龍虎戦記 項羽vs劉邦【翻案・通俗漢楚軍談】   作:外清内ダク

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二十九の中 最終試験? 漢王劉邦

 

 

 翌日。

 蕭何(しょうか)は朝廷に出て、劉邦に謁見(えっけん)しようとした。

 しかし、劉邦が朝廷にいない。

 

 官吏(かんり)に尋ねると、

「漢王様は、ここ数日、朝廷に出ていらっしゃらないのです」

 との答え。

 

 そこで、内官を通じて、

「申し上げたいことがございます。朝廷へお越しください」

 と劉邦に伝えたのだが……

 

 劉邦の返答は、こうであった。

「俺、最近むしょうに東へ帰りたくて……でも、どうすることもできなくて。

 その悩みのせいで、つい、朝廷に行くのを忘れてたんだ。明日の早朝には顔を出すから、話はそのとき聞くよ」

 

 というわけで、さらに翌日。

 劉邦は、言葉通りに朝廷に現れた。

 蕭何(しょうか)は、劉邦の見る前で、朝廷の百官とともに熱く政策議論を交わした。

 

 そのなかで、劉邦がポロリと、こう(こぼ)した。

「最近、なんだかやたらに故郷へ帰りたくてさあ……でも、いい考えが浮かばないんだよ」

 

 蕭何(しょうか)が言う。

「それなら簡単です。()を打ち破る大元帥を得ればよいのです」

 

 劉邦が口をとがらせる。

「んなこたァ分かってるよぉ。

 でも、いい人いる?」

 

 蕭何(しょうか)は、「好機だ」と目を光らせた。

「漢王様、もはやその人材を探す必要はありませんぞ。

 ただ韓信を用いればよいのです。彼ならば、必ず()を打ち破って天下を平定するでしょう」

 

 劉邦は、目を丸くした。

「韓信ーっ?

 あいつは、貧乏で自分ひとり食っていくことさえできなかった男だぞ。大元帥になって項羽と互角に戦えるわけないじゃないか」

 

 そこで、蕭何(しょうか)は語って聞かせた。

 連廒(れんごう)(かん)となった韓信が、いかに手際よく仕事をこなしているか。

 どれほど算術に通じていて、わずかばかりの間違(まちが)いもなく正確に計算しているか。

 そしてここで、古米を出して新米と取り替えるという、韓信の提案を奏上(そうじょう)した。

 

 劉邦は、困り顔で頭を()いた。

「まあ、古米の件は、いい考えだと思うよ。やってくれ。

 それに計算が得意なのも分かった。

 でも、そんなのは一つ才能を持ってるってだけだろ? そんなに驚くようなことか?」

 

 蕭何(しょうか)は熱弁する。

「才能の一片を見れば、残りの部分を()しはかることができます。

 韓信は、まことに大元帥の才能を持っております。どうか彼を見誤(みあやま)らないでくださいませ!」

 

 劉邦は、()め息をついた。

「分かったって……

 相国(しょうこく)がしきりに推薦するから、じゃあ……韓信を治粟(ちぞく)都尉(とい)に昇進させよう」

 

 

   *

 

 

 治粟(ちぞく)都尉(とい)とは、軍の兵糧(ひょうろう)の調達・管理を司る役職である。

 兵站(へいたん)は軍事の(かなめ)。食糧の供給が(とどこお)れば、勝てる(いくさ)も勝てなくなるのだから、これは決して軽い役目ではない。

 

 韓信は、辞令(じれい)を受けると、喜んで新しい職場に移った。

 そこで韓信が最初にしたのは、これまでの兵糧(ひょうろう)管理の記録文書を一通り確認することだった。

 

 新しく収められた量はいくらか。これまで保管されていた量はいくらか。そして実際に倉庫にある量はいくらか。

 帳簿に記録されていた数量を実態と照らし合わせ、出納(すいとう)の手続きを整え、収支が明確になるよう規則化した。

 

 実は今まで、この役所には1つの悪習があった。

 新しい治粟(ちぞく)都尉(とい)赴任(ふにん)してくると、その都度(つど)、倉庫管理の下役人たちが進物(しんもつ)を持って挨拶(あいさつ)に出向いていたのだ。

 早い話が賄賂(わいろ)である。

 

 一度(ひとたび)この賄賂(わいろ)を受け取ったなら、治粟(ちぞく)都尉(とい)は下役人たちに弱みを握られ、何も言えなくなってしまう。

 

 こうして上役(うわやく)を黙らせたうえで、下役人たちは倉庫管理の業務を利権化した。

 余った兵糧(ひょうろう)市場(しじょう)に放出する際、自分の息がかかった業者に取引を独占させて、私服(しふく)()やしていたのである。

 

 この腐敗ぶりを見て、民衆の多くは(うら)(いきどお)っていた。

 

 そこで韓信は、着任早々(そうそう)、告示を出した。

 これまで長年に渡り不正を働いていた者たちを、徹底的に調査して解任したのである。

 そして、不正をする必要がない程度に裕福で身柄(みがら)のはっきりとした人物を新しい役人に選び、癒着を防ぐために、わずかな私的関係さえ禁止した。

 

 食糧の購入・放出は公平公正に行い、食糧を納めるときにも賄賂(わいろ)は不要であると徹底させ、食糧を支給される者には必要量を十分に与えた。

 

 わずか半月の間に、人民は韓信を()めたたえるようになった。

 人々は、先を争って食糧の納付に(おとず)れた。これ以後、食糧調達が遅れたり(とどこお)ったりすることは、一切なくなったのである。

 

 人々は、口々にこう言った。

「こんなに賢明なお方が上に立ってくれたおかげで、俺らは、あっというまに食糧の納付を済ませられるようになった。

 賄賂(わいろ)狙いの小役人に遅延させられないおかげで、ずいぶん(みやこ)での宿代が浮いて、大助かりだよ!」

 

 それから1ヶ月の間に、倉庫は充実し、役所内の取り締まりも厳格になった。

 

 

   *

 

 

 ある日のこと。

 人々は、大勢でそろって丞相(じょうしょう)()(おとず)れ、こう(うった)えた。

 

「今まで、私らは賄賂(わいろ)として(ぜに)を取られ、そのうえ役人から好き勝手に(ののし)られ(はずかし)められてきました。

 食糧を納入するときには半年も待たされましたし、食糧を支給してもらうときは何日たっても結局支給してもらえなかった。

 

 ところが、韓大人(たいじん)(韓信)が来てからというもの、そんな(わずら)わしさに悩むことは一切なくなりました!

 

 相国(しょうこく)様にお聞きしたいのは、韓大人(たいじん)が、いつか他の場所に去ってしまうのかどうかということです。

 どうかお願いです。韓大人(たいじん)を、今の役職に留まらせてください。

 二年でも三年でも、あのお方がこの役職にいてくださることが、私らにとってはこれ以上ない最高の(たまわ)り物なんでございます」

 

 蕭何(しょうか)は、人民と直接会ってこの話を聞き、大いに笑った。

「そうかそうか。

 しかし、韓大人(たいじん)は、実に大きな人材だからな。今の役目は、彼には小さすぎるのだ。どうして治粟(ちぞく)都尉(とい)くらいで、彼の能力を出し尽くすことができようか」

 

 人々は、なおも切々(せつせつ)(うった)える。

「そこをなんとか! どうにかしては、いただけんものでしょうか?」

 

 蕭何(しょうか)は、人々を(なだ)めて言う。

「君たちの言いたいことは分かった。よく相談して、これからのことを決めるとしよう。悪いようにはしないから、今日のところは帰りなさい」

 

 人々は丞相(じょうしょう)()から去っていった。

 

 1人になって、蕭何(しょうか)は心の中で考えた。

「やはりな。あの韓信を人並みの役職などに付けたから、簡単すぎて(ひま)を持てあましているのだ。

 大きな仕事も良し、小さな仕事も良し。まったく、なんでもこなしてしまう男だな。

 

 よし。このままにはしておけん。

 この私が力を尽くして彼を推挙(すいきょ)せねばならん」

 

 

(つづく)

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