龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】 作:外清内ダク
それから数日後。
「最近、
どうか漢王様、この人物を重く用いてくださいませ」
劉邦は、玉座から身を乗り出して喜んだ。
「おお! その賢士は、なんていう人だ? 名前を聞かせてくれ」
「
かつて
と、
「臣らで韓信の才能を試験してみましたが、
なぜそんなにお笑いになるのです?」
劉邦は、笑いをこらえながら言う。
「いや、悪い悪い。
でも、その男の名前は、
貧乏で、身分も低く、挑発してきた奴らの
「歴史上、貧しく
太公望は
みな元々は
韓信も、もとは貧しく
漢王様。もし韓信を用いなければ、彼は必ず他国へ去るでしょう。
それではまるで、15城と交換できるほどの価値を持つ宝玉『
漢王様。どうか臣の言葉を聞き入れて、韓信をすぐに用いてくださいませ。
さすれば、項羽を滅ぼして天下を手に入れることができます」
「分かったよ。お前たちがせっかく推薦してくれた賢士だ。用いないわけにはいかないな。
その韓信を、ここに呼んでこい。直接対面しよう」
*
ひとまず漢王への
しかし、招きを受けた韓信は不満顔であった。
「呼び出し方が軽々しすぎる。やはり、劉邦には私を重く用いるつもりがないようだな。
……まあいい。とりあえず対面して、劉邦がどの程度の人物か
韓信は、呼ばれるままに劉邦に
漢王劉邦は、平伏する韓信を見下ろして言う。
「よくはるばる千里の道を越えて来てくれた。その
だが、まだお前の才能を試していないから、いきなり重くは用いづらい。
そこでだ。
ちょうど今、倉庫を管理する役に欠員が出たところなんだ。
とりあえず、お前を
その働きぶりでお前の力を試したいと思うが、どうだ?」
韓信は、少しも怒りを
むしろ、韓信を見送る
「いかんな……この役目は、韓信には軽すぎる。
どういうつもりなのだ、漢王様は。韓信を重く用いる気がないのか?」
*
さて、
まず倉庫管理の下役人を集合させると、
一通り調べ終えたところで、韓信は、ひとつかみの
韓信は、
すると、その結果に、毛先ほどの小さな誤差さえないのである。
年かさの下役人は、韓信の計算の正確さを
「これまで倉庫の責任者となった方々に、あなた様ほど正確精密に計算できる方はいませんでした」
韓信は、この賞賛を聞いて、機嫌よく笑った。
「ははは! いやいや、大したことはしていない。こんなものは、
*
この話を伝え聞いた
「私は、貴公を推薦して大元帥に任命しようと思ったのだが、漢王様は、まだ貴公の大きな才覚に気づいておられない。それで、こんな小さな官職につけて貴公を試しているのだ。
それにしても、貴公は多くの倉庫に山のように積まれた米を、ことごとく点検して、一つも計算を間違えていないそうですな。
どうやって、こんなに大きな数を知りなさったのです?」
韓信は、薄く笑みを浮かべた。
「算術には、小九の数、大九の数という概念がある。この計算法に通じていれば、四海九州(中国)すべての物を算出できる。
ましてや、倉庫の中の米の量など!」
そこへ韓信が、さらに言う。
「ところで、倉庫の中には、
これを新米に更新し、余った古米を貧民に配布してはいかがでしょう。こうすれば、倉庫の中身も新しくなり、民の救済にもなって、
これは宰相にご判断いただくべき案件かと思います。なにとぞ
「よい考えですな! さっそく明日、漢王様に奏上して実行に移しましょう」
「すばらしい。いよいよもって韓信は奇才だ」
(つづく)
●注釈
(1)
前回から、韓信や
太公望
(2)
韓信が倉庫の米を計算する場面について。
韓信が計算に用いていた『
現代よく知られている、玉を串刺しにしたあの
本編当時(
一例として「九章算術・方程」から引用する。
『上稲が3束、中稲が2束、下稲が1束で、米が39斗とれる。
上稲が2束、中稲が3束、下稲が1束で、米が34斗とれる。
上稲が1束、中稲が2束、下稲が3束で、米が26斗とれる。
問:上、中、下の稲は、それぞれ1束につき何斗の米がとれるか?』
これなどは、現代数学でいう三元一次の連立方程式にほかならない。2025年現在の学習指導要領においては、高校1年生向けの数学Iで取り扱う内容である。ぜひ読者の皆さんも、学生時代を思い出して挑戦してみてほしい。
なお、解答は以下の通りである。
『答えて
上稲1束につき、9斗と4分の1斗。
中稲1束につき、4斗と4分の1斗。
下稲1束につき、2斗と4分の3斗』
このように、分数の概念も、すでに使われていることが分かる。
また、この後には答えの求め方も解説されている。続けて引用してみよう。長いうえにややこしいので、読み飛ばしていただいてもかまわない。
『方程術に
上稲3束、中稲2束、下稲1束、合計39斗(第1の条件)を右列に置く。
同様に、第2の条件と第3の条件を、それぞれ中央列、左列に置く。
右列の上稲の数を中央列の全ての数にかける。その後、中央列から右列の数を引く。(上稲が無くなるまで繰り返し引く)
同様に、右列の上稲の数を左列の全ての数にかける。その後、左列から右列の数を引く。(上稲が無くなるまで繰り返し引く)
ここで、もし中央列の中稲が無くなっていないなら、その数を左列の全ての数にかける。その後、左列から中央列の数を引く。(中稲が無くなるまで繰り返し引く)
左列の下稲が無くなっていないなら、左列の下稲の数を分母、米の量を分子とする。これが下稲の収穫量である。
中稲の収穫量を求めるには、下稲の収穫量の分母を中央列にかける。そこから下稲の収穫量を引く。(下稲が無くなるまで繰り返し引く)
ここで中央列に残った収穫量を、中稲の数が1となるように割ると、それが中稲の収穫量である。
上稲の収穫量を求めるには、中稲と下稲の収穫量の分母を右列にかける。そこから下稲の収穫量と中稲の収穫量を引く。(下稲、中稲が無くなるまで繰り返し引く)
ここで右列に残った収穫量を、上稲の数が1となるように割ると、それが上稲の収穫量である。
この方法で、それぞれ1束あたり何斗かが分かる』
()内は、外清内ダクによる補足である。
言葉で説明すると実にややこしく見えるが、数学に詳しい方なら気づくかもしれない。この計算手順は、ガウスの消去法を用いた連立方程式の解法そのものだ。現代の数学では各変数の係数を横に並べて書くところ、「九章算術」の記述では縦に並べ書く想定になっているようだが、違いはそれだけである。
このように、充分に実用的なレベルの算術が、この時代にもすでに確立されていた。