龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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八十の乙 そそのかす者

 

 

 陳豨(ちんき)は、軍を率(ひき)いて都(みやこ)の外へ向かう途中、韓信の家の前を通りかかった。

 

 陳豨(ちんき)は、心の中で思った。

「私は、長いあいだ韓信から恩を受けてきた。

 韓信には兵法の極意を伝授していただいたのだ。

 その恩は、忘れることができない。

 

 よし。都(みやこ)を発(た)つ前に、一言(ひとこと)挨拶(あいさつ)しておこう。

 ひょっとしたら、蕃(ばん)兵を破(やぶ)る良い計略を教えていただけるかもしれない」

 

 というわけで、陳豨(ちんき)は軍勢を城外に待機させ、自分は数十人の共(とも)を連れて韓信宅を訪(おとず)れた。

 

 韓信は、こころよく陳豨(ちんき)を歓迎してくれた。

 

 礼を終えると、陳豨(ちんき)は言った。

「それがしは、皇帝陛下の勅命(ちょくめい)により、代(だい)州へ行って蕃(ばん)兵を征伐(せいばつ)することになりました。

 韓信先生からは、かつて大きな恩を受けましたから、出発前のご挨拶(あいさつ)に参りました。

 

 韓信先生、もしよろしければ、それがしに策を授けてくださいませんか?

 どうすれば蕃(ばん)兵を破ることができるでしょうか?」

 

 韓信は、

「そうか、よく来てくれた」

 と喜び、酒を出して陳豨(ちんき)をもてなした。

 

 韓信と陳豨(ちんき)は、ともに数度、杯(さかずき)を傾けた。

 その後で、韓信は左右の人々を退出させ、陳豨(ちんき)と2人きりになった。

 

 韓信が、大きく嘆(なげ)いて言う。

「御辺(ごへん)は、詔(みことのり)を奉(ほう)じて蕃(ばん)の征伐(せいばつ)に行く。

 御辺(ごへん)の功績と、私が楚(そ)を滅ぼした功績。一体どちらが大きいだろうか……」

 

 陳豨(ちんき)は驚き、目を丸くした。

「そんな! なんてことを仰(おっしゃ)るのです。

 蕃(ばん)を破る功績など、しょせんは小国ひとつの範囲内のもの。

 楚(そ)を破った功績は、1万代先の未来まで伝わるものです。

 どちらが大きいかなど、論じる必要がありましょうか?」

 

 韓信は、うなずいた。

「さればとよ。

 私は、それほどの大功を成(な)した。

 それなのに、今は無用のものとして捨て置かれている。

 

 御辺(ごへん)が蕃(ばん)を破って凱歌(がいか)を奏(そう)したら、その後どうなると思う?

 朝には王侯となれるかもしれんが、夕暮れ時には匹夫(ひっぷ)に逆戻り。今の私と同じありさまになるだろうな」

 

 陳豨(ちんき)は、低く、うめいた。

 言われてみれば、十分にありうる話だ。なんといっても、目の前に韓信という実例がいるのだから説得力がある。

 

 陳豨(ちんき)は言った。

「先生、どうか、お教えください。

 それがしは、どうすれば禍(わざわ)いから逃れられるでしょうか」

 

 韓信が答える。

「御辺(ごへん)の手の中には10万の精兵がある。

 さらに、趙(ちょう)・代(だい)は武力を用いるのに適した国だ。

 

 主上(しゅじょう)(皇帝劉邦のこと)は、これほどの武力を御辺(ごへん)に預け、大任に就(つ)かせた。

 それは主上(しゅじょう)が御辺(ごへん)を愛し、少しも疑っていないからだ。

 

 ゆえに、『趙(ちょう)・代(だい)で陳豨(ちんき)が反乱を起こした』と報告が入っても、主上(しゅじょう)は信じないだろう。

 

 それでも、あちこちから次々に報告が届けば、信じざるを得なくなる。

 このとき、主上(しゅじょう)は必ず激怒する。御辺(ごへん)を信じていたからこそ、裏切られた怒りが倍加するのだ。

 となれば、主上(しゅじょう)は自(みずか)ら御辺(ごへん)を征伐(せいばつ)しに向かうだろう。

 

 そのとき、私が関中で挙兵する。

 御辺(ごへん)が外から、私が内から、主上(しゅじょう)を挟み撃ちにするわけさ。

 

 これで天下は私たちのものとなる。

 陳豨(ちんき)君、これは絶好の機会だ。みすみす逃(のが)す手は無いぞ」

 

 陳豨(ちんき)は、緊張に青ざめながら、小さく震えた。

 稀代(きたい)の戦(いくさ)上手(じょうず)である韓信が、いきなり首都咸陽(かんよう)を押さえてしまう……

 この手なら、確かに成功の可能性が……ある!

 

 陳豨(ちんき)は、うなずいて言った。

「謹(つつし)んで、先生の教えに従います」

 

 それから、韓信と陳豨(ちんき)の2人は、計画の細部を話し合い……

 野望の火を十分に燃え上がらせたうえで、何事も無かったかのように別れたのだった。

 

 

   *

 

 

 陳豨(ちんき)は、城外に待機させていた兵と合流し、さっそく出発した。

 

 しばらくして趙(ちょう)・代(だい)に到着すると、陳豨(ちんき)はまず陣を築くように命(めい)じ、諸将を集めて言った。

「さて、現地に到着はしたが、軽々しく動いてはいけない。

 まずはこの地に腰をすえ、蕃(ばん)兵の情報を集めるのだ。

 その後で兵を進めるとしよう」

 

 陳豨(ちんき)の命令通り、諸将は、それぞれの陣に待機しはじめた。

 一方、陳豨(ちんき)は数多くの間者(かんじゃ)を放ち、蕃(ばん)兵の状況を探らせた。

 

 数日して、間者(かんじゃ)たちが戻ってきた。

「蕃(ばん)兵は、4ヶ所に陣を立て、それぞれに5万の兵を駐屯させています。

 それとは別に、蕃(ばん)王は代(だい)州の城外に大要塞を構え、3万の人馬を率(ひき)いています。

 

 さらに、4つの陣の外には100万人の騎兵が巡回しております。

 その数は、山を覆(おお)い谷を埋めるほど……どこを見ても全てこれ蕃(ばん)兵というありさまで、その勢力は、すさまじい大きさです。

 

 それから、蕃(ばん)王の手下に哈(は)延(えん)赤(せき)という大将がいます。

 大きな斧を軽々と振り回す、万夫(ばんぷ)不当(ふとう)の武勇の持ち主です。

 

 この哈(は)延(えん)赤(せき)を討(う)ち取れば、蕃(ばん)兵は自然に遠くへ逃げ去ってしまうかと思われます」

 

 陳豨(ちんき)は、間者(かんじゃ)の報告を喜び、重く恩賞を与えた。

 そして大将の劉武(りゅうぶ)、李徳、陳産、楚招(そしょう)らを呼び、こう命令した。

 

「蕃(ばん)兵は勢いが盛(さか)んだ。力によって対抗することは難しいだろう。

 そこで、計略によって破ることにする。

 汝ら諸将は、今から指示するように行動せよ。このように、このように……

 これで我らは勝利を得ることができるだろう」

 

「承知いたしました!」

 諸将は、命(めい)を受けると、それぞれ兵を率(ひき)いて去っていった。

 

 

(つづく)




●注釈
 陳豨(ちんき)という人物が登場した。
 この陳豨(ちんき)、実は今回が初登場ではない。遥か前の第十一回で、章邯(しょうかん)配下の謀士(ぼうし)として登場している。あのとき登場人物紹介(カクヨム版にのみ収録)で『後年、大事件を引き起こす』と紹介したが、その『大事件』が今回から始まる一連のエピソードで描かれることになる。
 陳豨(ちんき)の列伝は、「史記・韓信盧綰列伝」の中に収録されている。そこでは『どういう経緯で劉邦に従うようになったのかは分からない』とされていて、前半生について全く記述がない。章邯(しょうかん)の下で働いていたという話は、「西漢通俗演義」における創作と思われる。
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