龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

236 / 237
七十八の中 白登山の屈辱

 

 

 その夜。

 閼氏(えんし)は、冒頓(ぼくとつ)に会いに行き、こう言った。

「我が軍が漢の天子を包囲して、もう7日になります。

 しかし、漢軍が弱っている様子は見られません。城内には元気な軍馬が数多く残っております。

 

 これはきっと、天地の神祇(じんぎ)が漢帝を守護しているからに違いありません。

 それに加えて、天下の諸侯も拱手(きょうしゅ)(胸の前で手を組み合わせる礼)して漢に帰服しているのです。

 あまり長く包囲を続けて漢帝を困らせると、まずいことになるかもしれません。

 

 各地の諸侯が大軍を起こして漢帝の救援に来たら、破られるのは我々のほうです。

 もし大王様が殺されるようなことがあれば、私と気持ちよくお楽しみになることも、もう二度とできないのですよ」

 

 冒頓(ぼくとつ)は、閼氏(えんし)の言葉を聞いて、うなずいた。

「よく申してくれた。

 確かに、その通りかもしれん。

 よし。明日、包囲を解いて、漢の天子を解放しよう」

 

 

   *

 

 

 次の日。

 

 韓(かん)王姫信(きしん)は、匈奴(きょうど)軍の動きを伝え聞くと、大慌てで冒頓(ぼくとつ)の前に飛んできた。

「冒頓(ぼくとつ)大王!

 漢帝を解放なさるとは、一体どういうわけなのですか!

 

 すでに我々は、漢帝を包囲して城の中に閉じ込めているのですぞ!

 漢帝の命(いのち)は、もう我らの手の中にあります。

 漢帝を解放するなど、捕らえた虎を解き放って山へ帰らせるようなもの。後(のち)に必ず災いを引き起こすでしょう!

 

 それに、噂(うわさ)で聞きましたぞ。

 漢帝が閼氏(えんし)のところへ使者を寄越(よこ)し、美人画を献上して和睦(わぼく)を求めたそうですね。

 これは、あきらかに計略です!

 敵は、大王を欺(あざむ)いて、兵を退(ひ)かせようとしているのです。

 

 ですから今日、城を攻めなさるとき、まず美人の有無を確認なさいませ。

 本当に城の中に美人がいたなら、包囲を解いて漢帝を解放するのも、まあ良いでしょう。

 

 しかし、もし美人が存在しないようなら……それは敵が我らを欺(あざむ)いている証拠です。

 その時は、一気に攻めて漢軍を滅ぼすべきです。

 まあ、私の考えでは、城の中に美人など、いるはずがありませんがね」

 

 冒頓(ぼくとつ)は、姫信(きしん)の言葉に納得し、平城(へいじょう)の城壁前まで人を送って呼びかけさせた。

 

「漢帝は、『美人を献上して和睦(わぼく)を求める』と言った!

 もし本当に美人が城中にいるなら、見えるところへ出してみせろ!

 美人の姿を確認したら、包囲を解いて、漢帝を都(みやこ)へ帰らせてやろう!

 だが、もし嘘であったら、いますぐに城を踏み破ってやる!」

 

 

   *

 

 

 劉邦は、これを聞いて、大慌てで陳平(ちんぺい)を呼んだ。

「冒頓(ぼくとつ)は、『この目で美人を見たら、その後で包囲を解いてやる』なんて言ってきたぞ!

 城の中に美人なんか、いない! どうやって敵を騙(だま)せばいい?」

 

 陳平(ちんぺい)は笑いだした。

「ははは……! こうも思った通りに動いてくれるとは!

 ご安心ください。冒頓(ぼくとつ)が美人を自分の目で見たがるだろうことは、すでに予測しておりました。

 

 あらかじめ工匠(こうしょう)に命(めい)じ、木偶(でく)人形を20体ほど作らせてあります。

 あざやかな五色に彩(いろど)り、華(はな)やかな衣服を着せて、本物の美女のように見せかけた人形です。

 

 今晩、城壁の上に燈火(とうか)を掲(かか)げ、その下に木偶(でく)人形を並べ置きます。

 薄暗(うすぐら)い燈火(とうか)の下、しかも遠目であれば、本物の美女のように見えるでしょう。

 匈奴(きょうど)は、きっと陛下を城から解放いたします」

 

 劉邦は限りなく喜び、さっそく人を城壁の上に登らせ、匈奴(きょうど)へ呼びかけさせた。

「今晩、城壁の上に多くの美人を出して、お見せしよう!

 冒頓(ぼくとつ)大王よ! その中から、お好みの美人を選びたまえ!」

 

 

   *

 

 

 冒頓(ぼくとつ)は、漢軍の言葉を聞いて、はなはだ喜んだ。

 

 その日の晩……

 冒頓(ぼくとつ)は、みずから城壁の下まで来ると、城壁の上を見上げた。

 

 すると……

 城壁の上、ぼんやりと光る燈火(とうか)の下に、美女がズラリと並んでいる。

 花の姿に月の顔。まことの天女(てんにょ)と見紛(みまが)わんばかりの美女たちが、よりどりみどり、20人あまりも勢ぞろいしているではないか。

 

 冒頓(ぼくとつ)は、魂まで蕩(とろ)けんばかりに喜び、すぐさま命(めい)じた。

「おい! 包囲を解け!

 漢の皇帝の逃げ道を開けてやれ!」

 

 

   *

 

 

 劉邦は、待ってましたとばかり、大小の将兵を率(ひき)いて城から飛び出した。

 匈奴(きょうど)軍は、約束通り左右に分かれて逃げ道を開けてくれている。漢軍は匈奴(きょうど)軍の間をつっきって、しゃにむに走って南へ向かった。

 

 陳平(ちんぺい)の策は見事に成功したが、あまり時間の余裕はない。

 匈奴(きょうど)軍が城に入れば、あの美女が木偶(でく)人形にすぎないことは、すぐにバレる。

 冒頓(ぼくとつ)は、騙(だま)されたと悟(さと)り、すぐさま追手(おって)を差し向けてくるはずだ。

 

 劉邦は、夜(よ)を徹(てっ)して逃走した。

 殿(しんがり)(最後尾の守り)を務めるのは樊噲(はんかい)、曹参(そうさん)、周勃(しゅうぼつ)、王陵の4人。

 彼らに3万の兵を預け、冒頓(ぼくとつ)の追撃を防ぐ計画なのだ。

 

 

   *

 

 

 一方の冒頓(ぼくとつ)は、漢軍が全て出ていくのを待ってから、ウキウキと胸はずませて入城した。

 が……城の中に残っているのは、20個あまりの木偶(でく)人形のみ。

 本物の美女など、1人も居(い)ない。

 

「あ! 騙(だま)された!

 ……おのれ漢帝、やってくれたな!」

 冒頓(ぼくとつ)は、勃然(ぼつぜん)として大激怒した。

 

 冒頓(ぼくとつ)は、すぐに大将の王壙(おうこう)を呼んだ。

「汝は、兵を率(ひき)いて漢帝を追え!

 追いついたら、ことごとく討(う)ち殺せ!」

 

「は!」

 王壙(おうこう)は、飛ぶように漢軍を追っていった。

 

 

   *

 

 

 王壙(おうこう)は、30里(12km)ほど軍を走らせたところで、漢軍の後ろに追いついた。

 

 王壙(おうこう)は、

「漢軍どもめ! 逃げられるものか!」

 と叫び、驀地暗(まっしぐら)に漢軍へと攻めかかった。

 

 これを見た漢軍からは、樊噲(はんかい)、曹参(そうさん)、周勃(しゅうぼつ)、王陵の4将が飛び出し、その場に踏みとどまって王壙(おうこう)の軍を迎えうった。

 

 鋒(ほこ)を交える両軍。

 樊噲(はんかい)たちは、漢軍きっての豪傑である。

 追撃を受けるのは不利なものだが、それでも樊噲(はんかい)たちは激しく暴れて匈奴(きょうど)軍を押し返した。

 そしてついには、押し返すどころか逆に匈奴(きょうど)軍を四方から囲み、1兵も残さぬ、とばかりに猛攻をしかけだした。

 

 これに王壙(おうこう)は焦り、

「いかん! どうする……どうやって包囲を脱出すればいい!?」

 と、目ばかりを忙(いそが)しく動かして活路を探した。

 

 その王壙(おうこう)の背後から、樊噲(はんかい)が戟(げき)を挙(あ)げて斬りかかった。

 

「かあッ!」

 樊噲(はんかい)が大喝(だいかつ)一声すれば、その響きは泰山(たいざん)も崩れんばかり。

 樊噲(はんかい)の怒(いか)れる鬼髭(おにひげ)が逆立(さかだ)ち、そのありさまは、あたかも夜叉(やしゃ)羅刹(らせつ)のよう。

 

 王壙(おうこう)は、大いに震え慄(おのの)き、思わず馬から転げ落ちた。

 

 そこへ樊噲(はんかい)が飛びかかり、たちまち王壙(おうこう)の首を取ると、戟(げき)に刺して掲(かか)げ上げた。

「敵将、討(う)ち取ったあ!」

 

 匈奴(きょうど)の軍勢は、大将が討(う)たれたのを見ると、我さきにと四方八方へ逃げうせた。

 

 樊噲(はんかい)・王陵などの大将たちは、逃げる敵を、あえては追わず……

 そのまま兵を撤収させ、太原(たいげん)の大道(だいどう)を通って劉邦に追いつき、一緒に広武へ入ったのだった。

 

 

   *

 

 

 劉邦は、広武へ入ると、すぐに命(めい)じた。

「劉敬(りゅうけい)を獄中(ごくちゅう)から釈放(しゃくほう)しろ!」

 

 劉邦は、劉敬(りゅうけい)に対面すると、申し訳なさそうに言った。

「俺はバカだった。

 汝の言葉に耳を貸さず、軽率に進軍し、敵の包囲で7日7夜も閉じ込められてしまった。

 

 あのまま死んでもおかしくなかったが、幸(さいわ)い、陳平(ちんぺい)の計略で虎口(ここう)を逃(のが)れることができたんだ。

 最初に送った10人の千戸(せんこ)が誤(あやま)った情報を持ってきたんで、俺は、すっかり騙(だま)されてしまったよ」

 

 そこで劉邦は、誤情報をもたらした10人の千戸(せんこ)を捕らえ、ことごとく斬首して罰(ばっ)した。

 そして劉敬(りゅうけい)に重く恩賞を与え、新たに建信(けんしん)侯(こう)に封(ほう)じたのだった。

 

 

   *

 

 

 次の日。

 劉邦は兵を率(ひき)いて広武を出ると、都(みやこ)咸陽(かんよう)への帰路についた。

 

 劉邦は、まず東へ移動し、蒲陰陘(ほいんけい)という山越えの道をたどって、曲逆(きょくぎゃく)県まで、やってきた。

 

 曲逆(きょくぎゃく)の壮麗な風景を見ると、劉邦は感嘆(かんたん)の声を上げた。

 6つの街と3つの市場が立ち並び、行き交(か)う人々の起こす砂煙が入道雲のように立ちのぼっている。

 郷村(ごうそん)や集落はどこまでも繋がり、果ても見えないほどだ。

 

 劉邦は、左右の部下を見回しながら言う。

「賑(にぎ)わってるなあ、この曲逆(きょくぎゃく)って所は!

 俺も天下のあちこちに行ったが、これほどの賑(にぎ)わいは、洛陽(らくよう)くらいでしか見たことがないぞ!」

 

 劉邦は、ふと何かを思いついた様子で、陳平(ちんぺい)を呼んだ。

「陳平(ちんぺい)よ。

 卿(けい)は、俺の下に来て以来、何度も見事な計略を実行して、大きな功績を立ててくれた。

 

 今回だって、白登(はくと)山(さん)での危機から抜け出せたのは、卿(けい)の謀(はかりごと)のおかげだ。

 だから、この地を卿(けい)に与えて、改めて曲逆(きょくぎゃく)侯に封(ほう)じよう。

 

 いつか引退する日が来たら、ここに屋敷でも構えて、のんびり老後を楽しむといい」

 

 陳平(ちんぺい)は、劉邦の前に平伏(ひれふ)した。

「陛下が危機から脱出なされたのは、臣の能力のためではありません。

 すべては陛下の仁義と徳が四海(世界)に及んでいたおかげ。天が陛下を助けたのでございますよ」

 

 

(つづく)




●注釈
(1)
 劉邦が匈奴(きょうど)軍に包囲され、陳平(ちんぺい)の奇策によって辛(から)くも脱出する場面が描かれた。
 この逸話は「史記・陳丞相世家」などに記された史実である。劉邦は7日にわたり包囲されて食べ物も得られない状況になったが、陳平(ちんぺい)の計略によって脱出に成功した。
 ただ、その計略の具体的な内容は不明である。「史記・陳丞相世家」によれば『その計略は秘密にされていて、世間には伝わっていない』とのこと。「史記・匈奴列伝」には、冒頓(ぼくとつ)単于(ぜんう)の妻閼氏(えんし)に夫の説得を頼んだことが記されているが、閼氏(えんし)の嫉妬心を利用したという話はない。
 この点について、前漢末~後漢初期の思想家桓譚は、著書「新論・述策」でこう解説している。
『この策は拙悪なものだったから内容を隠していたのだ。陳平(ちんぺい)は閼氏(えんし)にこう言ったはずだ。「漢には麗しい美女がいる。その容貌は天下に並ぶ者がない。単于(ぜんう)がこの美女を手に入れれば大いに愛し、閼氏(えんし)を遠ざけるだろう。そうなる前に漢軍を脱出させなさい」と……(要約)』
 本編の描写の直接の由来はこれであろう。ただ、陳平(ちんぺい)の時代から200年も後の人物が、それも憶測で言っていることである。果たして信頼に足るかどうか。
 また、木造の人形で冒頓(ぼくとつ)単于(ぜんう)を騙したくだりに似た逸話が、唐代の段安節なる人物が記した「楽府雑録」という音楽史料に、当時あった人形劇の由来として収録されている。ただしその話では、人形によって騙されたのは冒頓(ぼくとつ)ではなく閼氏(えんし)である。
 以上をふまえると、今回描写された陳平(ちんぺい)の策は、史実というより小説的・戯曲的な脚色と考えたほうがよいだろう。

(2)
 本編で描かれたのが、漢と匈奴(きょうど)の長きにわたる因縁の始まりとなった白登(はくと)山(さん)の戦いである。しかし、「西漢通俗演義」や「通俗漢楚軍談」に描かれた戦いの経過は「史記」などの史書の記述と食い違いが多く、特に地理関係において無理のある設定がいくつも見られる。そこで本編では、「史記」の「高祖本記」「陳丞相世家」「劉敬叔孫通列伝」「匈奴列伝」などの記述をベースとして、無理のない形に地名などを差し替えてある。
 「史記」各巻の記述を総合すると、事態の推移は以下のようなものであったと推定される。
『韓(かん)王信(しん)は馬邑(ばゆう)(現在の山西省朔州市朔州区)に都(みやこ)を置いていたが、匈奴(きょうど)の冒頓(ぼくとつ)に攻められて降伏。匈奴(きょうど)と手を結んで南下し、太原(たいげん)の晋陽(しんよう)を攻めた。
 劉邦はみずから兵を率いて匈奴(きょうど)軍を攻撃した。冒頓(ぼくとつ)は敗れたように見せかけて漢軍を北へ誘導した。漢軍が広武まで北上したところで、劉敬が劉邦に諌言(かんげん)した。劉邦は怒って劉敬を投獄し、そのまま北上を続けて平城の近くに至った。しかし、このとき劉邦が先行しすぎたため、漢兵の一部が追いつけなくなってしまった。
 ここで冒頓(ぼくとつ)は、40万の兵によって白登(はくと)山(さん)で劉邦を包囲した。劉邦は7日に渡って囲まれ続けた後、陳平(ちんぺい)の計略で脱出。南下して広武に戻り、劉敬を釈放した。そのあと(おそらくは東進し、霊丘から蒲陰陘を通って)曲逆(きょくぎゃく)に至り、陳平(ちんぺい)を曲逆(きょくぎゃく)侯に封(ほう)じた。
 そこから劉邦は趙(ちょう)、洛陽(らくよう)を経由して長安(咸陽(かんよう))に帰還した』
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。