数日後。都咸陽に、また章邯からの使者がやってきた。
だが今度のは、ただの使者ではない。
「長史司馬欣、ただいま章邯の使いとして、皇帝陛下に奏聞せんがため函谷関より参った!」
章邯の片腕ともいうべき武将、司馬欣である。
これまでの使者が全て黙殺され、痺れを切らした章邯は、無視できぬだけの地位を持つ腹心の部下を送り込んできたのであった。
趙高は、すぐさま奸計を巡らせた。
「司馬欣さんのお話は、まずわたくしが伺いましょう。朝廷の門の外で待っていてもらいなさい」
司馬欣はこれを聞いて、門外にて待った。
だが、いつまで経っても趙高からの呼び出しがかからない。
待ち続けて3日目になっても、まだ趙高と対面できていなかった。
「これは怪しい」
司馬欣は門番たちに金銀を掴ませ、こっそり趙高の家の僮僕(少年の召使い)を連れてこさせた。
僮僕に趙高の家の中の様子を尋ねると、案の定。
「丞相は章邯を怨んで、『敗北の罪を償わせてやる』と言ってます。
あなた様がここに来たのは、獲物が自分から網の中に飛び込んだようなものです。丞相と対面せずに早く帰りなさいませ」
司馬欣は即座に馬にまたがり、咸陽を出て、函谷関へ逃げ帰った。
*
そうとは知らない趙高は、司馬欣を待たせている間に水面下で動き続けていた。
都に住んでいる章邯、董翳、司馬欣の妻子一族を逮捕し、重罪を着せてやろうと計画していたのである。
さて、満を持して司馬欣を捕らえようと、門番に連行を命じてみれば、「2日以上前に帰りました」との答え。
趙高は大いに怒り、手下の大将4人に命じて後を追わせた。
だが司馬欣の姿は、影も形もない。
道行く人に司馬欣の行方を尋ねてみると、
「ずいぶん前にすれ違いました。もう300里(120km)は先に行っているでしょう」
と言う。
しかたなく4人の大将は引き返し、この旨を趙高に報告した。
趙高は激しく怒り、4人の大将を頭ごなしに叱責した。
そしてすぐさま二世皇帝に見えて、こう言った。
「章邯・司馬欣らは、長いあいだ対外的な仕事を任されていながら、ほんのちょっとの功もなく、むしろ人馬を失い、賊徒どもを引き込んで都の中に騒動を起こすばかりでございます。
我が国は法治国家でございますから、法に基づいて判断いたしますと、これは死を賜うべき罪でございます。お早く新しい大将を選び、交替させなさいませ」
二世皇帝はこの言葉に従い、趙高の甥の趙常を使者として、「早く都へ帰ってこい」という内容の詔を章邯たちへ下した。
*
司馬欣は、夜を日に継いで函谷関に逃げ帰り、章邯に事の次第を報告した。
「朝廷では趙高が権力を独占し、好き勝手に物事を動かし、讒言によって皇帝を惑わして、章邯将軍を殺害しようと計っています」
これには章邯も開いた口が塞がらなかった。
「内に奸臣あり、外に強敵あり。両方から難事に挟まれてしまった。これから一体どうすべきか……」
その場にいた大将董翳が言う。
「趙高は、やたらに謀略をしかけて人を殺す奴です。あの李斯さえ三族を滅ぼされました。
もし趙高が我らを恨んでいるなら、とてつもない災いを引き起こすのではないでしょうか?」
このとき章邯の幕下には、陳豨という男がいた。
謀略に長け、知恵者として将軍たちからも一目置かれている人物である。その陳豨が意見を述べた。
「私の聞いたところでは、趙高はすでに将軍たち三家の妻子一族を捕らえ、牢獄に繋いでいるそうです。
おそらく次は皇帝陛下の詔が来るでしょう。皇帝の権威を借用してあなたがたを都に呼び寄せ、李斯と同じく殺すつもりに違いありません。
この函谷関には10万の兵がおります。その実力を背景にして詔を拒絶すれば、生き残れる可能性もあります。
しかし詔に従って咸陽に帰れば、間違いなく殺されるでしょう」
陳豨の未来予測はピタリと的中した。彼が話し終わったその直後、
「趙高の甥の趙常が勅使として参りました」
との報告が転がり込んできたのである。
章邯らは、急いで趙常を出迎えた。
趙常が伝えた詔、その内容はといえば……
『かつて朕は、汝に賊徒征討の命を下した。都の外の問題について、汝を信頼して任せた。功勲を立て、威勢を大陸に振るい、きっと上手く成し遂げるであろう、との期待によって委託したのである。
ところが汝章邯らは、兵を統率して征伐に向かいながら、軍団を失い、命令を果たせなかったばかりか、皇帝の許しも受けないまま早々と帰還した。これは上下の命令系統から逸脱する行為である。
今、汝の首を縛って連れてくるよう命じて、騎将趙常をそちらへ送った。
命に従って素直に出頭するなら、酌量してやってもよい。だがもし抵抗するなら、極刑をもって処すであろう。
以上、詔する。このとおりに執り行え』
「なんだとッ!?」
激怒した章邯は、勅使趙常の髻を引っ掴むと、唾を散らして怒鳴りつけた。
「我らは命さえ惜しまず、自分から矢や石の降り注ぐ中へ飛び込み、万死一生の戦いの中で限りない苦しみを味わい、楚軍と9回戦い、10日あまり昼も夜も眠ることさえ出来ず、兵糧も尽き、飢えに苛まれ、必死の思いでここまでやってきたのだ!
だから何度も何度も早馬を飛ばして援軍を求めているのに、趙高はそれを隠して皇帝に知らせない! それどころか、わしらを罪に問おうとしているだと!? もう我慢ならん! 貴様を殺して、この恨みを晴らしてやる!」
章邯は剣を抜いた。
だが周囲の者たちが、すんでのところで章邯を押しとどめた。
「いけません! いま勅使を斬ったら、臣下が君主を拒んだ形になってしまいます。
ここはひとまず、趙常の命だけは助けて陣中に捕らえておき、皇帝陛下に手紙を送って細かく報告なさいませ」
「なにっ! そんな……それは……確かに、そうか……そうだな。分かった、そうしよう」
かくして、とりあえず趙常は監禁しておくことになった。
だがこれから一体どうすればよいのか……章邯の先行きは、色濃い暗雲に包まれていた。
(つづく)
■次回予告■
章邯の失脚。趙高の台頭。腐り果てた朝廷から人心離れ行く一方、秦国打倒の旗をかかげて楚に大軍が集結した。
綺羅星の如き豪傑と意気盛んなる兵の群れ。準備は万端、今がその時。劉邦は西路。項羽は東路。二手に分かれた英雄たちは不倶戴天の秦帝国に最後の決戦を挑むべく、ついに進軍を開始する。
次回「龍虎戦記」第十一回
『決戦の時』
乞う、ご期待!