酈生は嶢関から駆け戻り、沛公劉邦に報告した。
「上手くいきましたぞ。韓栄は、すっかり和睦が成るつもりでおります」
そばで聞いていた軍師張良が言った。
「この時を逃してはいけません。すぐに計略を用いて嶢関を破りましょう。
まず薛欧、陳沛の2人に数十騎を授けて、山中の小道からひそかに嶢関を迂回させます。敵の背後に回ったところで、あたりの山や谷に火を付け、煙をあげて敵を驚かせるのです。
我等のほうは、樊噲を先鋒にし、大軍を駆って嶢関の前から攻めかかります。
さすれば、秦の大将は前後両方を守りきれなくなり、嶢関を捨てて逃走するでしょう」
この作戦通り、劉邦軍は動きだした。
薛欧、陳沛は精兵数十騎を率い、ひそかに出発した。兵たちはみな、乾いた柴の中にたっぷりの焔硝を包みこんだものを背負っている。
焔硝とは硝酸カリウムのこと。これを燃料に混ぜこむと、強力な酸化作用によって爆発的に燃え上がるのである。
そして、3日後……
薛欧、陳沛の別働隊が嶢関の裏へ回り込んだ頃を見計らって、劉邦軍の本隊が一斉に陣を飛び出した。
恐るべき数の大軍が、喊の声をあげ、太鼓を鳴らし、天地を揺るがし、我先にと嶢関へ攻めのぼっていく。
秦の大将たちは愕然とした。
彼らは、すっかり和睦が成るものと思いこみ、何の備えもせずに昼間から酒を飲んでいたのである。
そこへいきなり劉邦の大軍が攻めてきたのだ。上は将軍から下は兵卒にいたるまで、誰も彼もが慌て騒いで大混乱に陥った。
そこへ、さらなる凶報が舞いこむ。
「敵の軍勢は、もう嶢関を突破してしまったようです! 我が軍の背後から火の手が上がりました!」
「そんなバカな! どういうことだ!?」
驚いて背後の様子を確認してみれば、確かに火炎が天に向けて立ちのぼり、鉄砲の炸裂音が地を震わせている。
頼みの綱の嶢関が突破されたとあっては、もはや勝ち目はない。秦の軍は震え恐れ、一戦もすることなく我先にと逃げだした。
そこへ、劉邦軍の猛将樊噲が先陣を切って攻めこみ、勢い任せに秦軍を追撃したからたまらない。
討ち取られた秦兵は数知れず。韓栄ら大将たちは、どうにか藍田という土地に落ちのびて、敗軍を集めて陣を立てなおしにかかった。
だがそこへ、沛公劉邦の大軍が、夏侯嬰を先陣として潮の満ちるように押し寄せた。
秦軍は体勢が崩れきっていたうえ、頼るべき嶢関の要塞さえも失っていたのだ。劉邦軍による容赦ない攻撃を一支えすら支えられず、秦軍は無惨に敗北して、咸陽へ逃げていった。
かくして完勝した劉邦軍は、霸上という地まで進んで陣を張った。
*
時に、乙未の年、冬十月。
劉邦が霸上に至ったこの夜、極めて珍しい天文現象が観測された。
当時知られていた五つの惑星――火星、水星、金星、土星、木星が、井宿(西洋で言う双子座)の東に全て集合したのである。
『史記・天官書』に曰く、
「漢之興
五星聚于東井」
『漢書・高帝紀』に曰く、
「元年冬十月
五星聚於東井
沛公至霸上」
古来、五星が一ヶ所に集結するとき、天命を得た偉大な君主が現れるとされてきた。
周の武王が殷を倒したとき。
斉の桓公が覇者となったとき。
中国史上の重大な転換点において、いずれもこの現象――五星聚が起きていたのだという。
ただの偶然か?
あるいは天命の暗示なのか?
真相は、いまだ分からない。
だが劉邦の頭上において、確かに五星は、にぶく輝きを放っていたのだった。
*
嶢関陥落。
この凶報を受けて、三世皇帝子嬰は驚愕した。
すぐさま家臣を集めて対応を協議しはじめたところ、上大夫(卿の一つ下の官職)の孚畢が進み出て言った。
「事は、すでに極まりました。
陛下、どうかお早く軹道の地まで出向いて沛公劉邦に降伏なさいませ。
族滅(一族皆殺し)の災いから免れ、民衆を戦火の苦しみから救う方法は、もはや、これしかございませぬ……」
子嬰は、哭いた。
声を上げて、大いに……哭いた。
春秋・戦国の頃から700年に渡って存続してきた西の大国秦が、自分の代で滅亡する。
その悔しさ、やるせなさは、果たしてどれほどのものであったろうか。
それでも子嬰は、皇帝としての責務を果たすべく、涙を拭って素車白馬に乗った。
素車白馬とは、飾り気のない白木造りの馬車を、白馬に牽かせたものを言う。
本来は葬儀に使う車である。皇帝がそんなものに乗って行く……これはつまり、死を覚悟して降伏するという意志を示すものであった。
三世皇帝は、劉邦の陣にほど近い軹道という所までやってくると、すぐに降伏を申し入れた。
劉邦は大喜びで三世皇帝子嬰を迎え入れ、丁重に儀礼を尽くして対面した。
子嬰が言う。
「何の因果か皇帝の位についた私ですが、それにふさわしい徳が備わっていなかったようです。
これ以上の戦は徒に民を苦しめるのみ……今はもう、すみやかに降伏して万民を安心させてやりたいと願うばかりです」
子嬰は、持参した玉璽を差し出した。
かつて始皇帝が崩御にあたって丞相李斯に預けたあの玉璽。皇帝の権威の象徴たる決済印が、今、ついに、劉邦の手に握られたのである。
玉璽を受け取った劉邦は、ジッと子嬰を見つめた。
ここにいるのは、六国を滅ぼした始皇帝でもなければ、悪政の限りを尽くした二世皇帝でもない。我が命を差し出してでも祖国と民を庇わんとする、一人のいじらしい善人にすぎない。
劉邦の胸からは、もう、恨みも敵意も消えうせていた。劉邦は柔和に微笑んだ。
「よく降伏を決断しなすった……
よーし! あとはこの劉邦に任せてくださいよ! 命までは取らないよう、楚の懐王様にお願いしましょう。そんで、どこかに領地をもらって一生安心して暮らせるように計らってさしあげますぜ」
ドンと胸を叩いて請け合うと、劉邦は子嬰たち秦の王族を一ヶ所に集めて保護した。
この寛大な処置に、手下の大将たちは口をそろえて異を唱えた。
「秦王の無道のために民は苦しんできたんです。皇帝は誅殺しなければいけません! なぜお許しになるんです!」
沛公劉邦は、毅然としてそれを拒絶した。
「この討伐に旅立つ前、楚の懐王様に言われたよ。
『沛公を秦討伐の大将に選んだのは、あなたの心が広く、優しく、人を安心させる性格だからだ』ってさ。
その俺が、いさぎよく降伏してきた人を殺したりしたら、やっぱ、よくないだろ?」
かくして、三世皇帝を降伏させた劉邦は、咸陽に入城して現地の混乱を治め、配下の三軍にも恩賞を与えた。
史上初の中華統一を成しとげた秦帝国は、ここに滅亡した。
三世皇帝子嬰の即位から、わずか43日後のことであった。
(つづく)