龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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十七の甲 鴻門の会・後編

 

 

 項羽は、叔父項伯の言葉に従って、沛公(はいこう)劉邦を殺す企(くわだ)てを中止した。

 だが、それで収まらないのが軍師范増(はんぞう)である。

 

 范増(はんぞう)は項羽に詰め寄り、言葉を尽くして諌(いさ)めた。

「沛公(はいこう)劉邦は、胸や腹の病(やまい)のようなもの。今のうちに誅殺(ちゅうさつ)しておかねば、後で甚大(じんだい)な害をなす。その時になって後悔しても遅いのですぞ!」

 

 范増(はんぞう)の熱弁に、さすがの項羽も、たじろいだ。

「おう、分かった。分かったよ、先生。

 でも、今夜の夜襲は敵に察知されたから中止なのだろう? どうやって劉邦を殺せばいい?」

 

「3つの方法がある」

 范増(はんぞう)が、1本ずつ指を立てながら述べた。

 

「第一の計。鴻門(こうもん)で宴会を開き、劉邦を招く。

 劉邦が来たら君みずから出迎えて、劉邦が関中(かんちゅう)入(い)りした後の罪を責めるのだ。もし劉邦が弁明できなければ、すぐに剣を抜いて斬殺したまえ。

 これが最も理想的な展開、上計(じょうけい)だ。

 

 第二の計。油幕(ゆばく)(雨除けのために油を引いた天幕)の影に、屈強の兵200人ばかりを隠しておく。

 最初の計で殺せなかった場合、私が頃合(ころあ)いを見て合図する。この腰に佩(お)びている玉玦(ぎょっけつ)(環状の宝玉)を動かしたら、実行の合図だ。すぐに兵を呼び出して殺しなされ。

 これが悪くない策、すなわち中計(ちゅうけい)。

 

 そして第三の計。劉邦に深酒を強(し)いて、大いに酔わせる。さすれば劉邦は前後不覚になり、自然と無礼な行動をとるだろう。これを口実(こうじつ)にして殺す。

 これは最悪の場合の手、下計(げけい)というところか。

 

 これらの計に従えば、必ず劉邦を殺せましょう」

 

 項羽は、うなずいた。

「その3つの計、どれも良さそうだな。

 どれを選ぶにしても、とりあえずさっさと劉邦を呼んでしまおう」

 

 かくして項羽は、大将たちに宴会の準備を命じ、自身は劉邦へ書簡(しょかん)を書きはじめた。

 

 

   *

 

 

 項羽からの使者は、急いで霸上(はじょう)の陣にやってきた。

 届けられた書簡(しょかん)を、劉邦は開いた。その内容は……

 

『魯公(ろこう)項籍、書を沛公(はいこう)の幕下(ばくか)に送り奉(たてまつ)る。

 

 私と貴公は、懐王(かいおう)の命(めい)を受け、ともに暴秦(しん)を討伐(とうばつ)して、黎庶(れいしょ)(民衆)を安心させた。幸(さいわ)いにも我ら天命を受けた兵が西に下(くだ)ったため、子嬰(しえい)は首を差し出し、関中は治まった。

 あとは、秦(しん)王族の嬴(えい)氏を族滅させれば、神も人もみんな喜び、凱歌(がいか)を大いに奏(かな)でるだろう。

 

 そこで、この戦勝を祝して宴会を開きたいと思う。

 文官たちの貢献(こうけん)や三軍の苦労を労(ねぎら)おうではないか。

 もちろん貴公も功労者だから、ぜひ参加してくれ。他の諸侯に率先して、早くこちらへ来ていただきたい。不宣』

 

 読み終えた劉邦は、大慌てで大将たちを集めて叫んだ。

「項羽が俺を招いて鴻門(こうもん)で宴会しようって言ってる!

 この宴会ぜったいヤベえよ! 范増(はんぞう)の計略だ! 俺を殺そうとしてるんだ! もし行ったら落とし穴にハメられちまう! どうしたらいい!?」

 

 蕭何(しょうか)が言う。

「項羽の勢力は強大ですから、敵対するのは得策ではありません。しかし宴会に参加するのも危険です。

 ここは穏便(おんびん)に返書をしたためて不参加を伝え、弁舌に優(すぐ)れた者を遣(つか)わして交渉いたしましょう。関中は項羽に譲(ゆず)り、我が君は、どこか別の一郡を要求してその領主となるのです。

 そうしてひとまず身を守り、時間をかけて軍馬を整え、いつか関中を奪回する計略を練るのがよいと思われます」

 

 酈生(れきせい)も、うなずいた。

「同意ですな。項羽との交渉には、この私が行こう」

 

 だがここで、

「いや、お待ちを」

 と反対する者がいた。

 軍師張良である。

 

「それは良策ではありません。

 もし宴会への参加を拒否したら、それを口実に項羽が何を仕掛けてくるか分かりませんよ。

 

 昔、呉(ご)国の伍(ご)子胥(ししょ)は平王(へいおう)に従って臨潼(りんどう)の会に行ったが、このとき毅然(きぜん)とした態度を取ったので、18ヶ国の諸侯は、みな彼を尊敬した。

 また、趙(ちょう)の藺相如(りんそうじょ)は秦(しん)に使者として赴(おもむ)き、命がけの交渉によって秦(しん)の暴挙を食い止め、国宝の璧(へき)を完(まっと)うして(宝石を守り抜いて)趙(ちょう)に帰った。

 

 天下の人々は、彼らを賢人と見なしている。私などは才の足らない男だが、この偉人たちに倣(なら)いたいと思います。

 この私が、我が君とともに鴻門(こうもん)の会へ参ります。范増(はんぞう)の計略を未然に防ぎ、項羽が武勇を発揮できぬようにしてみせましょう」

 

 劉邦は言った。

「分かった……ぜんぶ張良先生に任せます」

 かくして、覚悟を決めた劉邦は、項羽あてに返簡(へんかん)(返事の書簡(しょかん))を認(したた)めた。

 『明日、早い時間に宴会に参ります』と……

 

 

   *

 

 

 劉邦からの使者は、その日のうちに返簡(へんかん)を項羽へ届けた。

 劉邦は、明日やってくる。

 それを聞いた范増(はんぞう)は、項羽に再び念を押した。

「明日の宴会は絶好の機会です。こんな理想的な状況は、もう二度と来ないかもしれぬ。くれぐれも、三ヶ条の計を忘れてはなりませぬぞ」

 

「分かった。先生の思うようにやってくれ」

 と、項羽は范増(はんぞう)に計略の実行を許した。

 そこから范増(はんぞう)は忙(いそが)しく働きはじめた。丁公と雍歯(ようし)の2人に宴会場の門番を命(めい)じ、暗殺部隊の兵をよりすぐり、酒宴の準備も万端(ばんたん)整えて、あとは劉邦の到着を待つばかり。

 

 そうこうするうち、あっという間に夜が明けて、翌日早朝。

 霸上(はじょう)の陣を出た劉邦は、一路、鴻門(こうもん)を目指した。

 付き従う護衛は張良、樊噲(はんかい)、靳歙(きんきゅう)、紀信(きしん)、滕公(とうこう)夏侯嬰(かこうえい)ら5人の大将と、あとは、わずかに兵が100騎だけ。

 

 劉邦の胸は、不安で、いっぱいであった。

 道中、馬上で張良にこぼす。

「今日の宴会、やっぱり怖いよ。たぶん殺されるよ……張良先生、一体どうするつもりなんです?」

 

 張良は言う。

「ご安心ください。ちゃんと策は考えてあります。

 私が昨夜お伝えしたことを覚えておられますね? 項羽から質問されたら、私が教えたとおりにお答えなさいませ。それで乗り切れます」

 

「ホントかよぉ」

 涙目の劉邦を先頭に、一行は鴻門(こうもん)へ近づいていった。

 

 すると、前方から項羽の軍勢が現れた。

 兵の手にした刀や槍が霜柱(しもばしら)のように冷たく密に立ち並び、身震いするほどの重たい威容(いよう)が飢(う)えた野獣の如く迫り寄ってくる。

 

 軍勢の先頭に立っていた大将は、項羽軍きっての強者(つわもの)、六安(りくあん)の英布だった。

 

「ようこそお越しを。魯公(ろこう)項羽の命(めい)を受け、沛公(はいこう)劉邦をお迎えに参った」

 英布は馬を降り、あくまで丁重に礼をして、劉邦一行を案内していった。

 

 鴻門(こうもん)の陣に近づくと、轅門(えんもん)のそばで、陳平(ちんぺい)という者が案内を引き継いだ。

 

 宴会場へと進みながら、劉邦は、あたりの様子を見回した。

 おびただしく立て並べられた武具。あちこちで、しきりに鳴る鉦(かね)と鼓(つづみ)。

 張りつめた殺気を敏感に察知(さっち)した劉邦は、震え上がって立ち止まった。

 

「おいおいおい……こりゃ、まるっきり戦場じゃないか! どう見ても酒宴の会って感じじゃねえよ! ヤだよお! 入りたくない!」

 

 張良が耳打ちした。

「ここから先へ進めば勝機がある。しかし逃げれば敗北です。

 敵は、君が怯(おび)えた様子を見せるのを待っているのです。一歩でも引き返してごらんなさい。敵は『やはり沛公(はいこう)には、やましいところがあるのだ』とでも言って、命を奪いにかかるでしょう。

 まあ、ここで少しお待ちください。ご不安なら、私が中の様子を見てきましょう」

 

 

(つづく)




●注釈
(1)
 呉国の伍子胥(ごししょ)は、本編より300年ほど昔、春秋(しゅんじゅう)時代の政治家、武人。
 元々は楚(そ)の重臣の家柄だったが、楚(そ)の平王によって父と兄を誅殺され、自身は逃亡して呉に仕えた。そこで卓越した手腕を発揮し、呉王闔閭(こうりょ)を補佐して呉を強国にのし上がらせた。「孫子兵法」の著者として有名な孫武は、この頃の同僚にあたる。
 後年、孫武とともに呉の軍勢を率いて祖国楚(そ)を滅亡させたが、憎き平王はすでに死没していた。そこで伍子胥(ごししょ)は平王の墓を掘り返し、埋葬されていた死体に対して鞭打ち刑を行い、復讐を果たしたという。
 これが「死者に鞭打つ」の由来である。
 また、この行いを批判されたときに反論として述べた「日暮れて道遠し(私の人生は残り少ないから、手段を選んでいられないのだ)」の言葉も、故事成語となっている。
 ところが、後に闔閭(こうりょ)が死亡すると、その息子の夫差(ふさ)と折り合いが悪くなり、伍子胥(ごししょ)は政治的に追い詰められた末に自害を命じられてしまった。
 国の柱であった伍子胥(ごししょ)の死後、呉は度重なる外征の負担によって衰退していき、やがて宿敵の越(えつ)国によって夫差(ふさ)は殺された。

(2)
 藺相如(りんそうじょ)は、本編より70年ほど昔、戦国時代の趙(ちょう)の家臣。
 当時、趙(ちょう)は有名な宝玉「和氏(かし)の璧(へき)」を所有していた。秦(しん)の昭襄王(しょうじょうおう)(始皇帝の曽祖父)はこれを欲しがり、「15の城と交換で璧(へき)を差し出せ」と趙(ちょう)に要求してきた。
 おそらく秦(しん)に約束を守る気はない。璧(へき)を送ればタダで奪われ、要求を断れば秦(しん)が攻めてくるだろう。この難しい局面で、藺相如(りんそうじょ)は璧(へき)を持って秦(しん)に行き、命がけの交渉で「璧(へき)も渡さず、城も渡さない」と言質(げんち)を取り、無事に璧(へき)を持ち帰った。
 これが「完璧(璧(へき)を完(まっと)うす)」の由来である。
 その翌年、秦(しん)の昭襄王(しょうじょうおう)は、趙(ちょう)王と会談を行った。昭襄王(しょうじょうおう)は趙(ちょう)を格下扱いして辱めようと、いくつもの嫌がらせをしかけた。しかし、このときも藺相如(りんそうじょ)が命がけで趙(ちょう)王を守り、最後まで両国対等の体裁を崩させなかったという。
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