龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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二十七の中 一次面接、夏侯嬰

 

 

 韓信は驚き、腰を浮かせた。

「お……! お前は漢の土地に住む人間だろう。なぜ項羽に味方するようなことを言うんだ」

 

 壮士は大笑いし、韓信の前にひざまずいて再拝した。

「いやいや、冗談冗談!

 ちょっと脅(おど)かしてやろうと思って、戯(たわむ)れを申したのだ。許してくだされい。

 

 それがしは、この酒店の主(あるじ)、名は辛奇(しんき)。

 趣味は狩猟で、武芸にも、いささか自信がある。

 

 俺の祖父は辛雷(しんらい)といい、周(しゅう)王朝に仕えた臣だった。

 それで、周(しゅう)王朝発祥の地である扶風(ふふう)(咸陽(かんよう)の西にある地名)に住んでいたのだが、父の辛金(しんきん)のとき、始皇帝の暴虐(ぼうぎゃく)から逃(のが)れるために、ここ太白(たいはく)嶺(れい)の麓(ふもと)に移住したのだ。

 以来、酒売りを家業としておる。

 

 それがし、常(つね)日頃(ひごろ)から賢明なる君主に仕えたいと願っていたのだが、昨夜、奇妙な夢を見てな。

 空飛ぶ虎が東北(うしとら)の方角から山脈を越えてやってくる、という夢だ。

 

 これはきっと、貴(とうと)い客が来るという暗示に違いない。

 そう思って、今朝(けさ)から狩りにも行かずに待っていたら……貴公が我(わ)が家(や)に来たというわけだ」

 

 韓信は、冷や汗をぬぐい、安堵(あんど)の溜め息をついた。

「なるほど、そうだったか。

 見れば、御辺(ごへん)は堂々たる体つきをしているじゃないか。

 漢王劉邦は心が広く、おおらかで、仁義の心を持っていて、天下の英雄を募集しているというぞ。漢中に行って、出世を狙ってみてはどうかね」

 

 辛奇(しんき)は、うなずいた。

「俺も、そうしたいと思っていたんだ。

 貴公も同じ考えなんだろう?

 貴公は、あれほど見事な詩を書けるだけの教養を持っているのだ。漢王様の所へ行けば、きっと重く用いられるだろう。

 

 後日、兵を起こして楚(そ)を破りに行くときには、ぜひ、この道を通るといい。

 咸陽(かんよう)までかなりの近道になるし、あまり世間に知られていない。三秦(さんしん)を不意打ちするには、もってこいだ」

 

 韓信は、大喜びして辛奇(しんき)の手を握った。

「ありがたい! この道の険(けわ)しさを実感して、これはぜひとも地理に詳しい人材が欲しいと思っていたところなのだ。

 いつか私が楚(そ)を討伐(とうばつ)するとき、御辺(ごへん)が道案内となって大きな功を立ててくれ。

 この戦略、決して楚(そ)に知られてはならない。軽々しく他人に漏(も)らさないよう気をつけてくれよ」

 

 その夜、辛奇(しんき)は韓信を家に泊まらせ、妻子とともに手厚くもてなした。

 韓信は辛奇(しんき)の親切と誠実さに感じ入り、辛奇(しんき)と義兄弟の盟約を成したのだった。

 

 

   *

 

 

 さて、翌朝。

 韓信が出発しようとすると、辛奇(しんき)が言った。

「この先は孤雲(こうん)山(ざん)と両脚(りょうきゃく)山(ざん)だ。

 道がひどく険阻(けんそ)なうえ、獰猛(どうもう)な虎が棲(す)んでいる。

 貴公1人で行くのは危険だ。それがしが送っていこう」

 

 辛奇(しんき)は腰に弓矢を吊るし、手には長い槍を握って、韓信とともに孤雲(こうん)山(ざん)に入った。

 

 2人で兵法(へいほう)談義や武芸談義に花を咲かせながら、歩き歩いて2日目。

 寒渓(かんけい)という土地に着いたところで、行く手を遥かに眺(なが)めれば、淡(あわ)い霞(かすみ)の向こうに南鄭(なんてい)の関門(かんもん)が見えてきた。

 

 辛奇(しんき)が指さして言う。

「ほら、あれが南鄭(なんてい)だ。ここまでくれば、もう大丈夫。

 それがしは、ここで引き返すよ」

 

 韓信は馬から下(お)りて、近くの酒店を指した。

「ありがとう。本当に助かった。

 最後に、そこで別れの盃(さかずき)を交わそうじゃないか」

 

 2人して酒店に入り、酒を酌(く)み交わす。

 辛奇(しんき)は、心から残念そうに言った。

「正直言うと、このまま君と一緒に漢中へ行きたいくらいなんだが、俺には年老いた母がいるんだ。

 君を送ってここまで来るのも、母に知らせずに来てしまった。今ごろ俺を心配しているだろう。

 

 そういうわけで一緒には行けないが、君が大軍を率いて楚(そ)討伐(とうばつ)に出るのを、家で楽しみに待っているよ」

 

 韓信は、珍しく情熱的に、辛奇(しんき)の肩を叩いた。

「御辺(ごへん)の志(こころざし)には感動したよ。

 私が楚(そ)を討伐(とうばつ)すると聞いたら、すぐに駆けつけてきてくれよ」

 

 辛奇(しんき)は、力強くうなずいた。

「もちろんだ。

 一番に駆けつけるとも!」

 

 こうして韓信は辛奇(しんき)と別れ、1人、南鄭(なんてい)へと向かった。

 

 

   *

 

 

 韓信が関所(せきしょ)をくぐって南鄭(なんてい)の領域に入ると、あたりの景色が一変した。

 

 さきほどまでの、震え上がるような険しい山々はどこへやら。

 道の左右には見渡す限りの田畑が広がり、桑(くわ)や麻(あさ)がよく茂(しげ)っている。

 

 老人は安心しきった様子で腰を下ろし、働きざかりの者は自分の仕事に奔走する。

 行きかう人々は互いに道を譲りあい、落とし物を盗みもしない。

 

 ところどころから笙(しょう)(笛)の音や歌声が漏(も)れ聞こえ、家々には楽しげに語らう家族の姿が垣間(かいま)見える。

 

 韓信は、そんな穏やかな暮らしの中に馬を進めつつ、口元へ薄く笑みを浮かべた。

「ふうん、いいじゃないか。

 これが漢王の統治か」

 

 また少し進んで南鄭(なんてい)城に入ってみれば、この都(みやこ)もまた、すばらしい。

 広さは一辺200里(80km)。

 見渡す限り平地が続き、山道は1尺たりともない。

 大通りは6つ、市場(いちば)は3つ。みな賑(にぎ)わって活気にあふれ、人々の衣服、冠(かんむり)、街の景色なども真(まこと)に見事。

 

 韓信は、風景を楽しみながら街をうろつき、宿を探して馬を止めた。

 宿の部屋に荷物を置いて、主人に言う。

「ちょっと出かけてくる。荷物を盗まれないよう、しっかり見張っていろよ」

 

 宿の主人は、カラカラと明るく笑った。

「心配いりませんよ、だんな様!

 この南鄭(なんてい)は、他所(よそ)の街とは、ちょいと違うんです。道に落ちてる物だって、誰も盗みゃしません。

 ましてや宿の中の荷物だなんて! 失(な)くなるわけがありませんや」

 

 韓信は宿を出ると、漢中をぶらぶらと歩き回った。

 かえすがえすも、良い土地だった。

 南は難攻(なんこう)不落(ふらく)の剣門(けんもん)関(かん)あり、東は外敵を阻(はば)む桟道(さんどう)あり。

 前には6つの街道が控(ひか)え、後ろは大いなる漢江(長江の支流)に接する。

 

 荊州(けいしゅう)・襄陽(じょうよう)の喉元(のどもと)にして、秦(しん)と隴州(ろうしゅう)の要衝(ようしょう)でもある。

 民は安らか、物資は豊か。

 土地はよく肥(こ)え、風さえ軽(かろ)やか。

 

 住人たちは、口を揃(そろ)えてこう語る。

「この漢中は、まさにこの世の天国さ。

 

 春に咲くのは、輝くような白き桃花(とうか)と、熱く燃え立つ紅(べに)杏(あんず)。

 夏に咲くのは、蓮(はす)に葵(あおい)に柘榴(ざくろ)花(ばな)。

 東の垣根(かきね)で見事な菊が黄金(こがね)の如くほころべば、南の山に銀雪めいた梅花が開く。

 

 極上の酒に、美味なる魚。

 香(かお)る橙(だいだい)、晩生(ばんせい)の稲。

 

 名勝(めいしょう)、景勝(けいしょう)、数限りなし。

 石頂(せきちょう)関(かん)に、瀑布(ばくふ)泉(せん)

 盤雲(ばんうん)塢(う)から天漢(てんかん)楼(ろう)。

 硅石(けいせき)堂(どう)と四照(ししょう)亭(てい)。

 峨眉(がび)山(さん)、青城(せいじょう)山(さん)、錦屏(きんびょう)山(さん)。

 巫山(ふざん)、赤甲(せきこう)、白塩(はくえん)も。

 とても全ては巡りきれぬよ!」

 

 

   *

 

 

 さて、韓信が南鄭(なんてい)の街をそぞろ歩いていたところ、大きな官庁の建物に出くわした。

 建物の門に、立派な額(がく)が掛けられている。

 その額に曰(いわ)く、

 

『招(しょう)賢(けん)館(かん)』

 

 つまり、賢人を招(まね)き集めるための館(やかた)、というわけである。

 さらに、門の脇には十三ヶ条の文章が貼り出されていて、『人民みんなに以下のことをよく知らせるように』と添(そ)え書(が)きしてある。

 その十三ヶ条とは……

 

 

『一、兵法(へいほう)に通暁(つうぎょう)し、兵法(へいほう)書(しょ)の六韜(りくとう)・三略(さんりゃく)に詳しい、元戎(げんじゅう)(将軍)となるべき者

 

 二、強さと勇ましさが人並(ひとな)みはずれ、敵将を斬って敵軍旗(ぐんき)を抜き取るだけの力を備(そな)えた、先鋒(せんぽう)となるべき者

 

 三、武芸が衆(しゅう)に優(すぐ)れ、天子によって駆使されるに足(た)る才覚を持つ、天子の馬車に従う騎兵となるべき者

 

 四、天文の理論を諳(そら)んじ、風雨と気候を占うことができる、作戦立案の補佐役となるべき者

 

 五、地理に詳しく、険(けわ)しい道と進みやすい道をよく知っている、道案内となるべき者

 

 六、公平公正な心を持ち、為人(ひととなり)が正直である、記録係となるべき者

 

 七、よく機転が利き、状況を的確に予測して動ける、軍議に加わるべき者

 

 八、弁舌(べんぜつ)が巧(たく)みで、人の心を動かすことができる、説客(せっかく)となるべき者

 

 九、算術が得意で、寸分の狂いもなく計算できる、書記となるべき者

 

 十、多くの詩書を読み、顧問として君主の質問に答えるだけの知識を持つ、博士となるべき者

 

 十一、医学に明るく、神の如く巧みな技を持つ、名医となるべき者

 

 十二、馬術に優(すぐ)れ、機密を探り出すことができる、間者(かんじゃ)となるべき者

 

 十三、金銭や食糧の管理にたずさわり、出納(すいとう)を上手く管理できる、兵站(へいたん)担当者となるべき者

 

 以上、十三件の中で一件でも当てはまる者は、招(しょう)賢(けん)館(かん)に名乗(なの)り出よ。

 面接によって口頭試問を行い、確かにその能力があると認められれば、漢王に奏上(そうじょう)して重く用いよう。

 

 応募資格に制限はない。

 身分が高いか低いかによらず、心を尽くして勤務し功績をあげたならば、新人であってもすぐに抜擢(ばってき)しよう。

 諸侯に封(ほう)じられることも、宰相に任命されることも、すべてこの試験によって成しとげられるのだ。

 以上、謹(つつし)んで告示する』

 

 

 韓信は、これを見て喜び、通行人をつかまえて尋ねた。

「この賢人募集の責任者は、どなたかな」

 

 すると、

「滕公(とうこう)夏侯嬰(かこうえい)様ですよ」

 との答え。

 

 韓信は考えた。

「蕭何(しょうか)に会って、張良からもらった大元帥(だいげんすい)の割符を見せるのは簡単だ。

 しかし、まず夏侯嬰(かこうえい)に会って、私の才覚を見せつけ、漢王に推挙(すいきょ)され、その後で張良の割符を出すほうがいい。

 

 この私が、人からの推薦に頼っているだけの男ではないと知らしめねばな。

 古代の人間も言っている。『進むのは難しく、退(ひ)くのは容易(たやす)い。もし進むのが容易であれば、大きく用いられることなく終わる。始まりは非常に困難でなければならない。そうすれば、後で人から軽蔑されなくなるのだ』と」

 

 韓信は、招(しょう)賢(けん)館(かん)に入って受付で姓名(せいめい)を記入し、奥へ進んだ。

 

 

(つづく)




●注釈
 酒店で韓信が出会った辛奇(しんき)という人物は、史実には存在しない。「西漢通俗演義」で創作された架空の人物である。
 その辛奇(しんき)が「俺の祖父は周に仕えた臣だった」と語っている。紀元前11世紀に殷(いん)を倒して中国の覇権を握った周王朝は、春秋時代(紀元前8~5世紀)あたりから大きく衰退していった。とはいえ、その後も周は、ごく狭い領土で細々と命脈を繋いでいた。周が完全に滅びたのは戦国時代末期の紀元前249年、秦(しん)の侵略によってである。(当時の秦(しん)王は始皇帝の父、荘襄(そうじょう)王(おう))
 周の滅亡は作中現在の43年前だから、確かに辛奇(しんき)の祖父が臣であったとしてもおかしくない。架空の人物に確かな存在感を与える、しっかりした人物設定と言える。
 おそらく辛奇(しんき)の祖父は、周滅亡の瞬間に立ち会わされたのだろう。項羽、張良、その他おおくの人物と同じく、辛奇(しんき)もまた秦(しん)に祖国を滅ぼされ恨み骨髄の一族出身ということになる。
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