龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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八十一の上 皇帝の用兵

 

 

 陳豨(ちんき)の反乱を鎮圧(ちんあつ)するため、劉邦は大軍を率(ひき)いて趙(ちょう)に向かった。

 趙(ちょう)の都(みやこ)邯鄲(かんたん)に到着した劉邦は、城下に陣営を作り、軍を駐屯(ちゅうとん)させた。

 

 すると、劉邦の来訪を知った近隣郡県の官吏(かんり)たちが、ことごとく拝謁(はいえつ)を求めて集まってきた。

 

 劉邦は、そうした官吏(かんり)の中の1人、ある郡の郡守(長官)に尋(たず)ねた。

「陳豨(ちんき)は、今どこに兵を置いている?

 人馬の数は?

 陳豨(ちんき)を補佐する将は何人いる?」

 

 郡守は答えた。

「陳豨(ちんき)は、ここから遥か北、曲陽という街に軍を駐屯(ちゅうとん)させています。

 主力の軍勢と、各地から糾合(きゅうごう)した諸勢力を合わせて、都合50万人あまり。

 劉武(りゅうぶ)、楚招(そしょう)などの大将を20人以上かかえております。

 

 臣らは、皇帝陛下の軍勢が来てくださるのを、大旱魃(かんばつ)の中で雨雲を切望するかのように心待ちにしておりました。

 各郡県の人民もまた、天兵の到来を待ち望んでおります。

 どうか、早く逆賊を滅ぼし、水に溺(おぼ)れるような苦しみから人民を救ってくださいませ!」

 

 劉邦は喜び、群臣を見渡して、言った。

「この邯鄲(かんたん)は、中国中央部の道が全部集まる交通の要衝だ。

 しかも、邯鄲(かんたん)の南には漳河(しょうが)が流れていて、天然の堀(ほり)のようになっている。

 

 それなのに、陳豨(ちんき)は邯鄲(かんたん)に拠点を置かず、漳河(しょうが)を防衛に利用することも考えなかった。

 曲陽なんかに兵を置くとは、陳豨(ちんき)が智謀(ちぼう)に欠けてることは明白だな。

 

 しかも、各地から掻(か)き集めたニワカ作りの軍勢で戦うつもりなんだとさ。

 となると、兵の調練(ちょうれん)もロクにできていないだろうから、素早くは動けまい。

 つまり、当面のあいだ戦(いくさ)は無い。お前らは、しばらく邯鄲(かんたん)に留(とど)まっていろ」

 

 そして劉邦は、周昌を呼んだ。

「周昌よ。

 賊(ぞく)を討伐(とうばつ)するために、このあたりの地理に詳しい道案内がほしい。

 汝は、邯鄲(かんたん)や周辺郡県の軍民から、何人か選んで連れてこい」

 

「わ、わ、わーかりました!」

 周昌は、すぐに出て行った。

 

 

   *

 

 

 数日後。

 周昌は、4人の壮士を連れて、劉邦の前に戻ってきた。

 

 そのとき劉邦は、幕舎(ばくしゃ)の中で酒を飲んでいた。

 劉邦は、4人の壮士を一目(ひとめ)見ると、なぜか大笑いして壮士たちを罵(ののし)りだした。

「汝らが道案内として俺の前を歩く、だと?

 わはははは! 汝らごときに、そんな大任が果たせるかよ!」

 

 壮士たちは、顔色を変えた。

 呼ばれたから来た者たちに対して、劉邦の態度は、いくらなんでも無礼すぎた。

 あるいは酒のせいかもしれないが……たとえそうでも、壮士たちは黙っていられなかった。

 

 壮士たちは、噛みつくように劉邦に言った。

「陛下の天兵は、遠くからお越しになり、勢いは大変に盛(さか)んです。

 しかし地理を知らぬまま軽々しく進んでは、いけません!

 

 まず臣らが敵地に深く入り、敵軍の情報を探(さぐ)ってまいりましょう!

 敵の配置の厚いところ、薄いところを知ってから軍を進めなされば、必ずや勝利することができます!」

 

 劉邦は、またバカにしたように鼻で笑った。

「ハッ! 口では上手(うま)いことを言ってるが、どうせ嘘だろう」

 

 壮士たちは、真顔で食らいつく。

「臣らは、皇帝陛下の御尊顔を咫尺(しせき)(すぐ近く)の距離で拝(はい)しております!

 周囲には、陛下の軍勢が何重にも取り巻いているのです!

 この状況で、陛下を欺(あざむ)くことなど、できるはずがないでしょう!」

 

 と。

 劉邦は、ここで突然、真剣な目を壮士たちに向けた。

「よし。そこまで言うなら、汝ら4人に千戸(約千人の兵を統率する部隊長)の職を授ける。

 重く恩賞も取らせよう。

 しっかり働いてこい!」

 

 侮辱と罵倒から一転、いきなり千戸に抜擢(ばってき)されて、壮士たちは目を白黒させて驚いた。

 壮士たちは大いに喜び、勇(いさ)み躍(おど)って任務のために駆けだしていった。

 

 劉邦の側近たちは、劉邦に言った。

「陛下。あの4人の壮士は、まだ一寸の功績さえ成(な)しておりません。

 それなのに、突然あのような重職を授け、厚い恩賞まで与えなさったのは、どうしてなのですか?」

 

 劉邦は、ニヤリと笑った。

「兵法に、『重い恩賞の下には、必ず勇敢な男が集まってくる』って言うだろ?

 あの4人は、俺を見返したい一心で大口を叩いた。

 その言葉通りに敵情を探(さぐ)り出してくれたら、その時点で俺らの勝ちは確定だ。

 

 俺は先日、各地へ『兵を送るように』と檄文(げきぶん)を送った。

 だが、まだ誰も集まってきていない。

 いま手元にある兵だけで戦うしかないわけさ。

 

 たかが4千戸を惜(お)しんでる場合かよ。

 ああして趙(ちょう)の子弟(してい)に恩賞を与えたら、どうなると思う?

 他の趙(ちょう)人たちも、恩賞にあずかろうと考えて、一生懸命に働いてくれるだろう。

 

 1人を賞して万人を督励(とくれい)する……それが俺の用兵だ。

 お前らは知らないだろうがな」

 

 これを聞くと側近たちは、

「陛下のご聖見(せいけん)、臣らは全く見抜けませんでした!」

 と、みんなして拝伏したのだった。

 

 

   *

 

 

 4人の壮士は、代(だい)州の民(たみ)に紛(まぎ)れて曲陽へ向かった。

 そして、曲陽で陳豨(ちんき)陣営の内実を探(さぐ)り、しばらくして邯鄲(かんたん)に戻ってきた。

 

 壮士たちは、劉邦に謁見(えっけん)して報告した。

「陳豨(ちんき)が用いている大将たちは、みんな趙(ちょう)・代(だい)の商人たちでした。

 金品に対して極めて貪欲(どんよく)な男ばかりです。

 

 ですから、黄金を数百斤(きん)(100斤(きん)で約25kg)ほど使って賄賂(わいろ)をバラまけば、奴らは陳豨(ちんき)の命令に従わなくなるでしょう。

 そこを狙って攻撃すれば、必ずや陳豨(ちんき)を擒(とりこ)にできると思います」

 

 劉邦は、この報告を大(おお)いに喜んだ。

 劉邦は4人の壮士に再び重く恩賞を与えると、すぐに群臣を招集した。

 

「賄賂(わいろ)で陳豨(ちんき)陣営を崩壊させる策でいくぞ!

 誰かを陳豨(ちんき)の陣営に送り、向こうの大将たちを買収させ、内側から突き崩す。

 同時に、敵の様子も調べてくるんだ。

 誰か、この役目を果たせる者はいないか?」

 

 すると、群臣の列から、1人の男が進み出た。

「臣に行かせてくださいませ」

 

 劉邦が目を向けると……

 その男は、中(ちゅう)大夫(たいふ)の随何(ずいか)であった。

 

 随何(ずいか)といえば、得意の弁舌で数々の難しい交渉をこなしてきた男である。

 劉邦は、大喜びで、うなずいた。

「卿(けい)が行ってくれるなら、なんの心配もないな!」

 

 そこで劉邦は、黄金100斤(きん)を随何(ずいか)に授け、送り出したのだった。

 

 

   *

 

 

 随何(ずいか)は、数人の従者を連れて、陳豨(ちんき)の陣営に向かった。

 

 随何(ずいか)の手の中には、一封(いっぷう)の書もある。

 陳豨(ちんき)宛(あ)ての、投降を促(うなが)す書簡(しょかん)である……が、こちらは陳豨(ちんき)の陣に入るための口実のようなものだ。

 

 さて、随何(ずいか)は、陳豨(ちんき)の陣の門前に来ると、このように呼びかけた。

「皇帝陛下は、中(ちゅう)大夫(たいふ)随何(ずいか)を勅使(ちょくし)として詔書(しょうしょ)をお送りになった。

 早く陣門を開かれよ!」

 

 

   *

 

 

 陣の中にいた陳豨(ちんき)は、この呼びかけを聞き、すぐに裏の意図を察した。

「随何(ずいか)は説客(せっかく)だ。

 詔書(しょうしょ)なんて嘘だな。他に目的があるに違いない」

 

 陳豨(ちんき)は、ひとまず随何(ずいか)を陣の中へ入らせるよう、左右の部下に命(めい)じた。

 

 

   *

 

 

 一方、陣の前で待たされていた随何(ずいか)は、ひそかに従者へ、ささやいた。

「私は、陳豨(ちんき)との交渉を引き延ばして時間を稼ぐ。

 その間に、汝らは黄金を大将たちへ掴(つか)ませておけ」

 

 

(つづく)




●注釈
 劉邦のセリフの中に、『重い恩賞の下には、必ず勇敢な男が集まってくる』という言葉があった。これは兵法書「三略・上略」からの引用である。
『香餌(こうじ)の下には、必ず死魚あり。重賞の下には、必ず勇夫あり……(中略)……礼賞倦(う)まざれば、すなわち士は争いて死す』
 香り高い餌(えさ)の下には必ず食いついて死ぬ魚がいる。それと同様に、重い恩賞の下には必ず勇敢な男がいるものだ。礼を尽くして待遇し、しっかりと恩賞を与えてやれば、部下は先を争って主君のために死んでくれるのだ……と、そのような意味になる。人を動かすための大切な心得と言えよう。
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