龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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七十七の中 狡兎死して走狗煮らる

 

 

 韓信は、縛られながら大声で叫んだ。

「臣に(なん)の罪があるというのです!?

 これは不当な扱いだ!」

 

 劉邦が、氷のように冷えた目を韓信に向けた。

「何が不当だ? 言ってみろ」

 

 韓信が言う。

「臣は、皇帝陛下にとって開国の功臣です。

 それを罪も無く縛り上げる。これが不当でなくて(なん)ですか!」

 

 劉邦は、淡々と語りだした。

「汝は、自分の父母を(ほうむ)る土地とするために、民の田地(でんち)を勝手に奪った。

 人民は怒りを感じても、汝の権力を恐れて口に出せずにいる。そのぶん(かげ)(うら)みの声が(うわさ)となって広がっているんだ。

 

 これは、漢の藩屏(はんぺい)たる王家の、やることではない。

 それが罪の1だ。

 

 最近は天下に変事がなく、平和に静まっていた。

 それなのに汝は、多くの軍馬を並べて各郡県に出入りし、威武を示した。

 この行動によって、四方の人々は、みんな不安を覚えている。

 それが罪の2。

 

 鍾離昧(しょうりまい)は、項羽の心腹(しんぷく)の臣だった。

 それを汝は特に理由もなく(かくま)い、朝夕に相談をもちかけていた。

 これは、心の中で爪や(きば)()いでいた、ということに他ならない。

 それが罪の3。

 

 以上3つの罪状は、すでに露顕(ろけん)している。

 汝を縛ったのは、これが理由だ。

 さあ……これでもまだ言いたいことがあるか?」

 

 韓信は、即座に答えた。

「その3条すべてに申し開きいたしましょう。

 ご明察(めいさつ)のうえで縄を解いていただきたい。

 

 臣が布衣(ほい)(一般庶民)であった時、(きわ)めて(まず)しく困窮(こんきゅう)していて、父母が死んだ時にも(ほうむ)る土地が買えないほどでした。

 そのため、他人の土地へ仮に埋めておいたのです。

 

 私が()王に(ほう)ぜられた今、この栄誉を父母にも及ぼしたいと思い、新しく墳墓(ふんぼ)を造って改葬することにしました。

 

 このとき、敷地の端に壁を建てましたが、その壁が、少しだけ隣人の土地にハミ出てしまったのです。

 臣も最初は気づいておりませんでした。決して、わざと土地を奪ったわけではありません。

 それを人民が()しざまに申し上げただけのこと。

 

 次に、兵馬を(つら)ねて各郡県を出入りした件ですが、私は意味も無く民衆を乱そうとしたのではありません。

 

 皇帝陛下は天下を手に入れなさいましたが、旧()軍の残党は、今もなお、あちこちに残って徘徊(はいかい)しております。

 もし私が威武を示さなかったら、()軍残党は恐れを抱かず、いつかまた乱を起こすでしょう。

 

 そのため臣は、ときどき兵を(ひき)いて各郡県を巡察(じゅんさつ)し、陛下のために残党を排除して、地方を安定させようと思ったのです。

 

 最後に、鍾離昧(しょうりまい)は、以前から臣と厚く交わっていて、数十年の(よしみ)がありました。

 

 昔、臣が()に仕えていたとき、項羽に幾度(いくど)殺されそうになったか分かりません。そのたびに鍾離昧(しょうりまい)(かば)ってくれたので、私は死を(まぬが)れたのです。

 臣が皇帝陛下にお仕えできたのも、鍾離昧(しょうりまい)がいたからこそ……

 

 臣が鍾離昧(しょうりまい)(かくま)っていたのは、二心(ふたごころ)(いだ)いていたからでは、ありません。

 いつの日にか、鍾離昧(しょうりまい)智謀(ちぼう)の深さを皇帝陛下にお伝えし、陛下の臣として重く用いていただけるよう推薦(すいせん)するつもりだったのです。

 

 それなのに今、陛下は人々の讒言(ざんげん)(人を(おとしい)れるための悪口)を信じ、臣を深く疑いなさっていると聞きました。

 そのため、やむをえず鍾離昧(しょうりまい)を殺し、陛下へ献上しに参ったのです。

 

 それ以外に(なん)の意図もありません。

 どうして、これが有罪なのですか!

 どうか、はやく縄を()いてくださいませ!」

 

 劉邦が、さらに言う。

「じゃあ、この件はどうだ?

 汝は、かつて(せい)討伐(とうばつ)に取り組んでいたが、すぐには(せい)を攻め落とせない状況だった。

 

 そこで俺は別の手を打った。

 酈生(れきせい)派遣(はけん)し、(せい)王に利害を()かせたんだ。

 

 酈生(れきせい)のおかげで、(せい)王は、たちまち帰服した。

 それなのに汝は、俺からの(みことのり)を口実にして(せい)を攻め、みすみす酈生(れきせい)を敵に殺させてしまった!

 

 そのうえ、俺の弱みにつけこんで、『自分を(せい)王にしろ』なんて要求してきた!

 

 俺が成皋(せいこう)で包囲され、何度も救援を求めた時、汝は、のんびり座って戦況を(なが)めるばっかりで、少しも助けに来ようとしなかった!

 

 最近では、()改封(かいほう)されたことに不満を(いだ)き、怏々(おうおう)として楽しまず、ひそかに謀反(むほん)を計画していた!

 

 お前には、これだけ多くの罪がある!

 俺は皇帝として、この罪を正さないわけにはいかない!

 これでもまだ言うことがあるか!?」

 

 韓信は、劉邦の怒声を聞くと……天を(あお)いで、長々と(なげ)いた……

「ああ……

 まったく、昔の人の言ったとおりだ。

 

飛鳥(ひちょう)尽きて良弓(りょうきゅう)(かく)さる。

 狡兎(こうと)死して走狗(そうく)()らる。

 敵国(やぶ)れて謀臣(ぼうしん)(ほろ)ぶ』……

 

 獲物(えもの)の鳥がいなくなれば、良い弓も、しまいこまれてしまう。

 すばしこい(うさぎ)がいなくなれば、猟犬は煮て食べられてしまう。

 敵国が破られれば、謀臣(ぼうしん)もまた滅び去る……

 

 その言葉を、私は今、身をもって知ることになった。

 すでに天下は(さだ)まった……私が煮殺(にころ)される時が来たのだ」

 

 韓信の(なげ)きを、劉邦は聞いた。

 そして、ぴたりと動きを止めた。

 

 劉邦の心は揺れていた。

 確かに韓信は建国の功臣だ。韓信がいなければ、項羽に勝つことは不可能だったろう。

 その韓信を、用済(ようず)みになったからといって殺してしまう……そのことに、劉邦は罪悪感を覚えはじめた。

 

 結局、劉邦は、その場で処分を決めることができず……

 ひとまず韓信から()王の印章を奪うと、韓信を馬車の後ろに縛っておかせた。

 

 

   *

 

 

 劉邦は、韓信を拘束しおえると、そのまま予定通り雲夢(うんぼう)へ進み始めた。

 

 しばらく馬車に揺られて進み、日が暮れ始めた頃。

 劉邦は、部下に(たず)ねた。

「ここから雲夢(うんぼう)まで、どのくらいある?」

 

 部下が答える。

「あと30里(12km )ほどです」

 

 劉邦は、少し疲れた顔で微笑(ほほえ)んだ。

「そっか。じゃあ、久々に少し馬でも走らせてみようかな」

 

 劉邦は馬車から降りると、白馬に(また)がり、みずから手綱(たづな)を取って進みだした。

 雲夢(うんぼう)の景観を(なが)めながら、ゆるゆると馬を(あゆ)ませる。

 韓信のことでささくれだった劉邦の心も、この壮大なる風景を前に、少しずつ癒えていくようだった。

 

 ところが……劉邦が大きな林の手前まで来た、そのとき。

 突然、劉邦の馬が咆哮(ほうこう)し、落ち着かぬ様子で足踏(あしぶ)みしはじめた。

 

 劉邦は顔色を変えた。

 自慢にはならないが、劉邦は今まで数えきれないほどの死線を乗り越えてきた。

 その経験で(はぐく)まれた(かん)によって、劉邦は鋭く危険を察知した。

 

 劉邦は、樊噲(はんかい)を呼んだ。

「おい樊噲(はんかい)

 馬の様子がおかしい。

 この林の中に刺客(しかく)がいるに違いない。

 お前、兵を連れて、林の中を(さぐ)りに行ってくれ」

 

「承知!」

 樊噲(はんかい)は威勢よく答え、100人ほどの兵を(ひき)いて林に入っていった。

 

 すると、劉邦の直感した通り、林の中に壮士(壮年の男)が1人見つかった。

 年齢は30歳ほどだろうか。

 林の中に身を隠し、弓を引いて矢をつがえている。これは穏やかではない。

 

 樊噲(はんかい)は、たちまち壮士を捕らえ、劉邦の前に引っ張っていった。

 劉邦は壮士を見て問う。

「汝は何者だ? どうして、この林に隠れていた?」

 

 壮士は答えた。

「臣は、淮陰(わいいん)出身の任侠(にんきょう)。かつて()王韓信様から厚恩(こうおん)(こうむ)った者です。

 

 皇帝陛下が罪も無い韓信様を縛ったと聞き、この林に隠れていたのです。

 韓信様がここを通り過ぎた時、行列を襲って韓信様を奪い取ろうというつもりで……」

 

 これを聞くと、劉邦は目の色を変えて怒りだした。

「嘘をつけっ!

 汝は韓信を救おうとしたんじゃあるまい! 本当は、この俺を射殺(いころ)そうとしてたんだろう!

 

 (さいわ)いにも俺の馬が警告してくれて、難を逃れることができた!

 もし間違(まちが)って林に入っていたら、きっとお前に殺されていただろう!」

 

 そして劉邦は、左右の部下に(めい)じた。

「おい! こいつを殴り殺せ!」

 

 いまや劉邦は皇帝である。将も、兵も、みな皇帝劉邦の意のままに動く。

 劉邦の部下たちは、金属の棍棒を振り上げ、壮士を滅多(めった)打ちに打ちまくり……そのまま打ち殺してしまった。

 

 韓信は、この話を伝え聞くと、(ほお)一筋(ひとすじ)の涙を流し、壮士の死を()しんだという。

 

 

(つづく)

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