龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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巻十四 粛清
七十九の上 赤松子の遊ぶに従い


 

 

 漢建国の功臣である韓信は、王位を剥奪(はくだつ)され、都(みやこ)の自宅に閑居(かんきょ)して日々を過ごしていたが……

 

 同じように家に籠(こ)もっている功臣が、もう1人いた。

 張良である。

 

 韓(かん)王姫臣(きしん)の謀反(むほん)が起きた後、張良は、病(やまい)と称(しょう)して自宅に閉じこもり、まったく穀物を摂(と)らない生活をしはじめた。

 

 穀物を断(た)つこと……すなわち『辟穀(へきこく)』は、仙人になるための重要な修行とされている。

 張良は、仙人になりたいという志(こころざし)を以前から口にしていたが、ここへきて本格的な仙道修行に取り組みだしたようだ。

 

 言うまでもなく、穀物(こくもつ)は活力の源(みなもと)である。

 それを一切食べないのだから、肉体は深刻な栄養不足に陥(おちい)り、みるみるうちに痩(や)せていく。

 

 周囲の人々が心配して止めようとすると、張良は、こう語って聞かせた。

「人が天地の間で暮らす一生は、ほんのちょっとの距離を白馬が駆け抜けていくかのごとく、あっという間に過ぎ去ってしまうものです。

 100年3万6千日さえ、ほんの一瞬、ほんの一息の時間でしかありません。

 

 だから私は、深い山の中に隠棲(いんせい)し、仙道を学び修め、長生不死を得たいと思っているのです。

 どのような功名も、しょせんは浮雲が往来するようなもの。そんなものでは、私の心は少しも動きません。

 

 しかし、私は皇帝陛下から深く目をかけていただいております。

 それを思うと、陛下を捨てて去るのも忍びない。

 それゆえ、こうして都(みやこ)に留まっているのです。

 

 とはいえ……

 金印紫綬(しじゅ)(紫の紐(ひも)がついた黄金の印章。列侯の身分の証(あかし))を誇ったり、繁栄と栄華に恋(こい)焦(こ)がれたり、高い堂に居座(いすわ)ったり、美食の鼎(かなえ)を並べてみたり……

 そんなふうに人間社会で富貴を貪(むさぼ)ることなど、私の欲するところではありません。

 

 そのうえ私は病気がちで、血気が日に日に衰(おとろ)えております。

 早く修養しはじめなければ、精気が摩耗(まもう)し、精神力が低下し、肉体の力も尽き果ててしまいます。

 その後で修養しようとしても、もはや手遅れでしょう」

 

 この話は、側近たちの口から劉邦に伝わった。

 この後、張良は病(やまい)と称(しょう)して朝廷への参内(さんだい)をたびたび休んだが、事情を知る劉邦は、特に疑いを抱くこともなかったのだった。

 

 

   *

 

 

 あるとき劉邦は、張良を召(め)し寄せ、言った。

「俺は、張良先生の教えを受けたおかげで、たくさんの大功を立て、ついに天下の主(あるじ)になることができた。

 そのことを、俺は今でも忘れてないよ。

 だから、張良先生を大国の王に封(ほう)じて、功績に報(むく)いたいと思う」

 

 しかし張良は、静かに目を伏せた。

「臣が陛下に従って関中に入って以来、陛下は臣の言葉に耳を傾け、臣の計略を何度も用いてくださいました。

 その中に、たまたま上手くいった計略もあったでしょう。

 しかし、それはみな天の助けであって、臣の能力ではありません。

 

 大国の王など、臣には、もったいのうございます。

 ただ留(りゅう)(沛(はい)県近くの小さな街)に封(ほう)じ、留侯(りゅうこう)としていただけるだけで、臣にとっては十分すぎるほどの出世です。

 

 陛下の深き恩情によって留(りゅう)に封(ほう)じていただいた後は、人間社会を捨てて深山(しんざん)に入りたく思います。

 赤松子(せきしょうし)(伝説の仙人)が山中を遊び歩いた例に従い、導引(どういん)(呼吸と体操による健康法)と不食(ふしょく)を行い、長生の道を求めたいのです。

 

 金印紫綬(しじゅ)を輝かせ、すばらしい美食を目の前に満たすようなことは、およそ人が深く願いながら得られないもの……

 しかし臣は体が弱く病気がちですので、そういう栄華を浴びせられると体がもたないのです。

 決して、陛下の御恩に背(そむ)こうとしているわけではありません……」

 

 劉邦は、張良の言葉を聞いて、

「そうか。張良先生は、本当に封爵(ほうしゃく)に興味がないんだな……」

 と考え、それ以上は無理(むり)強(じ)いしなかった。

 

 そこで劉邦は、張良を望み通り留侯(りゅうこう)に封(ほう)じると、

「それなら、心静かに療養するといいよ。

 今後は、1ヶ月に1回だけ朝廷に出てきてくれればよし、ということにしよう」

 と言って、張良を咸陽(かんよう)外(はず)れの静かな土地に住まわせてやった。

 

 それ以来、張良は病(やまい)と称(しょう)して自宅の門を閉ざし、来客も断るようになった。

 そうして身の修養に取り組みながら、1ヶ月に1回だけは群臣と一緒(いっしょ)に朝廷へ参内(さんだい)し、朝廷から退出した後は何事にも心を動かさず、心安らかに日々を過ごしたのだった。

 

 

(つづく)




●注釈
 張良のセリフに『金印紫綬(しじゅ)』というものが登場した。
 『印』は印章(ハンコ)、『綬(じゅ)』はそれを提(さ)げるための紐(ひも)のこと。古代より、中国では爵位や官職の証(あかし)として綬(じゅ)のついた印章、すなわち印綬(いんじゅ)を授けることが一般的だった。
 印の素材と綬(じゅ)の色は身分の高低に応じて決まっていた。その内訳は時代によっても異なるが、たとえば「漢書・百官公卿表」によると以下の通り。
 金印紫綬(しじゅ)……相国、丞相、前後左右将軍、列侯など
 銀印青綬(せいじゅ)……御史大夫、俸給二千石クラス以上の臣
 銅印黒綬(こくじゅ)……俸給六百石クラス以上の臣
 銅印黄綬(こうじゅ)……俸給二百石クラス以上の臣
 また、「後漢書・輿服下」にも、綬(じゅ)に対応する身分について記されている。
 黄赤綬(こうせきじゅ)……皇帝、太皇太后、皇太后、皇后
 赤綬(せきじゅ)……諸侯王、長公主、天子一族の貴人
 緑綬(りょくじゅ)……諸国の貴人、相国
 紫綬(しじゅ)……公、侯、将軍、公主、領地持ちの貴族
 青綬(せいじゅ)……九卿(きゅうけい)など俸給二千石クラスの臣
 黒綬(こくじゅ)……俸給千石~六百石の臣
 黄綬(こうじゅ)……俸給四百石~二百石の臣
 青紺綬(せいこんじゅ)……俸給百石の臣
 こうしてみると、皇帝や諸侯王の血縁を除けば金印紫綬(しじゅ)がほとんど最上位に置かれていることがわかる。まさに高位高官の象徴といえよう。
 余談だが、日本人なら誰もが学校で習う『漢委奴国王印』や、卑弥呼が魏(ぎ)の曹叡(そうえい)から与えられたという『親魏倭王印』(未発見)も、この金印紫綬(しじゅ)であったと考えられる。
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