龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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八十の甲 そそのかす者

 

 

 匈奴(きょうど)の冒頓(ぼくとつ)単于(ぜんう)と和睦(わぼく)して以来、関中では平穏無事の時が続いていた。

 上は朝廷から下は山野(さんや)の愚民まで、喜び楽しまぬ者はいない、というほどであった。

 

 ところで、これはずいぶん前の話だが……

 かつて劉邦が睢水(すいすい)で大敗したとき、逃亡の途中で戚家(せきか)村(そん)というところを通り、戚氏(せきし)の老翁(ろうおう)に宿を貸してもらったことがあった。

 

 このとき劉邦は、戚氏(せきし)の娘と出会った。

 

 この娘は、すばらしい美貌(びぼう)の持ち主だった。

 春まっさかりのみずみずしい桃花さえ、負けを認めて萎(しお)れてしまうほどの粧(よそお)い。

 風を含んで流れる垂(しだ)れ柳(やなぎ)のごとき立ち姿。

 伝説の美女毛嬙(もうしょう)や西施(せいし)も、この娘の前では思い上がりを恥じて顔を隠す、というほどであった。

 

 この娘に劉邦は一目惚(ひとめぼ)れし、後(のち)に召(め)し出して側室とした。

(第四十七回参照)

 

 戚氏(せきし)の娘……すなわち戚姫(せきき)は、劉邦の寵愛(ちょうあい)を一身に受けた。

 

 年月(としつき)を経(へ)て、戚姫(せきき)は、劉邦の三男となる男子を生んだ。

 その子は如意(じょい)と名付けられ、すくすくと成長していった。

 

 如意(じょい)は、利発(りはつ)で機敏な子であった。

 何を学ばせても、人より上手くやってのける。

 文才においても武芸においても優秀な如意(じょい)を、劉邦は、ことのほか可愛(かわい)がった。

 

 こうなると、必然的に比較対象とされるのが、他の兄弟たちである。

 特に、呂皇后との間に生まれた長男劉盈(りゅうえい)は、弟に比べて、どうしても見劣りしてしまう。

 

 いつのころからか、劉邦は、こんなことを考え始めた。

「太子の劉盈(りゅうえい)は、どうも柔弱(にゅうじゃく)すぎる。

 あれじゃあ、皇帝となって天下を治めるのは無理だろう。

 劉盈(りゅうえい)を廃嫡(はいちゃく)して、如意(じょい)を太子に立てたほうがいいな……」

 

 

   *

 

 

 というわけで劉邦は、大臣たちを集めて、劉盈(りゅうえい)廃嫡(はいちゃく)の議論を始めた。

 

 ギョッとしたのは大臣たちである。

 平凡な長男を廃嫡(はいちゃく)し、利発(りはつ)な弟を太子に立てる……それが原因で血みどろの後継者争いに発展した例は、歴史上に数(かぞ)えきれないほど存在するのだ。

 

 群臣は、みんなで先を争うように劉邦を諌(いさ)めた。

 だが劉邦は、よほど如意(じょい)に皇帝の位(くらい)を継がせたいと見えて、まったく翻意(ほんい)する気配がない。

 そこから数日にわたる議論を経ても、まだ劉邦の気持ちは変わらなかった。

 

 と……

 その議論の最中(さなか)、1人の臣が、いきなり、ものすごい大声をあげた。

「だ、だ、だ、だぁぁぁぁーめです! だぁぁーめです!

 へ、へ、陛下のやろうとしていることは、わ、わ、わーざわざ乱を起こす道です!」

 

 絶叫しながら宮殿に上ってきたのは、上(じょう)大夫(たいふ)の周昌という男であった。

 

 周昌は沛(はい)県の出身で、劉邦が秦(しん)への反乱軍を立ち上げた時からの臣である。

 周昌は直言(ちょくげん)居士(こじ)として知られていた。たとえ相手が劉邦であろうとも、ダメだと思ったらハッキリ言う。そういう性格なのだ。

 

 ところが、この周昌、吃音(きつおん)でもあった。

 

 だから劉邦に、

「乱を起こす道ってのは、どういうことだ?」

 と聞かれると……

 

「う……うっ……」

 このように、うまく言葉が出てこないのである。

 ハッキリ言いたい! と強く思えば思うほど、かえって上手に言えなくなってしまう。なんともはや、もどかしい……

 

 だが、そこで口を閉ざさないのが周昌という男であった。

 周昌は決して諦めることなく、劉邦に切々と訴(うった)えた。

 

「く、く、く、口では説明でーきないですが……だ、ダメだということは、もう、ちゃんと分かっています。

 へ、へ、陛下が太子を廃(はい)したいと詔(みことのり)しても、し、し、し、臣は、絶対に、しーたがいませんっ!」

 

 劉邦は、周昌の言葉を聞くと、大声で笑いだした。

 『口では説明できないが、とにかくダメだ』とは! 言ってることがムチャクチャである。

 だが、ムチャクチャであればこそ、周昌の、まっすぐな忠義が胸に突き刺さってくる。

 

 結局……

 劉邦は周昌の諌言(かんげん)を受け入れ、劉盈(りゅうえい)の廃嫡(はいちゃく)を取り下げたのだった。

 

 

   *

 

 

 どうにか劉盈(りゅうえい)廃嫡(はいちゃく)を食い止めることができたので、諸臣は安堵(あんど)し、朝廷から退出していった。

 

 劉邦もまた後宮に入り、戚姫(せきき)に会いに行った。

 劉邦は、苦笑しながら戚姫(せきき)に言った。

「如意(じょい)を太子に立てようと思ったが、群臣総出(そうで)で諌(いさ)められたよ」

 

 戚姫(せきき)は、劉邦の耳元で、ささやいた。

「陛下……もし如意(じょい)を愛してくださっているのでしたら、今日はダメでも、また後日、ゆるゆると再び図(はか)ってくださいませ」

 

 劉邦は、戚姫(せきき)に向けて、うなずいた。

「分かってるよ。愛するお前の言う通りにしよう」

 

 どうやら、後継者争いの火種は、まだ燻(くすぶ)っているようである……

 

 

   *

 

 

 それからしばらくした、ある日。

 急を告げる早馬が、趙(ちょう)・代(だい)の方面から飛び込んできた。

 

「北蕃(ほくばん)(異民族)の軍勢が、代(だい)州に攻め込んできました!

 人民が逃げまどい、各郡県は制御不能の事態になっております。

 急いで討伐(とうばつ)しなければ、趙(ちょう)の地を守りきれなくなるでしょう!」

 

 こんな報告が、1日のうちに3回も5回も飛んでくる。

 まるで雪が風に乗って吹き込んでくるかのようだ。

 

 劉邦は事態を重く見て、すぐに群臣を集めて会議を開いた。

 

 その会議の場で、謀士(ぼうし)陳平(ちんぺい)が言った。

「北蕃(ほくばん)討伐(とうばつ)を成(な)しとげられるほどの戦(いくさ)上手(じょうず)といえば、英布、彭越(ほうえつ)、韓信でしょう。

 

 しかし現在、英布と彭越(ほうえつ)は遠く梁(りょう)・楚(そ)に都(みやこ)を構(かま)えております。呼んだとしても、到着には時間がかかります。

 韓信は、ここ咸陽(かんよう)に住んでいるものの、兵権を持っておりませんので討伐(とうばつ)は任せられません。

 

 そこで……

 代(だい)の相国で、陳豨(ちんき)という男がおります。

 彼は知略・計略に優(すぐ)れ、武勇でも並の人間を超えている人物です。

 

 この陳豨(ちんき)を大将に任命して、北蕃(ほくばん)を討伐(とうばつ)させなさいませ。

 他の者では、蕃(ばん)兵を破(やぶ)れないでしょう」

 

 

   *

 

 

 劉邦は、陳平(ちんぺい)の意見に従い、すぐに陳豨(ちんき)を呼び出した。

「陳豨(ちんき)よ。

 俺は長いあいだ兵馬を動かしてきて、もう遠征(えんせい)には疲れてしまった。

 それなのに今、北蕃(ほくばん)の兵が代(だい)州を侵略している。その勢いは、すこぶる大きい。

 

 そこで……

 10万の精兵と、韓信が整えた兵器のすべてを、汝に預ける。

 これを用いて、俺のかわりに賊徒(ぞくと)を征伐(せいばつ)せよ!

 

 用心してかかれよ。

 征討(せいとう)に成功したら、汝を代(だい)の王に封(ほう)じてやろう」

 

 陳豨(ちんき)は答えた。

「陛下は、数多(あまた)ある諸将の中から、かたじけなくも臣を選んで勅命(ちょくめい)(天子じきじきの命令)を下(くだ)してくださいました。

 臣は、粉骨砕身して国のため力を尽くさずにはいられません。

 

 ただ、策もなしに前進はできません。

 10万では、兵が足りないように思われます。

 この兵力では、強力な蕃(ばん)兵を平定することは、できないでしょう」

 

 劉邦は、「当然だ」と言わんばかりに、うなずいた。

「そうだろうな。だから汝に、この符印も授けておく。

 これは軍権の証明だ。

 もし兵馬が足りなければ、この符印を用いて、行く先々で兵を集めろ。

 これなら十分な兵力を得られるだろう?」

 

「はっ! 承知いたしました!」

 陳豨(ちんき)は、精兵10万を率いて、さっそく出発した。

 

 

(つづく)




●注釈
 冒頭の戚姫(せきき)を紹介するくだりは「西漢通俗演義」には無い。「通俗漢楚軍談」の増補部分と思われる。
 「軍談」の原文は以下のようになっている。
『夭桃(ようとう)の春を傷める粧(よそほい)、垂柳の風を含める有様、毛嬙(もうしょう)、西施も面を恥づるほどなれば……』
 夭桃(ようとう)は『みずみずしい桃の花』の意味で、若い女性の美しさの喩え。「太平記・巻一」に『夭桃(ようとう)の春を傷る粧(よそほ)ひ、垂柳の風を含る御形、毛嬙(もうしょう)西施も面を恥……』とほとんど同じ文章があり、ここからの引用と思われる。
 毛嬙(もうしょう)と西施(せいし)は、ともに古代中国の伝説的美女。西施(せいし)は現代でも有名で、中国四大美女に数えられたりもしている。一方、毛嬙(もうしょう)は史料に記述が少なく、知名度は低いと言わざるを得ない。
 しかし、古代にはこの2人が並び称されることが多かった。
 たとえば春秋戦国時代の思想書「管子・小称」には『毛嬙(もうしょう)、西施、天下の美人なり』とあるほか、「淮南子・本経訓」に『道徳が天下において定まり、民が純朴であれば(中略)毛嬙(もうしょう)、西施のような色気を前にしても悦楽に惑(まど)わされることはない』と記されている。
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