龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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十二の中 軍師、借ります

 

 

 陳留(ちんりゅう)太守の陳同(ちんどう)は、平生(へいぜい)から酈生(れきせい)と酒を酌(く)み交わす仲であった。

 酈生(れきせい)が訪ねてきたと聞くと、陳同(ちんどう)はいつものように屋敷の奥へ迎え入れ、酒を勧めた。

 

 その席で、酈生(れきせい)はいつになく真面目(まじめ)な顔をして、こう切り出した。

「『良い鳥は木をよく調べてから巣を作り、賢い臣下は仕える主(あるじ)を選んで補佐する』という。

 秦(しん)は無道を極め、諸侯はこぞって反逆した。私は長いあいだ酒乱のフリをしながら良い主君を探していたが、これという人間には出会えなかった。

 

 だが昨日、沛公(はいこう)劉邦に会ってみると、どうだ。

 人相は隆準(りゅうせつ)龍顔(りゅうがん)でまことに貴(とうと)く、性格は度量が広くて細かいことに拘(こだわ)らない。戦(いくさ)のやり方に仁義があり、寛大で温厚な処置をするから各地の邑(むら)はみな心服していく。

 

 太守陳同(ちんどう)よ。君は交通の要衝である陳留(ちんりゅう)を、この小城によって守っているのだ。もし沛公(はいこう)劉邦の兵が来たら、こんな城、鼓(つづみ)の一叩きでたちまち破られてしまうだろう。

 そうしたら、君は無駄に首を差し出して死ぬ運命だぞ。早く心を決めて、我が身を守ることを考えたまえ」

 

 陳同(ちんどう)は、これを聞いて低くうなだれた。

 しばらくジッと考えこみ、やがて陳同(ちんどう)は、唸るように言った。

「先生の言うことは一理あります。しかし、私は長いあいだ秦(しん)からの俸禄(ほうろく)で食ってきました。今になって裏切るのは申し訳なく思えて……」

 

 もう一押しだな、と弁士酈生(れきせい)が目を光らせる。

「むかし、周(しゅう)の武王は殷(いん)の紂王(ちゅうおう)を討(う)ったが、大陸中の人々は喜んで武王に服従した。

 民から見離された君主のことを独夫(どくふ)という。武王は独夫(どくふ)に天誅を下したのであって、主君を弑逆(しいぎゃく)(殺害)したわけではないということだ。

 

 二世皇帝は現代の独夫(どくふ)だ。今、二世皇帝の残虐暴虐に、天下の人々は歯を食いしばって耐えているのだぞ。

 それを倒すのは正義の行いだ。裏切りを謗(そし)る者など、一人も居(お)りはせぬ」

 

 陳同(ちんどう)は、これを聞いて心を決めた。

 劉邦を城に迎え入れたのである。

 

 劉邦は蕭何(しょうか)、曹参(そうさん)らとともに陳留(ちんりゅう)城に入り、民を労(いた)わりながら1ヶ月あまり逗留(とうりゅう)した。

 その間にあちこちの勢力に声をかけたところ、5万人にも及ぶ軍勢が新しく味方に加わった。

 

「これはみんな酈生(れきせい)のおかげだ!」

 と劉邦は深く喜び、酈生(れきせい)に広野君(こうやくん)という称号を与えた。

 以来、劉邦は酈生(れきせい)をいつもそばに置き、事あるごとに計略を問うようになったのである。

 

 

   *

 

 

 それからしばらく経ったある日、酈生(れきせい)が劉邦に進言した。

「私は沛公(はいこう)から手厚く恩を受け、日々親しくお仕えしておりますが、まだ奇妙の功(並外れて優れた功績)を立てたとは言えません。

 そこで、秦(しん)を破るための、大いなる助けとなる人物を推薦したく思います。

 

 この地に一人いるのです。湯王(とうおう)に仕えた伊尹(いいん)や、周(しゅう)に仕えた太公望(たいこうぼう)呂望(りょぼう)(いずれも伝説的政治家)にも劣らぬ、世を経(おさ)め民を済(すく)う経済の才能を抱いた男が。

 もしこの男を得たならば、『秦(しん)を破れなかったらどうしよう』などという心配は過去のものとなりますぞ」

 

 劉邦は思わず腰を浮かせた。

 普段あれだけ辛辣(しんらつ)な酈生(れきせい)が、こうまで言葉を尽くして褒めるほどの人物……

「一体誰なんです、それは?」

 

「韓(かん)国の張良、字(あざな)は子房という者です。

 先祖五代にわたって韓(かん)の宰相(さいしょう)を務めた家の出身で、かつて仙人の指導を受けたのだとか。

 前々から秦(しん)を滅ぼし韓(かん)の仇討(あだう)ちをしようと考えていましたが、まだ韓(かん)国の復興が始まったばかりで態勢が整っていませんから、これまで軽率に動くことなく時が満ちるのを待っていました。

 この張良が沛公(はいこう)に仕えたなら、天下はもう手に入れたようなものですな」

 

 ご記憶であろうか。かつて始皇帝暗殺を企(くわだ)てるも、あと一歩のところで失敗し、逃亡者となった……あの張良である。

 

 あの暗殺未遂事件から、はや11年。この間に、張良は反秦(しん)の潮流に乗って韓(かん)の公子を王位につかせ、故国韓(かん)を復興させていたのだった。

 

 劉邦は首をかしげた。

「その張良という人は、もう韓(かん)国に仕えてるんでしょ? 俺のところに来てくれるかなあ」

 

 酈生(れきせい)が言う。

「私が計略を用いて、張良を連れてきます。

 そのとき沛公(はいこう)がご自身で対面し、耳のとろけるような殺し文句で勝負をかければ、彼は必ず味方につく。お得意でしょう?」

 

 劉邦が眉をひそめる。

「まあ、がんばるけど……で、張良を連れてくる計略というのは?」

 

 酈生(れきせい)が、ニヤリと悪戯(いたずら)な笑みを浮かべた。

「韓(かん)王に書簡(しょかん)を送るのです。その内容はこう。

『今、我々は兵を率いて秦(しん)を討伐し、滅びた六国の仇討(かたきう)ちをしようとしているが、食糧が底をついてきたため、すぐに進軍できなくなってしまった。どうか同盟国の好(よしみ)によって、兵糧(ひょうろう)5万石(ごく)を貸していただきたい』

 これで計略は完了です」

 

 どうしてこんな書簡(しょかん)一つで張良を呼び寄せられるというのか?

 いまいち納得できなかったが、ともかく劉邦は言われた通りに書簡(しょかん)を整え、酈生(れきせい)を使者として韓(かん)国へ向かわせた。

 

 

   *

 

 

 当時の韓(かん)王は、名を成(せい)といった。

 韓王成(かんおうせい)は、もともと韓(かん)の公子であったが、旧韓(かん)が秦(しん)に滅ぼされて地位を喪失。その21年後、張良の努力と奔走によって、復興した韓(かん)国の王位についたのだった。

 

 その韓(かん)王のもとに、使者として酈生(れきせい)がやってきた。

 届けられた書簡(しょかん)を開いてみると……

 

『楚(そ)の征西大将軍沛公(はいこう)劉邦、お手紙を韓(かん)王殿下にお送りします。

 

 つらつら考えてみるに、始皇帝は無道にも六国を併呑(へいどん)し、二世皇帝も残虐で横暴で、その罪は溢(あふ)れんばかりに積もり積もって、人民はもう非難ごうごう、恨み骨髄(こつずい)に入る、といったところです。

 そのため、我々は大軍を率いて天下に宣言し、義によって秦(しん)の残虐を取りのぞき、世の怒りを洗い流そうと頑張(がんば)っております。

 

 ただ、軍を進めることすでに100里。大軍を維持するだけで毎日1万金を消費しており、とにかく軍需(ぐんじゅ)物資が足りません。

 近隣の郡や邑(むら)は、長年の圧政によって10ヶ所中の9ヶ所までが無人になっているありさまで、どこにも借りられるところがないのです。

 

 そこで、お願いがあって酈食其(れきいき)をそちらへ送りました。

 どうか食糧5万石(ごく)を貸していただけないでしょうか?

 秦(しん)を破った後で、必ず倍にしてお返しします。

 

 この征討(せいとう)は公(おおやけ)のものです。決して私的なことに使おうというわけではありません。そこを考慮に入れて、お早く我らを窮地から救ってくださいませ。

 そうすれば、たとえ韓(かん)国が直接兵馬を出して戦ったわけではなくとも、人民のための世界を作るのに多大な貢献をなさったことになります。

 

 このお手紙を書きながら、今、切々と願っております。どうか我々を希望の光でお照らし下さい。

 ああ、伝えたいことがいっぱいで、とても全て言い尽くせない!――不宣(ふせん)』

 

 読み終えた韓王(かんおう)は、左右の家臣たちを見回した。

「我が国は一度秦(しん)に滅ぼされてしまったのだ。新しく国を立て直したとはいっても、まだ貯(たくわ)えは少なく、国内の需要(じゅよう)さえ満たせずにいる。

 他人を援助するような余裕はないぞ」

 

 家臣たちは口を揃(そろ)えて答える。

「沛公(はいこう)劉邦は、懐王(かいおう)の命(めい)をうけて、秦(しん)を討伐するために兵を動かしている。これは天下の大義というものです。

 その沛公(はいこう)が食糧を借りたいと言ってきたのですから、5万石(ごく)全ては無理でも、せめてその半分は送って、同盟国としての義務を果たしておくのがよいと思われます。

 でなければ、我が国が大義を無視する形になってしまいます」

 

 この意見を受けてもなお、韓王(かんおう)の悩みは消えなかった。半分の2万5千石(ごく)ですら、今の韓(かん)にとっては捻出(ねんしゅつ)しがたい量だったのだろう。

 

 そこへ、張良が進み出た。

「ここはまず、こころよく沛公(はいこう)の使者をおもてなしなさいませ。

 その後、私が自(みずか)ら出向いて沛公(はいこう)にお会いし、送ろうにも食糧がないという我が国の実情を説明いたします」

 

 韓王(かんおう)は、ホッと安心して、顔をほころばせた。

「そうか、頼む。お前が行くのなら、両国の友好関係を傷つけないよう上手く説明してくれるだろう」

 

 この話を聞いて、酈生(れきせい)は、ほくそ笑んだ。

「これで計略は成就(じょうじゅ)した」

 そして打ち合わせ通りに劉邦へ連絡を飛ばし、張良とともに劉邦軍の陣へ向かった。

 

 

(つづく)




●注釈
 酈食其(れきいき)が『周の武王が殷(いん)の紂王(ちゅうおう)を討ったとき、大陸中の人々は喜んで武王に服従した』と言っているが、実際には武王を簒奪者(さんだつしゃ)として非難した者もいた。伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)という兄弟がそれである。
 彼らは武王の主殺しを批判し、殷(いん)の滅亡後は「周の粟(ぞく)は食(は)まず」と言って、新国家での生活そのものを拒否。山籠もりして山菜だけを食う暮らしを続け、とうとう餓死してしまった。
 主君への忠義を文字通り命がけで貫き通した彼らのことは、武王の軍師であった太公望さえ「これ義の人なり」と高く評価している。儒教においても聖人とされる。
 以上のような逸話を酈食其(れきいき)ほどの知識人が知らなかったとは考えにくい。とすると、この時の酈食其(れきいき)は、陳同(ちんどう)を説得するために、史実をやや歪めて語っていたのかもしれない。
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