覇王項羽は、人々の諌言に耳を貸さず、故郷彭城への遷都を実行に移し始めた。
まずは彭城にいる范増へ使者を送り、
「早く義帝に郴州へ御幸(天子が移動すること)していただけ」
と、責めるように催促した。
以前に諌言した通り、范増は遷都に反対である。
しかし臣下として、君主からの命令に背くわけにもいかない。
范増は、苦渋の思いで義帝に謁見し、郴州へ行幸(御幸と同義)するよう願い出た。
対する義帝の表情は、固い。
今は亡き項梁に擁立されて楚王の位についたとき、義帝は13歳であった。
あれから2年……15歳の青年となった義帝は、勝手極まる項羽の要求にきちんと怒れるだけの自我を、すでに芽生えさせていたのだ。
義帝は、玉座から范増を刺すように見下ろした。
「范増よ」
「……は」
「古より、主君とは命令を出す者だ。
そして臣とは、主君の命令を受け取って、それを下々へ通達する者だ。
かつて項羽は朕を立てて主君とし、天下の人々の願望を実現した。それゆえに各地の諸侯が先を争って傘下に加わり、ついに秦を滅ぼすことができたのだ。
朕は以前に約束したな? 『先に関中に入った者を王とする』と。
だが項羽はその約束に背いて自分が王となったばかりか、勝手放題に政治を動かし、あまつさえ朕を遠い郴州などへ流そうとしている。
最初は朕の下にいたのに、今は朕の上に立とうとしている。
これでは、頭に履をかぶり、足に冠をはくようなもの。まったくもって人臣の礼を失する行為だ。
范増。
汝は項羽の亜父だろう。父なら息子の過ちを、言い争ってでも諌めて正すべきではないのか!
それなのに、のこのこ朕の元へ来て『ここから立ち退け』などと言う。
まるで夏王朝を滅ぼした桀王の悪事を手助けするかのようだ。
范増、自分の行いが恥ずかしくはないか!?」
范増は、乾ききった老体を、折りたたむように小さくして、地に拝伏した。
「恥ずかしゅうございます。情けのうございます。
しかし、臣がしきりに諌めても、覇王は全く耳を貸しません。
それどころか、季布を遣わして、催促までしてまいりました。
日時を決めて咸陽を出発し、すぐにでも彭城へ都を遷そうと考えているようです。
私は……板挟みでございます。
ただ、覇王の命じるままに動くことしかできませぬ……」
義帝は憤懣やるかたなく、吐き捨てるように言った。
「つまり、汝は主君に媚びへつらうだけの小人ということだな。
正しき道を貫いて主君に仕える大臣の器ではない」
痛烈。あまりにも痛烈な批判。
だが范増は、一言も言い返すことができなかった。
義帝に指摘されるまでもなく、他ならぬ范増自身が、同じ言葉で自分を責め続けていたからである。
*
結局、范増は何もできないまま、咸陽へ早馬を飛ばした。
『どれほど申し上げても、義帝は決して彭城を離れようとなさいません』
この報告を受けた項羽は、いつものように激怒した。
「義帝なんか、もともとは、ただのガキだった!
それを俺と項梁叔父上が立てて君主にしてやったんだぞ!
それなのに俺の言うことを聞かないなんて……!
そうか。義帝は、劉邦と心を合わせて俺を殺そうと企んでるんだな!?
恩を仇で返しやがって……早くなんとかしないと、後で大変なことになるぞ」
項羽は、九江王の英布、衡山王の呉芮、臨江王の共敖を呼び出し、こう命じた。
「お前たち、兵を率いて東方へ生き、長江の辺に伏兵して、義帝が来るのを待て。
俺は范増と季布に催促して、無理やりにでも義帝を郴州へ移らせる。
義帝が長江を渡ろうとしたとき、お前たちは出迎えのフリをして近づき、義帝を斬殺して長江に沈めろ。
その後は『大風によって義帝の舟が転覆してしまった』と触れ回って、天下の人々が批判するのを防ぐんだ」
そして項羽は、義帝へ表を送った。
その内容は――
『西楚の覇王、臣項籍(項羽)、稽首頓首して申し上げる。
これまでのことを思い返してみれば、私は陛下から命を承って秦を打ち破り、咸陽に入り、秦王子嬰に首を差し出させました。
その後、国の法律を改正し、陛下を仰ぎ尊んで義帝といたしました。これは、天下の真の主です。
しかし、彭城は南北の道が合流する要衝で、武力を用いるにこそ適した土地です。
陛下がお住まいになるには、まったくふさわしくありません。
対して、郴州は湖南地方の郡。左に洞庭湖あり、右に彭蠡湖あり。山も川も秀麗な、まさに帝王の都です。
陛下には、そちらへ御幸なさって、天下をのんびりと眺め見ていただきたい。
今、つまらない連中がつまらないことを言って、陛下が私のお願いに従わないよう仕向け、主君と臣下がお互い疑いあうような状況に落とし入れようとしています。
一方、郴州の住民たちは、陛下のお車を歓迎しようと、酒や食べ物を用意し、道を塞ぐほどに大勢あつまって、一日中お待ちしているのです。その費用だけでも、一日に1万金を下回らないほどです。
民の上に立つ天子として、これをどう思われますか。
以上、陛下の忠実な臣下である項籍が、再び上書して申し上げました。どうか速やかにご判断ください。この思い、耐えがたいまでに激烈です』
*
義帝は、項羽からの表文を読み終えると、苦しげな表情を左右の臣に向けた。
「項羽は、とにかく早く郴州へ移れと言ってきている。これは完全に人臣の礼に反する行為だ。
だが彭城にこれ以上長く留まっていたら、おそらく大変な事態が起きるだろう。
もはや、どうしようもない。郴州へ出発するしかないな……」
かくして、義帝は日時を定め、郴州へ向けて旅立った。
その途中、彭城の人民が道に現れ、地に拝伏した。
「義帝陛下。あなた様がこの地にいらっしゃった数年間、村々は平和で、身分が高い者から低い者まで皆仲良く暮らすことができました。
陛下は、まことに徳のある君主でいらっしゃいます。
このたび郴州へお遷りになると聞きました。またいつの日にか、陛下のご尊顔を拝見いたしとうございます」
そう言って、民衆は義帝との別れを恋々と惜しんだ。
「そうか……そう言ってくれるか」
義帝の目から涙がこぼれた。嬉し涙も悔し涙も混ざりあい、止めどなく、止めどなく、流れ続けた。
楚王の末裔に生まれながら、奴隷となって不遇の少年期を過ごした義帝。
そんな彼が、一つ一つ手探りで手の届く範囲に精一杯の善政を敷いてきた。その成果が今、民衆の言葉となり、義帝の胸を満たしてくれているのであった。
*
しばらく道を進み、義帝一行は長江の岸辺にやってきた。
そこで長江を渡るべく舟に乗り込んだが、折悪しく、強風が吹いて水面に白波が立ち始めた。
風はどんどん強くなり、ついに舟の帆柱が折れてしまった。
しかたなく義帝一行は岸辺に舟を留め、今夜一晩は風が収まるのを待つことにした。
その夜、義帝は夢を見た……
夢の中で、義帝は龍舟(舟首に龍の飾りをつけた舟)の上に立っていた。
周囲を見ると、神々しく五色に輝くめでたい雲が、厚く立ち込めて舟の周りを覆っている。
さらには香しい風が流れてきて、この世のものとは思えぬような音楽が、どこからともなく聞こえはじめた。
そのとき、
「陛下」
突然、義帝は背後から声をかけられた。
驚いて振り返れば、2人の金童と1人の玉女が舟の上に立っている。
金童玉女とは、仙人に仕える少年少女のこと。いずれも、息を飲むほどに神秘的な美男美女である。
玉女が、鈴の鳴るような美声で、ささやいた。
「さあ陛下、龍宮城へ行きましょう。
陛下にご挨拶するため、龍宮の百官がお待ちしております」
(つづく)