龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

70 / 197
二十七の下 一次面接、夏侯嬰

 

 

 韓信が通された部屋で待っていると、部屋の奥の壇上(だんじょう)に、夏侯嬰(かこうえい)が現れた。

 いよいよ面接開始である。

 

 夏侯嬰(かこうえい)は、韓信の顔を一目見て、わずかに眉を動かした。

 韓信が持つ非凡な気配を、鋭く感じ取ったらしい。

 

 夏侯嬰(かこうえい)が心の中で思う。

「韓信か……名前は聞いたことがある。()で覇王項羽に仕えている男のはずだ。

 それが()から離反して、こんなに遠く(けわ)しい土地まで来たか。これは何か理由があるに違いない」

 

 そこで夏侯嬰(かこうえい)は、こう切り出した。

「では面接を始めよう。

 まずは韓信殿。貴公、どういう理由で漢にお越しになったのか?」

 

 韓信が答える。

「私は()の臣です。しかし、覇王項羽は私を重く用いようとはしなかった。

 そこで、暗愚(あんぐ)の主君を捨て、明君(めいくん)に従うべく、咸陽(かんよう)からやってきたのです」

 

 夏侯嬰(かこうえい)が重ねて問う。

「しかし、桟道(さんどう)は焼け落ちてしまったし、山道は非常に(けわ)しい。一体どの道を通って来たのだね?」

 

 韓信は、口元に笑みを浮かべた。

「賢明なる主君を得たい一心で、(ふじ)(かずら)(つた)をつかんで(がけ)をよじ登り、遠い道を進んできました。

 期待で胸がいっぱいで、途中の苦労など忘れてしまいましたな」

 

「なるほど、すばらしい(こころざし)だ。

 では御辺(ごへん)、外の掲示はご覧になりましたな?

 あの十三ヶ条のうち、どの才に(ひい)でておられるのか? 一言で、貴公の能力をお示しあれ」

 

 これに対して、韓信は平然と答えた。

「十三ヶ条ことごとく」

 

 夏侯嬰(かこうえい)が目を丸くする。

「ことごとく!? 全てですと!?」

 

左様(さよう)。あの程度のことなら、どれでもできる。

 しかし、私の真の才能は、あの十三ヶ条以外のところにあります」

 

「その十三ヶ条以外の才能とは?」

 

「私の才能は文武を()(そな)え、学は天と人とを貫く。

 外に出ては大将となり、内に入りては丞相(じょうしょう)となり、座ったままで中原(ちゅうげん)鎮圧(ちんあつ)し、百度(ひゃくたび)戦って百度(ひゃくたび)勝つ。

 天下を取るなど、自分の手のひらを裏返すほどに容易(たやす)い。

 

 私なら、()を打ち破る大元帥(だいげんすい)となることができる。

 

 これは、十三ヶ条にも無かった才でありましょう?

 もし詳しくお聞きになりたいなら、明快にその(ことわり)()いてさしあげよう」

 

 夏侯嬰(かこうえい)は、唖然(あぜん)とした。

 とんでもない大言(たいげん)壮語(そうご)。この韓信という男、ちょっと頭がどうかしているのではないか? と思わずにはいられない。

 

 だが、もし本当であったら? 漢にとって、万が一にも逃してはならない人材ということになる。

 ここは、とりあえず韓信を尊重する態度を見せた方がよい、と夏侯嬰(かこうえい)は判断した。

 

 そこで夏侯嬰(かこうえい)は、わざわざ階段を下り、韓信を壇上(だんじょう)の座席に迎え上げた。

 着席した韓信に、夏侯嬰(かこうえい)が改めて再拝する。

「この夏侯嬰(かこうえい)、以前から韓信殿の名は聞いていたが、お会いしたことはなかった。

 今、貴公が(さいわ)いにも漢へとお越しになった。これは(それがし)にとっての幸運というだけでなく、天下国家すべてにとっての幸運です。

 どうか、黄金や宝玉にも匹敵する貴公の理論を(うかが)いたい」

 

 韓信が、鷹揚(おうよう)に、うなずく。

「では申し上げよう。

 そもそも世に蔓延(はびこ)る大将どもは、無駄に兵法(へいほう)に詳しいだけで、実際に兵を用いることができていない。

 

 孫子(そんし)呉子(ごし)兵法(へいほう)習熟(しゅうじゅく)し、六韜(りくとう)三略(さんりゃく)(そらん)じる(暗唱(あんしょう)する)ことができても、それだけでは取るに()らない。

 兵法(へいほう)を知っているのはもちろん、実戦でも上手く兵を操ってこそ良将というものです。

 

 たとえば、こんな話があります。

 

 昔、(そう)の国に、不思議な薬を持っている者がおりました。

 その薬は、手に()ると、寒気を浴びても、あかぎれを起こさなくなるという素晴(すば)らしい代物(しろもの)

 その家では先祖代々、川で絹を洗う仕事をしていましたが、この薬のおかげで、(しも)や雪の季節にも、あかぎれにならずに済んだのだそうです。

 そこで、この宋人(そうじん)は薬の製法を深く隠し、誰にも教えぬ秘伝としていました。

 

 あるとき、宋人(そうじん)の家を2人の客が(おとず)れました。

 客たちは銀100両を出し、こう言いました。

「この銀を差し上げますから、秘伝の薬の製法を我々に教えてくれませんか」

 

 宋人(そうじん)は、家族みんなで顔を突き合わして相談しました。

『一日中絹を洗っていたって、稼ぎは知れている。

 100両の銀が手に入るなら、絹を洗うよりずっと割のいい(もう)けになるぞ』

 こうして宋人(そうじん)は、薬の製法を客に教えたのです。

 

 さて、製法を覚えた2人の客は、()の国に行きました。

 当時、()は宿敵の(えつ)国から攻撃を受けていました。

 しかし(おり)()しく極寒の季節だったため、()兵の手は酷いあかぎれを起こし、武器を握ることさえ、ままならなくなっておりました。

 

 そこで、2人の客は、あの薬の製法を()王に奏上(そうじょう)しました。

 薬を兵士たちの手に()らせたところ、たちまち効果が現れて、兵士たちは、あかぎれの痛みから解放されました。

 本来の力を取り戻した()軍は、一戦にして(えつ)の大軍を打ち破り、大きな功を成したのです。

 

 同じあかぎれ防止の薬でも、宋人(そうじん)はそれを使って絹を洗い、2人の客はそれを使って大敵を破った。

 知識は使い方ひとつで、これほど価値を変える。

 

 大将の道も、これと同じ。ただ兵法(へいほう)(しょ)を暗記するだけでは意味がない。実戦に()かして上手く兵を用いることこそ肝要(かんよう)なのです」

 

 夏侯嬰(かこうえい)は、低くうなった。

「なるほど……それは確かに(おっしゃ)る通りだ。

 しかし、御辺(ごへん)が本当にそれほどの才能を持っているなら、なぜ()頭角(とうかく)(あらわ)せなかったのです?」

 

 韓信は、溜め息をついた。

「昔、()国に百里奚(ひゃくりけい)という大夫(たいふ)がおりました。

 しかし、()の君主は百里奚(ひゃくりけい)諌言(かんげん)を用いることができず、それが原因で()国は滅びてしまった。

 

 その後、捕虜(ほりょ)となった百里奚(ひゃくりけい)は、(しん)穆公(ぼくこう)によって才覚を見出(みいだ)され、(しん)の国政を預かりました。

 この百里奚(ひゃくりけい)の働きによって、(しん)は天下の覇者となったのです。

 

 賢者の才覚が花開くかどうかは、主君が用いるかどうかにかかっている。

 私は()にいた時、しばしば計略を奏上(そうじょう)したが、()では、ついに用いられることはなかった。

 あの范増(はんぞう)が再三に渡って私を推薦してくれさえしたが、それでも覇王項羽は従わなかった。

 

 項羽には、私を用いるだけの(うつわ)がない。

 そう確信したので、私は()を捨てて漢にやってきたのです」

 

 夏侯嬰(かこうえい)が言う。

御辺(ごへん)()では用いられず、そのために才能を()かせなかった、というのは分かりました。

 では、我が漢王様があなたを上手く用いたなら、どのような功を立てることができますか?」

 

 韓信は堂々と答える。

「漢王様が私を用いなさったなら、()(しょく)の兵を統率して、仁義のために軍を出発させ、(みやこ)へ向かって()討伐(とうばつ)してみせましょう。

 まずは三秦(さんしん)を落とし、次に六国を降伏させて項羽の翼を一つ一つもぎ取っていき、范増(はんぞう)を策略によって苦しませる。

 ま、数ヶ月のうちに咸陽(かんよう)は占領できましょう。

 

 ……とはいえ、こういう大きな成果を、漢はみすみす(のが)してしまうのでしょうな。

 なぜなら夏侯嬰(かこうえい)殿、貴公はおそらく私を推薦する気がないし、仮に推薦したにせよ、漢王には私を用いることができないないでしょうから」

 

 夏侯嬰(かこうえい)眉間(みけん)(しわ)を寄せた。

「また大きなことを(おっしゃ)いましたな。私は、貴公に口で言うほどの実力がないのではないかと疑っているのですよ。

 

 項羽というのは、恐ろしい男です。項羽が声を荒げて りつければ、万民みな震えあがる。天下を縦横(じゅうおう)に駆け回ること3年、武勇は古今(ここん)比類(ひるい)ないほど(ひい)でている。

 それを御辺(ごへん)は、あまりにも簡単に()ち取るなどと言う。ちと自惚(うぬぼ)れが過ぎるというものではありませんか?」

 

 韓信は、目を細めた。

「私は、あれほど険阻(けんそ)な千里の道を通って、わざわざここまで来たのですよ。

 実力もないのに弁舌(べんぜつ)だけをふるって人を(だま)そうものなら、後で厳しく罰せられるに決まっている。

 罰せられるために命がけの難所を越えてくるような愚か者がおりますか?

 

 それに、漢の重鎮(じゅうちん)たる貴公は『項羽には(かな)わない』などと思っておられるようだが、私に言わせれば、あんな男は幼稚(ようち)なガキだ。

 武勇古今(ここん)比類(ひるい)なし、だなんて、とんだ過大評価ですな」

 

 夏侯嬰(かこうえい)が問う。

「では、六韜(りくとう)三略(さんりゃく)は読んでおられるか?」

 

 韓信が、うなずく。

「大将たるもの、詩書を熟読して深く政治について知るのが当然。上は天文から下は地理に(いた)るまで、一つとして知らぬことなく、熟達しておらぬこともない。

 六韜(りくとう)三略(さんりゃく)のみならず、他にも色々読んでおりますよ」

 

「では、六韜(りくとう)三略(さんりゃく)を暗唱してごらんなさい」

 

 これは、明らかに夏侯嬰(かこうえい)からの挑戦だったのだろうが……

 韓信は、すぐさま口を開き、六韜(りくとう)三略(さんりゃく)の文章を唱え始めた。

 その言葉は、うねり走る濁流(だくりゅう)のように滔々(とうとう)と口から(あふ)れ出て、一瞬たりとも途切れることなく部屋の中に響き続けた。

 

 夏侯嬰(かこうえい)は驚き、別の書の名を()げてみた。

 韓信は、それもまた、すらすらと暗唱してみせた。

 

 さらに別の書、またまた別の書……陰陽(おんみょう)、医学、卜占(ぼくせん)などなど、古今東西ありとあらゆる書物の名を言えば、その文章がたちまち韓信の口から流れ出てくる。

 しかも、その内容に、たった一字の誤りさえないのである。

 

 また、夏侯嬰(かこうえい)は、さまざまな武具についても尋ねた。

 これについても韓信は(よど)みなく答えた。星の数ほどある各種兵器の由来、目的、使用法、その利点と弱点……一つ一つ説き示し、どれ一つとして知らないことがない。

 

 その恐るべき知識量に、夏侯嬰(かこうえい)は今度こそ驚嘆(きょうたん)した。

「なんてことだ! 御辺(ごへん)は、まことに天下の賢人。この世に稀有(けう)なる人材だ!」

 

 

   *

 

 

 夏侯嬰(かこうえい)は、韓信をその場に留まらせ、さらに対話を重ねて彼の才能を見極めようとにした。

 だが、韓信の説くところを聞いても聞いても、次から次へと新たな知識と知恵が見えてくる。

 

 夏侯嬰(かこうえい)は、苦笑した。

「韓信の才覚は大きすぎる。私では(はか)り尽くすことができないな」

 

 そこで夏侯嬰(かこうえい)は、韓信にこう告げた。

「明日、漢王様にお会いして、貴公を推薦してきましょう。必ず重く用いるように言っておきますよ」

 

 だが、韓信は、またしてもこの推薦を拒絶した。

「いいえ、まだ漢王に謁見(えっけん)すべき時ではありません。

 それよりも、私を相国(しょうこく)蕭何(しょうか)殿に対面させていただきたい。

 蕭何(しょうか)殿にも私の才能を知っていただき、そのうえで、貴公と蕭何(しょうか)殿の2人で漢王様に推薦してください。

 そうすれば、漢王様も私が用いるべき人材であると納得なさるでしょう」

 

 夏侯嬰(かこうえい)は、手を打った。

「なるほど、確かに、それがいいかもしれん。

 では、私は今晩、蕭何(しょうか)殿に会って、この件を伝えておきましょう。

 そして明日、貴公を連れて蕭何(しょうか)殿のところへ参るとしよう」

 

 かくして、韓信は(しょう)(けん)(かん)を出て、宿屋へと帰っていった。

 その道すがら……韓信は人知れず、会心の笑みを浮かべた。

 

「ふ……他愛(たあい)もない。『兵法(へいほう)書の丸暗記では意味がない』と説いたばかりなのに、暗記の羅列だけで()()()とはな。

 さて、次は蕭何(しょうか)か。少しは歯ごたえがあるといいが」

 

 

(つづく)

 

 

 

 

■次回予告■

 

 夏侯嬰(かこうえい)(おの)が才覚を見せつけて、出世街道最初の一歩を踏み出した韓信。漢の中枢に昇りつめるべく、次なる対手(あいて)との対話に挑む。

 漢の三傑(さんけつ)相国(しょうこく)蕭何(しょうか)謹厳(きんげん)実直(じっちょく)博覧(はくらん)強記(きょうき)(えん)の下から国を支えるこの重鎮(じゅうちん)を、大元帥(だいげんすい)の割符なしに心酔させることができるか否か。

 

 次回「龍虎戦記」第二十八回

 『二次面接、相国(しょうこく)蕭何(しょうか)

 

 ()う、ご期待!




●注釈
(1)
 韓信が語った『あかぎれ防止の薬』の物語は、「荘子・内篇・逍遙遊」に記されている。
 内容はほぼ本文で韓信が語った通りであるが、「荘子」では客が2人ではなく1人である点が異なる。また、この時の()(えつ)の戦いは水上戦であったとされており、より『あかぎれ防止の薬』のありがたみが大きい設定になっている。
 まさに韓信が主張していた通り『知識は使い方次第で大きく価値を変えるのだ』ということを説く挿話である。「荘子」の文章中においては『世俗的な価値観に囚われず、柔軟に物を見よ』というようなことを教えるために、この挿話が使われている。

(2)
 ()国の百里奚(ひゃくりけい)は、紀元前7世紀、春秋時代の人物。その事績については断片的な記述がいくつかの書籍に残るのみで謎が多い。
 韓信が語った『()の君主は百里奚(ひゃくりけい)諌言(かんげん)を用いることができず』というエピソードは、「孟子・万章上」や「春秋左氏伝・僖公(きこう)五年」にある。
 あるとき、(しん)国の献公が虞公(ぐこう)()の君主)に贈り物を贈り『他の国を攻撃するために軍を動かすので、()国内を通過させてほしい』と頼んできた。虞公(ぐこう)の臣の宮之奇(きゅうしき)は『通過などさせてはいけない。他国への攻撃が済んだら、次に攻められるのは()国だ』と虞公(ぐこう)(いさ)めたが、百里奚(ひゃくりけい)(いさ)めなかった。なぜなら、どうせ虞公(ぐこう)は自分たちの諌言(かんげん)を用いないだろう、と見抜いていたからである。
 その予測どおり、虞公(ぐこう)宮之奇(きゅうしき)諌言(かんげん)を却下。案の定、(しん)軍は遠征の帰り道で()国に攻撃をしかけ、たちまち()国を滅ぼしてしまった。
 その後の百里奚(ひゃくりけい)の足跡は、「史記・(しん)本記」に記されている。
 ()国滅亡後に捕虜となった百里奚(ひゃくりけい)を、(しん)穆公(ぼくこう)は、羊皮5枚の身代金で買い取って自国に招いた。百里奚(ひゃくりけい)は仕官の誘いを「私は亡国の臣に過ぎません」と固辞(こじ)したが、穆公(ぼくこう)は「()国が滅びたのは、諌言(かんげん)を主君が用いなかったからだ。君の責任ではない」と説得し、ついに百里奚(ひゃくりけい)に国政を預けた。
 これが穆公(ぼくこう)5年の出来事。この時、百里奚(ひゃくりけい)はすでに70歳以上であったという。そこからの百里奚(ひゃくりけい)の働きによって、穆公(ぼくこう)は中華の覇者へとのし上がった。
 百里奚(ひゃくりけい)の活躍はさらに続き、少なくとも穆公(ぼくこう)32年までは存命であった様子が記述されている。これが本当なら、最低でも97歳までは現役の高官として働き続けたことになるが……?
 現代の医学をもってしてさえ、そう簡単には達成できない長寿である。事実なのか、はたまたどこかで記述に誤りが生まれてしまったのか。真相は歴史の闇の中、といったところ。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。