陳豨は、軍を率いて都の外へ向かう途中、韓信の家の前を通りかかった。
陳豨は、心の中で思った。
「私は、長いあいだ韓信から恩を受けてきた。
韓信には兵法の極意を伝授していただいたのだ。
その恩は、忘れることができない。
よし。都を発つ前に、一言挨拶しておこう。
ひょっとしたら、蕃兵を破る良い計略を教えていただけるかもしれない」
というわけで、陳豨は軍勢を城外に待機させ、自分は数十人の共を連れて韓信宅を訪れた。
韓信は、こころよく陳豨を歓迎してくれた。
礼を終えると、陳豨は言った。
「それがしは、皇帝陛下の勅命により、代州へ行って蕃兵を征伐することになりました。
韓信先生からは、かつて大きな恩を受けましたから、出発前のご挨拶に参りました。
韓信先生、もしよろしければ、それがしに策を授けてくださいませんか?
どうすれば蕃兵を破ることができるでしょうか?」
韓信は、
「そうか、よく来てくれた」
と喜び、酒を出して陳豨をもてなした。
韓信と陳豨は、ともに数度、杯を傾けた。
その後で、韓信は左右の人々を退出させ、陳豨と2人きりになった。
韓信が、大きく嘆いて言う。
「御辺は、詔を奉じて蕃の征伐に行く。
御辺の功績と、私が楚を滅ぼした功績。一体どちらが大きいだろうか……」
陳豨は驚き、目を丸くした。
「そんな! なんてことを仰るのです。
蕃を破る功績など、しょせんは小国ひとつの範囲内のもの。
楚を破った功績は、1万代先の未来まで伝わるものです。
どちらが大きいかなど、論じる必要がありましょうか?」
韓信は、うなずいた。
「さればとよ。
私は、それほどの大功を成した。
それなのに、今は無用のものとして捨て置かれている。
御辺が蕃を破って凱歌を奏したら、その後どうなると思う?
朝には王侯となれるかもしれんが、夕暮れ時には匹夫に逆戻り。今の私と同じありさまになるだろうな」
陳豨は、低く、うめいた。
言われてみれば、十分にありうる話だ。なんといっても、目の前に韓信という実例がいるのだから説得力がある。
陳豨は言った。
「先生、どうか、お教えください。
それがしは、どうすれば禍いから逃れられるでしょうか」
韓信が答える。
「御辺の手の中には10万の精兵がある。
さらに、趙・代は武力を用いるのに適した国だ。
主上(皇帝劉邦のこと)は、これほどの武力を御辺に預け、大任に就かせた。
それは主上が御辺を愛し、少しも疑っていないからだ。
ゆえに、『趙・代で陳豨が反乱を起こした』と報告が入っても、主上は信じないだろう。
それでも、あちこちから次々に報告が届けば、信じざるを得なくなる。
このとき、主上は必ず激怒する。御辺を信じていたからこそ、裏切られた怒りが倍加するのだ。
となれば、主上は自ら御辺を征伐しに向かうだろう。
そのとき、私が関中で挙兵する。
御辺が外から、私が内から、主上を挟み撃ちにするわけさ。
これで天下は私たちのものとなる。
陳豨君、これは絶好の機会だ。みすみす逃す手は無いぞ」
陳豨は、緊張に青ざめながら、小さく震えた。
稀代の戦上手である韓信が、いきなり首都咸陽を押さえてしまう……
この手なら、確かに成功の可能性が……ある!
陳豨は、うなずいて言った。
「謹んで、先生の教えに従います」
それから、韓信と陳豨の2人は、計画の細部を話し合い……
野望の火を十分に燃え上がらせたうえで、何事も無かったかのように別れたのだった。
*
陳豨は、城外に待機させていた兵と合流し、さっそく出発した。
しばらくして趙・代に到着すると、陳豨はまず陣を築くように命じ、諸将を集めて言った。
「さて、現地に到着はしたが、軽々しく動いてはいけない。
まずはこの地に腰をすえ、蕃兵の情報を集めるのだ。
その後で兵を進めるとしよう」
陳豨の命令通り、諸将は、それぞれの陣に待機しはじめた。
一方、陳豨は数多くの間者を放ち、蕃兵の状況を探らせた。
数日して、間者たちが戻ってきた。
「蕃兵は、4ヶ所に陣を立て、それぞれに5万の兵を駐屯させています。
それとは別に、蕃王は代州の城外に大要塞を構え、3万の人馬を率いています。
さらに、4つの陣の外には100万人の騎兵が巡回しております。
その数は、山を覆い谷を埋めるほど……どこを見ても全てこれ蕃兵というありさまで、その勢力は、すさまじい大きさです。
それから、蕃王の手下に哈延赤という大将がいます。
大きな斧を軽々と振り回す、万夫不当の武勇の持ち主です。
この哈延赤を討ち取れば、蕃兵は自然に遠くへ逃げ去ってしまうかと思われます」
陳豨は、間者の報告を喜び、重く恩賞を与えた。
そして大将の劉武、李徳、陳産、楚招らを呼び、こう命令した。
「蕃兵は勢いが盛んだ。力によって対抗することは難しいだろう。
そこで、計略によって破ることにする。
汝ら諸将は、今から指示するように行動せよ。このように、このように……
これで我らは勝利を得ることができるだろう」
「承知いたしました!」
諸将は、命を受けると、それぞれ兵を率いて去っていった。
(つづく)