龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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十九の下 覇王、項羽

 

 

 鴻門(こうもん)の陣に戻った項伯は、項羽に報告した。

「再三に渡って申し上げたが、懐王(かいおう)は許してくださらなかった。『前に約束を決めたのだから、そのとおりにせよ』と……」

 

 項羽は怒った。大いに怒った。

「なにが懐王(かいおう)だ! あんなやつ、死んだ叔父上(項梁(こうりょう))が立ててやったから王になれたんだぞ。

 別に秦(しん)征伐で功績を立てたわけでもないし。一体なんのつもりで偉そうに約束の裁定者を気取ってるんだ!

 

 第一、天下を平定したのは、みんな俺の力だ。その俺が、なんで他人の下にひざまずいて命(めい)を聞かなきゃいけない? 男として我慢(がまん)できない!

 もういい! こうなったら、吉日(きちじつ)を選んで自分で王になってやる!」

 

 ここで范増(はんぞう)が一計を案(あん)じた。

 この機会に、将来邪魔になる人物を抹殺(まっさつ)してしまおうと考えたのである。

 

 范増(はんぞう)が、まことしやかに言う。

「天子の位(くらい)につくなら、君主としての称号、すなわち尊号が必要だ。

 尊号を称(しょう)するには、古典に依拠(いきょ)した、しかも君主の考えによく合ったものを用いるのがよい。

 

 そこでだ。

 張良は、多くの書を読んでいて、歴代の君主について、よく知っている。

 張良を呼び出して前例を尋(たず)ね、彼に尊号を決めさせるとよい。

 

 張良の決めた尊号が君の心に合うようなら、張良は本当に忠誠心を持っているのだろう。

 しかし、もし君の心に合わないなら、君を欺(あざむ)き害を為(な)そうとしている証明になる。そのときは国法に照らし合わせて殺してしまいなさい」

 

 項羽は、うなずいた。

「よし。そうするか」

 

 

   *

 

 

 項羽は、張良を呼んで、言った。

「俺は、そろそろ関中の王になろうと思っている。しかし、まだ尊号が決まっていない。

 張良よ。お前は多くの書を読んでいて、歴代帝王の号を知り尽くしているそうだな。

 お前はもう俺に仕(つか)える身なのだから、その知識を活(い)かしてくれ。古代からの前例を考慮し、よい尊号を定めて、天下の人々が服従するようにしろ」

 

 張良は、わずかに目を細め、心の中で考えた。

「ふうん。これは范増(はんぞう)の計略だな。

 私に尊号を決めさせ、言質(げんち)を取ったところで、なにか適当な難癖(なんくせ)をつけ、項羽が私を殺すようにしむけるつもりなのだろう。

 尊号など、ケチを付けようと思えば、いくらでもつけられるものだ。言われた通りに私が尊号を定めるのは、まずい……となれば、この手で行くか」

 

 張良は、涼しげに微笑した。

「かしこまりました。

 古(いにしえ)の時代より、さまざまな尊号がございます。それを私が詳(くわ)しくご説明いたしましょう。

 その中から、大王様みずから選んで尊号を定めなさいませ」

 

 項羽が自分で選ぶ形にすれば、范増(はんぞう)も難癖(なんくせ)のつけようがない。アテの外れた范増(はんぞう)は、かすかに眉を動かした。

 その表情を視界の端にとらえながら、張良は古(いにしえ)の例を並べはじめた。

 

「古(いにしえ)の聖帝や明王(良い君主)が天下を手にした時には、必ず国号を立てたものです。

 

 まず、この世の始まりには3人の皇(こう)、三皇がおりました。

 

 三皇の後には五帝が現れました。

 五帝とは、少昊(しょうこう)、顓頊(せんぎょく)、帝嚳(ていこく)、帝堯(ていぎょう)、帝舜(ていしゅん)の5人です。

 帝は、すなわち天の号。徳は天地に行きわたり、軍隊を動かさず、殺伐(さつばつ)を行わず、謙虚にへりくだって天下を保つ君主。それを帝と称(しょう)します。

 大王様、この号をお使いになりますか?」

 

 項羽は、難しい顔をして、心の中に思った。

「俺は子嬰(しえい)を殺したし、軍隊で天下を征伐(せいばつ)した。それで帝を名乗(なの)るのは、五帝に対して恥ずかしいな」

 

 そこで項羽は首を横に振った。

「帝の号は、ちょっと思う所があるから、やめておこう。その次の号を言え」

 

 張良が答える。

「五帝の後には三王がございます。

 夏(か)、殷(いん)、周(しゅう)の三大王朝がそれでございます。

 よく政治に勤(つと)め、質素倹約を貫き、仁義を大切にして、なにもかも私利私欲ではなく人民のために行う。それが王です。

 

 夏(か)の禹王(うおう)は苦労して治水事業を成功させ、殷(いん)の湯王(とうおう)は我が身を犠牲にして雨乞(あまご)いをし、周(しゅう)の文王は紂王(ちゅうおう)の悪行を諌(いさ)めて投獄されました。

 これらは、みんな民のために行ったこと。三王の、すばらしい徳でございます。

 

 大王様、王の号をお使いになりますか?」

 

 項羽は言う。

「うん。王の号は、なかなかいいな。それを使おうと思うが、もし王の次の尊号もあるなら教えてくれ」

 

 張良が言う。

「王の次には五覇(ごは)があります。

 斉(せい)の桓公(かんこう)、宋の襄公(じょうこう)、秦(しん)の穆公(ぼくこう)、晋(しん)の文公、楚(そ)の荘公、この5人です。

 

 覇(は)とは、残虐・暴力為(な)す輩(やから)を、天下のために討伐(とうばつ)して取りのぞく者のこと。

 己(おのれ)の一国を拡大して諸国を牛耳(ぎゅうじ)り、仁愛を好み、正義を尊(とうと)び、威武(いぶ)強大で人々がみな恐れる存在。それが覇(は)です。

 

 大王様、この号をお使いになりますか?」

 

 項羽は、大きくうなずいた。

「王という号は、古代には良かったかもしれないが、現代には合っていない。

 覇業(はぎょう)は、現代にはぴったりだが、伝統ある古(いにしえ)の徳には合っていない。

 だから、古代と現代を組み合わせて『覇王』としたら最高なんじゃないか?

 俺は楚(そ)国に生まれた。淮水(わいすい)の北側を西楚(せいそ)と呼ぶことにして……

 

 俺は、『西楚(せいそ)の覇王』と号(ごう)する!

 

 勅(みことのり)を作って、このことを天下に知(し)らしめよ!」

 

 ここで范増(はんぞう)が口を挟んだ。

「王号を称(しょう)すのはよろしいですが、覇(は)号はおやめなさい。

 歴史上、覇(は)の権力は長続きしたためしがないのだ。昔の人も『大国の覇(は)ですら5年続かない。小国の覇(は)に至っては3年しか保(も)たない』と言っている。

 大王、張良の言うことを採用してはなりませぬ。それは誤りですぞ」

 

 項羽は、苛立(いらだ)ちを顔に表して言う。

「何を言ってるんだ。春秋五覇は、歴史上一番長く天下を保(たも)ったじゃないか。それに、俺のやってきたことは、五覇とよく似ている。だから、俺は覇王を名乗(なの)る!

 張良が俺を騙(だま)すわけないだろう。先生、ちょっと小言(こごと)が多すぎるぞ」

 

 范増(はんぞう)は低く頭(こうべ)を垂(た)れ、物も言わずに溜め息をつき、部屋から退出した。

 その背を見送った項羽は、あてつけのように張良の知識を厚く賞賛した。

 

 

   *

 

 

 吉日(きちじつ)を選び、項羽即位の大礼(たいれい)(儀式)が執(と)り行われた。

 

 楚(そ)の懐王(かいおう)には新たに『義帝』という称号を贈り、江南(長江南部)の郴州(ちんしゅう)という土地に遷都(せんと)させた。

 一見、格上の『帝』として尊重しているようではあるが、この後、項羽は義帝の命令を無視するようになった。

 

 そして項羽自身は、望み通り『西楚(せいそ)の覇王』と号(ごう)し、この新たな天子の名を、中国全土に告知させた。

 

 武力によって実権を握る王者、という意味の『覇王』なる称号は、このとき生まれた。

 いや。それどころか、実際に『覇王』を名乗(なの)った者は、後にも先にも、ただ一人。

 

 歴史上唯一(ゆいいつ)無二(むに)。

 覇王、項羽。

 

 血気(けっき)盛(さか)んな楚(そ)の若者が、今、ついに天下をその手に掴(つか)んだのである。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

■次回予告■

 

 中国の頂点に立った覇王項羽は、始皇帝の遺産を奪い、広大なる宮殿を焼き払い、民の不安を掻(か)き立てつつも着々と足場を固めていく。

 そのさなか、秦(しん)討伐(とうばつ)の論功行賞で劉邦の処遇が決定した。一度は王たる資格さえ得た彼が、奮闘の果てに掴(つか)んだものは?

 

 次回「龍虎戦記」第二十回

 『劉邦、左遷』

 

 乞(こ)う、ご期待!

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