龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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二十九の上 最終試験? 漢王劉邦

 

 

 それから数日後。

 蕭何(しょうか)夏侯嬰(かこうえい)の2人は、漢王劉邦に謁見(えっけん)して、言った。

「最近、(しょう)(けん)(かん)に1人の賢士を得ました。

 

 古今(ここん)の詩書に通じ、六韜(りくとう)・三略を(そら)んじる知識の持ち主。まさに()を打ち破る大元帥とすべき人物です。

 どうか漢王様、この人物を重く用いてくださいませ」

 

 劉邦は、玉座から身を乗り出して喜んだ。

「おお! その賢士は、なんていう人だ? 名前を聞かせてくれ」

 

 蕭何(しょうか)が答える。

淮陰(わいいん)の韓信と申す者です。

 かつて()に仕えて執戟(しつげき)(ろう)となり、しばしば計略を提案しましたが、項羽はこれを用いず……」

 

 と、蕭何(しょうか)が説明しているうちに、劉邦は笑いだした。

 

 蕭何(しょうか)が眉をひそめる。

「臣らで韓信の才能を試験してみましたが、(いにしえ)伊尹(いいん)、太公望呂望(りょぼう)、あるいは孫子(そんし)呉子(ごし)にも劣らぬ人材ですぞ。

 なぜそんなにお笑いになるのです?」

 

 劉邦は、笑いをこらえながら言う。

「いや、悪い悪い。

 でも、その男の名前は、(はい)県に住んでた時に聞いたことがあるぞ。

 貧乏で、身分も低く、挑発してきた奴らの(また)をくぐって(はずかし)めを受け、漂母(ひょうぼ)に食べ物を恵んでもらって、淮陰(わいいん)の人たちに軽蔑(けいべつ)されていた奴だろう?

 

 相国(しょうこく)蕭何(しょうか)よう、そんな男を大元帥になんかしたら、将も兵もバカにして命令を聞かなくなるし、天下の諸侯だって笑いものにするだろうよ」

 

 蕭何(しょうか)は、珍しく言葉に熱を込めて反論する。

「歴史上、貧しく(いや)しい身分からも、たくさんの能臣が生まれております。どうして貧富の差などによって人物を評価できましょうか。

 

 伊尹(いいん)(しん)の地を耕していた農夫。

 太公望は渭水(いすい)の釣り人。

 桓公(かんこう)に仕えた寧戚(ねいせき)は、牛車を扱う仕事をしていた若造。

 (せい)の宰相管仲(かんちゅう)は、檻車(かんしゃ)に入れられた囚人でした。

 

 みな元々は(いや)しい身分や貧乏な境遇の出身ですが、よく用いる主君に出会って才能を発揮し、ついには大事業を為しとげたのです。

 

 韓信も、もとは貧しく(いや)しい身分。しかし彼の胸中(きょうちゅう)にある才能は、まことに天下の奇士(きし)と言うほかありません。

 

 漢王様。もし韓信を用いなければ、彼は必ず他国へ去るでしょう。

 それではまるで、15城と交換できるほどの価値を持つ宝玉『和氏(かし)(へき)』を、自ら捨てて砕くようなものです。

 

 漢王様。どうか臣の言葉を聞き入れて、韓信をすぐに用いてくださいませ。

 さすれば、項羽を滅ぼして天下を手に入れることができます」

 

 蕭何(しょうか)の熱弁に、劉邦もうなずいた。

「分かったよ。お前たちがせっかく推薦してくれた賢士だ。用いないわけにはいかないな。

 その韓信を、ここに呼んでこい。直接対面しよう」

 

 

   *

 

 

 蕭何(しょうか)は、韓信を呼ぶために使者を走らせた。

 ひとまず漢王への謁見(えっけん)が実現したのだから、一定の成功ではある。

 しかし、招きを受けた韓信は不満顔であった。

 

「呼び出し方が軽々しすぎる。やはり、劉邦には私を重く用いるつもりがないようだな。

 ……まあいい。とりあえず対面して、劉邦がどの程度の人物か見極(みきわ)めてやろう」

 

 韓信は、呼ばれるままに劉邦に謁見(えっけん)し、丁重に礼をした。

 

 漢王劉邦は、平伏する韓信を見下ろして言う。

「よくはるばる千里の道を越えて来てくれた。その(こころざし)は嬉しい。

 だが、まだお前の才能を試していないから、いきなり重くは用いづらい。

 

 そこでだ。

 ちょうど今、倉庫を管理する役に欠員が出たところなんだ。

 

 とりあえず、お前を連廒(れんごう)(かん)(倉庫管理の責任者)に任命する。糧米(りょうまい)(おこた)りなく点検して、この職務を(まっと)うしてみせろ。

 その働きぶりでお前の力を試したいと思うが、どうだ?」

 

 韓信は、少しも怒りを(おもて)に出さず、感謝の言葉を述べて退出した。

 

 むしろ、韓信を見送る蕭何(しょうか)夏侯嬰(かこうえい)のほうが、はらはらと気を()んでいるしまつ。

「いかんな……この役目は、韓信には軽すぎる。

 どういうつもりなのだ、漢王様は。韓信を重く用いる気がないのか?」

 

 

   *

 

 

 さて、連廒(れんごう)(かん)に任命された韓信は、その日から、てきぱきと職務をこなしはじめた。

 まず倉庫管理の下役人を集合させると、手際(てぎわ)よく指示を飛ばして倉庫の点検に取りかからせる。

 

 一通り調べ終えたところで、韓信は、ひとつかみの算子(さんし)を取り出した。

 算子(さんし)とは、計算に使う小さな粒のこと。つまり、原始的な算盤(そろばん)のようなものと思われる。

 

 韓信は、算子(さんし)を用いて米の量を計算してみせた。

 すると、その結果に、毛先ほどの小さな誤差さえないのである。

 

 年かさの下役人は、韓信の計算の正確さを()のあたりにすると、地にひれ伏した。

「これまで倉庫の責任者となった方々に、あなた様ほど正確精密に計算できる方はいませんでした」

 

 韓信は、この賞賛を聞いて、機嫌よく笑った。

「ははは! いやいや、大したことはしていない。こんなものは、一介(いっかい)奴隷(どれい)がやる程度の仕事だ」

 

 

   *

 

 

 この話を伝え聞いた蕭何(しょうか)は、飛んできて韓信に言った。

「私は、貴公を推薦して大元帥に任命しようと思ったのだが、漢王様は、まだ貴公の大きな才覚に気づいておられない。それで、こんな小さな官職につけて貴公を試しているのだ。

 

 それにしても、貴公は多くの倉庫に山のように積まれた米を、ことごとく点検して、一つも計算を間違えていないそうですな。

 どうやって、こんなに大きな数を知りなさったのです?」

 

 韓信は、薄く笑みを浮かべた。

「算術には、小九の数、大九の数という概念がある。この計算法に通じていれば、四海九州(中国)すべての物を算出できる。

 

 伏羲(ふっき)(古代の神)が作った64()、この世の千変万化、あるいは天地の間の距離でさえ、この計算法則から漏れるものではない。

 ましてや、倉庫の中の米の量など!」

 

 蕭何(しょうか)は驚き、感心して長々と()め息を(こぼ)した。

 そこへ韓信が、さらに言う。

 

「ところで、倉庫の中には、()ちた古米が多く残っておりました。

 これを新米に更新し、余った古米を貧民に配布してはいかがでしょう。こうすれば、倉庫の中身も新しくなり、民の救済にもなって、一挙(いっきょ)両得(りょうとく)です。

 これは宰相にご判断いただくべき案件かと思います。なにとぞ相国(しょうこく)、よろしくお願いいたす」

 

 蕭何(しょうか)は、この提案を喜んだ。

「よい考えですな! さっそく明日、漢王様に奏上して実行に移しましょう」

 

 蕭何(しょうか)は、丞相(じょうしょう)()に帰る道すがら、うきうきと心を(はず)ませていた。

「すばらしい。いよいよもって韓信は奇才だ」

 

 

(つづく)




●注釈
(1)
 前回から、韓信や蕭何(しょうか)のセリフ中にいろいろな名臣能臣の名前が列挙されている。それぞれどういう人物なのか、簡単に紹介しておきたい。
 伊尹(いいん)は、(いん)の開祖成湯王(せいとうおう)湯王(とうおう))に仕えた臣。
 傅説(ふえつ)は、(いん)の22代国王武丁(ぶてい)に仕えた宰相。
 太公望呂望(りょぼう)(あざな)子牙(しが))は、(しゅう)の開祖の文王・武王親子に仕えた軍師。
 楽毅(がくき)は、紀元前3世紀の戦国時代に(えん)国に仕えた武将。
 孫子(そんし)孫武(そんぶ))は、紀元前500年前後の春秋時代に()国に仕えた武将。兵法(へいほう)(しょ)孫子(そんし)」の著者でもある。
 呉子(ごし)呉起(ごき))は、紀元前400年頃に()国や()国に仕えた武将で、こちらも兵法(へいほう)(しょ)呉子(ごし)」の著者として知られる。
 寧戚(ねいせき)は、春秋五覇の筆頭格である(せい)桓公(かんこう)に仕えた臣。「呂氏春秋・離俗覧・挙難」によれば、もともとは商人のもとで牛車を扱う仕事をしていた貧乏人だったが、牛の角を叩きながら見事な歌を歌い、それを聞いた桓公(かんこう)によって才覚を見出されたという。このエピソードを『寧戚飯牛』という。
 管仲(かんちゅう)も、同じく(せい)桓公(かんこう)に仕えた宰相。しかし元々は、桓公(かんこう)の兄の公子(きゅう)の臣であった。国の跡継ぎ争いで兄弟が対立したとき、管仲(かんちゅう)桓公(かんこう)の暗殺を試みて、失敗。その後、桓公(かんこう)(せい)王に即位し、管仲(かんちゅう)は捕らえられた。本文で触れていた『管仲(かんちゅう)檻車(かんしゃ)に入れられた囚人』というのは、この時のことを指していると思われる。その後、桓公(かんこう)管仲(かんちゅう)の罪を許すばかりか、彼を宰相として重用さえして、中華の覇者にのしあがった。

(2)
 韓信が倉庫の米を計算する場面について。
 韓信が計算に用いていた『算子(さんし)』は、おそらく陶器の小さな玉(陶丸(とうがん))であろうと思われる。これを数の記録に用いて計算の補助とする。つまり、原始的な算盤(そろばん)のようなものだろう。
 現代よく知られている、玉を串刺しにしたあの算盤(そろばん)が中国で使われるようになるのは、ずっと後の時代である。しかし、陶丸(とうがん)や竹の棒(算籌(さんちゅう))を用いて計算する技法は、それ以前から用いられていた。
 本編当時((しん)~前漢)の中国では、すでにかなり高度な算術が開発済みであった。漢代の高名な数学書「九章算術」には、現代日本の中学3年生あたりから高校1年生程度までの内容が記述されている。
 一例として「九章算術・方程」から引用する。
『上稲が3束、中稲が2束、下稲が1束で、米が39斗とれる。
 上稲が2束、中稲が3束、下稲が1束で、米が34斗とれる。
 上稲が1束、中稲が2束、下稲が3束で、米が26斗とれる。
 問:上、中、下の稲は、それぞれ1束につき何斗の米がとれるか?』
 これなどは、現代数学でいう三元一次の連立方程式にほかならない。2025年現在の学習指導要領においては、高校1年生向けの数学Iで取り扱う内容である。ぜひ読者の皆さんも、学生時代を思い出して挑戦してみてほしい。
 なお、解答は以下の通りである。
『答えて(いわ)く、
 上稲1束につき、9斗と4分の1斗。
 中稲1束につき、4斗と4分の1斗。
 下稲1束につき、2斗と4分の3斗』
 このように、分数の概念も、すでに使われていることが分かる。
 また、この後には答えの求め方も解説されている。続けて引用してみよう。長いうえにややこしいので、読み飛ばしていただいてもかまわない。
『方程術に(いわ)く、
 上稲3束、中稲2束、下稲1束、合計39斗(第1の条件)を右列に置く。
 同様に、第2の条件と第3の条件を、それぞれ中央列、左列に置く。
 右列の上稲の数を中央列の全ての数にかける。その後、中央列から右列の数を引く。(上稲が無くなるまで繰り返し引く)
 同様に、右列の上稲の数を左列の全ての数にかける。その後、左列から右列の数を引く。(上稲が無くなるまで繰り返し引く)
 ここで、もし中央列の中稲が無くなっていないなら、その数を左列の全ての数にかける。その後、左列から中央列の数を引く。(中稲が無くなるまで繰り返し引く)
 左列の下稲が無くなっていないなら、左列の下稲の数を分母、米の量を分子とする。これが下稲の収穫量である。
 中稲の収穫量を求めるには、下稲の収穫量の分母を中央列にかける。そこから下稲の収穫量を引く。(下稲が無くなるまで繰り返し引く)
 ここで中央列に残った収穫量を、中稲の数が1となるように割ると、それが中稲の収穫量である。
 上稲の収穫量を求めるには、中稲と下稲の収穫量の分母を右列にかける。そこから下稲の収穫量と中稲の収穫量を引く。(下稲、中稲が無くなるまで繰り返し引く)
 ここで右列に残った収穫量を、上稲の数が1となるように割ると、それが上稲の収穫量である。
 この方法で、それぞれ1束あたり何斗かが分かる』
 ()内は、外清内ダクによる補足である。
 言葉で説明すると実にややこしく見えるが、数学に詳しい方なら気づくかもしれない。この計算手順は、ガウスの消去法を用いた連立方程式の解法そのものだ。現代の数学では各変数の係数を横に並べて書くところ、「九章算術」の記述では縦に並べ書く想定になっているようだが、違いはそれだけである。
 このように、充分に実用的なレベルの算術が、この時代にもすでに確立されていた。兵站(へいたん)管理に、税の徴収に、あるいは田畑の面積の測量にと、このような算術・数学が大活躍したであろうことは、疑う余地もない。
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