龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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十七の乙 鴻門の会・後編

 

 

 張良は、一人、しずしずと陣の奥へ進んだ。

 宴会場の門前にくると、門番の丁公と雍歯(ようし)が張良を止めた。

「誰だ、お前は」

 

 張良は涼しげに礼をして言う。

「私は、沛公(はいこう)劉邦に仮に従う張良という者です。魯公(ろこう)項羽様にお目にかかりたく、参上いたしました。お取り次ぎを」

 

 丁公は宴会場に入り、項羽に報告した。

「劉邦に仮に従う張良という者が、陣門に来て、我が君にお会いしたいと申しております。通してようございましょうか?」

 

 項羽は眉をひそめた。

「『仮に従う』? 『仮』ってどういうことだ?」

 

 范増(はんぞう)が言う。

「そやつは(かん)国の張子房という者ですな。

 劉邦は、(しん)に向かう途中で、この者を(かん)王から借りてきたのだそうです。正式な劉邦の臣ではないから、『仮に』と言っておるのでしょう。

 

 張良は、5代に渡って(かん)の宰相を務めた名家の出で、本人も極めて智謀の深い男。いわば劉邦の片腕だ。

 そんな奴がやって来たのは、弁舌を(たく)みにして我が君を都合よく操るため。ちょうどよい。この機会に、まずは劉邦の片腕を斬り落としてしまいなされ」

 

 項羽の叔父の項伯は、このやりとりを聞くと、慌てて話に割って入った。

「無用、無用! 殺してはいかん!

 魯公(ろこう)、そなたは関中へ入り、天下の心を(なつ)かせようとしているのだろう? 多くの賢者を手足として用いることなしに、どうやって王業をなせるだろうか。

 であれば、張良ほどの賢人を理由もなく殺してよいものか。むしろ味方に引き込むべきだ。張良と私は古い友だから、私が張良を説得しようじゃないか」

 

 項羽は、うなずいた。

「そうだな。どっちにしろ、とりあえず会ってみようか。

 丁公、その張良とかいうのを連れてこい」

 

 宴会場の中へ通された張良は、まず丁寧に一礼し、項羽の姿に視線を走らせた。

 項羽は甲冑(かっちゅう)を着込み、そばに剣を置いて座っている。

 

 張良は、だしぬけに、こう切り出した。

「こんな言葉を聞いたことがあります。

(いにしえ)より、真の王者が天下を治めるとき、徳は輝かしても、兵は動かさない。天下を(ぎょ)するものは、徳であって剣ではない。

 大商人は、財産を深くしまい込んで表に出さない。巨大な富を持つものは、金を蓄えて(おご)らないのだ。同様に、勢いの強い者は自分の力を弱く見せかけ、無駄に暴力を振るわない』と。

 

 これはまさに、(よわい)を重ねて経験を積んだ者の深謀(しんぼう)遠慮(えんりょ)。高い見識を持つ者の言葉です。

 

 魯公(ろこう)項羽様が諸侯を招いて酒宴を開くと聞いた時、私は思ったのです。

 (しょう)の音色に合わせて歌を歌い、来客も主人も一緒になって楽しみを尽くし、人民を安心させ暮らしを楽にする王者の道に思いをはせ、談笑して(しん)が滅びたことを喜び、舞い歌って一日中なごやかに過ごす。そんな宴会になさるのだろうと。

 

 しかし、実際には甲冑(かっちゅう)を身に着けた勇士が四方を守り、槍や刀が陽光に輝き、銅鑼(どら)や太鼓の音が天にやかましく響いている。殺気ばかりを凛々(りんりん)(みなぎ)らせ、人々に不安を抱かせ、誰もが避けて遠ざかろうとするよう仕向けている。

 

 あなたは魯公(ろこう)項羽です。あなたが9度も章邯(しょうかん)と戦って天下を服従させたことは、今や誰もが知っている。

 そのあなたを恐れない者が、この世にいましょうか?

 

 あなたは強さをひけらかさずとも元々強く、わざわざ勇気を口に出さずとも元々勇敢でいらっしゃる。

 それなのに、どうして勢力の強さを誇示(こじ)して、いまさら人々に知らしめようとなさるのです?

 

 今日の宴会、諸侯はもう陣の外まで来ています。しかし、魯公(ろこう)が温かく迎える姿勢を見せないので、みんな恐れて宴会場に入れずにいるのです。

 このことを、どうか、お察しくださいませ」

 

 張良の言葉を聞くうちに、項羽の心はざわつきはじめた。

「……張良の言うこと、いちいちもっともだ。

 弱い犬ほどよく吠える……ここで変に強さを見せつけようとしたら、他人からは逆に虚勢を張っているように見えるかもしれん。そんなのは恥だ」

 

 項羽はすぐに指示を飛ばし、甲冑(かっちゅう)の武士を陣の後方へ下がらせ、銅鑼(どら)や太鼓を叩くのも()めさせた。

 そして自分も鎧を脱ぎ、宴会向きに衣装を改めて、諸侯を迎え入れるよう命令した。

 

 

   *

 

 

 門番の丁公と雍歯(ようし)は、(めい)を聞いて門を開き、諸侯を宴会場へ迎え入れた。

 しかし、宴会場へ入れるのは参加者本人のみ。従者や護衛などは全員さえぎって、一人も中へ入れなかった。

 

 沛公(はいこう)劉邦も宴会場へ入ったが、すぐに席には座らず、まず会場の階段下に立ち、出迎えに現れた項羽に対して丁重に礼をした。

 

 項羽は、劉邦を傲然(ごうぜん)と見下ろしながら、低く押し殺した声をあげる。

「劉邦。御辺(ごへん)には3つの罪がある。なんだか分かるか」

 

 劉邦は身を小さくして答えた。

(わたくし)めは、もともと(はい)県の亭長。それがたまたま周りの人に()されて今の立場になり、兵を率いて(しん)討伐(とうばつ)しただけでございます。

 項羽将軍の麾下(きか)に所属して、進むも退()くも、みんな将軍のご命令を待つのみです。どうして自分勝手な行動をして罪を犯すことなどありましょうか」

 

 項羽は、劉邦の卑屈(ひくつ)な態度に、やや苛立(いらだ)って(まゆ)を跳ね上げた。

御辺(ごへん)は関中に入った後、降伏した(しん)子嬰(しえい)を許した。王の命令を待たず一人で勝手に判断した、一つめの罪だ。

 

 民衆の心を(なつ)かせるため、(しん)の法を改定して三章に簡略化した。まったくの越権行為。これが二つめの罪。

 

 そして大将を差し向けて函谷関(かんこくかん)を固め、諸侯の進軍を邪魔した。これが三つめの罪だ!

 この三つの罪があるだろう! いまさらトボケるなっ」

 

 劉邦は深く深く頭を下げて、声を震わせ弁明する。

「お待ちを! 一言(ひとこと)だけ言わせてください、(わたくし)の心に(まこと)があることを示します!

 

 まず、(しん)子嬰(しえい)は、追い詰められ、力尽きて降伏したのです。

 もし(わたくし)がその場で殺していたら、むしろそれこそ、一人で勝手に判断したことになるでしょう?

 ですからとりあえず(いのち)は取らず、魯公(ろこう)項羽様がお越しになるのを待っていたのです。決して、勝手に許したわけではありません。

 

 それから法のことですが。

 (しん)の法律は過酷かつ複雑で、人民は水や火の中に投げ込まれたかのように苦しみ、日夜、救いを待ち続けておりました。

 法律を改正するのが1日遅れれば、そのぶん民衆は1日長く苦しむことになります。ゆえに急いで法律を(あらた)め、魯公(ろこう)項羽様の人徳を民に示しておいたのです。

 これによって人民は喜び、『こんな小規模な前方部隊がこれだけ民を愛してくれるなら、後から来る王の本隊はどれほど民を(あわ)れんでくれることだろう』と、魯公(ろこう)様の到着を首を長くして待っていたのです。

 

 また、大将を出して函谷関(かんこくかん)を固めたのは、諸侯の進軍を(さまた)げるためではありません。

 (しん)の残党がまた暴れだす恐れがありましたし、ほかにも、混乱に乗じた盗賊やら、その他いろいろな非常事態やらを防ごうとしたのです。

 

 今日、(さいわ)いにも、また項羽将軍にお会いできました。

 どうか、先日結んだ義兄弟の盟約(めいやく)のことを思い、(わたくし)一途(いちず)な心を(あわ)れんでくださいませ。

 人の上に立つ君主の慈悲(じひ)を、(わたくし)にもお(めぐ)みくださいませ……」

 

 項羽は、極めて気性(きしょう)の強い、(ごう)の者である。

 だが一方で、人情を攻められると、深く考えずについ(ほだ)されてしまう癖も持っていた。

 劉邦が言葉を尽くして弁明する、その必死な姿を見るうちに、項羽は、胸の中にあった疑いや(わだかま)りを、すっかり()かしてしまった。

 

 項羽は階下に降りると、優しく劉邦の肩を叩いた。

「そうだったのか。いや、俺は元々お前を疑ってなかったよ。

 ただ、お前のところの左司馬(さしば)(そう)無傷(むしょう)という男が、ひそかに書簡(しょかん)を送ってきて、お前の罪を(うった)えたんだ。

 それで疑惑が浮かんだんだが、今、(じか)にお前の言葉を聞いて、むしろ俺は(うれ)しく思った。そんなに俺のことを考えて動いてくれてたんだな」

 

 劉邦は項羽に再拝して感謝の気持ちを示し、他の諸侯にも、へりくだって一人一人挨拶(あいさつ)しながら、無事に席に着いた。

 

 このとき劉邦は、おもてむきニコニコと温和な笑顔を浮かべつつ、内心では暗い(いきどお)りを煮えくり返らせていた。

「へえぇ……ふーん……そうなの。(そう)無傷(むしょう)……あいつがねえ。なるほどねえ……」

 

 

(つづく)

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