龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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八十一の下 皇帝の用兵

 

 

 漢軍は、逃げる陳豨(ちんき)の後を追い、30里(12km)あまりも駆けて行った。

 すると前方に大きな陣営が見えてきた。

 

 どうやら陳豨(ちんき)軍は、あの陣に逃げ込んだようだ。

 鹿角(ろっかく)(逆茂木(さかもぎ)。侵入防止の柵(さく))が隙間なく設置され、四方の門にはおびただしい数の戦車が並べられている。

 旗幟(きし)は整然と立ち並び、隊伍は少しも乱れていない。

 

 そのとき、陣の中から一声の鉄砲が鳴り響いたかと思うと、四方の陣門が一斉に開かれ、人馬が蜂のように湧き出て来た。

 その先頭に立って突っ込んでくるのは、まぎれもなく総大将の陳豨(ちんき)。

 陳豨(ちんき)は漢軍に正面から挑みかかり、右へ左へと斬り回った。

 

 突然の反撃に、漢軍の前陣は驚き、態勢を崩した。

 そこへ陳豨(ちんき)軍の猛攻を受け、漢軍は大勢の兵を討(う)ち取られてしまった。

 

 劉邦(りゅうほう)率(ひき)いる後陣が追いついてきたのは、そのときだった。

 

 劉邦は、前方の戦況を睨(にら)んだ。

「前陣が負けてるみたいだな……よし」

 

 劉邦は、すぐに指示を飛ばした。

 まず、後方に急いで陣営を作らせる。

 それと同時に前陣救援の部隊を送り、撤退を支援させた。

 

 おかげで、漢軍の前陣は無事撤退。劉邦が作った陣営の中へ逃げ込むことに成功した。

 

 これを見た陳豨(ちんき)の方も、

「これ以上の深入りは危険だ」

 と冷静に判断を下し、自分の陣へと後退していった。

 

 このとき、天はすでに晩の色に染まっていた。

 両軍が引き上げたことで、ひとまず、この日の戦いは終了したのだった。

 

 

   *

 

 

 劉邦は、これまでに秦(しん)・楚(そ)・匈奴(きょうど)など数々の強敵と戦い、それを乗り越えてきた。

 その経験が、劉邦を立派な将へと鍛え上げた。

 先ほどの指揮ひとつを見ても、今の劉邦が十分な力量を持っていることが分かる。

 

 対する陳豨(ちんき)も、さすがに陳平(ちんぺい)が推薦したほどの戦(いくさ)上手である。

 不利な状況から皇帝率(ひき)いる大軍を押し返した戦いぶりは、見事なものであった。

 

 

   *

 

 

 劉邦は、陣に引き上げてきた諸将を集め、厳しく命(めい)じた。

 

「今日の合戦で、味方の人馬は疲れ弱っているだろう。

 だが、敵が夜討(よう)ちを仕掛(しか)けてくる可能性は、十分に、ある!

 安心して眠りこけるんじゃないぞ!」

 

 と、夜通し油断なく陣門を守らせた。

 

 

   *

 

 

 おなじ頃、陳豨(ちんき)もまた麾下(きか)の諸将を集め、声を荒げていた。

 

「劉武(りゅうぶ)! 楚招(そしょう)!

 汝らは今日、なぜ戦いもせずに逃げ出したッ!

 おかげで私は漢軍に追われ、危(あや)うく命(いのち)を落とすところだった!

 

 もしこの陣営に逃げ込むことができなかったら、いまごろ我が軍は大敗していたところだ!

 今後ふたたび同じようなことがあれば、必ず軍法をもって罪を正す! 分かったか!」

 

 陳豨(ちんき)の激怒に、諸将は恐れ入って退出したのだった。

 

 

   *

 

 

 そこからは、何事もなく一夜が明け……

 

 翌日。

 劉邦は中軍の幕舎に諸将を集め、軍議を開いた。

 

 劉邦の左右に並んだ諸将の中から、王陵が進み出て言った。

「陳豨(ちんき)の用兵は、韓信に生き写しです。

 韓信の軍法を、よほど深く研究したのでしょう。

 陣営の作り方といい、戦場での駆け引きといい、並大抵(なみたいてい)の実力では、ありません。

 

 このまま交戦しても、おそらく勝つことは難しいでしょう。

 日数をかければ味方の兵糧(ひょうろう)や馬草(まぐさ)が不足しはじめますから、なおさらです。

 

 愚見ですが、いったん撤退し、邯鄲(かんたん)に拠点を置くのが良いのではないでしょうか。

 そして諸方の軍勢を呼び集め、十分な戦力を得てから力を尽くして勝負を決めるのです。

 そうすれば、天が陛下に味方してくれます。陳豨(ちんき)が如何(いか)に有能であっても、天には敵(かな)わないでしょう」

 

 劉邦は、難しい顔をして腕を組んだ。

「うん……お前の意見は、もっともだ。

 だが、ここから撤退すれば、陳豨(ちんき)の兵が追撃してくるに違いない。下手をすれば壊滅させられるぞ」

 

 王陵が言う。

「はい。ですので日中は兵を動かさず、日暮れを待って、少しずつ撤退を始めましょう。

 さらに、二手の精兵を左右に埋伏(まいふく)させておけば万全です。もし陳豨(ちんき)が追撃してきたら、逆に左右から挟み撃ちにするのです。

 

 まあ、臣の予測ですと、おそらく陳豨(ちんき)は追撃してこないでしょう。

 陳豨(ちんき)は深く兵法を知っていますから、こちらが撤退し始めたのを見れば、伏兵を警戒するに違いありません」

 

 劉邦は、大いに喜んだ。

「なるほど。じゃあ、その手で行こう!」

 

 というわけで、その日の夕暮れ時。

 劉邦は、全軍に兵糧(ひょうろう)を使うよう命(めい)じ、撤退のために荷物をまとめさせた。

 そして樊噲(はんかい)、周勃(しゅうぼつ)、王陵、灌嬰(かんえい)の4人に兵を与え、二手に分かれて道の左右へ埋伏(まいふく)させた。

 

 その他の人馬には枚(ばい)をふくませ、その夜のうちに邯鄲(かんたん)へ向けて撤退を開始した。

 

 

   *

 

 

 陳豨(ちんき)の放った間者たちは、漢軍の動きを見ると、すぐさま陳豨(ちんき)へ報告した。

 

 陳豨(ちんき)は、諸将を集めて言った。

「漢帝が撤退を開始した。

 漢帝は『この場に陣取っていては戦(いくさ)に不利。そのうえ兵糧(ひょうろう)の運送も難しい』と考えたものと思われる。

 おそらく邯鄲(かんたん)に拠点を置き、諸方の兵を集めてから私に決戦を挑(いどむ)つもりだろう」

 

 諸将は、口々に言った。

「ならば、これを逃がす手は、ありません!

 すぐに追いかけ、漢帝を討(う)ち取りましょう!」

 

 しかし陳豨(ちんき)は諸将を制止した。

「いや。漢帝は、長いあいだ戦場を駆け回ってきた人物だ。

 戦(いくさ)慣れしていて、謀略にも通じている。

 

 漢帝が道の左右へ伏兵を置いていることは間違いない。

 もし汝らが追撃したら、必ず返り討(う)ちになるだろう。

 決して追ってはならないぞ」

 

 陳豨(ちんき)は、そう言って、再び間者を放った。

 しばらくして間者たちが帰還し、こう報告した。

「確かに、たくさんの伏兵が置かれていました」

 

 これを聞いた諸将は、陳豨(ちんき)の語った理(ことわり)に納得し、追撃を諦めたのだった。

 

 

   *

 

 

 かくして、劉邦の軍勢は、追撃を受けることもなく、ゆるゆると邯鄲(かんたん)まで引き上げることに成功した。

 樊噲(はんかい)たち伏兵部隊は、敵の追撃が無いのを見ると、それぞれ撤退して本隊に合流した。

 

 これ以後、両軍は決め手を欠いたまま睨(にら)み合いとなり、しばらくの間、戦うことはなかった。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

■次回予告■

 

 劉邦と陳豨(ちんき)が一進一退の攻防を繰り広げていたその頃、都(みやこ)長安ではのっぴきならぬ事態が起きていた。

 ついに明るみに出た反乱計画。変事を未然に防ぐべく謀略を巡らせる呂后と蕭何(しょうか)。認められたい一心で成り上がった名将が残すは一筋の涙のみ。歩み歩んで幾星霜――今また1人、英雄が旅の終わりを迎える。

 

 次回「龍虎戦記」第八十二回

 『国士無双の末路』

 

 乞(こ)う、ご期待!

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