龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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十三の上 こま切れ趙高

 

 

 そのころ、項羽は50万の軍勢を率いて東の道を突き進み、(しん)の勢力圏を猛然と踏み荒らしていた。

 

 城を攻めれば必ず取り、敵と戦えば必ず勝つ。行くところ行くところ残らず放火し、城という城で血の雨を降らせる。暴力も虐殺も躊躇(ためら)わず、人を(あわれ)むということを一切しなかった。

 そのため、項羽の進路上に住んでいた人民は、ことごとく逃亡して身を隠した。

 

「項羽将軍、いけませぬ!」

 と、軍師范増(はんぞう)は、しきりに項羽を(いさ)めたが、項羽はまったく耳を貸さなかった。

 

 (しん)(にく)し、という心のままに殺戮(さつりく)を繰り返す項羽。

 手下の大将たちさえ、項羽の暴威を恐れて胸に不安を抱えるありさまだった。

 

 

   *

 

 

 一方、劉邦のやり方は項羽の全く逆であった。

 行く先々で民を(あわ)れみ、兵には軍法を厳しく守らせ、会う人みなに優しく親切にふるまったので、人民は喜んで服従し、食べ物や飲み物を献上して劉邦を迎え入れた。

 

 そのため、劉邦軍は途中でほとんど足止めされることなく、順調に(しん)国へと接近していくことができた。

 

 さて、(しん)国の入口、武関まであと少しという所まで来たときのこと。

 とつぜん謎の一軍が現れ、劉邦たちの行く手を(さえぎ)った。

 

 その軍から一人の大将が進み出て、大音声を響かせた。

沛公(はいこう)劉邦に会って一言(ひとこと)言いたいことがある!」

 

 劉邦の陣からこれを見ていた二人の大将、傅寛(ふかん)傅弼(ふひつ)が、

「敵か!」

 と(いき)りたち、馬を出して戦いを挑んだ。

 

 だが、相手の大将は強かった。20合ほどの戦いで、たちまち傅寛(ふかん)を生け捕り、傅弼(ふひつ)を打ち破ってしまった。

 彼がまた声を張り上げる。

 

「よせ! 俺が沛公(はいこう)に会いたいというのは、別に、他意はないのだ!

 俺の手下に3千の兵がいる。この兵で沛公(はいこう)に力を合わせ、ともに(しん)を破りたいだけだ!」

 

 それを聞くと、張良が馬を進ませ、陣の前に姿を現した。

「あなたは何者です? お名前を(うかが)いましょう」

 

 しかし、大将は答えようとしない。

沛公(はいこう)に会って直接名乗(なの)る」

 

 このやりとりを横で聞いていた樊噲(はんかい)が、腹を立てて怒鳴りつけた。

「お前なんか、名もなき匹夫(ひっぷ)のくせに! 我が君に会ってもらえると思うのか!」

 短気というか荒っぽいというか、樊噲(はんかい)(げき)(ほこ)の一種)を舞い踊らせて、いきなり大将に打ちかかっていった。

 

 劉邦の手下の中でも、樊噲(はんかい)は一、二を争う強者(つわもの)である。

 しかし相手の大将は、その樊噲(はんかい)にさえ決して引けを取らなかった。

 10合以上戦っても決着がつかない。

 

 劉邦はその大将の武勇を見て驚き、みずから馬を進めて近づいていった。

「そこの大将、どうしてこの劉邦に会いたいんだい?」

 

 大将は、劉邦の顔を見るなり戦いの手を止め、パッと馬から飛び降りて、転げるように地へ拝伏した。

「それがし、天命を受けた(まこと)の主君を長いあいだ探し求めておりました! それで、あなた様の大軍がいらっしゃってるという話を聞き、ここでお待ちしていたのです!

 いま沛公(はいこう)配下の大将がたと戦ったのは、あなた様の進軍を邪魔するためではありません。それがしの武芸のほどをお見せするためです。どうか、それがしを麾下(きか)の一将にお加えくださいませ!」

 

 劉邦が問う。

「名前を教えてくれよ」

 

 大将が答える。

「それがしは洛川(らくせん)灌嬰(かんえい)と申す者。

 若いころ、西川(せいせん)に行って商売をした帰り道、仲間5、6人と一緒に紫関(しかん)という所を通ったのですが、そこで100人以上もの山賊に出くわしまして。

 それがしは一人で剣を抜いて戦い、敵の半分以上の首を()ね、残りを蹴散らしました。

 そのため紫関(しかん)では山賊がすっかりいなくなってしまい、ところの住民は、今でも、それがしの名を(たた)えてくれております。

 

 最近、二世皇帝の無道を見て、それがしも何かせねばと思い立ち、3千騎ほどの義兵を集めたのですが……

 そんなおりです、あなた様の(うわさ)を聞いたのは。沛公(はいこう)は仁義をもって民に接するから、あちこちの郡が喜んで帰服していると……

 

 それで、いてもたってもいられず、お願いにあがった次第。

 (しん)を破る戦いにおいて、それがし、一命を(かろ)んじて先陣を務めたく思います!」

 

 劉邦は大喜びで灌嬰(かんえい)を仲間に加え入れた。

 

 

   *

 

 

 弁士酈生(れきせい)、軍師張良、武将灌嬰(かんえい)

 次々に有能な人材を得て、ますます勢い増した劉邦軍は、ついに武関に到達した。

 

 この武関は、(しん)(みやこ)咸陽(かんよう)を守る最大の要害の一つである。

 武関の守将は朱蒯(しゅかい)という男。彼は、接近してきた劉邦の大軍を一目見るなり、とても太刀打(たちう)ちできないと判断した。

 

 そこで朱蒯(しゅかい)は武関に立てこもり、ひたすら守りを固めて持久戦の構えをとりながら、咸陽(かんよう)へ早馬を飛ばした。

()の大軍が、東西の道から(しん)を攻めております。緊急事態です!」

 

 この(しら)せを受けた丞相(じょうしょう)趙高の対応は相変(あいか)わらず。二世皇帝には一切知らせぬまま、ひた隠しに隠し続けた。

 趙高が恐れているのは、この不始末を皇帝に知られて罰を受けること、ただそれのみだったのである。

 

 だが、さすがの趙高も、これ以上状況を放置できないことは悟っている。趙高は、ひそかに大将たちを呼び集め、救援の軍勢を向かわせるための軍議を行った。

 だが、名将章邯(しょうかん)の敗北と裏切りを見た大将たちは、みんな腰が引けていた。誰一人として「私が武関に行きましょう」と名乗(なの)り出る者がいない。

 

 そうこうするうちにも、急を告げる早馬が次から次へ、雪が吹き込むように駆け込んでくる。

「もう()ちません! 武関は今にも破られようしています!」

 

 趙高は完全に追いつめられた。

 こんな不始末が皇帝の耳に入れば、まちがいなく誅殺(ちゅうさつ)される。

 それを恐れた趙高は、仮病を使って家に閉じこもり、朝廷に出仕しなくなった。

 

 

   *

 

 

 そんな事態になっているとは(つゆ)知らず、二世皇帝は、美しい宮女を集めて朝から晩まで遊び楽しむ暮らしを続けていた。

 

 ある夜、二世皇帝は夢を見た……

 

 夢の中で、馬車に乗って(みやこ)郊外(こうがい)を進んでいると、突然、林の中から白い虎が走り出てきた。

 虎は、左の()え馬(予備の馬)に飛びかかり、喉首に喰らいついて()み殺してしまった。

 

「わ!」

 二世皇帝は叫びながら目を覚ました。

 

 なんと恐ろしい夢であろうか。ひょっとして何か不吉なことが起きる予兆(よちょう)ではあるまいか?

 不安に思った二世皇帝は、急いで卜者(ぼくしゃ)(占い師)を呼び寄せ、夢診断をさせた。

 

 卜者(ぼくしゃ)が答える。

「これは涇水(けいすい)咸陽(かんよう)の北東を流れる川)の(たた)りでございます」

 

 そこで二世皇帝は、望夷宮(ぼういきゅう)という宮殿に向かった。

 望夷宮(ぼういきゅう)は、涇水(けいすい)にほど近い。ここで二世皇帝は儀式を行い、白馬を生贄(いけにえ)として涇水(けいすい)に沈め、(たた)りが(しず)まるよう祈りを捧げた。

 

 しかし、それでも二世皇帝の不安は収まらなかった。

 一日中ふさぎこんでいたところ、ふと思い出したことがあって、近侍(きんじ)の臣に(たず)ねた。

 

「そういえば、あちこちで(ぞく)が暴れているという話があったろう。あれはその後どうなったのだ?」

 

 ところが、群臣はみな涙を流すばかりで、何も答えようとしない。

 二世皇帝は、とまどうやら腹が立つやら。眉をひそめて問いただす。

「なんだ? 一体どういうことだ?」

 

 臣の一人が答えた。

「今、()の大軍が東西から攻め寄せてきております。各国の諸侯もことごとく(しん)(そむ)きました。

 この咸陽(かんよう)も、おそらく数日以内に陥落(かんらく)するでしょう……」

 

「なんだとッ!?」

 二世皇帝は驚愕した。

 (しん)がそんな危機に(おちい)っているなど、夢にも思っていなかったのである。

 

 二世皇帝は大急ぎで趙高を呼びつけた。

 しかし趙高は(やまい)(しょう)して出てこない。

 

 激怒した二世皇帝は、糾問(きゅうもん)の使者を送り、こう伝えさせた。

丞相(じょうしょう)の重責を(にな)う身でありながら、賊軍が城下に迫るこの状況で仮病(けびょう)を使うとは何ごとだ!

 お前は以前に言葉を飾って讒言(ざんげん)李斯(りし)誅殺(ちゅうさつ)させたが、今回は一体どういう理屈をならべて罪を(まぬが)れるつもりなのか!」

 

 かくも厳しく問い詰められた趙高は、いいわけの言葉も出せず、手足の置き所も忘れて狼狽(ろうばい)した。

 だがそのとき、趙高の胸に一つの計略が浮かび上がった。

 

 ひとまず「すぐに皇帝陛下の御前へ参上いたします」などと適当な返事をして使者を帰らせると、趙高は閻楽(えんらく)を呼んだ。

 

 閻楽(えんらく)とは、かつて太子扶蘇(ふそ)謀殺(ぼうさつ)したとき、偽の勅命(ちょくめい)扶蘇(ふそ)の元へ運んだ男である。

 彼はその後、趙高の娘と結婚して婿(むこ)となり、その縁故で咸陽(かんよう)(れい)(首都の長官)の職についていたのだ。

 

 さらに、弟の趙成など、親族数十人を集めて趙高は言った。

「皇帝陛下は、人々の諌言(かんげん)をちっとも聞いてくれないおかたでした。

 そのせいで、今や我が国は滅ぼうとしています。賊軍が武関を攻めたて、もはや事態は一刻の猶予(ゆうよ)もありません。

 陛下はそれを、わたくし一人の責任にして、罪を九族にまで(およ)ぼそうとしているんですよお!

 

 他人事(ひとごと)じゃありませんよ。あなたたちだって、もう死人の一族です。全員誅殺(ちゅうさつ)されるでしょう。この窮地(きゅうち)から逃れる計略を考えねばなりません。

 

 というわけで、みなさん。

 『賊軍が宮殿へ入ったぞ!』とかなんとか、適当な口実をつけて内裏(だいり)に乱入し、パパッと皇帝を殺しちゃってください。

 

 そのあとは、公子の子嬰(しえい)さんを立てて主君としましょう。

 子嬰(しえい)さんは、人気のあった扶蘇(ふそ)の息子ですし、性格も優しく温厚ですから、人民はみんな喜んで服従するでしょう。

 これで我が九族も安全無事! っていうわけです」

 

 

(つづく)




●注釈
 「通俗漢楚軍談」において、子嬰(しえい)扶蘇(ふそ)の息子、すなわち始皇帝の孫とされている。
 始皇帝の生年が紀元前259年。そして作中現在が紀元前207年。始皇帝が生きていたとしても52歳であることから計算すれば、子嬰(しえい)の年齢は、どう高く見積もっても20歳過ぎ程度のはずである。にもかかわらず、この回には子嬰(しえい)の2人の息子が伏兵を任される場面が描かれている。普通に考えればこの子らの年齢はせいぜい5歳。いくらなんでも無理がある。
 実は、子嬰(しえい)が何者であるのかについては複数の矛盾した記録が残っており、はっきりしない。「史記」ひとつの中においても、「(しん)始皇本紀」では『胡亥の兄の子』、「六国年表」では『胡亥の兄』、「李斯(りし)列伝」では『始皇帝の弟』と見事にバラバラ。ここでは「(しん)始皇本紀」を採用した形だが、その場合でも『胡亥の兄』というのが扶蘇(ふそ)であるとは限らない。子嬰(しえい)扶蘇(ふそ)の息子というのは、「西漢通俗演義」にも無い、「通俗漢楚軍談」でのオリジナル設定なのである。
 以上のようなややこしい状況をふまえたうえで、この作品では、可能な限り「通俗漢楚軍談」の記述を尊重する方針をとった。子嬰(しえい)扶蘇(ふそ)の子とする。その5才の息子たちは、実戦の経験を積ませるためか何かの理由で、名目上の大将として参戦させたのであろう……などと、広い心で解釈していただけるとありがたい。
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