さて、それから数日後。
項羽は、新たな問題に頭を悩ませていた。
項羽は天下の諸侯を各国の王に封じたが、まだそのことを義帝(懐王)に報告していなかった。
さらに、以前に義帝へ使者を送って「都を郴州へ遷すように」と伝えたのだが、義帝はいまだに遷都を実行に移していなかったのだ。
項羽は大将たちを招集した。
「天下の諸侯を封じて、体制はすでに定まった。だが、義帝は彭城に居座っていて、いまだに都を遷しておられない。どうすればいいと思う?」
そこで陳平が進み出た。
「『天に2つの太陽は無く、民に2人の王は無い』という言葉があります。
覇王様は、すでに天下の君主におなりあそばしたのに、このうえまだ懐王の命など聞いていては、この世に2人の天子が存在する形になってしまいます。
最近、人民は、こう噂しているそうです。『家臣が主君を封じた。こんなことは過去にほとんど例がない』と。こんな状態では、天下を服従させることはできないでしょう。
私が思いますに、ここは地位と知恵を兼ね備えた賢人を派遣すべきです。
すなわち、范増様に大将数名をつけて彭城へ遣わし、義帝を説得させるのです。
そうして義帝を遠い僻地に移し、廃位させたも同然の形にすれば、覇王様こそが天下唯一の君主。この先、義帝の命を無視したとしても、人民が批判することは、なくなるでしょう」
項羽は、うなずいた。
「なるほど、もっともだ。
それじゃあ、亜父。桓楚・于英の2人を連れて彭城に行き、義帝に遷都のことを納得させてくれ。
その後で、彭城に新しい宮殿の造営も頼む。彭城は俺の故郷だから、いつかあそこに住みたいんだ」
というわけで、范増は彭城へ向かうことになった。
だが、その出発の日。見送りに出てきた項羽に、范増が言った。
「これより彭城へ行ってまいります。
しかし、一つ気がかりがございます。覇王様が、味方の大将たちの言葉に惑わされるのではないかと。
そこで、三ヶ条の諌言を用意した。覇王様、どうかよく心に留めて、片時も忘れぬようにしてくだされ」
項羽が眉を上げる。
「三ヶ条というと?」
范増は、1本ずつ指を立てながら述べた。
「第一に、決して咸陽を離れてはいけない。
咸陽は、古より都が建てられてきた伝統の地であり、千里に渡って肥沃な大地が広がっているうえ、天然の要害でもあります。これ以上に都に適した土地はありませぬ。
第二に、執戟郎の韓信を取り立てて用いなされ。
私が見るに、韓信は天下の元戎(大将軍)となるべき才覚を秘めている。しかし、まだ機会に恵まれておらぬのです。覇王様が韓信を取り立てなさったら、大将や兵卒たちを上手く指揮して、天下無敵の働きをするでしょう。
逆に、この男を用いるつもりがないなら、とにかく早く殺してしまいなさい。誰か他人に韓信が用いられたら、後々、大いなる災いを為すでしょうからな。
第三に、漢王劉邦をこの場所に留まらせなさい。絶対に漢中へ入らせてはいけません。
劉邦については、私が彭城から帰った後で、うまく対処いたしますので。
この三ヶ条、極めて肝要ですぞ。よいですか。片時も忘れてはいけませんぞ」
噛んで含めるように丁寧な諌言である。
項羽は、親の愛情を受けているような、くすぐったさを感じて、照れ隠しに苦笑した。
「早く行けよ、亜父。三ヶ条、ちゃんと覚えとくからさ」
かくして、范増たちは彭城へと旅立った。
この様子をじっと見ながら、心中ひそかに喜んでいる者がいた……陳平である。
*
次の日。
陳平は、項羽に表(主君に意見を述べる文書)を奉った。
その内容は、こうである。
『国家運営には財産の有効な運用が第一に重要であり、聖人は倹約を行動の根本といたします。
財産が有効に運用されていなければ、金銭が節度なく出し入れされ、計画性なく浪費されてしまうため、必ず財力が尽きて民に逃げられます。
また、きちんと倹約が為されていないときは、奢侈贅沢が日増しに酷くなり、倉庫の中身もみるみるうちに減っていき、民は人生を謳歌できなくなって、必ず国が滅びます。
覇王陛下は大いなる地位に登られて以来、天を敬うのと同じように、民を大切にしておられます。
しかし、もし節制をなさらなかったら、どうしてこの世を治めることができましょうか。
現在、諸侯は皆、咸陽に集合しております。
一諸侯ごとに3、4万を下らぬ兵馬を帯同しており、全てを合わせれば、とてつもない数になります。
はっきりした総数は不明ですが、少なく見積もっても、百万は下らないでしょう。
その大軍が莫大な物資を必要とするため、軍資金や食料が底をつきかけ、倉庫はほとんど空になろうとしております。
実例を挙げますと、一諸侯に支給する1日あたりの物資は、以下の通りです。
酒食25担(570kg)
羊15頭
猪20頭
大牛5頭
麦200斤(51kg)
燃料の柴40担(900kg)。
また、兵や官吏などは10万人を一単位として計算し、1人に1日あたり以下の量を支給します。
米2升(400立方cm)
料豆(大豆)2升
雑豆(その他の豆)1升(200立方cm)
飼い葉2束。
以上を全諸侯と全軍100万人分合計すると、その消費量は1日あたり、
酒300担
羊200頭
猪400頭
大牛100頭
麦4000斤
柴800担
米2万石
料豆2万石
雑豆1万石
飼い葉2万束。
このように、計り知れない量に達します。
臣は、まことに肝が冷える思いです。
早く諸侯を自分の国に帰らせなければ、咸陽の人民の生産量だけでは、とてもこの大軍を維持できないでしょう。
どうか聖裁(天子の判断)をくださいますよう、伏してお願い申し上げます』
項羽は、表文を読み終わって言った。
「陳平の意見は極めて良い。
天下の諸侯を長くここに住まわせていたら、大軍が毎日消費する物資で咸陽の民を悩ませてしまうな。
じゃあ、早いところ、それぞれの分国に帰らせよう」
項羽はすぐに触れを出し、『諸侯は、5日以内に出発して、それぞれの領国に帰るように』と指示した。
しかし、ただ一人、劉邦に対してだけは『しばらく咸陽に残るように』と下知した。
もちろん、范増の三ヶ条の諌言を守ってのことである。
*
これを聞いて、張良は眉を上げた。
「おっと。さすがに簡単には引っかかってくれないか」
張良は、次なる計を動かすべく、急いで劉邦の元を訪れた。
(つづく)