龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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十七の丙 鴻門の会・後編

 

 

 諸侯が座につくと、伶人(れいじん)(演奏者)による(みやび)な楽曲とともに、鴻門(こうもん)の会が始まった。

 

 得意の愛嬌(あいきょう)で場を(なご)ませる劉邦。

 上機嫌に酒を重ねる項羽。

 しかし列席者たちの間には、異様な緊迫感が満ち満ちていた。

 項羽(がた)の軍師、范増(はんぞう)

 劉邦(がた)の軍師、張良。

 そして今や極めて微妙な立場となってしまった、項羽の叔父、項伯。

 いずれも一触即発の気配を敏感に察し、それぞれの目的を果たそうと神経を(とが)らせていたのだ。

 

 その中で、最初に動いたのは范増(はんぞう)だった。

 范増(はんぞう)は、第一の計……『劉邦が弁解に失敗したところで斬る』という策が不発に終わり、人知(ひとし)れず奥歯を噛みしめていた。

 そのあと范増(はんぞう)は、しばらく項羽の様子を(うかが)っていたが、項羽には劉邦を殺そうとする気配がまるでない。油幕(ゆばく)(かげ)に潜伏させた兵も、一切動かさぬままだ。

 

「今こそ第二の計を動かす時刻だ」

 范増(はんぞう)は眼光を(にぶ)く走らせ、打ち合わせどおり、腰に()びた玉玦(ぎょっけつ)を動かした。

 

 だが……

 この合図を見ても、項羽は、動かない。

 

「なにっ!? なぜだ! どうして命令を出さぬ、項羽将軍!」

 范増(はんぞう)は二度、三度と玉玦(ぎょっけつ)を動かし、しきりに目配(めくば)せして項羽に合図を送った。

 だが、明らかに合図を見ているにもかかわらず、項羽は劉邦抹殺の命令を下す様子がない。

 

 心の中で項羽は、こう考えていた。

「劉邦は、腰が低くて、性格が柔和(にゅうわ)で、物の役に立つような男じゃない。生かしておいたって、どうってこともないさ。

 それより、こんなめでたい宴会で招待客を(だま)()ちなんかしたら、天下の諸侯に笑われてしまうよ」

 

 范増(はんぞう)は慌てた。

「ええい、項羽の心理を読み(そこ)ねたか! こうなれば第三の計だ」

 

 范増(はんぞう)は、文官の陳平(ちんぺい)に視線を送った。

 最悪の場合を想定して、あらかじめ陳平(ちんぺい)に言い含めておいたのである。『いざとなれば、そなたが劉邦に大酒を飲ませ、正体を無くすまで酔わせてしまえ』と。

 

 陳平(ちんぺい)は、打ち合わせ通り大杯(たいはい)を持って劉邦の前に行き、酒を(すす)めながら劉邦の顔を見た。

 

 陳平(ちんぺい)が静かに目を細める。

 劉邦の顔は隆準(りゅうせつ)龍顔(りゅうがん)。まさに天下の頂点に立つ者、すなわち天子の人相である。

 

 陳平(ちんぺい)は考えた。

沛公(はいこう)は、尋常(じんじょう)の人物ではない。いつか必ず天子となるだろう。ここで范増(はんぞう)の命令通りに動けば、天意に逆らうことになってしまうな」

 

 そこで陳平(ちんぺい)は一計を案じた。

 項羽に(しゃく)するときは酒を多めに()ぎ、逆に、劉邦には少なめにしたのである。

 

 このさりげない行動を、劉邦は目敏(めざと)く見ていた。

「おおっ? この人、俺の酒だけ少なく()いでる?

 ひょっとして、俺の味方をしてくれてるのか!

 ってことは、俺を酔い潰れさせるのが范増(はんぞう)の作戦なんだな」

 

 事態を悟った劉邦は、そこから飲み方を切り替えた。大酒を流し込んでいるように見せかけながら、その実、チビチビと()めるように飲むことを心がけたのである。

 そのため、酒宴たけなわという時に至っても、劉邦はまだ意識をはっきり保てていた。

 

 范増(はんぞう)は、第三の計まで失敗したのを見ると、音もなく席を立って外に出た。

 

「……まだだ。まだ終わらせぬ。

 ここで劉邦を殺さねば、後日かならず大いなる(わざわ)いをもたらす。

 項羽の未来のため、なんとしても奴の命脈を()ってみせるぞ!」

 

 

   *

 

 

 宴席の外へ出た范増(はんぞう)は、勇気と武力のある大将を探して陣の中をうろつきはじめた。

 こうなればもう体裁(ていさい)など気にしていられない。強力な大将に命じて劉邦を真正面から切り捨ててしまおう、と考えたのである。

 

 この重要任務を、はたして誰に任せたものか? 考えながら陣の中を見まわしていると、陣の後ろのほうから歌声が聞こえてきた。

 誰かが、剣を指で(はじ)いて音を鳴らし、それに歌詞を乗せて歌っているようだ。

 

 

  我有一宝剣

  出自崑崙西

  照人如照面

  切鉄如切泥

  両辺霜凛凛

  匣内風凄凄

  寄与諸公子

  何日得見兮

 

  我に一つの宝剣あり

  崑崙(こんろん)の西より()

  人を照らすこと(おもて)を照らすが如く

  鉄を切ること泥を切るが如し

  両辺に(しも)凛凛(りんりん)

  匣上(こうじょう)に風凄々(せいせい)

  諸公子に寄与(きよ)

  いつの日か得ん (まみえ)ることを

 

 

 范増(はんぞう)はこれを聞いて喜んだ。

「ほう、よい詩だ。この心構(こころがま)えを持っている大将なら、うまくやりとげてくれるかもしれん」

 

 范増(はんぞう)は、歌い手に近づいて声をかけた。

 その歌い手は、項羽と同じ一族の若者で、項荘という勇士であった。

 

 范増(はんぞう)は、項荘に、小声でそっと、ささやいた。

「よいか、項荘くん。

 項羽将軍は気性が強いが、なかなか自分の心を決めきれない人だ。今日の宴会は、もっぱら劉邦を殺すためのもの。私は三ヶ条の計を用意したが、項羽将軍は今になっても決行できずにいる。

 今日もし沛公(はいこう)劉邦を殺し(そこ)ねたら、後日たいへんな問題を生じるだろう。今こそ二度とは得られぬ絶好の機会なのだ。

 

 そこで……君に、やってもらいたい。

 宴会場に入って剣舞を披露し、その舞の中で、さりげなく劉邦に接近し、一太刀(ひとたち)で惨殺するのだ。これを成し()げれば、莫大な功績になる」

 

 項荘は、静かに、うなずいた。

 

 項荘は宴会場にやってくると、項羽の前に進み出て、言った。

「こうして音楽が(かな)でられておりますが、軍中の音楽では、さほど面白くもございますまい。

 そこで、それがしが剣舞を披露いたしとうございます。なにとぞ、ご笑覧(しょうらん)くださいませ」

 

 許しを得た項荘は、剣を抜いて舞いはじめた。

 

 舞いながら、項荘の視線が、劉邦を(とら)える。

 

「むっ!?」

 張良は顔色を変えた。

「これは、ただごとではない!」

 

 項荘と范増(はんぞう)の意図を一目で見抜いた張良は、向かい側の席に座っていた項伯に、キッと鋭く目配(めくば)せした。

 その視線を受けた項伯が、張良の言わんとすることを悟って立ち上がる。

 

魯公(ろこう)! 剣舞には、必ず対手(あいて)役があるものだ。(いにしえ)の言葉にも『霜鋒(そうほう)交錯して以て目を奪うべし』……『(しも)のように鋭い(きっさき)が交錯してこそ、見る人の目を奪える』と言うぞ。

 ここは一つ、私が対手(あいて)役になって(きょう)を添えよう」

 

 この時すでに、魯公(ろこう)項羽はだいぶん酔っていた。

「おう! いいぞいいぞー! 叔父上、舞いを見せてください!」

 

 項伯は剣を抜き、項荘の舞いに割って入った。

 舞いながら、二人は静かに意思を戦わせた。

 項荘が劉邦に近づこうとすれば、項伯は体を盾にして立ち(ふさ)がる。刃と刃を(から)み合わせ、時には火花さえ散らしつつ、とても座興とは思えぬ真剣勝負を繰り広げる……

 

 これを見た范増(はんぞう)は、一人、奥歯を噛みしめていた。

「おのれッ……早く殺してしまわねば、曲の演奏が終わってしまう。もっと頑張らぬか、項荘!」

 

 

   *

 

 

 一方、張良は冷静に状況を見ていた。

「項伯は沛公(はいこう)を助けようとしてくれている。だが、相手の項荘という若者は強そうだ。このままでは時間の問題だな」

 張良は、そっと席を立ち、宴会場の外に出ようと、門へ向かった。

 

 

(つづく)




●注釈
 項荘が歌っていた漢詩は、「西漢通俗演義」から引用した。(書き下し文は外清内ダクによる)
 「通俗漢楚軍談」にも同じ詩の書き下し文が収録されているが、以下のように、細かいところが微妙に「西漢通俗演義」から改変されている。
『我に百宝(ひゃくほう)の剣あり
 崑崙(こんろん)(いただき)より()
 人を照らすこと(おもて)を照らすが如く
 鉄を切ること泥を切るが如し
 両辺に(しも)凛々(りんりん)
 匣上(こうじょう)に風凄々(せいせい)
 諸公子に寄与(きよ)して
 いつの日か(あい)(まみえ)ることを得ん』
 『崑崙』は、中国西部にあるとされる伝説上の聖山、崑崙山(こんろんさん)のこと。神仙たちの本拠地として古くから信仰されてきた。実在の崑崙(こんろん)山脈とは、また別物である。
 『両辺』は剣の両刃。『霜』は切れ味が鋭いことの比喩としてよく用いられる。
 『匣』は剣の(さや)のこと。
 以上を踏まえて日本語訳すると、おおむね以下のようになる。
『私は一振りの宝剣を持っている。崑崙(こんろん)の西から来た剣だ。反射光で人を照らせば顔を明るく浮かび上がらせ、鉄をも泥のように切り裂く。両の刃は霜のように冷たく鋭く、鞘の上には風がビュウビュウと吹き抜ける。この剣で公子たちのお役に立って、いつかお目にかかる栄誉を得ようじゃないか』
 漢詩の形式面を解説すると、韻は西(せい)(でい)(せい)(けい)で八斉。五言八句で律詩のように見えるが、平仄(ひょうそく)は二四不動や反法など近体詩の作法を守っていない。古詩である……というのはつまり、唐代に完成された漢詩の厳格なルールを守っていない、古いスタイルの漢詩ということである。時代背景を考えると妥当(だとう)な詩と言えるのではないだろうか。
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