龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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二十六の下 逃げよ、韓信

 

 

 咸陽(かんよう)と漢中の(さかい)には、数多くの関所(せきしょ)がある。

 范増(はんぞう)が、劉邦の反乱を警戒して設置したものである。

 

 あちこちの要害(ようがい)に配置された部隊が、日夜(にちや)(おこた)らずに外敵の侵入に目を光らせている。

 この関所(せきしょ)が、内から出奔(しゅっぽん)しようとする韓信にとっても壁となって立ちふさがった。

 

 韓信が安平(あんへい)(かん)という関所(せきしょ)まで来ると、(あん)(じょう)、防衛部隊の兵士が、韓信の()()(はば)んだ。

「お待ちなさい! 貴公、どこへお行きなさる?」

 

「ん」

 韓信は、陳平(ちんぺい)から(もら)った批文(ひぶん)(通行許可証)を出して番兵に見せた。

 

 番兵は、批文(ひぶん)を見ると、(かん)を守る大将を呼んできた。

 大将は批文(ひぶん)を確認して言う。

「なるほど、確かに批文(ひぶん)はお持ちですな。

 しかし韓信殿、ただ一騎でお()しとは、一体どういうわけで?」

 

 韓信は、悪びれる素振(そぶ)りさえなく、平然と嘘をついた。

「覇王様の命令で、三秦(さんしん)密命(みつめい)を伝えに行くところなのだ。それで、()()()いで馬を走らせてきたのだ。

 もうよいな? 私は行くぞ」

 

 韓信は、やや強引に馬を進ませた。

 

 (かん)の大将は、戸惑(とまど)った。

 従者も連れない一人旅というのは、変といえば変だ。だが正規の批文(ひぶん)は持っているし、何より、覇王の命令を邪魔すると後が怖い……

 

 結局、(かん)の大将は、関門(かんもん)を開くよう兵に(めい)じ、韓信の通行を許したのだった。

 

 

   *

 

 

 一方そのころ。

 咸陽(かんよう)の陣門の門番が、ようやく韓信の言動を怪しみだした。

 

 韓信は「明日には帰る」と言って出ていった。しかし、それから数日が()とうというのに、まだ韓信は家に帰ってこない。

 これは何かおかしいのではないか? そう(いぶか)しんだ門番は、范増(はんぞう)の元へ報告を持って行った。

 

(こと)の起こりは、今から1ヶ月ほど前のこと。

 ある夜、怪しい人物が(たず)ねてきたのです。その人物は韓信の家に()まり、何か小声でずっと話しこんでおりました。

 その次の日から、韓信は旅行の用意をし始めました。

 

 そして、つい最近、韓信が「友人に会いに行く」と言い残して、ただ一騎で城を出て、西の方へ走っていきました。

 それから4日も()つというのに、まだ韓信は戻ってきません。ひょっとしたら、我が軍から逃走したのではないかと……」

 

 この報告を聞くや、范増(はんぞう)は顔色を変えた。

「いかん!

 だから以前、覇王に言ったのだ。『韓信を重用(ちょうよう)しなさい。もし使う気がないのなら、早く殺してしまいなさい』と。

 

 どちらも実行しないままグズグズしているから、ついに韓信が逃げ去ってしまった。

 漢王劉邦に仕えるために漢中へ向かったに違いない。

 

 ええい……また私の心中(しんちゅう)大病(たいびょう)が増えた!

 すぐに追いかけて捕らえなければ、安心して夜も寝られぬわ」

 

 范増(はんぞう)は、すぐに項羽に謁見(えっけん)して、このことを報告した。

 

 項羽は怒った。

「韓信だと! あの臆病者(おくびょうもの)! なんで俺に(そむ)いたんだ!」

 

 范増(はんぞう)が言う。

「私が、しきりに推薦(すいせん)したでしょう。韓信は極めて大きな才覚の持ち主です。

 しかし覇王陛下は韓信を(もち)いなかった。それゆえ、とうとう彼は逃げたのです。

 韓信は、漢王劉邦に仕えるつもりでしょう。いつか奴は覇王陛下に大きな災いをもたらしますぞ」

 

 項羽は、急いで鍾離昧(しょうりまい)を呼び、こう(めい)じた。

鍾離昧(しょうりまい)、お前は200騎ほど連れて、韓信の後を追え!

 関所(せきしょ)批文(ひぶん)が無ければ、そう簡単には道を通れまい。韓信は足止めされているはずだ。

 

 いいか、必ず奴を()()りにして来るんだ。

 俺が、この手で韓信を1(すん)(きざ)みに切り刻み、俺を裏切(うらぎ)ろうとする奴らへの見せしめにしてやる!」

 

 

   *

 

 

 鍾離昧(しょうりまい)は、飛ぶように部隊を走らせ、安平(あんへい)(かん)にやってきた。

 門番の大将に(たず)ねてみると、大将が答える。

 

「ああ、韓信ですか? 来ましたよ。

 関所(せきしょ)批文(ひぶん)を持ってきて、『覇王様の密命(みつめい)三秦(さんしん)に伝えに行く』と言っておりました。

 正規の批文(ひぶん)でしたし、言うことに怪しい所もないので、通してしまったのですが……何か問題がありましたか?」

 

 鍾離昧(しょうりまい)が事情を話して聞かせると、(かん)の大将は青ざめた。

「韓信がここを通ったのは、もう4日も前のことです。

 今頃は、漢との国境を越えてしまっているのではないでしょうか?

 おそらく、今から追っても、追いつけまいと思われます。

 

 ここは、章邯(しょうかん)三秦(さんしん)王に事態を報告して、追手(おって)を出させてはいかがでしょう?

 漢中への桟道(さんどう)は焼き捨てられていますから、韓信も、桟道(さんどう)の手前で足止めを食っているはずです」

 

 鍾離昧(しょうりまい)は、

「なるほど、そうだな」

 と、うなずいて、三秦(さんしん)()てに手紙を書き、使者に持たせて送った。

 

 

   *

 

 

 鍾離昧(しょうりまい)は、それ以上どうすることもできず、そのまま咸陽(かんよう)へ帰って、(こと)次第(しだい)を項羽に報告した。

 項羽は、また激怒する……かに思われたが、意外にも、大して気にする様子もなしに笑って許した。

 

「そうか。もう遠くへ逃げ去った後だったんなら、今さらどうにもならんな。

 まあいい、まあいい。あんな(また)くぐり野郎、ほっといたって大したことはできやしないさ」

 

 出発前あれほど激怒して「自分の手で切り刻んでやる」とまで言っていた項羽が、不自然なほどに心変わりしている。その理由は、ひどく単純であった。

 

 項羽が、上機嫌に言う。

「それより、いよいよ遷都(せんと)だぞ。鍾離昧(しょうりまい)、お前も、すぐに出発できるよう準備しとけ」

 

 つまるところ、故郷への凱旋(がいせん)にワクワクと胸を(はず)ませる気持ちのほうが、怒りよりも(はる)かに(まさ)っていたのだ。

 

 数日後。ついに遷都(せんと)の準備は完了した。

 項羽は、呂臣・樅公(しょうこう)という2人の大将を残して咸陽(かんよう)の防衛を任せ、他の官僚たちを(みんな)引き連れて、彭城(ほうじょう)意気(いき)揚々(ようよう)と出発したのだった。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

■次回予告■

 

 我が身ひとつで漢中入りした奇才韓信。張良から(たく)された割符によって、たちまち大元帥(だいげんすい)に昇りつめる……かと思いきや、思いもよらぬ回り道。

 (おのれ)の才覚への自負(じふ)からか、はたまた先を見据(みす)えた深謀(しんぼう)遠慮(えんりょ)か、せっかくの推薦を蹴り捨てて、正規の任官試験に身を投じる。この選択、吉と出るか、凶と出るか?

 

 次回「龍虎戦記」第二十七回

 『一次面接、夏侯嬰(かこうえい)

 

 ()う、ご期待!

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