龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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二十二の中 いざ、新天地へ!

 

 

 劉邦らは漢中へ向けて歩みを進め、さらなる難所、金牛道へ入った。

 

 上を見れば断崖(だんがい)絶壁(ぜっぺき)、下を見れば地獄の谷底。この恐るべき桟道(さんどう)戦々(せんせん)恐々(きょうきょう)進みながら、劉邦は、ぼやいた。

「金牛道か……この道の、どこが金の牛なんだ?」

 

 そばにいた酈生(れきせい)が言う。

「それはですな、100年ほど昔の故事(こじ)に由来するのですよ。

 

 当時、(しん)恵王(けいおう)は、(しょく)の国を侵略しようと野望を抱き、攻撃を仕掛けておりました。

 しかし、そのころの()(しょく)の道は、今の10倍も(けわ)しかった。

 そのため大軍を送り込むことが難しく、そのうえ(しょく)には5人の無敵の力士がいたので、どうしても勝つことができませんでした。

 

 そこで(しん)恵王(けいおう)は一計を案じました。

 鉄を材料にして牛の像を5体作り、こんな(うわさ)をバラまいたのです。

 

『この鉄の牛は、黄金でできた(ふん)を毎日5斗(約10リットル)も出すのだ。(しん)がこれほど裕福で強大なのは、この黄金のおかげなのだ』と……

 

 (しょく)王は、この(うわさ)を信じ込み、鉄牛を盗み出す計画を立てました。

 例の5人の力士に命じて、(しょく)から(しん)へ通じる道を作らせ、その道を使って鉄の牛を運び込んだのです。

 

 しかし、もちろん黄金の(ふん)の話は嘘。

 

 その後、力士たちが死んでしまうと、(しん)恵王(けいおう)は軍隊を送って(しょく)を攻めました。

 皮肉にも、(しょく)の力士たちが作った道のおかげで、(しん)軍は簡単に攻め込むことができ、ついに(しょく)を滅ぼしてしまった。

 

 そのとき力士たちが作った道こそ、いま我らが進んでいる四川(しせん)()(しょく))の桟道(さんどう)

 それゆえここを『金牛道』と呼ぶのです」

 

 劉邦は、感心して溜め息をついた。

「へーえ。じゃあ、この桟道(さんどう)ができたおかげで、これでもずいぶん行き来が楽になったんだなあ」

 

 そんなことを話しながら、劉邦たちは、なんとか金牛道を突破した。

 

 ところがここで、張良が急に馬から()り、劉邦へ深く礼をした。

「ここまで漢王様をお送りして参りましたが、私は、ここでお(いとま)()いをいたしまして、祖国(かん)へ帰ろうと思います」

 

 劉邦は驚き、自分も馬から()りて張良の肩をつかんだ。

「そんな! 先生は、(かん)国を出発してからこっち、ずっと俺のそばにいて、いろんなことを教えてくれたじゃないですか。片時(かたとき)も離れてほしくない!

 先生に捨てられてしまったら、俺は一体、どうすりゃいいんだよお!」

 

 張良は、うれしげに頬を緩める。

「どうかお許しを。(かん)国に帰るとは申しましたが、本当は、漢王様のために3つの重大な仕事をしてくるのが目的なのです。

 

 1つ目は、項羽に()いて彭城(ほうじょう)遷都(せんと)させ、関中を空き家にして、いつか漢王様が王都を建てる土地とすること。

 2つ目は、天下の諸侯に()いて()に反乱させ、漢に帰順(きじゅん)させ、それによって項羽から西方を攻める戦力的余裕を削り取ること。

 3つ目は、漢を(おこ)して()を滅ぼすために必要な、大元帥(だいげんすい)の才を持つ人物を探し出し、漢王様に推薦(すいせん)することです。

 

 私は、この3つの仕事を()しとげたうえで、漢王様が侵攻して来られるのを咸陽(かんよう)でお待ちしております。

 どうか今は、何事も我慢(がまん)してくださいませ。漢中にいる期間は、そう長くはありません。長くとも3年、短ければ1、2年ほどで、必ず漢王様を東方へ帰還させてみせましょう」

 

 劉邦は、グッと奥歯を噛みしめ、やがて、うなずいた。

「先生の言うとおりになるなら、俺は、どんな苦しみを受けたって少しも(うら)んだりしないよ。

 でも先生、先生が大元帥(だいげんすい)の人を推薦(すいせん)して俺のところに送ったとしても、その人をどうやって見分けたらいい?」

 

 張良が、蕭何(しょうか)に目を向けた。

「ご心配なく。すでに私が手ずから割符を書き、その半分を蕭何(しょうか)殿にお渡ししてあります。残り半分の割符を大元帥(だいげんすい)となるべき人物に持たせますから、その人が蕭何(しょうか)殿のところに行けばすぐに分かります。

 よいですか、漢王様。出発前に私が申しあげたこと、どうか御心(おこころ)によく留めて、お忘れのないように」

 

 劉邦は涙を流し、張良の手を握った。

「分かったよ。先生も、絶対、絶対、よろしく頼むよ。

 ……あ、そうだ。もし東に帰って、俺の親父に会うことがあったら伝えてくれ。

 『劉邦は、自分からすすんで父母を捨てたわけじゃないぞ。項羽が約束を破ったうえに狂暴なので、しかたなく漢中へ行ったんだ。いつか東方に帰って、きっと親孝行するからな』って。

 よくよく伝えてくれよ。お願いします」

 

 張良は深く拝礼した。

(うけたまわ)りました。必ずお伝えしましょう」

 

 それから張良は、蕭何(しょうか)にも別れの挨拶(あいさつ)をし、耳元に口を寄せて、そっとささやいた。

蕭何(しょうか)殿、あとは頼みます。先日私が申しあげたことを守り、心を尽くして漢王様をお助けください。

 ()を打ち破る大元帥(だいげんすい)を探し出したら、割符を持たせてそちらへ送ります。割符を持った人物が来たら、なにとぞ気にかけてくださるように」

 

 蕭何(しょうか)が、力強くうなずいた。

「先生、ご安心あれ。こちらのことは、私に万事お任せを」

 

 こうして張良は、他の大将たちとも別れの挨拶(あいさつ)()わし、従者6、7騎のみを連れて、咸陽(かんよう)へと引き換えしていった。

 

 

   *

 

 

 ところが、その翌日。

 突然、隊列の後ろの方から、将兵たちの泣き叫ぶ声が聞こえてきた。

 

 何事(なにごと)か? と後ろを見れば、火炎が天を焦がし、黒煙が地を包み、劉邦軍の背後300里(120km)に渡って桟道(さんどう)が炎上しているではないか。

 

 劉邦は絶叫した。

「なんで道が燃えてるんだあ!?

 今あのへんにいるのは張良先生だけ……張良先生が放火したのか!? 先生、俺を(だま)したのか! 俺が東に帰れないようにしたんだな!?」

 

 軍勢の者たちも、声をそろえて張良を(うら)(ののし)り、大声で泣き叫んだ。

「ああ、俺たちは生きてる間は関中の外の人間となり、死んだあとは褒中(ほうちゅう)(漢中)の亡霊となる運命か! この桟道(さんどう)を修理して本国に帰るなんて、できるはずがない!」

 

 そこへ蕭何(しょうか)が走ってきて、劉邦に伝えた。

「違います! 漢王様、張良殿をお(うら)みなさいますな!

 昨日、別れの挨拶(あいさつ)をしたときに、桟道(さんどう)を焼くつもりだと張良殿から聞いたのです。

 

 張良殿が言うには、桟道(さんどう)を焼けば、大きな4つの利が得られると。

 1つは、項羽がこの話を聞けば、漢王様には東に帰ってくる意思がないのだと考え、用心しなくなるだろうということ。

 2つは、三秦(さんしん)王の章邯(しょうかん)司馬(しば)(きん)董翳(とうえい)も、どうせ攻めてこないだろうと油断して、(そな)えを(おこた)るということ。

 3つは、味方の将兵が、どこへも逃げられないと覚悟して、漢王様によく仕えるだろうということ。

 4つは、他の諸侯の間で戦争が起きても、隔離(かくり)されている我らの兵には影響が出ないということ。

 この4つの利がありますから、桟道(さんどう)は必ず焼くべし、と(おっしゃ)っていました。張良殿を(うら)んではいけません」

 

 劉邦は、これを聞くと喜んだ。

「そうだったのか。間違って子房(張良の(あざな))を(うら)んじゃった。じゃあ、早く先へ進もう」

 

 

   *

 

 

 かくして、大変な行軍(こうぐん)の末、ついに劉邦たち一行は漢中に到着した。

 

 劉邦は吉日(きちじつ)を選んで王位に()き、人民をよく治めて安心させた。

 そのため、漢の民衆は劉邦の人徳に感動し、一人残らず喜んで劉邦に服従した。

 

 また、正式に漢王となった劉邦は、ここまでついてきてくれた部下たちに、次々と官爵(かんしゃく)を与えていった。

 まず、蕭何(しょうか)は、丞相(じょうしょう)をさらに上回る臣下の最高位、相国(しょうこく)に。

 他にも曹参(そうさん)樊噲(はんかい)周勃(しゅうぼつ)灌嬰(かんえい)らに、ことごとく官爵(かんしゃく)(たまわ)った。

 

 劉邦は、有能な部下たちに支えられながら、懸命に政治に取り組んでいった。

 軍勢にはしっかりと恩賞を与え、広く賢人を募集し、食糧を(たくわ)え……

 

 そうして半年も過ぎた頃には、国中(くにじゅう)よく治まって、誰もが太平を楽しむようになっていた。

 道に落ちた物を誰もネコババせず、盗賊が出ないから夜になっても戸を閉ざさず、行きかう人々は親切に道を譲りあい、五穀は豊かに実り、喜び歌う声が家々から響き出る。

 理想郷のような光景が、漢中に広がっていたのだった。

 

 

(つづく)




●注釈
(1)
 劉邦たちが(しょく)桟道(さんどう)を越えるシーンは、「通俗漢楚軍団」「西漢通俗演義」ともに、地理的な矛盾点が見られる。
 まず咸陽(かんよう)から桟道(さんどう)を越えた先にあるのが漢中。そこからさらに別の桟道(さんどう)を越えると()(しょく)にたどり着く。
 作中に登場した「金牛道」は、漢中と()(しょく)を繋ぐ桟道(さんどう)の名である。よって、金牛道を越えた後で漢中に到着しているのは、どう考えてもおかしい。
 金牛道には、作中で酈生(れきせい)が説明していた有名な逸話がある。これを話にからめるために、地理関係を少し歪めて書いたのだろうか。意図は不明であるが、例によって「通俗漢楚軍団」の記述を尊重し、そのまま記した。
 なお、金牛道は現在観光地となっている。筆者も一度行ってみたい。

(2)
 蕭何(しょうか)がこの時点で相国(しょうこく)に任じられているが、史実では、この頃の蕭何(しょうか)はまだ丞相(じょうしょう)である。
 これより何年も後、漢を揺るがす大規模な反乱計画を未然に防いだ功績によって、蕭何(しょうか)相国(しょうこく)に任命される。しかし「通俗漢楚軍談」では、このタイミングで蕭何(しょうか)相国(しょうこく)になっている。本作では、例によって「軍談」の記述を尊重した。
 漢王朝400年の歴史の中で相国(しょうこく)の位を(まっと)うした者は蕭何(しょうか)曹参(そうさん)の2名のみ。他にも呂産という者と、三国志で有名な董卓(とうたく)相国(しょうこく)に就任しているが、どちらも直後に殺害され政権から排除されている。
 実質的には建国の功臣である蕭何(しょうか)曹参(そうさん)のみに許された、別格的名誉の官爵(かんしゃく)だったようだ。
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