龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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七十八の下 白登山の屈辱

 

 

 劉邦が匈奴(きょうど)討伐のため留守(るす)にしていたのと同じ頃、咸陽(かんよう)では、新たな都城(とじょう)の建設が進められていた。

 咸陽(かんよう)の南東には、渭水(いすい)という川が流れている。その対岸に、漢の首都となるべき都市を新造する計画なのだ。

 

 このとき築(きず)かれたのが、中華の都(みやこ)として名高き、あの長安である。

 

 新都建設の指揮を執(と)るのは、相国(しょうこく)蕭何(しょうか)。

 蕭何(しょうか)の差配(さはい)によって工事は順調に進み……ついに、皇帝劉邦のための新宮殿、未央(みおう)宮が落成(らくせい)した。

 

 

   *

 

 

 未央(みおう)宮の完成と時を同じくして、劉邦は都(みやこ)に帰還した。

 劉邦は、新宮殿が完成したと聞くと、大いに喜んだ。

 

「おお、とうとうできあがったのか! よし、さっそく見分(けんぶん)してみよう」

 というわけで、劉邦は蕭何(しょうか)を連れて未央(みおう)宮へ向かった。

 

 ところが……

 劉邦は、未央(みおう)宮を一目(ひとめ)見て、あんぐりと口をあけた。

 想像をはるかに超えた、とてつもなく壮麗な宮殿だったからである。

 

 廊下(ろうか)の欄干(らんかん)に、いちいち填(は)めこまれた無数の宝玉。

 あちこちに惜しげもなく施(ほどこ)された黄金による装飾。

 どこもかしこもキラキラと輝き、目がくらむほどだ。

 

 劉邦は猛然と怒り、蕭何(しょうか)を怒鳴(どな)りつけた。

「蕭何(しょうか)! なんなんだ、この豪華さは! いくらなんでも、やりすぎだ!

 今はまだ天下が騒がしく、戦争が収まりきっていない時期なんだぞ。

 この先どうなるか、分かったもんじゃない。

 

 だから俺たちは、率先(そっせん)して節制・倹約(けんやく)につとめ、民(たみ)に模範(もはん)を示さなきゃいけない。

 そんな時に、こんなとんでもなく豪華な宮殿を建てるなんて! この建造費を捻出(ねんしゅつ)するだけでも、どれだけ民(たみ)を傷つけることになるか……!」

 

 しかし蕭何(しょうか)は冷静に首を振った。

「この程度の宮殿であれば、民(たみ)を傷つけるほどの費用はかかりません。

 それに、なにも贅沢(ぜいたく)のために建てたわけではありません。国家運営のために必要だからこそ建てたのです。

 

 天子とは、四海(世界)を家とする存在。

 その宮殿が十分に壮麗でなかったら、世に威勢を示すことができません。

 威を見せつけて諸侯を平伏させるのも、平和を保つための大切な仕事……天子たるものには、それ相応の住居が必要なのです。

 

 さらに言えば、いま十分に豪華な宮殿を建てておけば、かえって民(たみ)の負担を減らす効果もありましょう。

 後世(こうせい)の子孫たちは、これ以上の宮殿を建てる必要がなくなりますからな。

 これが臣の考えであります」

 

「なるほど……」

 劉邦は蕭何(しょうか)の言葉に納得すると、腕を組んで何か考えはじめた。

 

 やがて劉邦は腕をほどき、にやり、と笑ってみせた。

「いいことを思いついたぞ。

 せっかく、これだけの宮殿が完成したんだ。俺ひとりで楽しむのは、もったいないよな!」

 

 

   *

 

 

 劉邦は、さっそくこんな告知を出した。

「未央(みおう)宮に文武百官を集めて、大宴会を開こう!」

 

 実に劉邦らしい、カラリとした愉快な思いつきであった。

 というわけで、劉邦の命(めい)により、数多くの客が招かれた。

 その中には、もちろん、劉邦の父太(たい)上皇(じょうこう)の名前もある。

 

 大宴会の当日、太(たい)上皇(じょうこう)は、劉邦がよこした迎えの車に乗って、未央(みおう)宮にやってきた。

 

 太(たい)上皇(じょうこう)は、車上から未央(みおう)宮を見て、丸々と目を見開いた。

 なんと豪華な宮殿だろう。

 楼閣(ろうかく)は驚くほど高く、黄金や碧玉(へきぎょく)が陽光を浴びて輝いている。

 

 伝説によれば、洞窟(どうくつ)の奥深くには神仙の住む仙境(せんきょう)があり、これを洞府(どうふ)というらしい。

 また、名高い仙女西王母は、瑶池(ようち)という池に住んでいて、そこには玉を融(と)かして作った水が満ちているのだそうだ。

 

 その洞府(どうふ)や瑶池(ようち)ですら、この未央(みおう)宮には敵(かな)わないのではないか?

 そう思えるほどに、未央(みおう)宮は美しかった。

 

 太(たい)上皇(じょうこう)は、喜んで車から降り、宮殿へ入った。

 

 宮殿の中では、楽師たちが笙(しょう)や笛の音色(ねいろ)を響かせていた。

 奥の方からは、蘭麝(らんじゃ)(香(こう))の匂(にお)いが風に乗って流れてくる。

 

 宴会場の広間に入ってみれば、王公や宰相(さいしょう)までもが宴(うたげ)の支度(したく)に走り回っているではないか。

 まるで戦(いくさ)さながらの忙しさ。それもそのはず、広間には、おびただしい数の膳(ぜん)が並べられ、そのひとつひとつへ溢(あふ)れんばかりに山海の珍味が盛られている。

 

 太(たい)上皇(じょうこう)が席につき、しばらくすると、他の招待客たちが次々に自分の席へ座り始めた。

 客の顔ぶれをみれば、皆(みな)そうそうたる文臣・武官ばかり。それぞれが錦(にしき)の袖(そで)をひらめかせ、玉の冠(かんむり)をかぶっている。

 

 皇帝御座(ござ)の前に群臣がすっかり並び終えると、そこへ劉邦も現れた。

 

 こうして、未央(みおう)宮落成祝いの大宴会が始まった。

 

 めでたい席であるから、よけいに酒も進む。

 劉邦は数杯をたちまち飲み干すと、太(たい)上皇(じょうこう)に悪戯(いたずら)っぽい目を向け、杯(さかずき)を持ちあげながらニヤニヤ笑いかけた。

 

「なあ父上、覚えておられますか?

 昔、臣は無頼(ぶらい)で、仕事のできない奴でした。

 だから父上は、いつも臣を仲(ちゅう)(劉邦の兄)と比べて、『お前の実力は仲(ちゅう)より下だ』なんて言ってましたなあ。

 

 それが今や、この宴会、この宮殿! 立派なもんでしょう?

 どうです父上。今の臣を見て、ご感想は?」

 

 太(たい)上皇(じょうこう)は、笑って言った。

「今でも仲(ちゅう)より下だな」

 

 劉邦は、これを聞いて大笑いした。

 宴席の群臣たちも、爆笑しながら劉邦を称(たた)え、万歳の声をあげた。

 

 この日は、父子群臣みんなで歓楽を尽くし……

 日暮れ頃、酒宴(しゅえん)が終わると、劉邦は群臣たちと一緒に並び、太(たい)上皇(じょうこう)の帰りを見送ったのだった。

 

 

   *

 

 

 さて、その翌日……

 劉邦は1人で宮殿の奥に座り、じっと考え込んでいた。

 昨日の大宴会で、ひとつ気がかりなことがあったからである。

 

 韓信。

 もちろん劉邦は韓信も宴会に招待したのだが……韓信は、結局あらわれなかった。

 いや、昨日の宴会だけではない。実のところ韓信は、王位を剥奪(はくだつ)されてからというもの、一度も朝廷に顔を出していないのだ。

 

 劉邦は、近侍(きんじ)の臣を呼んだ。

「近ごろ韓信は、病(やまい)と称(しょう)して家に籠(こも)りっぱなしで、ずっと朝廷に出てきていない。

 だから、ちょっと韓信の家へ使者として行ってきてくれ。

 

 韓信に、こう伝えるんだ。

『俺は、汝が心と力を尽くして功労を立ててくれたことを、ずっと忘れてないぞ。とにかく一度、顔を見せてくれよ。酒でも飲みながら、つもる話をしようじゃないか』……ってな」

 

 使者は、さっそく韓信の家へ向かい……

 

 しばらくすると、使者は、韓信を連れて戻ってきた。

 

 劉邦は、ニコニコと笑いながら、韓信を迎えた。

「おお、韓信! しばらくぶりだなあ!

 最近、無性(むしょう)に卿(けい)に会いたくなってなあ。それで使者を送ったんだよ。

 いや、来てくれてよかったよ!」

 

 韓信が言う。

「楚(そ)との大戦のおりは、日々の軍務に忙殺(ぼうさつ)されて、10日以上満足に食事がとれないことも珍しくありませんでした。

 あのころ無理をしすぎたせいか、今になって体を壊してしまったのです。

 

 一時期すこしは良くなっていたのですが、やることもなく家にジッとしていると、また病気が再発いたしまして。

 陛下のお顔を拝見したいという思いはありながら、それができない自分の病弱さを呪っておりました」

 

 劉邦が、心配そうに眉をひそめる。

「病気なら、医者に診(み)てもらって、ちゃんと治したほうがいいぞ。

 そういうのは、面倒(めんどう)がって後回しにすると大変なことになるもんだ」

 

 韓信が、首を横に振る。

「この病気は、仕事がなく暇(ひま)にしていると、悪くなるのです。

 もし仕事が多ければ、病(やまい)など消えてしまいますよ」

 

 ぴくり、と劉邦の眉が動いた。韓信の嫌味(いやみ)が分からないほど劉邦も鈍感ではない。

 

 だが劉邦は、つとめて笑顔を保ちつづけた。

「卿(けい)は、用いるに足(た)る才能を持っている。

 なにか異変が起きたら、それに臨機応変に対応できる能力の持ち主なんだ。

 いつまでも暇(ひま)にさせてはおかないよ。遠くないうちに、また重く用いるつもりだ。

 

 今日もな、卿(けい)の意見が聞きたかったんだよ。

 今後のために大将たちの配置を再考していきたいんだが、その能力の評価が難しくてなあ。

 敵を防ぐ才能があるのは誰か?

 多くの兵を率(ひき)いる能力を持つのは誰か?

 卿(けい)の見立てを聞かせてくれないか?」

 

「臣の愚見でよろしければ」

 

 劉邦は、大将の名を1人ずつ挙(あ)げ、韓信に評価させていった。

 こういうことに関しては、さすが韓信である。無数にいる大将たちの性格、能力、実績などを事細(ことこま)かく把握しているらしく、次々に的確な評価をくだしていく。

 劉邦は、しきりにうなずきながら聞き、韓信の目の鋭さを喜んだ。

 

 一通り大将の評価が済んだところで、劉邦は、ちょっとした雑談のつもりで、こんな質問をした。

「ところで韓信。

 俺の評価はどうだろう? 俺だったら、何人くらいの兵を統率できると思う?」

 

 韓信は答えた。

「陛下ならば、10万を越えない程度の兵を統率できるでしょう」

 

 10万といえば大軍である。

 漢の大将たちの中でも、10万規模の軍を自在に操れる者は、決して多くない。

 韓信のことだから、お世辞でもなんでもなく、本当に劉邦を1人の将として高く評価しているのだろう。

 

 劉邦は喜び、重ねてこう尋(たず)ねた。

「そうかそうか、10万か。俺も、なかなか捨てたもんじゃないな!

 じゃあ、卿(けい)なら何人くらい統率できる?」

 

 韓信は即答した。

「多多(たた)益(ますます)善(よし)」

 

 劉邦は目を丸くした。

 なんという自信であろう。『多多(たた)益(ますます)善(よし)』……多ければ多いほど良い。つまり、兵が何人いようが確実に統率してみせる、と言っているのだ。

 

 劉邦は、わずかに笑顔を引きつらせた。

「言うじゃないか、韓信よ。

 でも、それならどうして、卿(けい)が俺に生(い)け捕(ど)られたりしたんだよ?」

 

 韓信は、自嘲(じちょう)するように微笑(ほほえ)んだ。

「陛下は、兵を統率することに関しては、先ほど申し上げたくらいの力しかありません。

 しかし陛下には、多くの大将や元帥を統率する才能がございます。

 

 臣が陛下に捕らえられたのは、これが理由です。

 将を統(す)べる力……それは、陛下が天から授(さず)けられた特別な才能。

 臣のような普通の人間がどれほど力を尽くそうと、敵(かな)うものではないのです」

 

 劉邦は大いに笑い、韓信の言葉を喜んだ。

 ……いや。喜んでいる、ような顔をしてみせた。

 少なくとも、その場では。

 

 

   *

 

 

 実のところ、劉邦の胸中では、暗い疑いの心が渦を巻いていた。

 韓信の態度や言葉の節々(ふしぶし)には、今の待遇に対する不満が見え隠れしている。

 

「ひょっとして、何かや(・)ら(・)か(・)す(・)つもりではないか……?」

 そんな不安に駆られた劉邦は、その後も韓信を用いようとせず、ただ飼い殺しにし続けた。

 

 こうした劉邦の行動が意味するものを、読み取れないような韓信ではない。

 韓信は、ますます鬱々(うつうつ)として自宅の門を閉ざし、そこから先の数年間をただ悶々(もんもん)として過ごした。

 

 劉邦と韓信。

 ふたりの間に走った亀裂は、今や、決定的なものとなりつつあった……

 

 

(巻十四へ、つづく)

 

 

 

 

 

■次回予告■

 

 漢建国の功臣張良。その多大なる功労に王爵の位(くらい)をもって報(むく)いんとする劉邦だったが、なぜか張良は身の栄達(えいたつ)を拒絶する。

 今や一個の人間でなく皇帝という概念に成り果てつつある劉邦の、脳を侵しゆく厚い暗雲。やがて来たるべき鮮血の嵐を避けるため、希代の賢者は、一人しずかに世を捨てる。

 

 次回「龍虎戦記」第七十九回

 『赤松子の遊ぶに従い』

 

 乞(こ)う、ご期待!

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