龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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二十四の下 千里の麒驥、伯楽に遇う

 

 

 韓信が、からかうような口ぶりで言う。

「あなたが宝剣を(たく)すほどの人物とはね。漢王に、それほどの徳がありますか」

 

 対する張良は、あくまでにこやか。

「漢王には、(いん)の開祖、成湯(せいとう)(おう)湯王(とうおう))に匹敵するほどの大いなる徳がございますよ。

 人相は隆準(りゅうせつ)龍顔(りゅうがん)(まこと)に高貴。

 (しん)に入ったその夜には天に五星が集結しましたし、白き大蛇の母なる神が『彼は赤帝(せきてい)の子だ』と叫びもしました。

 

 その芒蕩山(ぼうとうざん)の白蛇を斬ったのも、私がお(ゆず)りした天子の剣でお斬りあそばしたのですよ」

 

 大嘘である。劉邦が芒蕩山(ぼうとうざん)で白蛇を斬ったとき、張良はまだ劉邦と出会ってもいない。劉邦が聞いたら目を丸くするだろう。

 

 それを知ってか知らずか、韓信が小さく笑い声を()らす。

「ふっ……さようか。

 では、宰相の剣は誰にお売りになった?」

 

(はい)県の蕭何(しょうか)殿に」

 

「その人には、どういう()()()()があるのかな?」

 

蕭何(しょうか)殿は、天運に導かれし君主を補佐(ほさ)する元勲(げんくん)(功労者)となるべきお(かた)

 軍隊を用いず、ただ仁義によって法を簡略化し、民を救う。宰相の素質を持った人物です」

 

 ここまで聞いて、韓信は声高(こわだか)に笑いだした。

 笑わないよう我慢(がまん)していたのだが、とうとう(こら)えきれなくなった、という風である。

 

「あっはははは!

 そうですか。なるほどなるほど。劉邦に蕭何(しょうか)ね。

 まあ、天子の剣については、ふさわしい持ち主を見つけなさったと思いますよ。

 

 しかし、よりにもよって、この私に元戎(げんじゅう)の剣を売ろうとは。

 私は無名の小物(こもの)。大将にふさわしい徳など無い。剣に名前負けしてしまいますよ」

 

 張良は、ここで初めて、韓信へ身を乗り出した。

韜晦(とうかい)(真の力を隠すこと)は、もうお()めなさい。

 韓信様が胸の中に抱いておられる軍略は、(いにしえ)孫子(そんし)呉子(ごし)にも(まさ)るもの。

 しかし、いまだに良い主君に出会っておられないのです。

 

 1日に千里を駆ける名馬でも、伯楽(はくらく)(馬を見極(みきわ)める目利(めき)き)に出会えなければ、狭い馬小屋に押し込められ、奴隷の手でいいように扱われてしまう。

 これでは普通の馬と同じ程度の働きしかできない。

 

 しかし、もし一度(ひとたび)、確かな見る目を持った伯楽(はくらく)に出会ったら?

 馬はたちまち千里を駆ける麒驥(きき)駿馬(しゅんめ))となる。絶塵(ぜつじん)逐電(ちくでん)(ちり)さえ立てず(いかづち)()い走ること天下無双でございます。

 

 それゆえ、古代の人も『北に向って一声(ひとこえ)(いなな)けば天の彼方(かなた)まで駆けて行く。風に向かって斜めに構え、太陽の元から駆け戻る』と言いました。

 

 韓信様は、これまで他人の後ろに付き従うばかりで、良い主君に出会えなかった。

 だから、あなたが元戎(げんじゅう)の才能を秘めていることに、人々が気づかないのです。

 

 もし良い主君の元で働けば。あなたの計が用いられれば。あなたの言葉に従って国が動けば。

 あなたは風や雲の流れさえ変え、天地をも揺り動かし、座ったままで中原(ちゅうげん)(中国中心部)を鎮圧(ちんあつ)し、9代先の子孫まで続く栄誉を受けることができましょう。

 

 (くらい)人臣(じんしん)を極めるとはこのこと……どうして今のように平々凡々としておられましょうか」

 

 韓信は、深く深く溜め息をついた。

 韓信の心は、しきりに揺れ動いていた。これまで他人にはほとんど認められてこなかったが、己の能力に対しては揺るぎない自信を抱いている韓信だったのだ。

 

 韓信は言う。

「あなたの言葉は、さながら肝臓(かんぞう)胆嚢(たんのう)を照らし出すかのように、私の心を言い当てている。

 

 そう、あなたの(おっしゃ)る通りだ。

 ()に仕えてずいぶんになるが、私の(はかりごと)は一つたりとも用いられず、進言は(ことごと)却下(きゃっか)されてきた。

 

 最近も、何度となく遷都(せんと)をやめるよう(いさ)めたのだが、項羽はついに用いなかった。

 項羽は、范増(はんぞう)と季布を派遣(はけん)して、彭城(ほうじょう)に新しい(みやこ)を建設させている。

 

 これでもう、項羽の敗北は決まったようなものだ。

 そういうわけで、負け(いくさ)に巻き込まれる前に、さっさと逃げて故郷に帰ろうかと思ってね」

 

 張良が言う。

「韓信様。あなたの考えは間違(まちが)っている。

 『良い猛禽(もうきん)は木を選んで()み、賢い臣は(あるじ)を選んで補佐する』という言葉があります。

 あなたほどの大きな才能を、淮陰(わいいん)(いち)漁師(りょうし)などで終わらせてよいものですか」

 

 韓信は苦笑した。

「……で、漢王劉邦に仕えよ、と言うのだね?

 (かん)国の張子房殿」

 

 張良は、口許(くちもと)に笑みを浮かべ、立ち上がった。張良が、改めて丁重に礼をする。

「さすが、見抜(みぬ)かれてしまいましたか。そう、私が(かん)国の張良です」

 

 韓信は声を上げて笑う。

「あなたの言葉は、まことによく人の心を動かす。

 張良先生は、まさしく人間社会に(まぎ)れこんだ龍……人中(じんちゅう)の龍でいらっしゃるな。

 

 よいでしょう。項羽の元を去り、漢王陛下のところへ参ろう。

 そちらで何か計画があるなら(うかが)っておきたいが?」

 

 張良は、うなずいた。

「よくぞご決断くださった。

 漢王劉邦様は、心が広く、仁愛を大切にする立派なお(かた)。いまは漢中に身を屈しておられますが、最後には大事業を成しとげるでしょう。

 さて、漢王様の元へ行かれるなら、これをお渡ししておきましょう」

 

 張良は、(ふところ)から、厳重に封印された紙包みを取り出した。

「先日、漢王様と別れたとき、蕭何(しょうか)殿と約束をしました。

 『()を打ち破る大元帥(だいげんすい)を見つけたら、この割符(わりふ)を持たせてそちらへ向かわせます』とね。

 

 これが、その割符(わりふ)です。もう半分は蕭何(しょうか)殿が持っております。

 これを持参なされば、蕭何(しょうか)殿が全て便宜(べんぎ)(はか)ってくださるでしょう。()くさないでくださいね」

 

 韓信は割符(わりふ)を受け取り、手の中で(もてあそ)びながら(たず)ねた。

「なるほど、念入(ねんい)りなことだ。

 しかし、(しょく)桟道(さんどう)は、張良先生が焼き払ってしまったのでしょう。

 私はどうやって漢中へ入ればよいのです?」

 

 張良は、今度は袋の中から地図を取り出した。

「実は、別の道があるのです。この図をごらんください。

 まず山際(やまぎわ)の小道から斜岔(しゃた)を経由して陳倉(ちんそう)に入り、孤雲(こうん)(れい)両脚(りょうきゃく)(さん)を回り込んで鶏頭(けいとう)(ざん)に出、そこから漢中に(くだ)る。

 この経路ですと、通常より200里(80km)ほど近道になります。

 

 韓信殿がいつか軍勢を起こして打って出るときには、逆に、この道から(しん)に入って、まず三秦(さんしん)を占領なさいませ。

 

 この道を知る者は、数少ない。我らの戦略の(かなめ)となる道です。

 韓信殿、よくよく心中(しんちゅう)に隠し、他人には知らせないように」

 

 韓信が、うなずく。

無論(むろん)、誰にも教えませんよ。

 張良先生の方は、これからどうなさるおつもりか?」

 

「私は、こちらに残って、もうすこし仕事をしておこうと思います。

 項羽が(みやこ)(うつ)そうとしている今が好機だ。

 

 名高い説客(せっかく)蘇秦(そしん)のように、諸侯に遊説(ゆうぜい)(各地を旅して策を()くこと)して、()に対して謀反(むほん)を起こさせます。

 そうすれば、項羽は東方での戦いに戦力を奪われ、西方に向かう余裕を失うでしょう。

 

 その間に、韓信殿は漢中で人馬を(きた)え、十分(じゅうぶん)に準備が整ったところで三秦(さんしん)を攻め取り、関中を平定してください。

 そして、最終的には天下を手中に収めるのです」

 

 

   *

 

 

 その夜、張良は韓信の陣に泊まりこみ、夜を(てっ)して綿密(めんみつ)に計略を議論した。

 

 翌朝、張良が立ち去ると、韓信は、てきぱきと旅行の準備を始めた。

 そして周囲の人々には、「故郷の淮陰(わいいん)に帰り、親しい人々に会おうと思うのだ」と、何食(なにく)わぬ顔で()れまわったのだった。

 

 

(巻五へ、つづく)

 

 

 

 

 

■次回予告■

 

 王命を受け遷都(せんと)を進める苦悩の范増(はんぞう)。帝を帝とも思わぬ項羽の勝手な要求に、義帝は怒りを爆発させる。

 思い上がる覇王。力無き義帝。一度割れた君臣の縁は二度と元には戻せない。のっぴきならぬまでに不和深まるその時、項羽は恐るべき暴挙に出る。

 

 次回「龍虎戦記」第二十五回

 『さあ陛下(へいか)龍宮(りゅうぐう)(じょう)へ行きましょう』

 

 ()う、ご期待!

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