龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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十四の中 秦国滅亡

 

 

 酈生(れきせい)嶢関(ぎょうかん)から駆け戻り、沛公(はいこう)劉邦に報告した。

「上手くいきましたぞ。韓栄(かんえい)は、すっかり和睦(わぼく)が成るつもりでおります」

 

 そばで聞いていた軍師張良が言った。

「この時を(のが)してはいけません。すぐに計略を用いて嶢関(ぎょうかん)を破りましょう。

 まず薛欧(せつおう)陳沛(ちんはい)の2人に数十騎を(さず)けて、山中(さんちゅう)の小道からひそかに嶢関(ぎょうかん)迂回(うかい)させます。敵の背後に回ったところで、あたりの山や谷に火を付け、煙をあげて敵を驚かせるのです。

 我等のほうは、樊噲(はんかい)を先鋒にし、大軍を駆って嶢関(ぎょうかん)の前から攻めかかります。

 さすれば、(しん)の大将は前後両方を守りきれなくなり、嶢関(ぎょうかん)を捨てて逃走するでしょう」

 

 この作戦通り、劉邦軍は動きだした。

 薛欧(せつおう)陳沛(ちんはい)は精兵数十騎を(ひき)い、ひそかに出発した。兵たちはみな、乾いた(しば)の中にたっぷりの焔硝(えんしょう)を包みこんだものを背負っている。

 焔硝(えんしょう)とは硝酸カリウムのこと。これを燃料に混ぜこむと、強力な酸化作用によって爆発的に燃え上がるのである。

 

 そして、3日後……

 薛欧(せつおう)陳沛(ちんはい)の別働隊が嶢関(ぎょうかん)の裏へ回り込んだ頃を見計(みはか)らって、劉邦軍の本隊が一斉に陣を飛び出した。

 恐るべき数の大軍が、(とき)の声をあげ、太鼓を鳴らし、天地を揺るがし、我先にと嶢関(ぎょうかん)へ攻めのぼっていく。

 

 (しん)の大将たちは愕然(がくぜん)とした。

 彼らは、すっかり和睦(わぼく)が成るものと思いこみ、何の備えもせずに昼間から酒を飲んでいたのである。

 そこへいきなり劉邦の大軍が攻めてきたのだ。上は将軍から下は兵卒にいたるまで、誰も彼もが慌て騒いで大混乱に(おちい)った。

 

 そこへ、さらなる凶報が舞いこむ。

「敵の軍勢は、もう嶢関(ぎょうかん)を突破してしまったようです! 我が軍の背後から火の手が上がりました!」

 

「そんなバカな! どういうことだ!?」

 驚いて背後の様子を確認してみれば、確かに火炎が天に向けて立ちのぼり、鉄砲の炸裂音が地を震わせている。

 

 頼みの綱の嶢関(ぎょうかん)が突破されたとあっては、もはや勝ち目はない。(しん)の軍は震え恐れ、一戦もすることなく我先にと逃げだした。

 そこへ、劉邦軍の猛将樊噲(はんかい)が先陣を切って攻めこみ、勢い任せに(しん)軍を追撃したからたまらない。

 

 討ち取られた(しん)兵は数知れず。韓栄(かんえい)ら大将たちは、どうにか藍田(らんでん)という土地に落ちのびて、敗軍を集めて陣を立てなおしにかかった。

 

 だがそこへ、沛公(はいこう)劉邦の大軍が、夏侯嬰(かこうえい)を先陣として潮の満ちるように押し寄せた。

 (しん)軍は体勢が崩れきっていたうえ、頼るべき嶢関(ぎょうかん)の要塞さえも失っていたのだ。劉邦軍による容赦(ようしゃ)ない攻撃を一支(ひとささ)えすら支えられず、(しん)軍は無惨(むざん)に敗北して、咸陽(かんよう)へ逃げていった。

 

 かくして完勝した劉邦軍は、霸上(はじょう)という地まで進んで陣を張った。

 

 

   *

 

 

 時に、乙未(いつび)の年、冬十月。

 劉邦が霸上(はじょう)(いた)ったこの夜、極めて珍しい天文現象が観測された。

 当時知られていた五つの惑星――火星、水星、金星、土星、木星が、井宿(せいしゅく)(西洋で言う双子座)の東に全て集合したのである。

 

 『史記・天官書』に(いわ)く、

「漢之興

 五星聚于東井」

 

 『漢書・高帝紀』に(いわ)く、

「元年冬十月

 五星聚於東井

 沛公至霸上」

 

 古来、五星が一ヶ所に集結するとき、天命を得た偉大な君主が現れるとされてきた。

 周の武王が(いん)を倒したとき。

 (せい)桓公(かんこう)覇者(はしゃ)となったとき。

 中国史上の重大な転換点において、いずれもこの現象――五星聚(ごせいしゅう)が起きていたのだという。

 

 ただの偶然か?

 あるいは天命の暗示なのか?

 

 真相は、いまだ分からない。

 だが劉邦の頭上において、確かに五星は、にぶく輝きを放っていたのだった。

 

 

   *

 

 

 嶢関(ぎょうかん)陥落(かんらく)

 この凶報を受けて、三世皇帝子嬰(しえい)は驚愕した。

 すぐさま家臣を集めて対応を協議しはじめたところ、上大夫(じょうたいふ)(きょう)の一つ下の官職)の孚畢(ふひつ)が進み出て言った。

 

「事は、すでに極まりました。

 陛下、どうかお早く軹道(しどう)の地まで出向いて沛公(はいこう)劉邦に降伏なさいませ。

 族滅(ぞくめつ)(一族皆殺し)の(わざわ)いから(まぬが)れ、民衆を戦火の苦しみから救う方法は、もはや、これしかございませぬ……」

 

 子嬰(しえい)は、()いた。

 声を上げて、大いに……()いた。

 

 春秋(しゅんじゅう)・戦国の頃から700年に渡って存続してきた西の大国(しん)が、自分の代で滅亡する。

 その悔しさ、やるせなさは、果たしてどれほどのものであったろうか。

 

 それでも子嬰(しえい)は、皇帝としての責務を果たすべく、涙を(ぬぐ)って素車(そしゃ)白馬(はくば)に乗った。

 素車(そしゃ)白馬(はくば)とは、飾り気のない白木(しらき)造りの馬車を、白馬(はくば)()かせたものを言う。

 本来は葬儀に使う車である。皇帝がそんなものに乗って行く……これはつまり、死を覚悟して降伏するという意志を示すものであった。

 

 三世皇帝は、劉邦の陣にほど近い軹道(しどう)という所までやってくると、すぐに降伏を申し入れた。

 劉邦は大喜びで三世皇帝子嬰(しえい)を迎え入れ、丁重に儀礼を尽くして対面した。

 

 子嬰(しえい)が言う。

「何の因果か皇帝の(くらい)についた私ですが、それにふさわしい徳が備わっていなかったようです。

 これ以上の(いくさ)(いたずら)に民を苦しめるのみ……今はもう、すみやかに降伏して万民を安心させてやりたいと願うばかりです」

 

 子嬰(しえい)は、持参した玉璽(ぎょくじ)を差し出した。

 かつて始皇帝が崩御(ほうぎょ)にあたって丞相(じょうしょう)李斯(りし)に預けたあの玉璽(ぎょくじ)。皇帝の権威の象徴たる決済印が、今、ついに、劉邦の手に握られたのである。

 

 玉璽(ぎょくじ)を受け取った劉邦は、ジッと子嬰(しえい)を見つめた。

 ここにいるのは、六国を滅ぼした始皇帝でもなければ、悪政の限りを尽くした二世皇帝でもない。我が命を差し出してでも祖国と民を(かば)わんとする、一人のいじらしい善人にすぎない。

 

 劉邦の胸からは、もう、恨みも敵意も消えうせていた。劉邦は柔和(にゅうわ)に微笑んだ。

 

「よく降伏を決断しなすった……

 よーし! あとはこの劉邦に任せてくださいよ! 命までは取らないよう、()懐王(かいおう)様にお願いしましょう。そんで、どこかに領地をもらって一生安心して暮らせるように(はか)らってさしあげますぜ」

 

 ドンと胸を叩いて()け合うと、劉邦は子嬰(しえい)たち(しん)の王族を一ヶ所に集めて保護した。

 

 この寛大な処置に、手下の大将たちは口をそろえて異を唱えた。

(しん)王の無道のために民は苦しんできたんです。皇帝は誅殺(ちゅうさつ)しなければいけません! なぜお許しになるんです!」

 

 沛公(はいこう)劉邦は、毅然(きぜん)としてそれを拒絶した。

「この討伐(とうばつ)に旅立つ前、()懐王(かいおう)様に言われたよ。

 『沛公(はいこう)(しん)討伐(とうばつ)の大将に選んだのは、あなたの心が広く、優しく、人を安心させる性格だからだ』ってさ。

 その俺が、いさぎよく降伏してきた人を殺したりしたら、やっぱ、よくないだろ?」

 

 かくして、三世皇帝を降伏させた劉邦は、咸陽(かんよう)に入城して現地の混乱を治め、配下の三軍にも恩賞を与えた。

 

 史上初の中華統一を成しとげた(しん)帝国は、ここに滅亡した。

 三世皇帝子嬰(しえい)の即位から、わずか43日後のことであった。

 

 

(つづく)




●注釈
 五星が一ヶ所に集合する天文現象について、唐代の天文学者瞿曇悉達(くどんしった)の著書「唐開元占経」巻十九に、以下のような記述がある。
『易坤霊図曰、王者有至徳之萌、則五星若連珠』
(「易坤霊図」という書物によれば、王者に至上の徳が萌え出づる時、五星が連珠のごとく連なるという)
 また、同じ書の注釈に、こうある。
『周将代殷五星聚于房、斉桓将霸五星聚于箕、漢高祖入秦五星聚東井』
(周が(いん)に取って代わったとき、五星が房宿に集まった。斉の桓公(かんこう)が覇者となったとき、五星が箕宿(きしゅく)に集まった。漢の高祖(劉邦)が(しん)に入ったとき、五星が井宿(せいしゅく)の東に集まった)
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