この、すさまじい量の財宝を見て、これまで受けてきた搾取の苦しみを思い出したのであろうか。一人の兵が走り出て、憎悪のままに柩を打ち砕こうとした。
「待て!」
英布が兵を制止した。
「この墓所には罠が仕掛けられていると聞いたことがある。
鉄砲や弩弓が張り巡らされていて、柩を少しでも動かしたなら、鉄の矢や石の砲弾を発射して、盗掘者を皆殺しにするのだ。
動かすんじゃないぞ。こんなもの、ただ土で埋めてしまえばいい」
かくして財宝を発見した楚軍は、金銀珍宝を全て運び出し、始皇帝の柩や壮大な地下宮殿は、土で埋め立ててしまった。
財宝を荷車に満載して帰る途中、項羽は始皇帝の宮殿、阿房宮に立ち寄った。
これまた、始皇帝陵に優るとも劣らぬ、驚くべき規模の巨大建築であった。
華麗なる楼閣は、青雲ただよう天空の如く煌めいて、延々300里(120km)にも渡って途切れることなく建て連ねられている。
項羽は目を丸くしながら、深く溜め息をついた。
「こんなものに天下の財力を浪費し尽くしたことが、秦の滅びる原因になったんだ。こんなものは、残しておいちゃいけない」
項羽は兵に命じて、阿房宮に火をかけた。
莫大な資金を費やして建造された宮殿が、赤々と炎をあげて焼け落ちていく。
そのあまりの巨大さに、火は、なんと3ヶ月ものあいだ消えずに燃え続けたという。
咸陽の民は、項羽の盗掘と放火とを、じっと見ていた。
まだ、表立って批判する者はいない。
だが項羽の乱暴さに対する驚き、恐れ、そして不安は、確実に人民の心に広がり始めていたのである。
*
さて、この頃になると、秦討伐のために集まった軍勢の中にも、故郷を懐かしむ者が増えてきた。
項羽の旗揚げから、すでに2年半。秦を倒すという目的が果たされ、財宝も分配された今、志を遂げた兵卒たちの心には、いつまでも拘束され続けることに対する不満ばかりが残されていたのだった。
大将たちも、これを憂慮し、范増に相談をもちかけた。
「味方の軍勢は、長く秦に逗留し続けたことで、不満を募らせております。
故郷を慕うあまり、反乱まで起こしかねない雰囲気です。どうやって鎮めたらよいでしょうか?」
范増は、うなずいた。
「さようですな。私も、そのことを覇王様に申し上げようと思っていたところだ。
それでは、我ら連名で覇王様に奏上いたそう」
范増と大将たちは、みんなで項羽に謁見して言った。
「天下の諸侯や、もろもろの将士は、覇王様に従って秦を討伐し、多大な功労を成しました。
すでに使命は果たされましたし、この地への逗留も、かなりの長期に及んでおります。
このあたりで、みなに封賞(領地や爵位を恩賞として与えること)を賜い、それぞれの本国へ帰還させてくださいませ」
項羽は、うなずいた。
「俺も、そうしなければならないと思っていた。それぞれの功績を検討して恩賞を与えよう。
追って連絡するから、今日の所は下がれ」
大将たちは、安心して退出していった。
しかし、項羽は范増を呼び止めた。
「先生、ちょっと」
范増と2人きりになったところで、項羽が声をひそめて言う。
「みんなに領土を配りたいのは山々なんだが、実は一つ悩みがあるんだ。
以前、懐王……いや、義帝と約束して『先に関中に入った者を王とする』と決めたろう?
沛公劉邦は、俺より先に関中に入った。正式に功績を検討するとなれば、当然あいつが秦の王になって、咸陽に都を置くことになる。
だが、秦は国力が大きく、四方を山脈に守られた要害の地。
ここを劉邦に渡したら、後々、大きな害を為すんじゃないかと心配なんだ。先生、この問題をどうしたらいいと思う?」
范増は、わずかに眉を動かした。
心の中で「だから鴻門の会で殺せと言ったではないか」と思わぬはずもなかったが、過ぎたことを、くだくだ責めてもしかたがない。
范増は言った。
「さよう。こんなこともあろうかと、一つ策を考えておいた。
君は巴蜀(現在の四川省)の地をご存知かな?
都咸陽より遥か西南、秦のはずれに漢中という土地がある。そのさらに向こうにあるのが巴蜀。
山も川も大変険しく、道は極めて通行が難しい。この広い中国の、西の果ての辺境だ。
沛公を、この漢中・巴蜀の主とし、漢王の位に封じなされ。
これで確かに劉邦は関中の地で王になったことになる。義帝との約束は守られるというわけだ。
そのうえで、秦から降伏してきた章邯、司馬欣、董翳の3人を三秦王に封じ、秦の他の地域を守らせるのだ。
さすれば、劉邦がたとえ謀反を企んだとしても、三秦王に道を塞がれて、巴蜀から咸陽に出てくることは不可能になる。
劉邦は、どうすることもできず、そのまま漢中で老いて死ぬことになろう。
つまり、封賞と見せかけて、実は左遷というわけだ」
項羽は、パッと顔に明るい色を浮かべた。
「それは名案だ! さっそくやろう」
*
項羽は、軍政を担当する文官に命じて、ここまでの諸将の功労を一つ一つ記録させた。
その結果、封賞は以下のように決定した。
まず沛公劉邦は漢王。
都は南鄭。領地は漢中・巴蜀の41県。
そして劉邦を抑え込むため、秦の領域を3分割し、それぞれ秦からの降将3人を配置した。
すなわち、章邯は雍王。都は廃丘。領地は秦の西側38県。
司馬欣は塞王。都は櫟陽。領地は秦東部11県。
董翳は翟王。都は高奴。領地は秦北部30県。
これ以後、この3地域と彼ら3人は三秦と呼ばれるようになった。
さらに封賞は続く。
項羽の片腕として戦い抜き、あらゆる汚れ仕事を担ってきた猛将英布は九江王。
鉅鹿の戦いのとき趙を守り抜いた張耳は、趙国の東半分を与えられ、常山王に封じられた。
そのため、もともと趙王だった趙歇は、領土を大きく削減されて、代王とされた。
ところが、張耳の親友の陳余は、王に封じてもらえなかった。わずか3県の領土を与えられるに留まったのである。
理由は、項羽の秦討伐に参戦しなかったから。
この差別的な扱いが、張耳と陳余の友情にヒビを入れた。これが後々、大きな争いへと発展していくことになる。
同様のことが、斉国でも起きた。
斉の領土は3分割され、それぞれ他の人物に与えられた。
すなわち、田巿は膠東王。
田都は斉王。
田安は済北王。
しかし、斉国の実質的支配者だった田栄は、王になれなかった。やはり、項羽の西征に参加しなかったためである。
このこともまた、後に大きな禍根を残した。
燕では、もともと燕王だった韓広が、僻地に追いやられて遼東王とされ……
代わりに、燕の武将臧荼が、項羽とともに戦ってきたという理由で、燕王に封じられた。
その他、項羽に味方した諸侯が、次々と王に封じられていく。
申陽、河南王。
司馬卬、殷王。
共敖、臨江王。
呉芮、衡山王。
魏豹、西魏王。
張良の主の韓成は、これまで通り、韓王の位を安堵された。
以上、これが項羽による十八王の分封である。
*
この他にも、功績ある者たちには、それぞれ重要な役職が割り振られた。
特に、項羽と同じ項一族の者たちは、のきなみ重く賞された。
項正、春勝君。
項元、安勝君。
項羽の叔父、項伯は尚書令(天子の秘書官)。
*
項羽の同族以外では、まず老軍師范増。
項羽に数え切れないほどの献策を行い、無数の戦を勝利に導いてきた彼は、国の政治の頂点たる丞相に任命された。
さらに項羽は、『亜父』という、特別な尊号を范増に贈った。
『亜』とは、『次ぐもの』。
すなわち『亜父』は、『父の次に尊敬している人』という意味になる。
儒教的価値観の根強い古代中国において、父親は、この世の誰よりも尊敬すべき人だとされる。
その次ということは、他人に向ける敬意と親しみの表現として、最大級のものであると言えるだろう。
とりわけ、幼い頃に実父を失い、育ての親たる項梁をも亡くした項羽が、頼もしい知恵者范増に、どれほど深く思い入れていたことか。
その心情は、想像に難くない。
*
さて、軍事の長官たる司馬の職に任命されたのは、特に項羽の信頼厚い者たち。
鍾離昧、右司馬。
季布、左司馬。
龍沮、大司馬。
将軍職には、いずれ劣らぬ豪傑たち。
雍歯、右将軍。
丁公、左将軍。
劉存、後将軍。
于英、引戦将軍。
桓楚、大将軍。
虞子期も大将軍。
陳平は一郡の軍事責任者、都尉。
天子への諌言を専門とする諌議には、次の2名。
武渉、右諌議。
韓生、左諌議。
その他、こまごました任官・叙勲は、とても全て書ききれないほどだが……
ただ一人、『股くぐり』の韓信だけは、あいかわらず執戟郎(王の護衛)のままであった。
祝いの酒宴で皆が大いに盛り上がる中、韓信は物も言わず、舐めるように味気ない酒を啜っていた。
(つづく)
■次回予告■
西の辺境巴蜀へと左遷が決まり失意の劉邦。そのうえさらに范増は劉邦の動きを警戒し、咸陽に拘束せんと目論む。
針の筵から劉邦を脱出させるべく、知恵者たちが暗躍を始めた。張良・陳平の二大賢者が密かに仕掛ける新たな計略。果たして劉邦は新天地へと旅立てるのか?
次回「龍虎戦記」第二十一回
『亜父の居ぬ間に』
乞う、ご期待!