閻楽や趙成は、すぐに行動に移った。
千騎あまりの兵を集め、都のあちこちで喊の声をあげ、銅鑼や太鼓を打ち鳴らして騒ぎ立てたのである。
「賊軍はもう内裏に入ってしまったぞ!」
などとわめきながら、閻楽は望夷宮の門に飛びこんだ。
手下に命じて宮殿の門番たちを縛りあげ、頭ごなしに怒鳴りつける。
「きさまら! 賊軍が宮中に入ったというのに、なぜ防ごうとしないのだ!」
こう責めたてられても、門番の士卒は戸惑うばかり。
「いえ、私たちはここを厳重に守っておりました。侵入者など一人もいるはずがありません」
だが閻楽は弁明に一切耳を貸さず、門番の首を片っ端から刎ねてしまった。
閻楽率いる軍勢は、勢いそのまま、わめき叫んで内裏に雪崩れこんだ。
宮中の官人たちは驚き、恐怖し、上へ下へと逃げ回る。逃げ遅れて殺される者は数知れず。たちまちのうちに閻楽と趙成は内宮に、すなわち皇帝の寝所にまで侵入した。
騒ぎを聞きつけた二世皇帝は必死に護衛の武士を呼んだが、武士たちも震え怖れて戦えぬありさま。
そこへ内官ふたりが駆けつけて、二世皇帝の手を引き、逃げだそうとする。
だが、そのとき。
血走った目の軍勢が、二世皇帝の行く手を阻んだ。
閻楽と趙成が、ついに内宮の最奥へと押し込んだのである。
閻楽の手下たちが、剣を抜いて二世皇帝を取り囲む。
閻楽は、震える二世皇帝を見すえ、冷たく言いはなった。
「陛下。あなたは地位に驕り、殺伐を好み、遊楽にばかり耽って、少しも民を憐れもうとしなかった。
それゆえ神も人も共に怒り、諸侯がことごとく謀反したのだ。
この滅亡は、あなたがご自身で求めた結果。決して我らの不義ではない」
もうどこへも逃げられない、と悟った二世皇帝は、一縷の望みをかけて必死に唇を震わせた。
「趙高は? 丞相はどこにいる? 会うことはできないだろうか」
閻楽が言う。
「会えません」
「どうか朕の言葉を丞相に伝えてくれ。皇帝位からは降りてもよい。郡を一つもらって王になろう。それで許してくれないか?」
「許さぬ」
「じゃあ万戸候(1万戸を支配する領主)になる。許して?」
「許さぬ」
「妻子とともに庶民となって、一介の公子に戻ろう。許して?」
「許さぬ」
二世皇帝は大声で泣き叫び、ただひたすらに命乞いを続けた。
しびれを切らした閻楽が、冷淡に吐き捨てる。
「私は丞相の命令で、天下のためにあなたを誅殺しに来たのだ。あなたがなんと言おうとも、丞相に報告することはできぬ」
閻楽は兵に命じ、剣や戟を閃かせた。
ああ、もう、どうにもならぬ。
絶望した二世皇帝は、衝動的に剣を抜き、自害してしまったのだった。
*
後に『望夷宮の変』と呼ばれることになるこの政変は、一夜にして成り……
役目を果たした閻楽は、急ぎ戻って趙高に報告した。
「二世皇帝は無事に自害し終わりました。さあ丞相、早く天下を平定なさいませ」
趙高はすぐさま朝廷に向かうと、文武百官を集めて言った。
「みなさん、よくお聞きなさい。
秦の現状はご存知でしょう。わたくし、何度もお諌めしたんですけれど、二世皇帝はぜんぜん話を聞いてくれず、好き勝手に残虐や暴虐を行いました。そのせいで諸侯が一人残らず反乱し、人民みなに怨まれる事態になってしまったんです。
と、いうわけで!
わたくし、皇帝を誅殺いたしました!
もともと秦は王国でしたが、始皇帝のときから『帝』と称しはじめました。だから六国の子孫は、秦を滅ぼして自分が『帝』になろうとしているのです。
秦の国力の実態に対して、『帝』の名前は無駄に大きく、もてあますばかり。
そこでです。亡き扶蘇様の御子息である子嬰様を立てて王とし、『帝』の称号を廃止して六国と同列に戻るのはどうでしょう?
そうすれば、帝位を奪うという動機がなくなり、秦を攻める者もいなくなるでしょう。
みなさん、どう思います?」
なんという浅はかな考えだろう。
元首の称号を変えたところで、実態が変わるわけではない。もはや帝号を廃したくらいで収拾がつくような状況ではないのだ。
だが秦の官人たちも、すでに正常な判断力を失っていたのであろうか。みんな首をそろえて「もっともだ」と同意した。
趙高はすぐに二世皇帝を宜春苑という庭園に葬り、官人たちとともに子嬰と面会した。
「子嬰様、5日間斎戒して身を清め、玉璽を受け取って王に即位なさいませ」
斎戒とは、一種の宗教儀式である。そのために作られた斎宮なる宮殿に籠り、飲酒や肉食などを断ったうえで、身を清めて神に祈りを捧げるのだ。
子嬰は、趙高の言葉に素直に従った。
だが、それは表向きのことであった。
斎宮に入った子嬰は、ひそかに息子2人を呼び、こう伝えた。
「趙高は誅殺を恐れて二世皇帝を弑逆した分際で、今度は百官を安心させるために私を立てて主君にし、5日間斎戒した後で玉璽を伝えよう、などと、ほざいている。
息子らよ。お前たちは武将の韓覃、李畢とともに、兵を斎宮の外に伏せておけ。
私は、王位継承の土壇場で仮病をつかい、斎宮に閉じこもる。焦った趙高は、かならず自分自身でやってきて、私を連れ出そうとするだろう。
そのとき、あの逆賊を誅殺して、我が父扶蘇や二世皇帝の仇を討て」
*
そして5日後。
子嬰が病だと言って閉じこもると、はたして、趙高はみずから斎宮にやってきた。
趙高が子嬰に会おうとした、そのとき。
門の外から、一挙に伏兵が打って出た。
趙高は驚愕し、慌て、叫ぶ。
「閻楽! わたくしを助けなさいッ!
閻楽は……いないのですかッ!?」
その喉首を、武将李畢が一槍にて刺し貫いた。
李畢は趙高の首を取り、引っつかんで頭上高くかかげた。
すると、そこらじゅうの兵や将が怒り狂って趙高の死体に殺到し、屍を、こま切れに切り刻んでしまった。
さらに諸軍は咸陽の都じゅうを駆けめぐり、趙高の三族を市街に引きずり出して、一人残らず誅滅した。
かくして、あれほど隆盛を誇った趙高の一族は、わずか一夜にして滅亡した。
さんざんに世を乱し、私利を貪り、歴史の流れすら変えてしまった中国史上最低最悪の宦官……その罪と悪名に似つかわしい、凄惨極まる最期であった。
*
趙高とその一族を排除し尽くした子嬰は、儀式を行って帝位につき、三世皇帝を名乗った。
文武百官はみな万歳を叫び、口々に祝賀の言葉を述べた。
三世皇帝たる子嬰は言った。
「朕は帝位についたが、外の状況は何も変わっていない。楚の兵は、今にも国境を踏み越えようとしている。どうやって敵を退ければよいだろうか?」
官人が申し上げる。
「劉邦率いる楚軍は、すでに武関を突破し、その奥の嶢関にまで迫っております。
まずは急いで大将を選び、嶢関を守らせなさいませ。
その間に大軍を整え、敵を打ち破るのです。そうでなければ咸陽は危のうございます」
子嬰はこの進言に従った。すなわち韓栄、耿沛の2大将に5万の軍勢をさずけて嶢関に送り、現地守将の朱蒯と合流させたのだった。
(つづく)
■次回予告■
国の命運をかけて守りを固める秦の軍勢。国運衰えたりいえども兵は勇猛、意気軒昂。容易に破れぬその陣立てに、軍師張良は一計を案じた。
城を攻めず心を攻める。古き兵法の粋を凝らした言葉の刃が、今、秦の臓腑に突き刺さる。
次回「龍虎戦記」第十四回
『秦国滅亡』
乞う、ご期待!