ゆうこう)なさるという。

 これは、単なる地方視察の巡狩(じゅんしゅ)ではあるまい。

 私が異心(いしん)(いだ)いていると疑い、私の罪を正すために出て来られたに違いない。

 

 こうなったら、随何(ずいか)の助言に従い、鍾離昧(しょうりまい)を殺して皇帝陛下に謁見(えっけん)するしかない……

 そうして陛下の疑いを()き、私への批判を止めるのだ」

 

 

   *

 

 

 韓信は、方針を部下たちに知らせ終えると、宮殿の裏の花園へ向かった。

 この花園の小閣(しょうかく)(小さな建物)に、鍾離昧(しょうりまい)(かくま)われている。

 

 韓信は、鍾離昧(しょうりまい)と対面すると、こう言った。

「漢帝が雲夢(うんぼう)まで遊幸(ゆうこう)してこられた。

 私が御辺(ごへん)(かくま)っていることを、すでに漢帝はご存知(ぞんじ)だ。おそらく、この遊幸(ゆうこう)は私を疑ってのことだろう。

 

 これは、ただ御辺(ごへん)だけの危機ではない……私にとっても反逆の罪を問われる危機なのだ。

 だから、御辺(ごへん)を殺し、その首を皇帝陛下に献上して、罪を(まぬが)れたい……

 

 やむを()ないことなのだ。

 どうか(うら)まないでくれ……」

 

 鍾離昧(しょうりまい)は、必死になって食い下がる。

()王様、道を(あやま)っては、なりませんぞ!

 今日、私を殺しなさったら、明日は()王様が殺される。

 先日そう申し上げたでしょう……あれは()王様を(だま)すための嘘ではない。まぎれもない真実です!」

 

 韓信は、目を伏せ、苦しげに首を振った。

「そうかもしれん。

 だが、たとえ皇帝陛下が私を裏切るとしても、私は二心(ふたごころ)が無いことを陛下に示さずにはいられないのだ」

 

 鍾離昧(しょうりまい)は、カッと頭に血を(のぼ)らせ、大声で(ののし)った。

(また)(くぐ)り男め!

 どうして、そんなにも人情というものが欠けているんだ!

 

 私との数十年来の友情を無にするとは!

 ああ、残念だ。汝が殺されるところをこの目で見られないことが、何よりも残念だ!」

 

 そして鍾離昧(しょうりまい)は刀を抜き、みずから首を()ねてしまった。

 

 

   *

 

 

 韓信は、鍾離昧(しょうりまい)の首を(たずさ)え、雲夢(うんぼう)に向かった。

 

 韓信は、これで疑惑が晴れるものと思っていたのだろう。

 だが、それは甘い見積(みつ)もりであった。

 韓信が雲夢(うんぼう)で劉邦に謁見(えっけん)すると、劉邦は、冷たく言い放ったのだ。

 

「俺は、何度も何度も鍾離昧(しょうりまい)行方(ゆくえ)を探す()れを出したよな?

 だが汝は、かたくなに鍾離昧(しょうりまい)(かくま)い続けた。

 

 それが今、俺が雲夢(うんぼう)まで出てきたもんだから、(こと)露顕(ろけん)するのを恐れ、あわてて鍾離昧(しょうりまい)の首を持ってきた、ってわけだ。

 汝は、やむをえず鍾離昧(しょうりまい)を殺しただけ。これが本心じゃないんだろ?

 

 ……ものども! やれっ!」

 

 劉邦が一喝(いっかつ)して(めい)じると、武士たちが韓信に殺到し、たちまち韓信を縛り上げてしまった。

 

 

(つづく)




●注釈
(1)
 本編で、『劉邦は、毎朝恒例の群臣による拝謁(はいえつ)を受けた後、具体的な政策論議に取り組んでいた』という場面が描かれた。これに関して「礼記・玉藻」に以下のような記述がある。
『君主は日が昇ると(臣下に)対面し、路寝(正殿)に下がって臣下から政治に関する意見を聞く。そして部下に大夫(臣下)たちの様子を見に行かせ、大夫が退出したのを確認したら、その後で小寝(寝室)に下がって休み、衣服を脱ぐ』
 このように、古代中国では日の出直後の早朝に天子が群臣の拝謁(はいえつ)を受け、それが済んだら別室へ場を移して具体的な政策論議を行うのが通例だった。そこから転じて『朝』の字が政府や政権そのものを指すようになったという。朝廷、王朝、朝貢などの語はこれに由来する。
 朝は日の出から働き始め、夜は部下が全員帰るまで休めない……一国の君主というのも、なかなかどうして楽な仕事ではなさそうだ。

(2)
 『雲夢(うんぼう)(たく)』は、古代中国の南部に存在した巨大な湖沼群の名称。
 孟慶遠「中国歴史文化事典」によると、古代の荊州(けいしゅう)地方・長江流域には、河川と湖沼が混然一体となった広大な水域が広がっていた。この水域が雲夢(うんぼう)であり、その面積は4万平方キロメートルにも達した。日本の九州本島が約3万7千平方キロメートル。それを丸ごと飲み込むほどの面積……と考えると、雲夢(うんぼう)の途方もない広さが実感できる。
 その後、長期に渡る土砂の堆積によって雲夢(うんぼう)の大半は陸地と化し、水域は徐々に南方へ押し出されるように移動していった。そうして形作られたのが現在の洞庭湖なのだという。
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