龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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十一の上 決戦の時

 

 

 章邯(しょうかん)は、ひとまず勅使(ちょくし)趙常を拘束した。

「さて、これからどうするか?」

 部下たちに意見を問うと、謀士(ぼうし)陳豨(ちんき)が進言した。

 

「趙高は、すでに章邯(しょうかん)将軍の一族を捕らえて投獄してしまいました。将軍がどれほど大きな功を立てたとしても、誰がそれを考慮に入れるでしょうか。もはや一族の滅亡は避けられません。

 ならば、いっそ早く趙常を斬って決心なさいませ」

 

 「決心せよ」とは、つまり「(しん)から離反せよ」ということである。

 陳豨(ちんき)の見立ては、おそらく正しい。「どうせ家族は助からないのだから」という意見も、冷淡ではあるが理にかなっている。

 しかし章邯(しょうかん)は、決めきれなかった。できることなら家族を救いたい。長年(つか)えた(しん)を裏切りたくもない。

 

 ためらい、悩み、決断を下せないまま数日が過ぎたある日、(ちょう)の大将陳余(ちんよ)の元より、書簡(しょかん)(手紙)を(たずさ)えて使者がやってきた。

 

 陳余(ちんよ)といえば、つい先日、鉅鹿(きょろく)において(しん)と戦った武将である。

 それが、敵であるはずの章邯(しょうかん)に対して、一体なにを言ってきたのであろうか?

 章邯(しょうかん)は急いで書簡(しょかん)紐解(ひもと)いた。

 

『かつて(しん)最強の名将と(たた)えられた白起(はくき)は、南方において()(えん)(えい)を併合し、北方において(ちょう)馬服君(ばふくくん)趙奢(ちょうちょ)と渡り合い、攻めた城や攻略した土地は数えあげればキリがないほどであったのに、突然、王から死を(たまわ)った。

 

 また(しん)蒙恬(もうてん)は、北方において(じゅう)(異民族)を追い払い、楡中(ゆちゅう)の地を切り拓くこと数千里に及んだというのに、ついに陽周(ようしゅう)において死に追い込まれた。

 これほど功績が多い能臣たちでさえ、諸侯に(ほう)じてもらえないどころか、法によって誅殺(ちゅうさつ)されてしまう。なぜだ?

 

 章邯(しょうかん)将軍は、(しん)軍の総大将となって3年。失った兵は十数万におよぶ。しかも諸侯が一斉に立ち上がって、ますます処罰の口実が増えた。

 趙高は、反乱制圧の失敗によって二世皇帝から誅殺(ちゅうさつ)されることを怖れはじめた。だから章邯(しょうかん)将軍に罪をなすりつけて誅殺(ちゅうさつ)し、総大将を他の人間にすげ変えることで、自分が責任を問われるのを避けようとしているのだ。

 

 功があっても誅殺(ちゅうさつ)され、功がなくても誅殺(ちゅうさつ)される。しかも今、天命によって(しん)が滅ぼされようとしていることは、愚か者でも賢人でも、みんな知っている。

 

 あなたは国外ばかりに目を向けていたから、国内に対しては(すき)だらけだ。内においては皇帝に諌言(かんげん)する道を塞がれ、外においては滅びゆく祖国のために孤立しながら戦い続けようとしている。これを哀れまずにいられようか?

 章邯(しょうかん)将軍。兵を解散させ、我々諸侯の仲間に入り、みずから王位につく道を選んでみないか?

 それとも、我が身を斧で切り裂かれ、妻子を殺戮(さつりく)(しゃ)の手に(ゆず)り渡すほうが良いというのか?

 陳余(ちんよ)、百回拝礼しながら(つつし)んで(しる)す』

 

 忠心を捧げてきたはずの二世皇帝から功績の全てを否定された、その直後に、この書簡(しょかん)である。

 味方の趙高や皇帝よりも、敵であるはずの陳余(ちんよ)の方が、ずっと深く自分の気持ちを分かってくれている……章邯(しょうかん)の心は、揺れた。

 

 章邯(しょうかん)書簡(しょかん)を巻き取りながら、大将たちに言った。

陳余(ちんよ)の言うことには一理ある。もし(しん)を離れるとしたら、どこに身を寄せるのがよいだろうか?」

 

 陳豨(ちんき)が答えた。

「今、諸侯みな(しん)(そむ)き、六国の子孫が王として立っておりますが、それに服従する者はたいして多くありません。人民は彼らに疑いを抱いているのです。

 しかし()の項羽は、猛烈な戦功を一気に立てたうえ、英雄的な気概は天下を覆うほどに盛んで、兵も強く、将も猛々(たけだけ)しい。ゆえに大国の諸侯も、ひざまずいて項羽の(めい)に従っている。

 私の予測では、後日(しん)を滅ぼすものは間違いなく()でありましょう。

 将軍がもし()に降伏なされば、王侯の(とうと)(くらい)に至ることができます」

 

 項羽。その名を聞いて、章邯(しょうかん)は顔を曇らせた。

「わしは、前に項羽の叔父の項梁(こうりょう)を殺した。『不倶(ふぐ)戴天(たいてん)の敵だ』と(やつ)自身も言っていたぞ。降伏を受け入れるはずがあるまい」

 

 陳豨(ちんき)が進み出る。

「私が説得します。章邯(しょうかん)将軍のため、()に利害を説き示して、必ず降伏を実現させてみせます」

 

「よし……分かった。頼む!」

 章邯(しょうかん)が同意すると、すぐさま陳豨(ちんき)は馬に乗り、()の陣へと駆けていった。

 

 

   *

 

 

 ()陣の前にたどり着いた陳豨(ちんき)は、堂々と声を張り上げた。

「私は(しん)の使者だ! ()の大将軍にお会いしたい!」

 

 項羽は、すぐに陳豨(ちんき)を幕舎へ招き入れた。

 

 陳豨(ちんき)と対面した項羽の表情は、ニヤニヤと、妙にだらしなく緩んでいる。どうも、陳豨(ちんき)を軽んじて、からかうような気分でいるらしい。

章邯(しょうかん)は困り果てて、お前に説客(せっかく)なんかやらせようとしてるのか?」

 

 説客(せっかく)とは、春秋(しゅんじゅう)戦国(せんごく)時代に流行(はや)った弁舌(べんぜつ)の士のことである。

 (たく)みな話術と豊かな学識をもって各地の王侯を説得し、主君の味方として引き込んだり、自分自身の理想とする政策を実行させたりする。合従(がっしょう)連衡(れんこう)で名高い蘇秦(そしん)張儀(ちょうぎ)をはじめ、歴史に名を残した説客(せっかく)は少なくないが、武人肌の項羽は「しょせん舌先三寸」と甘く見ているふうであった。

 

 しかし陳豨(ちんき)は、うろたえなかった。丁寧(ていねい)に、それでいて()びもせず、涼しげに語り始めた。

(しん)()両軍が戦ってともに疲弊すれば、軍資金や食糧が足りなくなり、百姓に負担をかけます。これは、(しん)にとって不利益というだけではない。()のためにも利のないことです」

 

 項羽は頬杖をついた。

「じゃあ、お前はどうしろというんだ」

 

 陳豨(ちんき)が言う。

章邯(しょうかん)は大将軍として(しん)に仕えること3年。百度の(いくさ)を戦い抜き、功労は多くございます。

 しかし趙高が讒言(ざんげん)し、これを殺害しようと(たくら)んだ。ゆえに今、章邯(しょうかん)将軍は(しん)勅使(ちょくし)を捕らえ、その首を献上して()に降伏したいと願っております。その切ない心情は、赤子が父母を恋しがるが如きものです。項羽将軍はこれをいかがなさいますか」

 

 項羽は激怒し、座の前にあった机を(こぶし)で叩き割った。

章邯(しょうかん)は俺の叔父を殺した! 千年経っても許さん! 百代先まで敵だ! 俺はいつか奴の頭蓋骨を叩き割って便器を作ってやろうと思ってたんだ! 降伏なんか許してやるものかッ!」

 

 陳豨(ちんき)は、このすさまじい怒声を聞くと、天を(あお)いで笑い出した。

 項羽はますます怒る。

「貴様ッ! なんで笑う! 俺の剣の切れ味を味わってみたいってことか!」

 

 項羽が腰の剣に手をかけた。が、陳豨(ちんき)は眉ひとつ動かさない。

「項羽将軍ともあろうものが、ちっぽけなことばかり成しとげて、大きな物を失おうとしている。だから私は笑ったのだ。

 一人前の大丈夫(だいじょうぶ)は、国のために我が家のことを忘れ、賢者を用いて仇敵さえ味方に引き込むものだ。以前に章邯(しょうかん)が項羽将軍の叔父御(おじご)を殺したのは、それぞれ自分の主君のために働いた結果に過ぎない。これは人臣(じんしん)の忠義であり、知恵のある人は必ずこれを大切にする。

 項羽将軍、あなたはなぜ私心にばかり囚われて、器の狭さを晒しなさるのか」

 

 項羽の怒りはまだ収まらなかったが、ここで、そばに(ひか)えていた軍師范増(はんぞう)がささやいた。

「しばらく陳豨(ちんき)を退出させておきなされ。私から少し話がある」

 

 項羽は鬼神のように顔面を紅潮させ、突風のような勢いで鼻息を吹いていたが、やがて、吐き捨てるように言った。

「……陳豨(ちんき)! 外に出ていろ。よく考えてから返事する」

 

 陳豨(ちんき)は丁重に礼をして、幕舎から下がっていった。

 

 

(つづく)




●注釈
 陳余(ちんよ)からの書簡において、「通俗漢楚軍談」では「蒙恬は陽周において斬られた」旨が記されているが、実際には斬死ではなく服毒死である。また、第三回においても「自発的な服毒死」として描写されているため、ここでは死因をぼかした。
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