龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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二十四の上 千里の麒驥、伯楽に遇う

 

 

 張良が仕掛けた工作は、ものの見事に成功し、項羽は(みずか)彭城(ほうじょう)への遷都(せんと)に取りくみはじめた。

 これで第一の計、項羽を咸陽(かんよう)から引き離すことは、ひとまず達成である。

 

 となれば、すぐに次の仕事に取りかからねばならない。第二の計は、大元帥(だいげんすい)の才能を秘めた人物を劉邦の味方に引き込むこと。

 その人物は、もう目星(めぼし)がついている。

 

 

   *

 

 

 月明かりの(まぶ)しい、ある夜。

 張良は、執戟郎(しつげきろう)韓信の陣を(たず)ねていった。

 その手には、1振りの剣が握られてる。以前、劉邦軍が(しん)に踏み込んだ時に、宮殿の宝物庫から持ち出された宝剣である。

 

 さて、韓信が率いる部隊は、ごく少数。ゆえにその陣も規模は小さい。

 とは言っても陣は陣。陣門のところには、門番の兵が立っている。

 

 張良は、門番へ丁寧(ていねい)に礼をした。

「私は淮陰(わいいん)の出身で、韓信様と同郷の友人でございます。韓信様とお会いしたくて、やってまいりました。

 なにとぞ、お取り次ぎを」

 

 もちろん、これは嘘八百。

 

 そうとは知らない門番は、このことを急いで韓信に伝えた。

 しかし当然ながら、韓信は深く怪しんだ。

「『同郷の友』だと?

 私が淮陰(わいいん)()たとき、極めて貧乏で、身分も低かったから、交際していた友達なんて一人もいなかった。どうも妙だな」

 

 韓信が考え込んでいると、建物の外に人の影が現れた。

 月光に照らされ、ぼんやりと浮かび上がる姿を見れば……その人物の顔に、見覚えがある。

 

 韓信は、その人物――張良を建物の中へ迎え入れた。

 張良に座を(すす)め、自分も対面して座って、問う。

 

「あなたは、一体どなたかな? なぜ私に会いたいなどと(おっしゃ)る?」

 

 張良は薄く微笑(びしょう)する。

「ご不審(ふしん)に思われるのも無理はありません。

 私は、韓信様と同郷の者。しかし幼い頃に故郷を離れ、ずっと外国で暮らしていたのです。韓信様がご存知(ぞんじ)ないのは、そのためです。

 

 ところで、私の家には先祖代々うけつがれてきた3振りの宝剣がございます。いずれも(まこと)に優れた逸品(いっぴん)、世にも(まれ)な宝です。

 

 私は、この宝を天下の英雄に役立てていただきたいと思い、あちこちを渡り歩いて、宝剣を持つにふさわしい人物を探し求めてきました。

 すでに2振りは、とある人物にお(ゆず)りしましたが、あと1振りが残っております。

 

 そこで……韓信様は私と同郷、しかも天下の英雄であると耳にして、この剣をお渡しするために参上したのです。

 今朝(けさ)も一度お(たず)ねしたのですが、韓信様がご不在でしたので、日が暮れてから改めて参った次第(しだい)

 

 この(つるぎ)、暗闇の中で黒き水に対すれば蛟龍(こうりゅう)(龍の幼生)をも泣かせ、ひそかに深き山に(もぐ)れば悪鬼悪霊をも驚かす。

 秘蔵されること10万年、価値は数千金という代物(しろもの)

 天下の英雄に出会ったときは、剣が、みずから声を発するといいます。

 

 なに、売りつけて(もう)けようというつもりではありません。

 物品は、それぞれ、ふさわしい(あるじ)の手に渡ってこそ()きるもの。

 韓信様がこの剣を握れば、天下を制することさえできましょう」

 

 見えすいたお世辞(せじ)、と分かってはいたが、韓信は張良の言葉を素直に喜んだ。

 韓信は身を乗り出し、張良に顔を寄せる。

 

「私は、()に仕えてはいても、人に知られるほど有名ではない。そんな私の所へ、それほどの宝剣を持ってきてくださるとはね。

 興味がありますな。ぜひ、その剣を見せていただきたい」

 

 張良が、持参の宝剣を差し出した。

 韓信がそれを手に取り、(さや)から抜きはなって燈火(ともしび)に照らしてみれば……なるほど。刀身(とうしん)から発する剣気は(くう)()き、(しも)の如き()(さき)は天の北斗を鋭く射抜(いぬ)く。

 見惚(みと)れるように美しい剣である。

 

 よく見れば、(さや)の上に、小さな文字で詩が書きつけられている。その詩の内容は、こうだ。

 

 

  (きみ)()ずや

  昆吾(こんご)鉄冶(てつや)炎烟(えんいん)を飛ばす

  紅光(こうこう)紫気(しき)、まことに赫然(かくぜん)

  良工(りょうこう)鍛錬(たんれん)幾年(いくとせ)をか()

  宝剣(ほうけん)鋳成(いな)して龍泉(りゅうせん)()

  龍泉(りゅうせん)顔色(がんしょく)霜雪(そうせつ)の如し

  良工(りょうこう)咨嗟(しさ)奇絶(きぜつ)なりと嘆ず

  琉璃(りゅうり)宝匣(ほうこう)氷花(ひょうか)を吐き

  金環(きんかん)(まじ)(ちりば)めて明月(めいげつ)(しょう)

  まさに天下の風塵(ふうじん)を起こすに()

  喜び得たり、(あまね)く君子の身を(まも)ることを

  精光(せいこう)黯黯(あんあん)青蛇(せいじゃ)の色

  文章(ぶんしょう)片片(へんぺん)龍鱗(りゅうりん)(ひるがえ)

  いずくんぞ(とも)遊侠(ゆうきょう)()と交結せんや

  従来親近(しんきん)す、英雄の人

  (いず)れの年か、中道に捐棄(えんき)せられて

  淪落(りんらく)飄零(ひょうれい)す、古岳(こがく)の辺

  ()(なか)れ、(はこ)(ぞう)して(もち)いる所なしと

  なお()夜夜(よよ)に、気、天に(ちゅう)する

 

 

 韓信は、(つね)日頃(ひごろ)から刀剣(とうけん)を愛好していた。

 そんな韓信の心を、この見事な宝剣は強烈に()きつけた。たちまち「欲しい」という気持ちで胸がいっぱいになったが、韓信には、このような逸品(いっぴん)を買えるほどの財力がない。

 

 韓信は、どうにかしてこの剣を手に入れられないものかと思い、探りをかけはじめた。

「あなたは、すでに2振りの剣を売ったそうですね。代価は、いかほど取りなさったのか?」

 

 張良は、韓信の心が動いたのを見て、わずかに目を細めた。

「さきほど申し上げた通り、まず相手の人物を見極(みきわ)め、次に剣をお売りするのです。

 代金の大小など問題ではありません。ふさわしい人物がいたときは、無償で剣をお(おく)りしてきました。

 

 今夜も私は、韓信様が天下の英雄であると聞いて、それが本当かどうか確かめに来たのですよ。

 そして、期待通りのお(かた)であった……あなたこそ、この宝剣の(まこと)(あるじ)です」

 

 韓信は、戸惑(とまど)いながら言う。

「そうまで言ってくださるのは、ありがたいが……おそらく私は、あなたが考えているほどの人物ではないよ」

 

 張良が、じっと韓信の目を(のぞ)きこむ。

「ふさわしい人物でないのなら、千金を積まれたとて売りはしません。

 この宝剣は、あなたのものです。お受け取りください」

 

 韓信は限りなく喜んだ。

 すばらしい剣を()た、というだけではない。無名の小役人に過ぎない自分のことを、こうまで高く評価してくれる。その言葉が、賞賛(しょうさん)()えた韓信には、ただただ嬉しかったのである。

 

 韓信は、酒宴(しゅえん)(もう)けて、張良をもてなした。

 酒を()みかわしながら、韓信が問う。

「ところで、この剣に(めい)はあるのですか」

 

 張良が、うなずく。

「3振りそれぞれ(めい)がございます。

 一つは、天子の剣『白虹(はっこう)紫電(しでん)』。

 一つは、宰相の剣『龍泉(りゅうせん)太阿(たいあ)』。

 そして韓信様がお持ちのそれが、元戎(げんじゅう)(将軍)の剣『干将(かんしょう)莫邪(ばくや)』。

 それぞれ8つの大切な素養、すなわち八徳を(そな)えた人物でなければ、この剣を()くことはできません」

 

 韓信が眉を動かす。

「ほう。天子の八徳とは?」

(じん)(こう)(そう)(めい)(けい)(ごう)(けん)(がく)。この8つです」

 

「では、宰相の剣にも八徳があるのですか」

「ええ。(ちゅう)(せい)(めい)(べん)(じょ)(よう)(かん)(こう)です」

 

「天子の剣にも宰相の剣にも八徳があるのか。それなら、この元戎(げんじゅう)の剣は、どうです?」

(れん)()()(しん)(じん)(ゆう)(げん)(めい)、でございます」

 

 韓信は、剣をあらためて見つめ、うっとりと溜め息をついた。

「この剣は、まさに天下の至宝だ……

 天子の剣と宰相の剣は、誰にお売りになったのかな」

 

 張良が答える。

「天子の剣は、漢王に先日(ほう)ぜられた、豊沛(ほうはい)の劉邦公にお売りしました」

 

 と、韓信が不意に目をギラつかせた。

「ふうん……?」

 

 

(つづく)




●注釈
 張良が韓信に語って聞かせた3振りの剣の名は、いずれも中国の伝説的名剣から借用されている。
 まず、天子の剣『白虹(はっこう)紫電(しでん)』。「古今注・輿服第一」に、以下のように記されている。
()の大皇帝(三国時代の君主孫権(そんけん))は、宝刀3振りと宝剣6振りを持っていた。宝剣6振りの名は以下の通り。一、白虹。二、紫電。三、辟邪(へきじゃ)。四、流星。五、青冥。六、百里。刀の名は以下の通り。一、百鏈(ひゃくれん)。二、青犢(せいとく)。三、漏景(ろうけい)
 次に、宰相の剣『龍泉(りゅうせん)太阿(たいあ)』。「晋書・張華伝」に、次のような記述がある。
『牢獄の基礎部分を掘ったところ、地下4丈余りまで掘ったところで一つの石の箱が現れた。箱は尋常ではない光気を放っており、中に2振りの剣が入っていた。どちらの剣にも名が刻まれていた。一つは龍泉(りゅうせん)、もう一つは太阿(たいあ)である』
 最後に元戎(げんじゅう)の剣『干将(かんしょう)莫邪(ばくや)』。この剣に関する記述は「呉越春秋・闔閭(こうりょ)内伝第四」や「捜神記・巻十一」など、いくつもの書物に見られる。
 長くなるので直接の引用は避け、話の概要のみ紹介する。昔、()闔閭(こうりょ)が、腕のいい刀工に2振りの剣を作るよう命じた。その刀工の名が干将(かんしょう)、刀工の妻が莫耶(ばくや)干将(かんしょう)は最高の材料を揃えて制作に取り組んだが、どういうわけか鉄が上手く融けず、制作に行きづまってしまった。
 ここで干将(かんしょう)は、あることを思い出した。かつて、干将(かんしょう)に刀剣作りを教えてくれた師が同じように行きづまったとき、師匠夫婦が炉に身投げしたところ、たちまち鉄が融け始めたのだ。
 その話を聞いた莫耶(ばくや)は「それなら簡単です」と言い、自分の髪と爪を切って炉に投げ入れた。すると見事に鉄が融け、すばらしい名剣が完成した。
 この時できた2振りの剣に、干将(かんしょう)は自分たち夫婦の名をつけた。すなわち陽の剣『干将(かんしょう)』と、陰の剣『莫耶(ばくや)』である。
 「捜神記」では妻の名が『莫邪(ばくや)』となっているほか、()ではなく()に舞台が変更されている。さらに、剣の完成後に干将(かんしょう)が王の怒りを買って誅殺(ちゅうさつ)され、その息子が干将(かんしょう)の剣を用いて命がけの復讐を成し遂げる、という話に脚色されている。
 以上のように、3振りの剣の名は、それぞれ名剣2振りを組み合わせたものになっている。しかし、干将(かんしょう)莫耶(ばくや)はともかく、孫権(そんけん)張華(ちょうか)は作中より400~500年も未来の人物である。そんな未来の剣の名前が引用されているのは、もちろん時代考証的には全くおかしい。しかし、例によって「西漢通俗演義」と「通俗漢楚軍談」の記述を尊重してそのまま記した。
 なお、(さや)に書かれていた漢詩は、「演義」には存在しない。「軍談」のみに存在する記述である。「演義」の非常に忠実な和訳を心がけて書かれた「軍談」において、こういうことは珍しい。「軍談」作者の夢梅軒章峰による創作であろうか?
 本文中では外清内ダクによる書き下し文を載せたが、ここには「軍談」に書かれた漢詩を白文で紹介しておきたい。
  君不見
  昆吾鉄冶飛炎烟
  紅光紫気真赫然
  良工鍛錬経幾年
  鋳成宝剣噴龍泉
  龍泉顔色如霜雪
  良工咨嗟嘆奇絶
  琉璃宝匣吐氷花
  錯鏤金環生明月
  正逢天下起風塵
  喜得周防君子身
  精光黯黯青蛇色
  文章片片飄龍鱗
  悪興交結遊侠子
  従来親近英雄人
  何年中道遭捐棄
  淪落飄零古岳邊
  莫道匣蔵無所用
  猶能夜夜気冲天
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