龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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十の下 馬か? 鹿か?

 

 

 数日後。(みやこ)咸陽(かんよう)に、また章邯(しょうかん)からの使者がやってきた。

 だが今度のは、ただの使者ではない。

 

長史(ちょうし)司馬(しば)(きん)、ただいま章邯(しょうかん)の使いとして、皇帝陛下に奏聞(そうもん)せんがため函谷関(かんこくかん)より参った!」

 

 章邯(しょうかん)の片腕ともいうべき武将、司馬(しば)(きん)である。

 これまでの使者が全て黙殺され、(しび)れを切らした章邯(しょうかん)は、無視できぬだけの地位を持つ腹心の部下を送り込んできたのであった。

 

 趙高は、すぐさま奸計(かんけい)を巡らせた。

司馬(しば)(きん)さんのお話は、まずわたくしが(うかが)いましょう。朝廷の門の外で待っていてもらいなさい」

 

 司馬(しば)(きん)はこれを聞いて、門外にて待った。

 だが、いつまで経っても趙高からの呼び出しがかからない。

 待ち続けて3日目になっても、まだ趙高と対面できていなかった。

 

「これは怪しい」

 司馬(しば)(きん)は門番たちに金銀を(つか)ませ、こっそり趙高の家の僮僕(どうぼく)(少年の召使い)を連れてこさせた。

 僮僕(どうぼく)に趙高の家の中の様子を尋ねると、(あん)(じょう)

 

丞相(じょうしょう)章邯(しょうかん)(うら)んで、『敗北の罪を(つぐな)わせてやる』と言ってます。

 あなた様がここに来たのは、獲物が自分から網の中に飛び込んだようなものです。丞相(じょうしょう)と対面せずに早く帰りなさいませ」

 

 司馬(しば)(きん)は即座に馬にまたがり、咸陽(かんよう)を出て、函谷関(かんこくかん)へ逃げ帰った。

 

 

   *

 

 

 そうとは知らない趙高は、司馬(しば)(きん)を待たせている間に水面下で動き続けていた。

 (みやこ)に住んでいる章邯(しょうかん)董翳(とうえい)司馬(しば)(きん)の妻子一族を逮捕し、重罪を着せてやろうと計画していたのである。

 

 さて、満を持して司馬(しば)(きん)を捕らえようと、門番に連行を命じてみれば、「2日以上前に帰りました」との答え。

 

 趙高は大いに怒り、手下の大将4人に命じて後を追わせた。

 だが司馬(しば)(きん)の姿は、影も形もない。

 道行く人に司馬(しば)(きん)行方(ゆくえ)を尋ねてみると、

「ずいぶん前にすれ違いました。もう300里(120km)は先に行っているでしょう」

 と言う。

 

 しかたなく4人の大将は引き返し、この(むね)を趙高に報告した。

 趙高は激しく怒り、4人の大将を頭ごなしに叱責した。

 そしてすぐさま二世皇帝に(まみ)えて、こう言った。

 

章邯(しょうかん)司馬(しば)(きん)らは、長いあいだ対外的な仕事を任されていながら、ほんのちょっとの功もなく、むしろ人馬を失い、賊徒どもを引き込んで(みやこ)の中に騒動を起こすばかりでございます。

 我が国は法治国家でございますから、法に基づいて判断いたしますと、これは死を(たま)うべき罪でございます。お早く新しい大将を選び、交替させなさいませ」

 

 二世皇帝はこの言葉に従い、趙高の(おい)の趙常を使者として、「早く(みやこ)へ帰ってこい」という内容の(みことのり)章邯(しょうかん)たちへ下した。

 

 

   *

 

 

 司馬(しば)(きん)は、夜を日に継いで函谷関(かんこくかん)に逃げ帰り、章邯(しょうかん)に事の次第を報告した。

 

「朝廷では趙高が権力を独占し、好き勝手に物事を動かし、讒言(ざんげん)によって皇帝を惑わして、章邯(しょうかん)将軍を殺害しようと(はか)っています」

 

 これには章邯(しょうかん)も開いた口が塞がらなかった。

「内に奸臣(かんしん)あり、外に強敵あり。両方から難事に挟まれてしまった。これから一体どうすべきか……」

 

 その場にいた大将董翳(とうえい)が言う。

「趙高は、やたらに謀略をしかけて人を殺す奴です。あの李斯(りし)さえ三族を滅ぼされました。

 もし趙高が我らを恨んでいるなら、とてつもない災いを引き起こすのではないでしょうか?」

 

 このとき章邯(しょうかん)の幕下には、陳豨(ちんき)という男がいた。

 謀略に()け、知恵者として将軍たちからも一目置かれている人物である。その陳豨(ちんき)が意見を述べた。

 

「私の聞いたところでは、趙高はすでに将軍たち三家の妻子一族を捕らえ、牢獄に繋いでいるそうです。

 おそらく次は皇帝陛下の(みことのり)が来るでしょう。皇帝の権威を借用してあなたがたを(みやこ)に呼び寄せ、李斯(りし)と同じく殺すつもりに違いありません。

 

 この函谷関(かんこくかん)には10万の兵がおります。その実力を背景にして(みことのり)を拒絶すれば、生き残れる可能性もあります。

 しかし(みことのり)に従って咸陽(かんよう)に帰れば、間違いなく殺されるでしょう」

 

 陳豨(ちんき)の未来予測はピタリと的中した。彼が話し終わったその直後、

「趙高の(おい)の趙常が勅使(ちょくし)として参りました」

 との報告が転がり込んできたのである。

 

 章邯(しょうかん)らは、急いで趙常を出迎えた。

 趙常が伝えた(みことのり)、その内容はといえば……

 

『かつて(ちん)は、(なんじ)に賊徒征討の(めい)を下した。(みやこ)の外の問題について、(なんじ)を信頼して任せた。功勲を立て、威勢を大陸に振るい、きっと上手く成し遂げるであろう、との期待によって委託したのである。

 

 ところが(なんじ)章邯(しょうかん)らは、兵を統率して征伐に向かいながら、軍団を失い、命令を果たせなかったばかりか、皇帝の許しも受けないまま早々と帰還した。これは上下の命令系統から逸脱する行為である。

 

 今、(なんじ)の首を縛って連れてくるよう命じて、騎将趙常をそちらへ送った。

 (めい)に従って素直に出頭するなら、酌量(しゃくりょう)してやってもよい。だがもし抵抗するなら、極刑をもって処すであろう。

 以上、(みことのり)する。このとおりに()(おこな)え』

 

「なんだとッ!?」

 激怒した章邯(しょうかん)は、勅使(ちょくし)趙常の(もとどり)を引っ(つか)むと、(つば)を散らして怒鳴りつけた。

 

「我らは命さえ惜しまず、自分から矢や石の降り注ぐ中へ飛び込み、万死一生の戦いの中で限りない苦しみを味わい、()軍と9回戦い、10日あまり昼も夜も眠ることさえ出来ず、兵糧も尽き、()えに(さいな)まれ、必死の思いでここまでやってきたのだ!

 だから何度も何度も早馬を飛ばして援軍を求めているのに、趙高はそれを隠して皇帝に知らせない! それどころか、わしらを罪に問おうとしているだと!? もう我慢(がまん)ならん! 貴様を殺して、この恨みを晴らしてやる!」

 

 章邯(しょうかん)は剣を抜いた。

 だが周囲の者たちが、すんでのところで章邯(しょうかん)を押しとどめた。

 

「いけません! いま勅使(ちょくし)を斬ったら、臣下が君主を(こば)んだ形になってしまいます。

 ここはひとまず、趙常の命だけは助けて陣中に捕らえておき、皇帝陛下に手紙を送って細かく報告なさいませ」

 

「なにっ! そんな……それは……確かに、そうか……そうだな。分かった、そうしよう」

 

 かくして、とりあえず趙常は監禁しておくことになった。

 だがこれから一体どうすればよいのか……章邯(しょうかん)の先行きは、色濃い暗雲に包まれていた。

 

 

(つづく)

 

 

 

■次回予告■

 

 章邯(しょうかん)の失脚。趙高の台頭。腐り果てた朝廷から人心離れ行く一方、秦国(しんこく)打倒の旗をかかげて()に大軍が集結した。

 綺羅星の如き豪傑と意気盛んなる兵の群れ。準備は万端、今がその時。劉邦は西路。項羽は東路。二手に分かれた英雄たちは不倶戴天の(しん)帝国に最後の決戦を挑むべく、ついに進軍を開始する。

 

 次回「龍虎戦記」第十一回

 『決戦の時』

 

 ()う、ご期待!

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