龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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巻十四 粛清
七十八の上 白登山の屈辱


 

 

 都(みやこ)咸陽(かんよう)から北東へ1500里(約600km)……

 

 中国北部の大都市晋陽(しんよう)は、東西北を山に囲まれた肥沃(ひよく)な盆地にあり、黄河の支流を擁して水も豊富である。

 そのため、この街は交通の要衝(ようしょう)として春秋・戦国の頃から大いに栄えた。

 

 秦(しん)の始皇帝が中国を統一したとき、この一帯に太原(たいげん)郡が設置され、その政庁は晋陽(しんよう)に置かれた。

 劉邦が天下を取ると、太原(たいげん)郡は韓(かん)国に組み込まれ、韓(かん)王姫信(きしん)に領土として与えられた。

 

 晋陽(しんよう)は、北方異民族の領域に接する防衛の要(かなめ)でもある。

 だがそれは、この街が異民族たちにとっての侵略の足がかり……つまり中国への玄関口となってしまうことをも意味する。

 

 韓(かん)王姫信(きしん)は、異民族匈奴(きょうど)と手を結んで反乱を起こし、この晋陽(しんよう)を占領せんと南下してきた。

 そして匈奴(きょうど)の君主冒頓(ぼくとつ)単于(ぜんう)もまた、晋陽(しんよう)北の代谷(だいこく)に陣を張っているという。(単于(ぜんう):匈奴(きょうど)の君主の称号)

 

 これを放置すれば、どれほど被害が広がるか分からない。

 皇帝劉邦が自(みずか)ら軍勢を率(ひき)いて出陣したのは、こうした危機感に突き動かされてのことなのである。

 

 

   *

 

 

 劉邦は、匈奴(きょうど)と反乱軍を鎮圧すべく大軍を率(ひき)いて北上。

 晋陽(しんよう)付近で匈奴(きょうど)軍と衝突し、一気呵成(いっきかせい)に攻撃を仕掛(しか)けた。

 

 匈奴(きょうど)軍は……弱かった。

 いや、あるいは漢軍が強すぎたのだろうか。

 いずれにせよ、漢軍の攻撃によって匈奴(きょうど)軍はたちまち崩れ、北へ向けて撤退を開始した。

 

 劉邦率(ひき)いる漢軍は、匈奴(きょうど)を追ってさらに北へ進軍。

 中国北の辺境にある広武の街まで進出した。

 ここまでくれば、もう匈奴(きょうど)の領域は目の前である。

 

 劉邦は、広武に入ると、敵の動向を探るべく、10人の千戸(せんこ)(部隊長)を先行させた。

 そして、次なる戦いの準備を整えつつ、千戸(せんこ)たちの報告を待った。

 

 

   *

 

 

 ここまで漢軍は堅実に戦(いくさ)を進めてきたように見える。

 ……が。

 実はこの時、漢軍の動きは、一から十まで冒頓(ぼくとつ)単于(ぜんう)に筒抜(つつぬ)けとなっていた。

 

 冒頓(ぼくとつ)は、漢軍の偵察(ていさつ)隊が接近していることを知ると、一計を案じた。

 まず平城(へいじょう)という城の付近にある白登(はくと)山(さん)に陣を張り、わざと屈強の精兵を山の後ろへ隠した。

 そして陣の前面には、弱った老兵や、痩(や)せ衰(おとろ)えた牛や羊ばかりを配置したのである。

 

 漢軍の千戸(せんこ)たちは、冒頓(ぼくとつ)の策略に、まんまと騙(だま)され……

 広武に帰還すると、見てきたままを劉邦に報告してしまった。

 

「冒頓(ぼくとつ)の陣には老兵ばかり。匈奴(きょうど)軍は弱体です」

 

 劉邦は上機嫌に笑った。

「そうだろうな。蛮夷(ばんい)の賊徒(ぞくと)どもが、俺の中国兵に敵(かな)うわけがない。

 じゃあ、すぐに兵を進めよう!」

 

 すると、謀士(ぼうし)陳平(ちんぺい)が諌(いさ)めた。

「匈奴(きょうど)は、詐(いつわ)りの計略を多用する民族です。

 しかも今は、戦(いくさ)慣(な)れした韓(かん)王姫信(きしん)が匈奴(きょうど)に協力しているのです。

 

 おそらく敵は、なんらかの罠を用意しておりましょう。

 陛下。再び偵察(ていさつ)隊を派遣し、敵の虚実を念入りに探りなさいませ。兵を進めるのは、その後にしたほうがようございます」

 

 劉邦は笑った。

「冒頓(ぼくとつ)や姫信(きしん)が強いといっても、項羽や旧六国ほどじゃないだろ?

 汝は、ちょっと心配しすぎだよ」

 

 だが陳平(ちんぺい)も引かない。

「いやいや。敵を侮(あなど)る者は、必ず敗れます。

 冒頓(ぼくとつ)は非常な強敵です。陛下、決して軽く見てはいけません」

 

 他ならぬ陳平(ちんぺい)の言うことでは、劉邦も無視できない。

 そこで劉邦は、今度は劉敬(りゅうけい)を派遣して、敵の様子を探らせることにした。

 

 劉敬(りゅうけい)は数日して戻り、報告した。

「私が見たところ、陳平(ちんぺい)殿の申し上げた通り、敵には深い計略があるように見受けられました。

 

 そもそも、両国が相争(あいあらそ)うときには、威勢を輝かし、武力を盛(さか)んに見せ、自分の強さを誇示(こじ)するのが普通でしょう。

 ところが、冒頓(ぼくとつ)の陣は、どこもかしこも疲れ弱った老兵ばかりなのです。

 

 これは、わざと強さを隠して弱いところを見せ、皇帝陛下を油断させる策であろうと思います。

 陛下が近づいてきたところで、急に強兵を出して陛下を討(う)とうとしているのです。

 

 もし軽々しく進みなされば、必ずや敵の計略に陥(おちい)るでしょう。

 まずは誰か大将を先行させ、敵の情報を慎重に探り、敵が弱体であることが真実だと分かってから陛下が進みなさるのがよいと思われます」

 

 劉敬(りゅうけい)の意見は、至極(しごく)まっとうなものであったが……

 

 ここで劉邦は、思わぬ反応を見せた。

 突然、普段にない激しさで怒りだし、劉敬(りゅうけい)を頭ごなしに (しか)りつけたのである。

 

「劉敬(りゅうけい)!

 汝は弁舌(べんぜつ)で高官を授(さず)かっただけで、今まで一度も戦場で功績を立てたことがないだろうがッ!

 

 それが、敵が強いの弱いのと妄言(もうげん)を吐き、俺の軍の進行を妨(さまた)げ、人々の心を動揺(どうよう)させやがったな!

 さては、姫信(きしん)に賄賂(わいろ)を掴(つか)まされて内通してるんだろう!」

 

 とんでもない言いがかりである。

 劉邦らしくない。まるで人が変わってしまったかのようだ。

 

 満座の群臣が唖然(あぜん)として事態を見守る中、劉邦は左右の部下に命(めい)じて劉敬(りゅうけい)を拘束し、広武の牢(ろう)に放り込んでしまった。

 

 そして劉邦は、すぐに三軍を出発させ、匈奴(きょうど)との戦いに向かった。

 

 

   *

 

 

 劉邦は、北へ進んで平城(へいじょう)に接近した。

 ここで劉邦は、樊噲(はんかい)を派遣して匈奴(きょうど)の様子を探(さぐ)らせた。

 

 しばらくして樊噲(はんかい)が戻ってきた。

「確かに、敵は、まったく備(そな)えをしていないようです。

 匈奴(きょうど)は、城の北にある白登(はくと)山(さん)に陣取っていますが、旗幟(きし)の数も少ないですし、隊列は乱れきっています。

 その兵力にしたって、多く見積(みつ)もって4万か5万ってとこでしょう」

 

 劉邦は、報告を聞いて笑った。

「やっぱり、そうか。

 劉敬(りゅうけい)が『敵には深い計略がある』なんて言ったのは、匈奴(きょうど)と内通していたからだな。

 

 俺が大軍で攻めようとしていたもんだから、『敵に伏兵があるかもしれない』なんて言って脅(おど)し、俺の動きを止めるつもりだったんだ。

 おおかた、匈奴(きょうど)どもは夜のうちに逃げ出す気なんだろう。

 

 冒頓(ぼくとつ)の陣を打ち破るのは、朽(く)ちた木を叩き割るくらい簡単だ。

 恐れることなんて、なにも無いな」

 

 劉邦は、三軍を動かして平城(へいじょう)に入り、みずから中軍から諸軍へ指示を出していった。

 

 

   *

 

 

 ところが……その日の黄昏(たそがれ)頃。

 思わぬ出来事(できごと)が起きた。

 

 城外の四方で鉄砲の音が鳴り響いたかと思うと、いきなり匈奴(きょうど)の大軍が湧きだし、数え切れぬほどの兵力で平城(へいじょう)へ攻め寄せてきたのである。

 

 劉邦は、慌てて物見(ものみ)の兵を城壁に登らせた。

 物見の兵は、外の様子を一目(ひとめ)見ると、あわただしく城壁から駆け下りて報告した。

 

「匈奴(きょうど)の大軍が、この城を囲んでいます!

 その勢力の大きさは、かつての項羽などとは比べ物になりません!

 城壁から見渡すこと数十里、火把(かは)(松明(たいまつ))の光が延々(えんえん)と連(つら)なり、その数は……100万にも達するかと!」

 

「ひゃっ、100万!?」

 劉邦は、飛び上がって驚いた。

 

 劉邦の顔面が、みるみる青ざめていく。

「しまった……!

 劉敬(りゅうけい)が正しかったのか!

 俺が劉敬(りゅうけい)の言葉を無視したせいで、まんまと敵の計略にハマってしまった……!」

 

 劉邦は、すぐに陳平(ちんぺい)を呼んだ。

「陳平(ちんぺい)!

 この城は完全に包囲されてしまった。匈奴(きょうど)は、信じられないほどの大軍だ。どうすればいい!?」

 

 陳平(ちんぺい)は、落ち着いて答える。

「蕃兵(ばんへい)(異民族の兵)は戦(いくさ)を好み、はなはだ勇壮です。

 力によって包囲を破ることは不可能でしょう。

 ただし、奇計によって敵の心を惑(まど)わせば、この困難な状況から逃(のが)れることも可能かと」

 

 劉邦が問う。

「その奇計とは?」

 

 陳平(ちんぺい)は、劉邦の前に近づき、耳元で囁(ささや)いた。

「聞くところによりますと、冒頓(ぼくとつ)は、たいへんな愛妻家だそうです。

 

 匈奴(きょうど)では、君主の妻を閼氏(えんし)と呼びます。

 冒頓(ぼくとつ)は閼氏(えんし)を深く寵愛(ちょうあい)するあまり、閼氏(えんし)の言うことなら、政治のことでもなんでも聞いてしまうのだそうです。

 

 どこへ行くにも閼氏(えんし)を同伴(どうはん)させ、少しも離れようとせず、側室を迎えようともしない……

 冒頓(ぼくとつ)は、それほど一途(いちず)に閼氏(えんし)を愛しております。

 

 この閼氏(えんし)に働きかけてみましょう。

 

 臣の手下に、姓(せい)は李、名は周という者がおります。

 この者は、極めて絵の上手い画工でございます。

 

 この李周に、美人画を1枚、描かせます。

 五色(ごしき)あざやかに装飾し、艶(なま)めかしさ極まる美女の絵です。

 

 そして、使者に千金を持たせ、ひそかに匈奴(きょうど)の陣へ遣(つか)わします。

 陣門の番をしている将兵に、たっぷりと賄賂(わいろ)を掴(つか)ませて、陣の中に潜(もぐ)りこみ……

 閼氏(えんし)に対面して、金銀珠玉(しゅぎょく)と一緒に、美人画を贈るのです。

 

 そして、閼氏(えんし)に、こう囁(ささや)きます。

『冒頓(ぼくとつ)が、あまりに急に城を攻めてきたため、漢軍は対抗できなくなった。

 そのため、この絵の美人を冒頓(ぼくとつ)に贈って、和睦(わぼく)を申し入れたい。

 閼氏(えんし)よ。どうか、この申し出を冒頓(ぼくとつ)に取り次いでいただきたい』と……

 

 閼氏(えんし)は、美人画を見て、こう考えるでしょう。

『漢帝が、こんな美人を贈ってきたら、冒頓(ぼくとつ)は、この美人を愛するに違いない。私への寵愛(ちょうあい)が薄れてしまう……』

 

 となれば、閼氏(えんし)は和睦(わぼく)の阻止を狙う。

 すなわち、冒頓(ぼくとつ)に働きかけ、匈奴(きょうど)軍が自発的に撤退するよう仕向(しむ)けるはず。

 

 そうして冒頓(ぼくとつ)が兵を退(ひ)いたところを狙い、陛下は大軍を率(ひき)いて城から脱出なさいませ」

 

 劉邦は、大いに喜んだ。

「なるほど! すごい計略だ!

 さっそく取りかかってくれ!」

 

 

   *

 

 

 陳平(ちんぺい)の命(めい)により、李周は夜(よ)を徹(てっ)して美人画を描き上げた。

 美人画が仕上(しあ)がると、陳平(ちんぺい)は心腹の部下に金銀宝珠(ほうじゅ)と美人画を持たせ、匈奴(きょうど)の陣へ派遣した。

 

 使者は、匈奴(きょうど)の臣たちに賄賂(わいろ)を贈り、計画通りに閼氏(えんし)と対面を果たした。

 

 使者は、閼氏(えんし)に金銀珠玉(しゅぎょく)の贈り物と一緒に、例の美人画を献上した。

 

 閼氏(えんし)は、戸惑(とまど)って尋(たず)ねた。

「金銀や宝玉(ほうぎょく)は、謹(つつし)んで頂戴(ちょうだい)しましょう。

 しかし、この美人画は……? こんなものを受け取って、私にどうしろというのか?」

 

 漢の使者は答えた。

「漢朝の皇帝は、冒頓(ぼくとつ)大王に城を包囲され、明日にも滅びようとしております。

 そこで、冒頓(ぼくとつ)大王に美人を献上し、和睦(わぼく)を求めようと考えております。

 

 その美人画は、献上する予定の美女を描いたもの。

 どうか娘娘(にゃんにゃん)(高貴な女性に対する敬称)、その絵を冒頓(ぼくとつ)大王へ見せ、我らの意思を伝えてくださいませ」

 

 閼氏(えんし)は、絵を見て暗(あん)に思った。

「漢帝が、これほどの美女を贈ってきたら、冒頓(ぼくとつ)は必ず深くこの女を愛するだろう。

 私などは、どこに捨てられてしまうかも分からない……

 

 そうだ!

 冒頓(ぼくとつ)に兵を退(ひ)かせ、漢の天子を都(みやこ)へ帰らせてやろう。

 そうすれば和睦(わぼく)の話は自然に立ち消え、この美女が贈られてくることもなくなる。私の心配も解消されよう」

 

 そこで閼氏(えんし)は、使者に向かって言った。

「汝は、城に帰り、よくよく漢の天子に申し上げよ。

『美人を贈る必要はない。私が明日、冒頓(ぼくとつ)に勧(すす)めて、兵を退(ひ)かせよう。

 決して冒頓(ぼくとつ)を誘惑するでないぞ!』

 ……とな」

 

 使者は、心の中で、

「うまくいったぞ」

 と喜んだ。

 

 使者が答える。

「もし娘娘(にゃんにゃん)が冒頓(ぼくとつ)大王に勧(すす)めて兵を退(ひ)かせてくだされば、漢帝は、娘娘(にゃんにゃん)に毎年貢物(みつぎもの)を贈るようになるでしょう。

 

 もちろん、美人が贈られてくることも、ありません。

 娘娘(にゃんにゃん)のお怒りを買いたくは、ございませんから」

 

 

(つづく)

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