龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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二十の下 劉邦、左遷

 

 

 この、すさまじい量の財宝を見て、これまで受けてきた搾取(さくしゅ)の苦しみを思い出したのであろうか。一人の兵が走り出て、憎悪のままに(ひつぎ)を打ち砕こうとした。

 

「待て!」

 英布が兵を制止した。

「この墓所には罠が仕掛(しか)けられていると聞いたことがある。

 鉄砲や弩弓(どきゅう)が張り巡らされていて、(ひつぎ)を少しでも動かしたなら、鉄の矢や石の砲弾を発射して、盗掘者を皆殺しにするのだ。

 動かすんじゃないぞ。こんなもの、ただ土で埋めてしまえばいい」

 

 かくして財宝を発見した()軍は、金銀珍宝を全て運び出し、始皇帝の(ひつぎ)や壮大な地下宮殿は、土で埋め立ててしまった。

 

 財宝を荷車に満載して帰る途中、項羽は始皇帝の宮殿、阿房宮(あぼうきゅう)に立ち寄った。

 これまた、始皇帝(りょう)(まさ)るとも(おと)らぬ、驚くべき規模の巨大建築であった。

 華麗なる楼閣(ろうかく)は、青雲ただよう天空の如く(きら)めいて、延々(えんえん)300里(120km)にも渡って途切(とぎ)れることなく建て(つら)ねられている。

 

 項羽は目を丸くしながら、深く溜め息をついた。

「こんなものに天下の財力を浪費(ろうひ)し尽くしたことが、(しん)の滅びる原因になったんだ。こんなものは、残しておいちゃいけない」

 

 項羽は兵に命じて、阿房宮(あぼうきゅう)に火をかけた。

 莫大(ばくだい)な資金を(つい)やして建造された宮殿が、赤々(あかあか)と炎をあげて焼け落ちていく。

 そのあまりの巨大さに、火は、なんと3ヶ月ものあいだ消えずに燃え続けたという。

 

 咸陽(かんよう)の民は、項羽の盗掘と放火とを、じっと見ていた。

 まだ、表立(おもてだ)って批判する者はいない。

 だが項羽の乱暴さに対する驚き、恐れ、そして不安は、確実に人民の心に広がり始めていたのである。

 

 

   *

 

 

 さて、この頃になると、(しん)討伐(とうばつ)のために集まった軍勢の中にも、故郷を(なつ)かしむ者が増えてきた。

 項羽の旗揚(はたあ)げから、すでに2年半。(しん)を倒すという目的が果たされ、財宝も分配された今、(こころざし)()げた兵卒たちの心には、いつまでも拘束され続けることに対する不満ばかりが残されていたのだった。

 

 大将たちも、これを憂慮(ゆうりょ)し、范増(はんぞう)に相談をもちかけた。

「味方の軍勢は、長く(しん)逗留(とうりゅう)し続けたことで、不満を(つの)らせております。

 故郷を(した)うあまり、反乱まで起こしかねない雰囲気(ふんいき)です。どうやって(しず)めたらよいでしょうか?」

 

 范増(はんぞう)は、うなずいた。

「さようですな。私も、そのことを覇王様に申し上げようと思っていたところだ。

 それでは、我ら連名で覇王様に奏上(そうじょう)いたそう」

 

 范増(はんぞう)と大将たちは、みんなで項羽に謁見(えっけん)して言った。

「天下の諸侯や、もろもろの将士は、覇王様に従って(しん)討伐(とうばつ)し、多大な功労を()しました。

 すでに使命は果たされましたし、この地への逗留(とうりゅう)も、かなりの長期に(およ)んでおります。

 このあたりで、みなに封賞(ほうしょう)(領地や爵位(しゃくい)を恩賞として与えること)を(たま)い、それぞれの本国へ帰還させてくださいませ」

 

 項羽は、うなずいた。

「俺も、そうしなければならないと思っていた。それぞれの功績を検討して恩賞を与えよう。

 追って連絡するから、今日の所は下がれ」

 

 大将たちは、安心して退出していった。

 しかし、項羽は范増(はんぞう)を呼び止めた。

「先生、ちょっと」

 

 范増(はんぞう)と2人きりになったところで、項羽が声をひそめて言う。

「みんなに領土を配りたいのは山々(やまやま)なんだが、実は一つ悩みがあるんだ。

 以前、懐王(かいおう)……いや、義帝と約束して『先に関中に入った者を王とする』と決めたろう?

 沛公(はいこう)劉邦は、俺より先に関中に入った。正式に功績を検討するとなれば、当然あいつが(しん)の王になって、咸陽(かんよう)(みやこ)を置くことになる。

 

 だが、(しん)は国力が大きく、四方を山脈に守られた要害の地。

 ここを劉邦に渡したら、後々、大きな害を為すんじゃないかと心配なんだ。先生、この問題をどうしたらいいと思う?」

 

 范増(はんぞう)は、わずかに眉を動かした。

 心の中で「だから鴻門(こうもん)の会で殺せと言ったではないか」と思わぬはずもなかったが、過ぎたことを、くだくだ責めてもしかたがない。

 

 范増(はんぞう)は言った。

「さよう。こんなこともあろうかと、一つ策を考えておいた。

 君は()(しょく)(現在の四川(しせん)省)の地をご存知(ぞんじ)かな?

 (みやこ)咸陽(かんよう)より(はる)か西南、(しん)のはずれに漢中(かんちゅう)という土地がある。そのさらに向こうにあるのが()(しょく)

 山も川も大変(けわ)しく、道は極めて通行が難しい。この広い中国の、西の果ての辺境(へんきょう)だ。

 

 沛公(はいこう)を、この漢中・()(しょく)(あるじ)とし、漢王の(くらい)(ほう)じなされ。

 これで確かに劉邦は関中の地で王になったことになる。義帝との約束は守られるというわけだ。

 

 そのうえで、(しん)から降伏してきた章邯(しょうかん)司馬(しば)(きん)董翳(とうえい)の3人を三(しん)王に(ほう)じ、(しん)の他の地域を守らせるのだ。

 さすれば、劉邦がたとえ謀反(むほん)(たくら)んだとしても、三(しん)王に道を(ふさ)がれて、()(しょく)から咸陽(かんよう)に出てくることは不可能になる。

 

 劉邦は、どうすることもできず、そのまま漢中で老いて死ぬことになろう。

 つまり、封賞(ほうしょう)と見せかけて、実は左遷(させん)というわけだ」

 

 項羽は、パッと顔に明るい色を浮かべた。

「それは名案だ! さっそくやろう」

 

 

   *

 

 

 項羽は、軍政を担当する文官に命じて、ここまでの諸将の功労を一つ一つ記録させた。

 その結果、封賞(ほうしょう)は以下のように決定した。

 

 まず沛公(はいこう)劉邦は漢王。

 (みやこ)南鄭(なんてい)。領地は漢中・()(しょく)の41県。

 

 そして劉邦を(おさ)え込むため、(しん)の領域を3分割し、それぞれ(しん)からの降将3人を配置した。

 

 すなわち、章邯(しょうかん)(よう)王。(みやこ)は廃丘。領地は(しん)の西側38県。

 司馬(しば)(きん)(さい)王。(みやこ)櫟陽(れきよう)。領地は(しん)東部11県。

 董翳(とうえい)(てき)王。(みやこ)高奴(こうど)。領地は(しん)北部30県。

 

 これ以後、この3地域と彼ら3人は三秦(さんしん)と呼ばれるようになった。

 

 さらに封賞(ほうしょう)は続く。

 項羽の片腕として戦い抜き、あらゆる汚れ仕事を(にな)ってきた猛将英布は九江王。

 

 鉅鹿(きょろく)の戦いのとき(ちょう)を守り抜いた張耳(ちょうじ)は、(ちょう)国の東半分を与えられ、常山王に(ほう)じられた。

 そのため、もともと(ちょう)王だった趙歇(ちょうけつ)は、領土を大きく削減されて、(だい)王とされた。

 

 ところが、張耳(ちょうじ)の親友の陳余(ちんよ)は、王に(ほう)じてもらえなかった。わずか3県の領土を与えられるに留まったのである。

 理由は、項羽の(しん)討伐(とうばつ)に参戦しなかったから。

 この差別的な扱いが、張耳(ちょうじ)陳余(ちんよ)の友情にヒビを入れた。これが後々、大きな争いへと発展していくことになる。

 

 同様のことが、(せい)国でも起きた。

 (せい)の領土は3分割され、それぞれ他の人物に与えられた。

 すなわち、田巿(でんふつ)膠東(こうとう)王。

 田都(でんと)(せい)王。

 田安(でんあん)済北(せいほく)王。

 

 しかし、(せい)国の実質的支配者だった田栄(でんえい)は、王になれなかった。やはり、項羽の西征(せいせい)に参加しなかったためである。

 このこともまた、後に大きな禍根(かこん)を残した。

 

 (えん)では、もともと(えん)王だった韓広(かんこう)が、僻地(へきち)に追いやられて遼東(りょうとう)王とされ……

 代わりに、(えん)の武将臧荼(ぞうと)が、項羽とともに戦ってきたという理由で、(えん)王に(ほう)じられた。

 

 その他、項羽に味方した諸侯が、次々と王に(ほう)じられていく。

 申陽(しんよう)河南(かなん)王。

 司馬(しば)(ごう)(いん)王。

 共敖(きょうごう)、臨江王。

 呉芮(ごぜい)衡山(こうざん)王。

 魏豹(ぎひょう)西魏(せいぎ)王。

 張良の(あるじ)韓成(かんせい)は、これまで通り、(かん)王の(くらい)安堵(あんど)された。

 

 以上、これが項羽による十八王の分封(ぶんぽう)である。

 

 

   *

 

 

 この他にも、功績ある者たちには、それぞれ重要な役職が割り振られた。

 特に、項羽と同じ項一族の者たちは、のきなみ重く(しょう)された。

 項正、春勝君(しゅんしょうくん)

 項元、安勝君(あんしょうくん)

 項羽の叔父、項伯は尚書令(しょうしょれい)(天子の秘書官)。

 

 

   *

 

 

 項羽の同族以外では、まず老軍師范増(はんぞう)

 項羽に数え切れないほどの献策を行い、無数の(いくさ)を勝利に導いてきた彼は、国の政治の頂点たる丞相(じょうしょう)に任命された。

 

 さらに項羽は、『亜父(あふ)』という、特別な尊号(そんごう)范増(はんぞう)に贈った。

 

 『()』とは、『()ぐもの』。

 すなわち『亜父(あふ)』は、『父の次に尊敬している人』という意味になる。

 

 儒教(じゅきょう)的価値観の根強い古代中国において、父親は、この世の誰よりも尊敬すべき人だとされる。

 その次ということは、他人に向ける敬意と親しみの表現として、最大級のものであると言えるだろう。

 

 とりわけ、幼い頃に実父を失い、育ての親たる項梁(こうりょう)をも亡くした項羽が、頼もしい知恵者范増(はんぞう)に、どれほど深く思い入れていたことか。

 その心情は、想像に(かた)くない。

 

 

   *

 

 

 さて、軍事の長官たる司馬(しば)の職に任命されたのは、特に項羽の信頼厚い者たち。

 鍾離昧(しょうりまい)()司馬(しば)

 季布(きふ)()司馬(しば)

 龍沮(りゅうしょ)(だい)司馬(しば)

 

 将軍職には、いずれ劣らぬ豪傑(ごうけつ)たち。

 雍歯(ようし)、右将軍。

 丁公、左将軍。

 劉存、後将軍。

 于英(うえい)引戦(いんせん)将軍。

 桓楚(かんそ)、大将軍。

 ()子期(しき)も大将軍。

 陳平(ちんぺい)は一郡の軍事責任者、都尉(とい)

 

 天子への諌言(かんげん)を専門とする諌議(かんぎ)には、次の2名。

 武渉(ぶしょう)()諌議(かんぎ)

 韓生(かんせい)()諌議(かんぎ)

 

 その他、こまごました任官・叙勲(じょくん)は、とても全て書ききれないほどだが……

 

 ただ一人、『股くぐり』の韓信だけは、あいかわらず執戟郎(しつげきろう)(王の護衛)のままであった。

 祝いの酒宴(しゅえん)(みな)が大いに盛り上がる中、韓信は物も言わず、()めるように味気(あじけ)ない酒を(すす)っていた。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

■次回予告■

 

 西の辺境(へんきょう)()(しょく)へと左遷(させん)が決まり失意の劉邦。そのうえさらに范増(はんぞう)は劉邦の動きを警戒し、咸陽(かんよう)に拘束せんと目論(もくろ)む。

 (はり)(むしろ)から劉邦を脱出させるべく、知恵者たちが暗躍を始めた。張良・陳平(ちんぺい)の二大賢者が(ひそ)かに仕掛ける新たな計略。果たして劉邦は新天地へと旅立てるのか?

 

 次回「龍虎戦記」第二十一回

 『亜父(あふ)()()に』

 

 ()う、ご期待!




●注釈
 項羽による諸侯の封建については、「通俗漢楚軍談(以下、軍談)」、「西漢通俗演義(以下、演義)」、そして「史記・項羽本紀」に記された史実、この三者にかなり大きな食い違いがある。
 ここまで「軍談」の記述を尊重することを基本方針としてきた本作だが、この問題については、そうするわけにはいかなくなった。というのも、「軍談」や「演義」に記された封建の内容は、「軍談」自身の今後のストーリー展開と矛盾しており、あきらかにつじつまが合わないのである。
 よって、今回に限り方針を曲げ、主として「史記・項羽本紀」の記述を採用することとした。
 「軍談」と「史記」の食い違いについて例を挙げると、たとえば「軍談」では陳余(ちんよ)が北趙王に(ほう)じられている。史実では本文に記した通り、南皮という地方に3県の領土を得たのみだった。この不公平が後の張耳(ちょうじ)陳余(ちんよ)の戦いの原因となるため、この時点で陳余(ちんよ)が王になっていたら話が繋がらなくなってしまう。
 他にも、「軍談」「演義」では田栄が前斉王になっていたり(陳余(ちんよ)同様、史実ではここで王になれなかったので田栄は乱を起こす)、韓王が韓成ではなく鄭昌になっていたり(実際にはこの後、韓成が項羽に殺されて、その代わりに鄭昌が韓王になる)、なぜか項荘が交東王(おそらく膠東王のこと)になっていたり、と、いろいろおかしな点がある。
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